第二部 解除 そのいち
第二部 解除
そのいち
近頃、笛吹会の建物に付着しているように生えているヤブガラシが、少しずつ撤去されていくようになった。それはそれでよいことなのだが、なぜ撤去され始めたのか、は、よくわからなかった。
とはいっても、ヤブガラシは強力で、撤去されても一日たてばすぐ生えてしまう植物なので、すぐに戻ってしまい、中途半端な撤去の仕方だった。
それぞれの信徒たちは、ヤブガラシの葉を水で洗って陰干しし、それを、あの小麦粉の餅入りの汁の中に入れて、食べるようになっていた。
その代わり、強制労働に対しては、活発に行われた。なぜか、ヤブガラシが食べられるようになると、
体力がついて、強制労働できるようになったのである。
ただ、それを伝授したのは誰なのか、は伝えなかった。信徒が勝手に発見したことになっていた。信徒たちは、勝手にヤブガラシを取って食べている、ということになっていた。
基本的に一日二回ほど、強制労働しているところを、大将の遠藤千沙が巡回して、見回りをする時間があった。信徒たちが働いているのを見て、彼女は、厳重にそれを観察していたのだが、
「どうしたんでしょう。」
と、一言言った。
「何ですか。」
千沙からはいけちゃん、正式にはいけと呼ばれている彼女の側近的な教官が言った。
「いいえ、今までより働いてくれているから、より働きやすくなってくれたのかなと思って。皆さん、意欲的に働いているじゃありませんの。」
「ええ、皆さんそういってます。働きやすくなったって。なぜか、最近、その言葉が多くなりました。それでは、ほかの場所を、巡視に行きましょうか。」
遠藤千沙大将も、働いてくれさえいれば、それでいいのかと思った。なんだか、自分を救ってくれるような気がしてここに来たのに、やることは強制労働と、その監視である。其れしかない。
「大将、以前言っていたこととは違いますね。其れとは、また違うのではありませんか。今までは、人生を豊かにするために働きましょうという気持ちを持とうと言ってましたね。」
いけちゃんは、思わずそうつぶやいた。確かに、それは、散々言われてきたことだ。働けば、働けば、とにかくよくなる。それにひかれてここにやってきたのに。
ただ、働くだけでは、味気なかった。
そんあ味気ない空気のなか、二人の巡視は、いつまでも続いていく。機を織る、農業をする、それらの作業をしている収容者たちは、なんだかがむしゃらで、本当に働いていこうとおもっているんだろうか。そんなことをいけちゃんは考えていた。
千沙は、めったなことでなければ、病院を訪問することはなかった。それだけは、側近のいけちゃんも不思議なところだったが、何か理由があるんだと思っていた。この千沙大将も、特に軍人らしく恰好つけたりはせず、ただの普通の女性としか見えない。一体彼女は、このように弱い奴らを集めて何をしているのだろう?何て、いけちゃんは考えながら、巡視を続ける。
「それにしても大将。最近壁掃除の者が、よくやっているのか、壁のつる草がよく取れていますね。」
千沙は、無視して答えなかった。
翌日は朝礼があった。
遠藤千沙総大将が、演壇に上ると、信徒たちは全員、最敬礼して彼女を見る。
「えー、今回私たちは。」
千沙大将はそう話始めた。
「皆さんを、大変役に立たせようと、させることに決めました。」
役に立つってなんだろう?日頃から役に立たないといわれ続けてきた信徒たちは、全員目を輝かせる。
「皆さんは、これまでご家族やご親戚から、働かないなんて、何てやくに立たないんだと聞かされてきたと思いますが、ひとつだけ方法があるのです。それは、皆さんが、家族のために存在がなくなること、すなはち、消えるということなのです。」
それを隣で聞いていた、いけがぞっとしたかおで彼女を見た。消える、それはどういうことなのか。千沙がいおうとしている言葉の意図が、はっきりわかってしまったのだ。
「大丈夫です。皆さんはすでに道をはずして悪いやつと定義されているのですから、消えてもなんの問題もありません。大丈夫です。きっと親御さんたちは、悪いやつらがやっと消えていったと、喜んでくれることでしょう。誰だって、迷惑をかける人間をいくら生かしておいても、嬉しいはずは有りませんから。大丈夫です。彼らはやっと平和な生活が得られたと、大喜びすることでしょう。平和な生活ほど、幸せなことはありません!」
