第5話

 

 ずっと『昔』から気に食わなかった。


 明日香は過去に思いを巡らせる。


 自分よりも身の回りに気を配らないくせに、ガサツなくせに、女らしさなんて欠片もないくせに、誰よりも好かれる青い髪の女。大した努力すらせず上に気に入られた、ただそれだけでトップに上り詰めた青い瞳の女。


 一度地の底を知ればいい。


 あの、晴れた日。護衛の仕事と言って女を油断させ、休憩と言って崖際へ誘い込んだ後崖下へ蹴落とした。噂では女は死に、騎士の大隊長は自分が思う人間になった。その後、大隊長の座が龍騎という男に移ったのは想定外だったが、彼は好みだから自身で懐柔する。


 だが、またしても青の女が現れた。


 死んだはず女はどこで知ったのか大隊長の龍騎に取り入っていた。やはり、気に食わない。だから、先代の大隊長が居る時に手に入れた力を使って女を閉じ込めた。今は部下の男たちが好きに痛めつけているはず。


 明日香は上機嫌で朝の紅茶に口をつけていた。


 こんこんこん、扉が叩かれる。この時間、彼女の部屋に来られる人間は限られる。


「お父様?」


「明日香……、お客様だ。騎士団の大隊長が話をしたいと」


「龍騎様が!? 今行きますわ!」


「――その必要はありませんよ、明日香様。おはようございます」


 はしたなくも走り、勢い良く扉を開けば見えたのは父親の姿と父親の後ろにいる赤い色の髪の、騎士団大隊長。


 いつものように満面の笑みを浮かべて見せれば彼はどこか困ったように笑い返す。いつもと、同じ。


 

 龍騎は明日香に聞こえないよう小さく二言三言を彼女の父親と話した。その言葉の一つ一つに不満を覚えながらも『どうすることもしてはいけない』自分の眉間にしわを寄せ、部屋を後にする。


 二人になり、明日香は笑う。いつものように。


「明日香様」


 酷く優しく名前を呼ぶと明日香は嬉しそうに笑った。ようやく自分の思い通りになる、と思っているのか龍騎も思わず笑う。そのバレバレな思惑を隠して欲しいところだ。


 片手を差し出すと何を『勘違い』しているのか、明日香は喜んで自分の手を差し出す。


「返してもらえますか」


 笑顔とは裏腹に随分低い声が出た。我ながらこれは怖いな。


 龍騎は笑みを深くする。そしてもう一度、返してもらえますか、と言った。二度も言ってようやく龍騎の意図することに気付いた明日香が喜び差し出した片手を引いた。


 だがその手はかつて望んだ者に強く掴まれる。


 体を強く引かれ、暖かな体に倒れ込む。


「貴女の頼みの綱であろう父上様は来ませんよ。俺も、騎士である以上貴女に手を出せない。だからお願いしているんです。俺が騎士であるうちに、ね」


 一切鍛えていない明日香が体を鍛え、剣を握る男の力に敵うわけもなく、ただ龍騎の言うそれを認めてしまうわけにもいかない。


「私には龍騎様が何を言っているのか」


「――、何年か前、敬愛する騎士団大隊長が崖から落ちたと俺たちは悲報を聞いた。覚えは?」


 腕を引き剥がそうと体を離したまま首を振った。そんなの知らない、と言うように。


「そうですか。では話だけ聞いてもらいましょうか」


 小さく、咳をするような音の後、少し掠れた声で龍騎は語り始める。


 数年前、騎士団を束ねる大隊長が『不慮の事故』で命を落とした。後に来た大隊長は今までとは全く違う大隊長だった。貴族生まれのやる気のない騎士を擁護し、前の大隊長を慕う実力のある騎士たちは大隊長の権限で排斥されていった。


 自分も、排斥されそうな騎士の一人だった。


 だがだからこそ、急に現れた大隊長の裏をかくことに必死になることが出来た。


 変わらず優しい笑顔で龍騎は言う。


 知っていましたよ。前大隊長の裏に居た人を、好きだった騎士の時代を終わらせた人を、貴族を。


 片手で強く明日香を捕らえたまま。


「俺が……俺達が何も知らず、何もせず、慕った騎士団長を突き落とした貴族を好くと?」


「っ、わたし、は」


「掴む尻尾が見付けられなかった。貴女の父上様は賢い方だ。けれど貴女は違う。貴女はもう少し自分の力を知るべきですね」


 過ぎた力は、ただの足かせですよ。


 手を離すと彼女は掴まれていた片手をもう片方の手で擦る。赤く、凹んだような錯覚すら有る。それだけ『強い力』で掴まれていた。


 顔を上げれば彼は変わらず笑みを浮かべている。


 今までに見たことがないほど、優しげで恐ろしい笑み。


「これが『騎士』である俺の最後の言葉です。一般人であるパン屋の娘を返してください」


 

