第3話 世界は五分前に誕生した

「葛切さん」


 翌日。

 僕は初めて自分から葛切さんに話しかけた。緊張で少し手が震える。

 次が体育のため、人の出払った休み時間を見計らう。

 ポニーテールはそのままに体操服姿になった葛切さんが、ごめんね先に行って、と言って友達を送り出す。彼女の友人たちは二人って喋ったことあったんだね、意外、とからころ笑いながら教室を出ていった。葛切さんの柔らかい性質を彼女たちも持っているようだった。女性といえば怖いもの、という印象しかなかったのに、最近になってたくさん話していることを可笑しく思う。

 二人きりになった教室で僕は葛切さんに一晩考えたことを切り出す。


「あの、葛切さん」

「うん、なあに?」

「桃井さんもこのことを知っているのかな?」

「ああー」


 葛切さんは呆れた、という風に大げさに顔でおどける。


「だろうねえ。まぐれにしては『ハーレムエンド』の条件を満たしすぎているし、なによりわたしに向ける目が厳しい」

「…それは葛切さんがなにかしたからじゃないの」

「そうかも」


 あはは、とあっさり葛切さんが笑う。


「でも役割じゃないとしたら、多分そのせいで最近かすみくん、特に絡まれてるんだよ。ごめんね」


 葛切さんの言葉にふと思い出す。

 そういえば、葛切さんと絡むようになってから、桃井さんとの接触頻度も上がったな、と。


「どういうこと?」

「もしかしたら何か事情を知っている人かもってわたしが見ていたから。桃井がなにか勘違いしちゃったみたい」

「葛切さんのせいじゃないよ」


 それは心の底から思ったことだ。

 葛切さんは申し訳なさそうに眉毛を下げた。


「でも、僕が桃井さんに話しちゃうかもって思わなかったの?」


 僕の言葉に葛切さんが意外そうな顔をした。


「言うつもりだったの?」

「い、いや、そうじゃないけど」


 あはは、と葛切さんが笑う。


「思わなかったよ。口止めするまでもなく。桃井どころか誰かにいう人じゃないだろうなって思ってた」

「そっか」


 たぶん、葛切さんはなんの気負いもなく言っている。そうなんだけど、その言葉は僕の中から荒涼とした何かをすとんと落とした。


「分かった。信じるよ。葛切さんが転生者だってこと」

「あはは、まだ信じてなかったの」


 葛切さんが軽やかに笑う。




 その日の放課後。

 僕は「よし、作戦会議をしよう」という葛切さんの一言でパンケーキ屋さんに来ていた。

 女性のお客さんが多い店内。確かに女性が好みそうな可愛らしい内装が施されている。僕らはその中で向かい合って、パンケーキを黙々と食べる。


「あ、あの。ここで会議をする必要はなかったんじゃ…」

「いいのいいの。わたしが食べたかったんだから。それに、こういうとこに来れば、デートぽく見えてカモフラージュになるでしょ」


 そしてまた食べる作業に専念してしまった。

 その言葉通り、細身な外見に似合わず葛切さんは更に山盛りになったパンケーキと生クリームの山を平らげた。僕は途中であまりの甘さにギブアップして、紅茶を飲んでいた。


「はー、美味しかった」


 満足そうにお腹をさすると、僕に宣言した。


「あのね、作戦会議って言ったけど、わたし別に桃井に何かするつもりはないんだ」

「そうなの?」


 意外だった。てっきり桃井さんがハーレムを築くのを阻止したりするつもりなのかと思った。なろう小説では、そうするのがセオリーのように。


「だって、桃井がなにをしようとわたしの知ったことじゃないもの」


 意外に他人行儀な葛切さんの言葉にどきりとする。


「で、でも、それでいいの?」


 それを期待していた僕はちょっとがっかりした。

 せっかく現実で見れると思ったのに。葛切さんなら主人公にふさわしいのに。


「別に法律に触れることをするわけでもないし。わたしは悪役をするつもりはないけど、代わりに止める気もないよ。不思議には思うけど」