も、もし、これを本当に実行してしまうやつがいたら、本当にバカなんじゃないかと、いけはそう思っていた。
「ええ、皆さんは、確かに消えるということは怖いことかも知れません。でも、考えてみてください。この笛吹会のそとへでれば、只の食べ物を食い荒らす、ハイエナのような人間にしか見なされませんのよ。それよりも、こちらで、一人の会員として、消えていったほうが、よいでしょう?考えてごらんなさい、ハイエナとして生きていけば、もしかしたら、お宅の墓に入れてもらうことすら、できないかもしれませんわよ。働いていないほど、悪事はないんですから。いま、8050問題というものが、おありですわね。80になって、できることなんて、本当に限られてきますのよ。それが、動かない息子娘の世話に費やされるなんて、なんという、ひどい話でございますかしら?その予防のために、皆さんは消えていくのが、一番の方法なんです。どうですか?お分かりになりますか?」
千沙は、優しそうにいった。そういうところが、彼女の特有のやり方だ。いけも、彼女に、入信に誘われたのは、その優しそうな口ぶりで、悪い人には見えなかったからだ。
思えばいけも、そうだった。いけは、学校で陸上選手だった。勉強は、出来なかったけれども、彼女は足がはやく、よく駅伝大会などで、区間記録等を出した。なので、上級学校にいっても、大変な記録を出すだろうと期待されていた。
しかし、彼女は、秋の駅伝大会を最後に、体調を崩してしまった。体の異常があるわけでもないのに、頭痛がしたり、リンパが腫れたりした。異常がないので、医療機関には通えず、仕方なくしばらく療養しているしかなかった。ようやく、体調が回復したのは、一年学年が上がってからだった。
そんな彼女に周囲はつめたかった。使い物にならなくなった彼女に、陸上大会は、最悪の結果を与えた。もう、新記録というなは、どこにもないし、彼女は、一気に役に立たないものへ転落した。クラスも変わって、友達はみないなかった。部活ではすでに新しい記録者もいて、彼女は、ようなしだったのである。そんな彼女に近づいてきた友達などいなかった。もう彼女は、独りぼっちのまま、学校に通い、卒業した。しかし、上級学校には、進学しても、友達が誰もないので、いく気にならず、やめてしまった。
千沙とであったのは、そんななかだった。家では、ぶらぶらするなと、しかられっぱなしで、学校でようなしとされ、落ち込みぎみだった彼女に、偶然入ってきた新聞広告の、問い合わせ先が、千沙の笛吹会だ。傷ついたり、悩んだりしている、居場所のないあなたも、社会参加できます、という広告文句に、いけは、惹かれた。保護者のための説明もあり、落ち込んだり、居場所をなくしたりした若い人たちを、役に立てる人間にしたてあげます、というプログラムだとかかれている。もうようなしだとさんざん言われ、学校にいっても、意味がないと感じ続けたいけは、文句なしに千沙の元で働いてみることにしたのだ。
郵便を送ってみると、丁寧な返事が来た。毛筆で、彼女の悩んでいることに丁寧に答えてくれていた。それも、千沙からの個別の返事だ。いけは、指定された日に、近くのカフェで遠藤千沙総大将に会った。
遠藤千沙大将は、まるでカウンセラーのようだった。物腰も柔らかく、優しく丁寧に語りかけてくれる。いけは、これで安心した。というより安心しきってしまった。とにかくさんざん、学校にいっても、居場所がなく、自信をなくしてしまったことをきいてもらい、二つ返事で、笛吹会の会員になると、約束してしまった。そのまま、家出同然で、笛吹会の建物にやって来たのであった。だからもう、後戻りはできない。はじめはそれでよいと思ったが、今思えば、このような発言をするところだったとは、、、。
でも、千沙に従わないと、また役立たずと罵られる日々に戻ることになる。それはいやだから、従うしかない。いけは、そう考え直した。
