そのに

そのに

上澄み液だけの昼食後、水穂は、いく先生に連れられて、集会室へ通された。

「えー、今日から一緒に勉強会に参加してくれる、磯野水穂さんだ。何かと不自由なところもあるが、皆でフォローしてやってほしい。」

どうやら、ここの棟の管理は、いく先生が基本的に指導教官であるようだ。

受講生たちは、男女半々で合計10人ほどのメンバーが集まっている。

「それでは、よろしく頼むな!」

と、いく先生は、水穂を真ん中の開いている席に座らせた。

「では、講座を開始する!今日も、千沙総大将のお言葉をよく聞くように!」

勉強会と言っても、演台に乗せられたカセットテープを聞かされるだけの事だった。しかし、それに集中して聞かないと、いく先生が、バシンとしないを振り下ろすので楽ではない。そうなると、結構な苦痛でもある。

水穂は、始めのうちは、演台から聞こえてくる声に、何とか耳を傾けようとしたが、数分後にまた吐き気を催して、みんなとは、反対の方を向いて咳き込んだ。すると、いく先生、当然のように、彼に向ってしないを振り下ろそうとしたのだが、

「ちょっと待ってくださいよ!可哀そうでしょ!先生、やめてください!」

と、隣に座っていた女性が、いく先生に言った。

「そうですよ。この人をたたくなんて、いくら何でもかわいそうすぎます。ほら、見てください。こんなに痩せていて、本当にかわいそうじゃないですか!」

今度は、男性が、そういうのである。

「いや。きちんと、千沙総大将の話を聞けないのだから、罰則は必要だ。こうでもしないと。」

「そうおっしゃいますけど先生。」

先ほどの男性が、こんなことをいい放った。

「だって、初めにいったじゃありませんか。皆でフォローしてやってほしいって。それをしようとしているのに、なんで体罰を加えるんです?」

彼の発言、なかなか雄弁だ。

「そうよ。現にかわいそうだもん。ほら、誰か呼んでくるなりしてくださいよ。あるいは、何とかして、適切な処置をするとかしないんですか?」

と、一寸幼い感じがする先ほどの女性信徒が、そういうと同時に、水穂は椅子から落ちて床に座り込んだ。その上、さらに激しく咳き込み、とうとう、床を吐瀉物で汚してしまって、水穂はわからなくなった。

「ちょっと急いで誰か雑巾かなんか持ってきてくれる!」

先ほどの男性信徒の合図で、女性信徒が、すぐに部屋の片隅にあった、掃除用具入れから雑巾を一枚持ってきてくれた。すぐに彼女は、吐瀉物を、雑巾で丁寧に拭き始める。

「水穂さん、疲れたなら、横になって休みましょう。部屋へもどって安静にしていたほうがいいな。血を出すくらいだから。」

と、比較的体の大きな男性信徒が、よいしょと彼の体を持ち上げて、背中に背負った。そして、いく先生が止めるまもなく、部屋へ連れて行ってしまった。

その間、間違えなく、講座は中止になった。その間は、カセットテープの音声も、聞こえてこなかった。いく先生は苦い顔をする。でも、信徒たちは、やっと、嫌な話を聞かなくて済むと、頭の中では喜んでいた。

水穂は、数時間後、やっと気が付いた。と、自分はいつの間にやら、あの集会室から出ていて、居室のベッドの上に寝かされていた。誰が自分をここまで連れてきたんだろうか。不思議なきがして、周りをきょろきょろ見渡していると、

「あ、気が付いたみたいだな。」

周りに、数人の信徒たちが、自分を取り囲んでいるのが見えた。もしかして、大事な講座を台無しにしてと怒っているのだろうかと思ったが、実際はそんなことはなく、皆にこやかに笑っていた。

「いやあ、講座をめちゃくちゃにしてくれてありがとうございます。まったく、あの、遠藤千沙の、うるさい説教を聞かされるよりも、もっと大事なことをしてくださいました。」

「あ、えーと、そうですか。」

水穂は、そういったが、よく意味が分からなかった。

急いで、布団の上に座ろうとしたが、

「寝たままで今日は大丈夫。だから、気にしないで、横になっていてください。」

と、別の信徒にさえぎられて、そのままでいた。

「あの、講座をめちゃくちゃにしたとは?」

と、水穂が聞くと、

「はい、講座が中止になりましたから、今日一日は、あの嫌な遠藤千沙総大将の話を聞かずに済みます。それは本当に嬉しいことです。そうでなければ、もう、毎日毎日同じことばかり聞かされる羽目になりますから。」

