宣戦布告。彼女が異世界に来たのは間違いだった!?
目 のらりん
つかまり立ち
第1話 始まり。ファーストコンタクト
その男女がいるのは小さなバーだった。
上物のスーツを着た男が女のグラスに酒を注ぐ。シードルだ。男のグラスにはウイスキーが注がれている。
「君が本なら何でも読むのは知っているけど。どんな物語が好きなの?」
男が尋ねる。
女は小さく首を傾げた後、答えた。
「そうね。やっぱり子供向けの冒険活劇なんて素敵じゃない? 」
男は冗談だと思ったのか苦笑する。
それに対して女はあら本気で言っているんだけど、と眉を上げてみせた。
「大河ドラマなんかになると、国の存亡をかけたりして戦うじゃない。そういうのは、やなの。世界や国の存亡をかけるなんて重すぎるのよ。悲劇だわ。それと比べると子供向けのってそうじゃないじゃない。泣いたり、悩んだりするけど、どこか安全なのよ」
「つまり?」
「家出する少年にとっては家出という行為は何が起きても不思議じゃない大冒険だけど、大人にとってはそうじゃないってこと。微笑ましいでしょ」
悲劇にもなりうるけどね、と肩をすくめる。
「なるほど、君は大人という箱庭に飼いならされた世界が好みってわけだ。安易な万能感に浸れる」
「違うって。ただ、誰かが傷ついたり死んだりするのは嫌だけど、冒険はしたいの。だから、なんでも冒険にできてしまう子供の物語がすきなのよ。あなたのソレと一緒にしないでちょうだい」
お分かり、と指を振ってみせる。
流行りの海賊映画の主役の真似だった。
男ははいはい、とあしらって、グラスの酒を飲み干した。
進撃の巨人もいいけど、銀魂の方が安心するでしょー!と女が吠える。その頬は真っ赤に染まっていた。
男女が会話を交わす酒場とは、また別の世界。
「わたしね、ここじゃない別の世界を知っているの」
ここはとあるゲームの世界なのだと。
そう言って黒髪の乙女はいたずらっぽく笑った。
折しも季節は春で、僕らが並んで歩く遊歩道では桜の花びらが舞っていた。
*
人形のような顔立ち。
顔のパーツがバランスよく配置されているからそんな印象を受ける。
形の良い唇。スッと切れ長の眦。
その背筋は、この世に恐れることなど何もないとばかりに凛と伸ばされている。
武士のようだが、彼女の行動が年齢相応のせいか威圧感は感じない。むしろ見た目と裏腹にいたずらっ子の彼女にキュンとする男は多いだろう。
クラスのアイドルたる桃井さんみたいに表立ってちやほやされてはいないけど、心のうちで憎からず思っている男子は多いはずだ。
彼女の名前は葛切かの。
人気者の彼女だが、無謀な勇者以外に彼女に告白をする人間がいないのは、みんなどこか彼女に壁のようなものを感じているからだろうか、と僕は解析してみたりする。
一年の終わりに風のように舞い込んできた転校生だったことが更にそう思わせるのかもしれない。ついでに言うなら、実家は資産家だと聞いたことがある。高校生である僕らはそう言うちょっとした違いで、他者との差を感じてしまう。
かく言う僕も、そういうはみ出しものだ。
でも、別に、同じように周囲に溶け込めないからと言って、僕が彼女に近づけるとは思っていない。
だって彼女がクラスの人気者で、高嶺の花であることは間違いなく、そんな彼女を高校の教室の隅から見つめる僕はいてもいなくても変わらない存在、いわゆるモブなんだから。
僕の世界は結構小さい。
ほっとかれすぎた苔のように過ごす高校の小さな教室と、それからネット。
僕はこの二つの世界を往復している。
現実世界ほど単調なものはない。それでもどうにか日々をやり過ごせているのはネットのおかげだ。
ネットはいい。
とくに21世紀の初頭に流行ったというネット小説が好きだ。
「ねえ、カスミくん。今日の放課後、予定ある?」
授業用の端末をカバンに入れて帰る準備をしていると、隣の席の桃井さんが話しかけてきた。
僕は人気者でアイドルの彼女に話しかけられたことに驚愕しながら、しどろもどろ返事をする。
「え、ええ…特にないけど」