「ふしぎ?」


 途端に葛切さんは、ものすごく嫌そうな顔をした。

 まるで間違って腐ったものを食べてしまった、そんな顔だ。


「桃井はどうして我慢できるのかな」

「え?」

「自分に与えられただけの環境、与えられただけの筋書きに沿って物語を進めることに。この世界がいつまで自分に都合のいい姿でいてくれるかなんてわからないのに。わたし達は人形じゃないし、物語を進めるだけの駒じゃない。私は私をこんな姿にした何者かを恨む。それが神であれ、人間であれ…」


 そこまで一気に喋って、はっとした。

 それから気まずそうに僕を見た。しかし、気を取り直したのか、威勢良く言った。


「これは、そう…糞食らえ!」

「く、糞食らえ?」

「そう、くそくらえー!」


 葛切さんがフォークを上に掲げる。

 どうやら葛切さんは思っていたよりも口が悪い。




もし転生が本当のことなら。


「葛切さんは前の人生が好きだったんだね」


 僕がもし転生してもきっと葛切さんのようには思えない。きっと葛切さんが今世に我慢ならないのは前世に未練があるからだろう。勉強もできて絶世の美少女になっても、代えられないものがあったのだろう。素直に葛切さんをすごいと思う。


「好きだったよ。まだ若かったし」


 すんなり葛切さんが答えた。

 だろうなあ、と僕も思う。


「でも、それよりもね」


 不満そうに彼女がいう。


「気にくわない」


 まるで子供みたいだ。

 小さな駄々っ子。


「感覚が違うの。体の、足の、手の感覚が。意思を持って、行動を決定しているのはわたしのはずなのに。まるで自分の体じゃないみたい」

「…前世の記憶はいつからあったの?」


 僕の読んだ小説には二通りあった。

 生まれた時から転生者の自覚がある場合、それから途中で記憶が蘇る場合。葛切さんはどちらなのだろう。


「高校一年生の時…でも」

「でも?」


 葛切さんがいたずらっぽくニヤッと笑った。


「世界五分前仮説って知ってる?」

「なにそれ」

「世界が実は五分前に始まったかもしれないってこと」


 それはおかしい。

 だって、僕らには長い歴史があって僕には十七年分の記憶があるのに。


「記憶っていうのはいくらでも作れるものなんだよ」


 僕の考えを見透かしたかのように葛切りさんがますますニヤニヤを深めた。


「もしかしたらたった五分前に世界は誕生して、その時に今まで生きたという記憶と、歴史を持ったわたしという存在も誕生したのかもしれない。でもこの世界ではなんの因果か、私に前世の記憶までつけちゃったの。今ってそういう状態なのかなって思って」

「それって、ええと、もしかして、葛切さんは高校一年生の時に記憶を取り戻したけど、前世以外のそれ以前の取り戻す前の記憶もあるの?」

「うん、そのおかげでこの世界の常識は学べたよ」


 周りの人はわたしをどうもおかしいと感じたみたいだけど、と葛切さんが笑う。


「へ、へえ」


 それってどういう状態なんだろう。

 なろう小説では、主人公はそういうのをまるで気にしていないみたいだったけど、それはよく考えたら大変なことかもしれない。


「時々思うんだけど」

「う、うん」

「この世界はほんとに存在しているのかな」

「あの、僕はここにいるんだけど」


 葛切さんが僕の抗議をスルーする。


「もしかしたら、前世のわたしが葛切りという人格を生み出し、さらにはかすみくんという他者を作り出したのかもしれない」


 からからと葛切さんが笑い声をあげる。


「まあ、これはかすみくんにも言えちゃうけど。もしかしたら、病院で寝ているどこかの誰かが自分の頭の中でかすみくんという人格を生み出したのかもしれない。かすみくん自体は実はただのフィルターで、かすみくんという眼鏡の向こう側から、ここを見ているのかも。そしたら、わたしもかすみくんもそれどころか、この世界でさえ存在していないのとおんなじ事になるね」