「同じ事?」

「ええ、そうなんです。まったく嫌なんですよ。もう働かない奴らは悪人だって、何十分も語り聞かされるんですから。」

女性信徒が、本当にいやそうにそういった。

「あの、ここはいったいどういうところなのか、教えていただけないでしょうか?」

「あたしたちにとっては、終の棲家かしらね。」

と、別の女性信徒が言った。

「それでは、いったいどうなるのでしょうか?」

「まあ、あたしたちは、世の中から捨てられたようなものでね。世の中にいたら、ゴミのような扱いしかされないで、やっとここで、引き取ってもらったと思ったんだけど、どうせここで最期を迎えるまで待たされるだけかな。」

若い女性信徒が、そう答えを出す。

「まあね。今の世の中、そういう風にできているから仕方ないんだけど。それでは、仕方なくここで最期になるのかな。どうせさ、働かない奴は、悪い奴ってなるんだから、ここで死なせてもらうほうが、いいのかも。」

終の棲家と言った女性信徒が、そういった。

「でも、そもそもなぜ、働かないと、こうして閉じ込められてしまうのでしょう?」

「ああ、それはね、外へ出て凶悪事件を起こさないためなんですって。一番事件を起こすのは、無職ということで。」

と、先ほどの若い女性信徒が言った。

「ええ、そうなんだよ。俺たちは、この世の邪魔者だったということですね。俺、好きで働けなくなったわけじゃないですけどね。俺は、仕事やっていたんですけどね。でも、上司と相性が悪くて、それでやめただけなんですよ。まあ、すぐに仕事を辞めて、新しい仕事が見つかるんじゃないかって、思ってしまったのが、間違いだったんですかね。結局、新しい仕事も見つからなくて、困ってしまったんですよ。俺は、そのうち、家の疫病神、みたいになっちゃって。それではいけないですね、俺は、ここに売られてきたんですよ。」

先ほどの男性信徒が、ちょっとべそをかくように言った。

「俺の住んでいるところは、本当に片田舎でしてね。まったく、移動するにも車がないとどこにも行けないんですよ。歩いていくなら、買物に行くにも、何十分もかかってしまいますよ。それで、田舎の人ってのは、他人の噂話だけで満足している傾向がありますから、俺が仕事を辞めたってのが、本当に知れ渡ってしまって。俺は、完全にさらし者になってしまいましたよ。もう、会う人に会うたびに言われるんですよ。早く、仕事を見つけて、お母ちゃんたちを安心させてやりなって。来る日も来る日もその言葉ばかりで、それでは、俺の気持ちなんて、何も考慮してないんですよね。俺、そのせいでよけいに焦っちゃって、なんだか体も頭も不安定になって。だって、みんな親のことばっかりなんですもん。俺が、仕事なくして、困っていることにはひとことも触れていないんですよね。」

「まあ、確かにそうですね。それはおつらかったんでしょう。そのうえ、働いていない人は悪人なんていわれたら、それでは、死にたくなる気持ちもわかりますよ。」

水穂は、男性信徒に静かに言った。

「わかるなんて。よく言ってくださいますね。俺は、そんなこと、まったく言われたことがありませんでした。俺は、外に出るたびに、親をどうのこうのばかりで、本当に困りましたよ。もう、頭がおかしくなりそうだった。」

と、男性信徒は、そう苦笑いした。

「本当は、大変だったんでしょうね。誰も、一緒に協力してくれる人もなくて。ずいぶんかわいそうな目に会ったというか。ごめんなさい。僕も、ちゃんと答えを出せなくて。」

「いいえ、俺の気持ちを掴んでくれたので、それだけで十分です。俺たちは、周りの人の、悪いところだけ見て、くらべっこするのが、商売みたいなもんですから。そんな商売、役に立たないとは思いますけど、そうしなきゃ、俺たちやっていけないって、はっきりわかっていますもの。」

「そうなんですね。確かに、何もないと、やっていくのは難しいですよね。僕もそれはよくわかります。人生誰でもうまくいくときといかないときとありますよ。それをうまくいかないときだけ大幅に取り上げて、ただそれを悪い悪いとそそのかすのは、いけないと思います。」