多分私たけではない。ほかの信徒だって、そう思っている筈だと。
一方。
「最近は、だいぶ咳き込まなくなりましたね。」
水穂を観察していたカッツは、にこやかにそういった。
「じゃあ、そうなるともう少しでこの棟を出られるかもしれないですよ。」
と、いく先生も言った。あの、ハチが施術した鍼やマッサージで、水穂は、何日ぶりに、体に安定を取り戻したのだ。
「あ、はい。おかげさまで。」
とりあえず、それだけ言ってみる。
「でも、この棟を出たら何処に行くんですか?」
「はい、この棟は、閉鎖棟になっておりましたが、今度は、解放棟に移動していただきます。そこでは療養しながら、生活している患者さんたちがたくさんいて、今、遠藤千沙総大将の教えを勉強しているところなのです。いずれは、そこも出て、ほかの信徒さんと一緒に、働いてもらうことになりますが。」
いく先生は、最もらしいことをいった。つまりこの会では、何が何でも働くことがすべてになるらしいのだ。
「もちろん、あなただって働いてもらわなければなりませんから、それは、おわかりになりますでしょうか。」
「ええ、まあ。」
「もう少ししたら、解放棟に行っていただきますよ。よろしくお願いしますね。」
「よかったですねえ。水穂さん。」
カッツは、にこやかに言った。
水穂は大きくため息を着いた。もう、ここにいるのは、あと数日なんだなということがわかった。うれしいとも思ったけれど、次の場所で、また何か課せられるのかなと思い、不安にもなった。
「それでは、食事でもしてもらいましょうかね。そのあとで、薬でも飲んで静かに寝てもらいましょう。」
と、彼の前に食事が与えられた。食事と言っても、雑炊の上澄み液程度しかもらえなかったが、多分それでも食べさせてもらって、ありがたく思いなさいという事だろう。まあ、それはそれで仕方ないという事になる。それには対応するしかなかった。
翌日。水穂は、もう一度、ハチによる施術を受けた。鍼は痛いかなと思ったが、蚊の針程度の細さしかないので、体に刺しても、何も痛くないのだった。横になって、体に鍼をさしてもらって、暫く起き、抜いてもらった後は、ずいぶん気持ちよくなれた。いく先生に、大量の薬を飲まされるよりも、こうして、鍼をしてもらうほうが、ずいぶん楽になれると思われた。
「どうですか?」
ハチは、施術し終えて、水穂に浴衣を着せてやった。
「はい、おかげさまで、これをやっていただけますと、体が温まって、楽になるようです。」
と、水穂が答えると、
「すごいじゃないですか。少し、体が回復したのかもしれませんね。それでは、もう少し薬つかわないくてもいいかもしれませんね。」
と、ハチはにこやかに言った。
「本当は、あんまり薬というものに頼らなくてもいいんじゃないでしょうか。まあ、たしかに必要なものなのかもしれませんよ、だけどね、其ればっかりに頼っているのはどうなんだと思うんです。僕は、そうじゃなくて、もっと体のほうの自然治癒力というか、そういう物を引き出してあげようと思うんです。まあ、確かにいく先生のやり方も間違いではないと思いますけどね。」
ハチは話を続ける。
「きっと、これを続けて行けばいいと思います。暫く、体の治癒力を高める治療をして行くことが、大切なんじゃないですかね。もちろん、薬を飲むのも大事なんですけど、それは、二の次。あとは、ちょっと歩いてみることもしましょうね。静かに眠っているだけでは、体の回復も遅れてしまいますよ。」
「ええ、ありがとうございます。」
ハチは、水穂に掛布団をかけてやった。
と、その時だった。
「さて、そろそろ、解放棟に移ってもらいましょうか。それでは、行きましょうかね。」
がちゃんとドアが開いて、いく先生がやってきたのだ。
「ちょっと待ってくださいよ。もう行かせるんですか?」
ハチが、いきなり移動させるという発言に対して、そう疑問を投げかけたが、
「はい。もう十分に回復していると思われますので、すぐに移動していただきます。もう新しく入ってくる患者さんもいますからね、いつまでもここに居させていたら、病院がパンクしてしまいますから。」
