第2話 都合のいい急接近。

一緒に帰った日以来、目に見えて僕と葛切さんの距離が縮まった。最近では机を並べて昼ごはんを一緒に食べるようにまでなった。


なんてことはもちろんなく、僕は相変わらずな毎日を過ごしていた。

それでもちょっとした変化はあった。

葛切さんと頻繁に目が合うようになった。

しかも葛切さんは決まって探るような、困ったなというような顔をしている。怒ってはいないと思うけど、曰くありげに僕を見つめている。

僕もその理由が分からないから、どうすればいいのかが分からない。ただただ照れ臭い。

そしてもうひとつ困ったことと言えば桃井さんだった。

前はせいぜい一月に一回だった雑用の頼みがここのところやけに頻繁だ。

しかも喋る時、心なしか距離が近い。


「さすが桃井!」

「なんでも的確にこなすな」


そうやって彼女が褒められているのを何度か聞いたが、それひょっとして僕がやったやつなんじゃ、と思わないでもないことだったりする。まあ、僕だったらあんなに褒めてもらえないとは思うようなちょっとした仕事だったりするから、褒めてもらえる人が褒められればいい。それがきっと適材適所というやつだ。


「あ、かすみくーん」


ほらまた。


「これあげる」


そう言って手渡されたのは、個包装されたチョコだった。コンビニで売っているものだ。


「いつもお世話になっているから」

「あ、ありがとう」


僕はちらりと葛切さんのいる方向を見る。

彼女は友人達と楽しそうに会話をしている。

でも、一瞬会話の切れ目で彼女が顔を上げた。

僕と目が合った。

きっと、たまたまだろう。

彼女の視線はすぐに逸らされる。

慌てて僕は顔を背ける。


「それでね、かすみくん。お願いしたいことがあるんだけど」


桃井さんとの会話に意識を戻す。


「うん、なに?」

「最近腱鞘炎で、手首が痛くてね、クラスで使う名簿作ってもらえないかなあ」


たしかにその手首には包帯が巻いてある。

でも本当に腱鞘炎なんだろうか。さっきの体育の授業でやったバスケで活躍していたような気がする。


「そういえば、桃井さんクラス委員だったね」

「そうなの」


鈴を転がすような甘い声で桃井さんが喋る。

おーい百合―、廊下から桃井さんを呼ぶ男子の声がした。


「じゃあっ、よろしくね」


桃井さんは僕の机に薄い冊子を置くと、パタパタと走り去っていった。


「わざわざお前に頼むなんて桃井も変わってるな」


僕の唯一の友人のかずやが僕をからかった。

その日。もしかしたらまた葛切さんに会えるかもと思ってあえて教室に居残りしたが、結局葛切さんは来なかった。よく考えたら、葛切さんが都合よくそう何度も忘れ物をしてくれるわけがない。

僕は僕自身の勝手な期待を恥ずかしく思う。

葛切さんともっと話してみたいけれど、きっと、もうあんな奇跡のようなことはないだろうな、そう思った。



ところが転機は葛切さんの方からやってきた。

その時僕は茫然と座り込んでいた。


「やっぱり。カスミくん、みーっけ」

「く、葛切さん?」


僕は悲鳴を挙げた。

上から帰ったはずの葛切さんが僕を覗き込んでいる。


「なんでここにいるの?」

「なんでって?」


時間は放課後で、場所は、


「だって、ここ、男子トイレだよ…?」


そう、葛切りさんは髪から水滴を垂らして茫然と個室の便器に座り込んでいる僕を、コンパートメントの仕切りの上から覗き込んでいるのだ。

突然クラスメイトに最近生意気だとか、うぬぼれんなよ、とか散々な暴言を浴びせられ、バケツの水を被せられた上、トイレの個室に閉じ込められた。僕が何をしたというんだ。個室は突っ張り棒でもしてあるのか開かず、僕は茫然自失としていたと言う訳だ。