男性信徒は、声を上げて泣き出した。

「水穂さん、本当に俺の気持ち聞いてくださって、ありがとうございました。俺は、もう誰にも気持ちなんかわかってくれる人はいないのではないかと思っていました。それは、もう、そんなことはない。大人になってから、誰かに相談することは悪事という、遠藤千沙大将の教えでもありましたけど。」

「そうなんですか、、、。それは大変な目に会いましたね。でも、だれかに相談することは悪いことではありません。ですから、気にしないで、大いに悩みを言えばいいのです。それは、法律でやってはいけないというわけでもないですし。」

水穂はそう言いかけて、軽く咳き込んだ。

「ほらあ、あんまりしゃべっていると、水穂さんの病気によくないから、もうそこまでにしなさい。」

と、別の女性信徒に言われて、男性信徒は、あ、そうか、と考え直して、

「あ、すみません、ついぺらぺら。」

と言い

「それでは、もうしゃべらないけど、さいごにお礼だけさせてください。ここに閉じ込められて、こんなにしゃべらせてもらえたのは、生まれてはじめてです。本当にありがとうございました!」

と、にこやかに頭を下げるのであった。

「まったく、オーバーなんだから。」

ほかの女性信徒にたしなめられて、男性信徒は、涙を拭いた。

その翌日から、信徒たちは、療養している水穂に声を掛けるようになった。講座の後のわずかな自由時間を使って、彼等は水穂の部屋に入ってきて、ちょっと聞いてくれ、と言って、身の上話を始めるのである。

ある信徒は、学校の事を話した。学校では、いじめというものがあって、もう存在しなくてもいいと思うほど、こてんばんにいじめられた。家庭ではもっとあんたが強くなければダメだと言われて、それではいけないと自分を責めて、学校に通い続けたが、そのうちに誰かが私を見張っているなどの幻覚に悩み始めたという。それによって、進学も就職もできないで家にいるしかないのだと彼女はかたった。水穂も、何かこうしろああしろと具体的な指示を出すようなことはできなかったが、彼女はそれを聞いてくれるだけでうれしいから大丈夫と言った。聞いてくれるというだけの、存在もなかったようなものだ。

別の信徒は、家庭内のはなしをした。親がいつまでも元気で、家の財布は親が握っていて、自分は、指定された仕事にしかついてはいけなかった。それでは、自分のやりたいこととは格段に離れているので、そのような仕事はしたくないといったところ、こっぴどく叱られて、父親に殴り倒された。それゆえに男性が怖くなり、父と同じくらいの年齢の人は、すべて怖い人と思われるようになってしまった。

ここにいるみんな、だれも働けなかった。それでも、何かしら理由があった。それでは解決法にばならなくても、みんな聞いてくれるだけで嬉しそうだった。できることなら、総大将の言っていることは、間違いであるという意識をもってもらいたかったが、それは無理そうだった。

今日も彼の部屋には、また相談者がやってくる。

「何か、自信をもってもらいたいんですけど、それはできないのかなあ。」

水穂は、ある信徒から、相談を持ち掛けられてそういった。彼女は中年の女性だった。なぜか、子供の事で働けなくなってしまったらしく、自信を喪失したようなところがあった。

「いえ、それは無理ですね。自信を持ったら、おしまいだと言われていますから。」

「おしまいじゃなくて。それは、新しい始まりだと思うんですけれども。」

「いえ、それはダメです。一回芸術的な物という、高い身分の人しか触れてはいけないものに触れてしまって、失敗しているから。それに、同じ仕事に、もう一回触れたら、また同じ失敗をしますもの。」

彼女は、音楽を習っていたようだ。確かに音楽は、高尚な趣味で、やるとしたら、非常にお金がかかるということは確かである。それで、家がひっ迫してしまうほど、音楽に金をつぎ込んだということもあり、ここへ送られてきたという。

「そうですか。でも、それは一度失敗したらもうあきらめればいいんです。僕みたいに、それしか選択肢がなくて、体を壊したのとはえらい違いです。貴女は、もう一回やり直す機会もあるんですから、大丈夫ですよ。失敗したとはっきりと口に出して、言えるんでしたら、それは、もうあきらめがついてます。そうじゃなくて、いつまでもそこにしがみついて離れられないのが一番いけない。」

水穂がそういうと、彼女はなにかと結びつけることができたようだ。ええ、ええ、とにこやかな顔をして、静かに頷いた。

「水穂さん、ありがとうございます。体が悪いのに、こうして相談に乗っていただいて、ありがとうございました。でも、あたしはもう、これでは、生きていかれません。だってやりなおすにはもう年齢的に遅すぎます。だからこっちで遠藤千沙総大将の教えにしたがっていれば、そこでもう、何もトラブルも起こさないで済むわけですし。」