「ほんと? よかった!」
咲き誇る可憐な百合のような笑顔を浮かべて彼女が笑う。
頬が少し火照るのを感じた。
「あのね、実は今日、用事があって」
「う、うん」
「掃除当番、変わって欲しいの」
なんだ、そんなことか。胸をなでおろす。
と、同時に周囲からふっと息を吐き出す音が聞こえた。
同じクラスの男子たちだ。
みんな雑談したり、背を向けたりして何でもないように見えて、桃井さんと僕の会話に神経をとがらせていたのだ。もしかしたらあの、可憐な桃井さんが、あの、ダサい僕に一緒に帰ろうと誘うのかもしれない。そんなわけがない。でも、もしかしたらという可能性も捨て切れない。そう考えていたのだろう。
けれど案の定、僕は用事を頼まれただけだったから安心したのだ。
もしかしたら幾分か嘲笑も混ざっているのかもしれない。
お前なんかが相手にされるわけないだろ、って。
君たちだって、彼女がどこかのイケメンにかっさらわれるのを指を咥えて見ているだけのくせに。僕は意地悪くそう思う。
「いいよ」
「ありがとう!」
二つ返事で了承した僕に、桃井さんはにこにこと笑みを浮かべると、再度礼を言い、教室から飛び出していった。
もうこんな時間か。
ペンを走らせていたノートから顔を上げて、外を見る。
誰もいない教室。
窓から覗く太陽は地平線の向こう側に沈みかけている。
校庭では運動部がランニングをしていた。
こんな時間まで教室に残るのは初めてだった。
掃除を頼まれた僕は、掃除を終わって普段より帰宅する時間が遅くなったことで、なんとなく教室に残って、なんとなく勉強をしていたのだった。
こういう普段とは違う行動をするのって、なんだか青春みたいだな。
そう思う。
青春ってこういう意味のないことをしてみたくなる時期じゃないだろうか。そうも考えて、気がついた。
意味がない。
そうか、僕のしていることには意味がない。だって、ひとりで意味のない行動をしているだけだ。誰も僕のしていることを知らないし、そもそも興味すらないだろう。
押し寄せた津波の水が一斉に引くかのように、一気に虚しくなった。
帰ろう。
立ち上がる。
そのタイミングで、教室の後ろの扉が開いたものだから、僕はますます惨めな気持ちになった。
「あれ、誰かいる」
軽やかに教室に入ってきたのは長い黒髪を後ろで一つ結びにした葛切さんだった。
「あ、かすみくんだ」
僕の苗字の佐藤は同じクラスに何の因果か三人もいたため、僕らは苗字ではなく名前で呼ばれる。それでも葛切さんが僕の名前を覚えていたのは意外だった。
「なにしてるの?」
ほとんど話したことがないにも関わらず、葛切さんは親しげに僕に話しかける。
普通こういう時ってもっとギクシャクするもんじゃないだろうか。
「あ、残って、勉強を」
「へえ、偉いねえ」
にこにこと葛切さんが笑う。
「葛切さんは?」
「忘れ物しちゃって。あった、あった」
机をがさごそとかき回すと分厚いノートを取り出した。
「なに、それ?」
「スケッチブックだよ」
「へえ。漫画とか書くの?」
「うーん。スケッチが多いかな。きれいなものを絵にして閉じ込めるの」
「へえ」
僕はあまりにも不自然な驚嘆の声を上げる。
実際に驚いているけど、その自然な見せ方が分からない。でも、驚いているというリアクションはとりたかった。だから驚いて見せたのだけど。それでも、不自然すぎたかもしれない。
「意外?」
葛切さんが僕を見る。
気にした様子はない。
唇はにんまりと弧を描いている。
「う、うん」
僕の中で葛切さんは運動神経抜群の才色兼備だけど、美術にも興味があるとは知らなかった。
「うふふ、そうかあ。意外かあ」
「な、何がおかしいの?」
笑いが止まらない、というようににやにやしている。
てくてくと僕の近くまでやってくると、机にすとんと腰を下ろした。
その動きに合わせて、さらさらと髪が揺れる。
「いやあ、今までわたしにそんな事言った人がいなかったからさ」
「へえ」
「まあ、誰も知らないからなんだけど」
「…」
そう言ってくすくすと笑う。
困惑した。