こんな所を見つかった羞恥に、俯く。


「女ってトクだよね。男が女性トイレに入ると痴漢って騒がれるけど、女が同じことをしても図々しいとしか思われないんだから」

「…女子トイレ空いてなかったわけ?」


そんな訳はない。放課後なんだから。


「よっ。水もしたたるいい男」


葛切さんが茶化した。


「なにそれ」


葛切さんの顔が引っ込んだと思ったら、目の前のドアが開く。

葛切さんがにんまりと立っていた。

そして僕に見覚えのある物体を差し出す。


「端末を拾ったんだ。これないと勉強できないでしょ。拾ったからには届けてあげようと思ってさ」

「それで、わざわざ男子トイレに」

「まあね」


それから、と彼女が続ける。

雰囲気が変わった。

まるで獲物を仕留めようとするネコのように、そっと僕に近寄る。

その目が、楽しそうに爛々と光っている。


「かすみくんに、聞きたいことがあるんだけど」


柑橘系の、香りがした。


「ちょっと、いいかな」




✴︎

「聞きたいことって?」

「それより、はい、これ使っていいよ」


 手渡されたタオルで髪の毛を拭ったところで、このタオルが葛切さんのものであることに気がついた。どうりでいい匂いがするわけだ。


「下駄箱のところで待ってるから、着替えたらきてよ。一緒に帰ろう」


 葛切さんはそれだけ言うとさっさとトイレからいなくなってしまったので、僕は言われた通りに制服からジャージに着替えて、玄関口まで降りた。


「お待たせ、しました」

「よかった。来てくれた」


 葛切さんが笑う。

逃げ出しそう。そう思われたのだろうか。

 いかに僕が臆病でも逃げ出したりしないのに、情けなさに僕も笑った。

 それからしばらくはたわいも無い会話をして帰り道を歩いたわけだけど、僕としては葛切さんが僕に聞きたいことというのが気になって仕方がない。

 もうそろそろで駅に着く、という時になってようやく僕は質問した。


「あ、あの、葛切さん。僕に聞きたいことってなに?」

「え? あ、そうだった」


 どうやらすっかり忘れていたらしい様子に、もしかしたら大したことじゃなかったのかもしれないと肩を落とす。

 そしてすぐに、何を期待しているんだ、と自分を叱咤した。

 しかし、葛切さんは僕が予想していたのと全く別のベクトルのことを質問して来た。


「かすみくんは、どうして桃井に従っているの?」


 その質問はまるで予想もしなかった方向からのパンチのように、僕の脳を直撃した。

 しかも、尋ねている葛切さん自身が、心底不思議そうにしているので、さらに僕の頭が混乱する。ふと気がついたけど、葛切さんってわりと悪気なく人の傷を抉っちゃうタイプじゃないだろうか。