と、中年の信徒は、そういうのだった。それでは、かえって振り出しに戻ることになる。そうではなくて、総大将の教えから離れてもらいたいのだが、それは、もう無理なことなのだろうか。

「何も起こさないことが一番幸せで、一番偉いのだと、総大将が教えてくれました。それでは、そのためには、ここで教えを受けて、その通りに行動することが、一番なんです。」

「そうですか、、、。」

水穂は静かに答えた。

「なら、なぜ僕をいつまでも生かしておくのですか?僕は、そういうことを考えると、一番の悪役かもしれない。だって、音楽にしがみつきすぎて体まで壊してしまったんです。もし、皆さんが、その通りに生きているのなら、僕は一番悪い例として、宣伝媒体とされて、見せしめにして殺されてもおかしくないでしょう。それなのになぜでしょうか?」

「水穂さんはきれいだから。」

と、信徒はにこやかに答えた。

「きっと、大将は、貴男に惚れてるんですよ。そうでなければ、おっしゃる通り、生かしては置かないでしょうよ。」

「では僕はどうして、、、。」

「まあ、そんなこと言わないでさ、早く病気を治して、大将のお気に入りになってさ、それから、いろいろ改革でもして、この会をちょっとでもいい組織にして頂戴よ。あたしは、地獄で見守っているから。最後は、お話を聞いてもらってよかったわ、あたしは、救われたのかもね。それはよかった。ほんとによかった。もう思い残すことはないわ。」

それでは、と、彼女は、静かに水穂のそばを離れ、部屋を出て行った。

そのあと、彼女はどうなるのだろう。いく先生が殺されてしまうというのだから、磔にでもかかってしまうのだろうか。それを待っている死刑囚なのだろうか。

翌日。

「ああ、また一人いったな。」

水穂が、朝食を食べに集会室に行くと、誰かがそんなことをしゃべっているこえが聞こえてくる。

「ああ、水穂さん、まだ、寝たままでもいいのに。ご飯は、後で配膳係にもって来させましょうか?」

一人の女性信徒が、彼に言うが、いえ、結構です。と、水穂はそれを断った。

「それよりも、また一人いったというのは、どういうことでしょうか?」

「いく先生が、説明してくださります。」

水穂が質問すると、その信徒はそう答えた。

「とりあえず、座席に座って。」

言われた通りに座席に座る。いく先生がやってきて、重々しい口調でこういうのであった。

「えーと、昨日、なかさんが極楽へ旅立たれました。もう働いていないというのが悪事であると、はっきり自覚され、その場にいてはならないということを知ったのでしょう。それでは、私たちは、今日の講義を聴くことに専念しておきましょう。」

つまり、自殺したということだ。なかさんという人が、昨日相談を持ち掛けてきた信徒だろう。やってほしくないことを実行してしまったのだ。

ちょっと待って、遺体の処理とかそのようなものは、どうするのだろうか?

と、水穂が疑問に考えていると、

「ご遺体は、ドラム缶で燃やし、土に返されました。それは、最も楽な葬儀と言えるかもしれません。そもそも働いていない悪人ですし、それでは、働いていない、悪人が一人減ったことをよろこんで、今日も、講座を聞くことにしっかり勤めを果たしましょう。」

と、いく先生は、テープを流し始めた。人が亡くなったというのに、非常に淡々としていて、何も、普段と変わらない。まるでただの事務処理と同じように扱っている。テープをよく聞いてみると、何かしら言い方は変えてあるけれども、働いていない奴は死んでしまえという内容であることは間違いなかった。これこそ、ここから脱走できない原因なのかもしれなかった。殺してしまうというのは、直接てにかけるのではなく、これをするように、誘導していくことなのだ。そういう手口で、信徒たちを殺していく。それが、この会のやり方なのだろう。もう、虫けらと同じように扱われるとさんざん洗脳していって。

「それでは、皆さんごきげんよう。」

と、講義が終わるころには、皆疲れ切った顔をしている。こういうふうに具体的な事例を前に置いてしまうと、千沙総大将の言っていることはもっともなことなのである。それが、本当に、この場所で怒っているように、錯覚してしまうのだ。たとえそれが間違った話であったと思っても。


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