 貴族の館にふさわしくない地下牢がある。この場所は罪人を捕らえるという名目で作られた場所。何に使っているかは定かではないが、こういうことなのだろう。


 龍騎は廊下の壁に備え付けられた少しの明かりを頼りに石の階段を降りていく。


 場所の目星はついていた。だが、いい加減彼女に付きまとわれるのもこれ以上好き勝手をされるのもウンザリだった。だからまどろっこしい方法ではあったがこうして『公式』に許可をもらって−–。


 階段を降りきった先にある地下牢。火に照らされたその場所には誰も居なかった。は、と思わず間の抜けた声が出る。檻の中には何人かの人が倒れているが全員男。予想していたような女性の姿はない。


 誰かが先に、と思ったが思考は地下牢へ繋がる階段から聞こえる音に遮られた。


 かつん、かつかつん。みっつの音をひとつの組み合わせとして鳴る音はどこかで聞いたことがある。


「――、驚いた。こんな所でパンは売ってないわよ?」


 剣を杖代わりに歩いてくる女性が居た。


 暗くてよく見えないが、いつもよりも少しだけゆっくりと歩く彼女は珍しく上機嫌な笑みを龍騎へ向ける。


 思わず笑い返しそうになるが、龍騎は表情を引き締める。


「怪我は――」


「店の方で頭を打ったのと、ここに来て一発殴られたけど問題ないわ。縛られてもいなかったから」


「……はっ、はは。流石です、ここに留まる理由を伺っても?」


 急に敬語を使う龍騎に驚くこともなく、女性は、遥は上機嫌に言葉を返す。


「勝手に逃げれば変に目をつけられて店に迷惑がかかる。だったら適当な状態にして警兵に見つけてもらったほうが良いでしょ。どうせ、あの臆病貴族はここに降りても来ないから」


 ふん、と鼻を鳴らして笑った彼女は階段を完全に降りて龍騎の正面に立つ。


「さて、久しぶりと言うべきかしらね?」


 笑う彼女に彼は小さく頭を下げる。


「俺のような一騎士を覚えておいていただけるとは光栄です、大隊長」


 良き時代の騎士を作り上げた敬愛する前騎士団大隊長を前にすることはない。


 名を知らずとも自身のことを覚えていたことが光栄で、同時にここに閉じ込めたような存在にいらだちを覚える。


「今は貴方が大隊長でしょう」


「俺にとってはいつまでも貴女が大隊長です」


「はー、相変わらず甘えん坊ね。さて、甘えん坊ちゃん、剣を持って出ると問題だからエスコートしてくれるかしら?」


 剣を捨てて差し出された片手に、腕を差し出して応える。


 喜んで。


 石の階段を上がり、外へ出ると日は高く二人は眩しさに目を細めた。


「遥さん! ああ良かった、無事で」


 貴族の屋敷から出た途端に駆け寄ってきた男を見て、遥は安心したような笑みを浮かべた。パン屋の主人が息を切らして彼女の名を呼ぶ。遥さん、と。


 龍騎から手を離した遥は大袈裟ね、と男を笑う。


「け、怪我は、体調は!?」


 心配して伸ばされた手を片手で払う。正規の訓練も受けていないような人たちに負けるなんて思っていないくせに。


 相変わらず尊大な態度。


 遥は空を見上げた。雲一つない晴天。けれど、気分は良い。あの日、雲一つない晴天の日崖の下から自分を突き落とした女を見上げていた嫌な記憶はまだ残っているがそれ以上に気分がいい。


 そう言えば、自分を助けに来たらしい甘えん坊の騎士団大隊長は。


 やたら静かな背後を振り返った瞬間だった。


 騎士服を着た男の姿がまるで滑るようにゆっくりと、小さくなる。正確には、うずくまった。


 は、と間の抜けた声を出すと道の真中で片膝を立ててうずくまった男は顔だけ上げて笑った。情けないような、呆れたような、見たことのない顔だった。彼と話したことは少ないけれど、らしくないことは分かる。


 息を切らしたままの男が近付くと龍騎は荒く息を吐きだす。


「お前! 雨の後そのまま仕事したな!?」


 見れば顔が赤い。


「なあ、手、貸してくれよ」


 蹲った状態から弱々しく差し出した手を掴んだのは小さく力強い手だった。困惑する前に強く引き寄せられ、龍騎は自分より小さな影に向かって倒れ込んだ。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る