どういうことだろう。
なんでそれを僕に告げるんだろう。
「で、でも、いいと思う。趣味があるっていいことだと思うよ」
ごにょごにょと告げる僕。
葛切さんは不思議な生き物でも見つめるかのように僕を見た。
「そお?」
「ぼ、僕はネット小説が好きなんだ」
そんな事を白状する日が来るなんて思わなかった。
「へえ、ネット小説」
駅まで一緒に歩こう、という葛切さんの提案で僕らは並んで歩いている。彼女の方が背が小さいのに歩くスピードが早い。待って、とお願いすると、あ、ごめんね、とスピードをゆるめてくれた。すらりと伸びた足はもしかしなくても僕より長いかもしれない。
「知ってるの?」
「うん、知ってるよ。『小説家になろう』とかだよね」
なんのためらいもない答え。
今日の天気は晴れです、というのと同じ軽さがある。知らないと言われなければ、気持ち悪いとも言われない。へえ、そうなんだ。そんな軽さ。
「うん。そうなんだ」
「意外と前時代的なんだ」
葛切さんが笑う。
「葛切さんも読むの?」
僕の質問に葛切さんはなぜか、お手上げと言うように両手を上げてみせた。
「むかーし、知り合いがそこに投稿していたんだ」
「へえ、すごい。どんな話?」
誰でもそこに投稿できるという特性上、作者は沢山いたわけだが、サイトが閉鎖されて長い今、実際に投稿していた人と知り合いという葛切さんに感動を覚える。もしかして彼女のお爺さんや叔父さんあたりが投稿していたのだろうか。
「これが頭痛くなっちゃうようほどありきたりな作品で。なんて言うんだっけ、ええと、乙女ゲーム。 その主人公に転生した少女の話。イケメンに囲まれ、蝶よ花よと甘やかされるの。スパイス、とばかりに悪役の令嬢もいたりして」
「すごい!」
でも少し僕の知っているオーソドックスな物語とは違う。
そのタイプの物語の主人公は大抵悪役に転生する。もしかしたら僕が目を付けている作品と、その知り合いの人が書いた作品ではカテゴライズされている場所が違うのかもしれない。
「あれ、悪役に転生したんだっけ?」
葛切さんはうろ覚えなのか、首を傾げた。
「で、これの何が酷いって、そんなどこにでも転がっているような作品なのに結構高評価で、さらに作者は男でそれを見て釣れた釣れたとほくそ笑むようなやつだったってこと」
困った困った、とおどける葛切さん。
「なんていうタイトルなの?」
「えー、なんだったっけかな。思い出せない」
うーんと葛切さんが顎に手を当てるけど、結局思い出せないようだった。
「ごめんね」
ちっとも申し訳なさそうじゃなく肩をすくめる。でも、それが嫌みじゃない。
僕はまるでそういうのが義務であるかのように、残念だと彼女に告げた。
「かすみくんはそういう女性向けの小説も読むの?」
「うん。そういうのも冒険ものも読むよ。ありきたりな設定かもしれないけど、ありきたりだからこその面白さってあると思うんだ」
それに小説の中でなら僕はヒーローでいられる。
どこにでもいる平凡な人間、いなくなっても構わないようなそんな人間が僕だけど、小説を読むだけでヒーローになれる。
「そっかそっか」
葛切さんが嬉しそうににこにこした。
「な、なにかな」
「好きなことがあるっていいことだよ、少年」
少女の葛切さんが言う。
その瞬間だけ、彼女のいる空間がどこか区切られたようだった。
駅に着いた僕らは、改札を抜けたところで別れを告げる。
別れ際、葛切さんはまじまじと僕の顔を見つめるとこう言った。
「今まで話したことなかったから知らなかったけど。かすみくんって、わたしの知っている人に似ているかも」
僕にはその真意は掴めなかったけど、それはしょうがない。こんな非常時のイベントに浮かれきっていたんだから。
彼女と別れた後に、ようやく僕は彼女と楽しんで会話ができたことに気がついた。
でもこの時、僕はまだ、知らなかったのだ。
その言葉がとんでもない事を意味しているだなんて。
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