第3話

 

 ここ数年の間、騎士という役職は腐りきっていた。元は民に慕われ、民のために剣を奮うのが騎士だった。だが今は違う。彼らが剣を奮うのは私欲のため。そう言われるほど。


 だが腐った騎士の中にも序列はある。大隊長を上に据え、隊長から隊員へ。


 大隊長ともなればこの腐りきった騎士を元に戻せる、はずだった。


 龍騎は目の前の紙束を前に溜息をつく。彼がそう考えるのには理由がある。先々代騎士団大隊長は一人であの、良き時代の騎士を作り上げた。その次代、一人で堕落させた大隊長も流石だとは思うが。


 毎日の紙束の相手をしているだけで部下と関わる時間も少なくなる。周りに居るのは隊長となる前から友好のある者ばかり。変わるはずもない。


「隊長、今日はパン無いんですか?」


 ノックもなしに彼の部屋に入ってきた部下の一人が書類を机に置きながら何かを探すように視線を彷徨わせる。


「欲しいなら買いに行け。暇ならお貴族様の出迎え変わるか?」


「あはは、冗談。絶対ゴメンです。大体あの人のお気に入り隊長なんですもん。ボクらが行ったら睨まれちゃうし」


「明日香様にも困り者だな、俺は結婚する気など無いのに」


 あははは。少年のようなあどけなさを残す部下はさも楽しそうに笑い声だけを残し、自分の部屋を出て行く。龍騎は残されたまま、部屋にひとつかけておいた時計を見やる。


 あと一時間で貴族を迎えに行かなくてはならない。


 今の騎士に貴族の護衛は任されないが、迎えに行く程度は許される。迎えに行き、挨拶を済ませ、護衛の兵たちを連れたまま会合の場所まで案内する。


 今日迎えに行くのは城での会合に参加する貴族とその娘だ。貴族の姓は日向。この国の中でも重鎮と言われるほどの力と影響力を持った貴族の一人。


 娘の名前は明日香。騎士団大隊長である龍騎――の、おそらく身分――をいたく気に入り事あるごとに龍騎を呼びつける。そして、婚礼の話を持ち出すのだ。腐ったとはいえ騎士団の大隊長。価値を見出しているのかもしれないが、龍騎本人にとっては迷惑な話だ。


 彼は婚儀を上げるつもりなど毛頭ないのだから。というより、彼は明日香のような人が苦手だった。やたらと積極的に近付いてくる女性にはいい思い出がない。


「ねえ龍騎さま」


 父親は会合に出ており、娘本人としては暇なのだろう。隊舎を案内して欲しいという言葉の通り、手を引いて騎士隊舎を案内している。何が楽しいのか、貴族の娘である明日香は龍騎の片手を強く退く。


 腕に当てているのか、鬱陶しい。ここまで積極的に来られると嫌気がさす。


「何でしょうか、明日香様。やはり隊舎の周りは退屈でしょう?」


「いいえ、『貴方』の隊舎、とても素敵ですわ」


 俺の隊舎じゃない。


 龍騎は溜息を抑えるのに必死だった。


 

 対して遥は上機嫌だった。雨の日は客が少ないから。


 いつもより少なめに焼き上げたパンのひとつをレジ前でかじる。美味しい。今日は珍しく店主も営業時間中店に居るらしい。さんざん嫌味を言っていると店主は疲れきって休憩室へと引っ込んでいった。


 雨の日は好きだ。あの日とは全く違うから。


 客が少ないのも良い。座っているだけで仕事が終わる。


 残ったパンを廃棄処分するのは気分が悪いが、それはこの仕事上仕方ないことだ。腐りかけたパンを客に出す訳にはいかない。


 頬杖をついたまま眠ってしまおうと目を閉じた時、店の扉が開いて鈴が鳴る。


「おい、寝るなよ、店員」


 龍騎だった。


「何よ、雨の日も暇なのね」


「っはは、今日は気分転換。ついでに夜食をね」


 レジ前に来た彼から香る似つかわしくない匂い。思わず眉を寄せると彼は気付いて一歩だけ下がった。


「仕事で匂いの強い奴と会ってたんだ。悪い、ある程度は消したつもりだった」


「パンが、不味くなる」


 包んだパンを渡すと香る、気持ち悪いほどに自己主張をする華の匂い。


 ふ、と遥は動きを止めた。なかなかパンの袋から手を離さない彼女に首を傾げるも、彼女は険しい顔で何かを見ている。おそらく、ここではないどこかだ。


 龍騎は急かさず、パンの袋が手元に落ちてくるのを待った。時間にすると短いがそれは確かに彼女が何かを思い、憂う時間。


 普段軽口を言っている彼女からは想像出来ない、どこか泣きそうな顔。


「げ、龍騎来てたのか」


 休憩室から顔を出した店主の声でパンの袋は彼女の手を離れ、龍騎の手の中へ落ちる。


「悪いか? ちゃんと金払ってるだけありがたいと思えよ。お前にはまだ貸しがあるんだからな」


 荒い口調。遥はいつもの無愛想を貼り付けて顔を上げた。


「……、また来るよ。オネエサン」


「二度と来るな暇人」


 死んでしまえ。と。いつもより酷い言葉に思わず笑うことしか出来なかった。


 片手を振ってもいつものように応える姿はない。いつもどおりであるところに少しだけ安心した。


 購入した幾つかのパンが入った袋を片手に外へ出ると相変わらず酷い雨が降っていた。龍騎は雨の日が嫌いだった。あの日と違いすぎるから。


 店の前に置いておいた傘を広げ、雨からパンを庇う。部下たちもこれで満足だろう。


 この大雨は三日に渡って振り続け、その間、龍騎がパン屋を訪れることはなく、代わりに強い香水の匂いが龍騎を訪ね続けた。

 

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