 意地悪じゃない分、たちが悪い。


「べ、別に従っているわけじゃないけど」

「でもよく桃井の雑用引き受けているでしょ」


 あ、葛切さんって桃井さんのこと桃井って呼ぶんだ。

 そんな些細な事を思う。


「だから私てっきりかすみくんが桃井のサポート役かと思ってたんだけど違うの?」

「サポート役?」


 なんのことだろう。


「主人公のサポート役だよ。物語が本来のあらすじ通りに進むようにサポートするの。君の好きな小説にもそういう話、たくさんあるでしょ」

「まって、まって。なんの話? 僕にはなんのことだか、」


 僕は慌てて葛切さんを遮る。

 駅はもう目の前にある。でも、もはや僕らの足は動いていなかった。

 葛切さんはじれったい、という顔をしながらしかし、あっけらかんと爆弾を落とした。


「隠さなくていいんだよ。誰に言われてこんなことをしているのかを教えて欲しいだけ。わたしの役回りは悪役令嬢でしょう?」

「はい?」


 そんなおかしなことを言われても。


「だから、わたしは悪役令嬢なんだって」


 たん、と葛切さんが右のつま先で地面を軽く蹴った。



✴︎

 結局、話を聞くためにアイスクリーム屋さんに行くことになった。なんと言うことだ。

 僕は今、葛切さんとデートなるものをしているのだろうか。

 いや、葛切さんは敏腕な取調官のような表情をしている。

 でも、僕は天にも昇る気持ちだった。


「つ、つまり?」


 ラムネアイスを舐めながら葛切さんが語ったところによると、


「この世界は『小説家になろう』に投稿された『乙女ゲームの平凡主人公に転生してしまった』の世界なの」


であり、葛切さんは


「わたしは悪役令嬢」


なのだそうだ。ちなみにその小説の作者は


「例のサイトに投稿していたわたしの知り合い」


なのだとか。


「へ、へえ」


 この話を聞いてドン引きしてしまった僕を誰が責められるだろう。

 あの葛切さんがまさかこんなに電波だったなんて。


「信じてない」


 葛切りさんがムッと唇を尖らせた。

 使ったナプキンを隅に置かれたゴミ箱に投げるとぽすんと入る。僕のは落ちた。拾いに行く。


「う、うーん」

「ちゃんと前世の記憶もあるし、もっと違う世界だったんだって」

「信じたいけど、…葛切さんもなろう小説を読んでるんだよね。あのね、提案があるんだけど」

「なに」


席に戻って、できる限り真剣な顔をしてみせる。


「きっとこの話は誰にもしないほうがいいと思うよ」


 色々勘違いされてしまいそうだ。いや勘違いじゃないのかもしれないけど。


「じゃあ、かすみくんはどうして桃井を手伝っていたわけ」


 半眼になった葛切さんが向かい席の僕ににじり寄る。

 僕はじりじりと進まれた分だけ後退した。


「た、頼まれたから…」

「へえ、かすみくんは頼まれればなんでもしちゃうんだ。泥棒でも、痴漢でもなんでもしちゃうんだ。さいてい!」

「それはしないよ…。それとこれとは違うような…」

「ちがくないもん」


 僕を詰ってから、葛切さんははあ、と肩を落とした。


「とにかく、わたしは世界を跨いでここに来ちゃったか、それかあの小説の世界を再現しようとしている人間がいるんだと思う」


 その小説自体を「小説家になろう」で見つけることは出来なかったという。

 削除されたからか、それとも元々この世界にはないからか。


「それって」

「前者だった場合、この状況を作り出しているのは神さまってことになるのかな。安っぽい神さまだなあ」


 どこか遠くを見るようにして葛切さんが嘆息した。

 あくまで彼女は、それが本当のことなのだという体で話している。


「あの、前に言っていた僕に似ている人って」


 ちら、と葛切さんが僕を見る。


「主人公のサポート役の登場人物だよ。人のいいサポートキャラ」


 ほんとに君は何も知らないの、こんなにそっくりなのに、と葛切さんが僕を覗き込む。

 僕は上半身を後ろに反らしながら、首を横に振って否定した。


「うーん。似てるかもしれないけど、僕とその人とは別人だよ。桃井さんが僕に頼みごとをしたのだって頼みやすかったからだとおもうし」

「あ!」


 葛切さんが声をあげる。


「どうしたの?」

「思い出した! 隠れイケメンって設定があった」


 思わず苦笑した。

 もさいと言われ続けて来て、そこら中にニキビもある僕には全く縁のない言葉だ。


「そうだったら良かったのに。こんなダサいやつじゃなくて」


 葛切さんは不思議そうに首を傾げた。


「だからかすみくん、その人に似てるんだって」

「え?」


 向かい側から伸ばされた手。

 それが僕の前髪をかき上げた。

 葛切さんの手はひんやりしていた。


「普段は髪の毛に隠れちゃっているけど、ダサくなんてないよ、かすみくん」


 あっという間に僕は自分の頬が熱くなるのを感じた。

 自分でも感じられるのだから、きっとすごく赤くなっているのだろう。

 葛切さんは少し目を見開くと、手を離しからからと明るい笑い声を立てた。


「そういえば今のわたしは男の欲望を全部詰め込んだような美少女だった」


 どうやら葛切さんは電波な上に、ナルシストらしい。

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