「そしたら」


 僕は一呼吸おく。苦笑いせずにはいられない。

 僕が僕自身の世界の作り手だったら。

 なろう小説の主人公だったら、


「もっと僕に都合のいい展開が起きてるよ」



✴︎

 学校へ続く坂道を登りながら、僕は葛切さんの言葉の意味について考えていた。


『邪魔はしないって言ったけど一つだけ、気になることはあるの』


 記憶の中の葛切さんがぴんと人差し指を立てている。


『桃井の取り巻き王子の中の一人、野中が夏休みに入る直前になくなっちゃうかもしれない』


 取り巻き王子という言葉が気になったけど、僕はそれをスルーする。


『どういうこと?』


失くなる。

無くなる、

亡くなる。


どれを取っても不穏だ。

 だって、葛切さんが言っていたように、この世界が物語の世界だとすればそれは「学園モノ」であるはずだ。そこにふさわしいのはプールや学園祭であって、死亡や殺人などというおどろおどろしい単語ではない。

 しかし葛切さんはあっさりと言った。


『例の知人が読者の人気順位が最下位だったから殺すって言ってた。メインの男子が、どこかの大企業の御曹司なんだって。その友人である野中を誘拐して、その御曹司から企業秘密を聞き出そうとするの。でも、結局それは失敗して野中は殺されるらしいよ』


 それは酷い。

よく分からないながらに悲惨だ。

 僕は野中という生徒に同情を覚えた。

 僕が協力を申し出ると、葛切さんは猫のように目を細め僕に礼を言った。

 そして最後にぼやいたのだった。


『学園ものの話のはずなんだけどなあ』


 学園ものに御曹司はいてもいいものなのだろうか。


『さすがに人が死ぬのはどうかと思うんだよね、わたし』

「よっ」


 ばん、と僕の背中が叩かれる。

 かずやだった。


「宿題見せてくれえ」


 朝っぱらから懇願される。


「う、うん」


 僕は頷いた。


「サンキュ」


 かずやが白い歯を見せて笑う。

 同じ佐藤でもすごい違いだ。かずやの爽やかさを分けてもらいたいものだ。


「で、そんな真剣な顔してどうしたんだ?」


 かずやが言う。


「なんでもないよ」


 僕は首を横にふるが、もしかしたらかずやなら知ってるかと思い一応尋ねてみる。彼は僕と違って友人が多い。


「同じ学年にどこかの大企業の息子がいるって聞いたんだけど、知ってる?」

「なっに、お前知らねえの?」


 かずやは受けると笑う。


「有名だろ。ほら、三組にいる顔の派手なやつだよ」

「イケメン」

「イケメンじゃねー。派手な顔だ。イケメンっていうのは俺みたいなのを言うんだよ」


 かずやがばちばちばちばちと両目でウインクして見せるので、僕は思わず笑ってしまった。


「どんな人なの?」

「なにもしかしてお前男が好きなの?」

「ち、違うけど」


 慌てて否定する僕に、わかってるってとかずやが笑う。


「俺も金持ちってことしか知らねえ。あ、あと桃井と仲良いよな」

「へえ、桃井さんと」

「聞けばいいじゃん、よく話してるし。それとも桃井が好きだから聞けないとか?」

「べ、別に」


 お前、ホントわかりやすいな、とかずやが笑う。


「でも、俺は葛切の方が好みなんだよな」


 その言葉に思わずどきりとした。


「か、かずやはもし記憶を持ったまま、たとえば中学生にでも戻ったらどうする?」


 適当に話を逸らそうとして、昨日の葛切さんの話をしてしまった。

 かずやは当然そんなことは知らずに、のんきに答えた。


「えー、せっかく高校生になったら楽しむだろそりゃ。やりたいこといっぱいあるじゃん」


 そっか。僕より葛切さんに近いのはかずやの方なんだろうな。

 そう思った。

二人とも行動的だ。

 僕ならきっと怯えて動けない。

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