いく先生は、一寸声を強くして、そういった。さすがに声を大きくして言われると、従わなければならないのかなと思ってしまうのが、人間というものである。ハチは、思わず黙ってしまうと、
「では、水穂さん、行きましょうか。」
と、いく先生はいった。
水穂はいく先生に支えられて、歩き始める。その歩き方は、なんとも哀れで、可哀そうという言葉がぴったりという気がした。誰か支えてやればいいのにと思ったが、それは許されないと言われた。とにかく自身で歩いていかないとだめだというのだ。
ハチは、黙ってその後をついていく。水穂は、よろよろと歩きながら、解放棟に向けて歩いていくのだった。丁度、解放棟では、掃除の時間だった、中に何人かの信徒が、床磨きなど掃除をしていたが、
その顔は厳しくて、なんだか暗く、辛そうな顔だった。
僕もここで過ごすのか。水穂は、なんだか緊張してしまう。
「はい、こちらですよ。」
いく先生に言われて、ひとつの部屋にはいった。先ほどの部屋とは違い、窓もちゃんとついている。しかし、それは、外の世界を見るための窓ではなくて、中庭をみるための窓であった。中庭は、砂利が埋められていて、周りの壁には、ヤブガラシが、大量に貼り付けられていた。
とりあえず、この部屋は、今までの部屋より広く、机も椅子も用意されていて、何か作業ができるようになっていた。それだけでもまた違うと思った。水穂は部屋の真ん中においてあるベッドに寝かされた。其れも、木枠のしっかりした形のもので、今までのパイプ枠とはまた違う。少し、良い生活ができるようになった、という事だろうか。
壁に、一日のスケジュールだろうか。張り紙が張られていた。
「朝7時、起床
朝八時、朝食
朝九時、勉強会
昼十二時 昼食
午後一時 勉強会
午後五時 夕食
午後六時 一日の反省、清拭、或いは入浴
午後八時 消灯」
と、書かれているが、本当に、その通りなのかどうか、不詳であった。本当にその通りに動くのだろうか、よくわからない。ただ、雑魚寝ではなくてよかったとおもった。
「それでは、午後から勉強会に参加してもらえますかね。多分もう、体は大丈夫だと思いますので。」
ハチは、まだ、治療を始めたばかりなのに、と思ったがそれは言えなかった。そうなると、千沙に知られてしまう可能性があった。
「でも、いく先生、もう大丈夫って言いますけど、それでいいのですか?」
本当はだめなのではないかといいかったカッツは、そう聞いたが、いく先生は平気な顔をしていた。
「だって、昨日だって、この人、結構ひどくせき込んでて。」
「いや、大丈夫だと思います。多分、多分それはきっと、風邪みたいなものでしょう。」
「そうでしょうか。」
「大丈夫ですよ。もう呼吸もしっかりしているし、咳き込むことも減りましたもの。」
いく先生は、何か急いでいるような気がしたが、
「先生、少し焦りすぎているのではありませんか。あんまり焦って、勉強会に参加させても、何の意味もないと思うのですけどね。」
と、ハチはそれを指摘した。
「かえって悪影響が出てしまう可能性もありますしね。余り、健康でない状態ですと。」
「いや、かえってそのほうがいいんだ!そのほうが、千沙大将の教えがしっかり頭に入ってくるんだ!」
いく先生は、ハチに怒鳴った。たしかに、何かを教えるためには、ある環境に閉じ込めて、外部からの刺激を絶つことが一番良いとされている。
「千沙大将の教えってなんですか?それが、本当に役に立つというものでしょうか?」
ハチは、いく先生とは対照的に静かに言った。その言い方が帰って、いく先生には刺激的になってしまうらしい。さらに興奮してこういい続けるのである。
「もちろん役に立つとも。それがやれれば、世の中だって役に立つんじゃないですか。働かないものこうして、始末させる。其れも、私たちがじかに出ていくのでなく、こういうところで静かにしっかりやってくれるのであれば、それで私たちは十分さ。こういう役に立たないものは、こういうところで矯正して、すぐ殺す。それを実現してくれる組織なんて、すごいところでしょう。それを、私たちも心から望んでいるんことなんだから。美しい社会のためにね!」
いく先生は、得意になってそんな発言をしたが、水穂はこの建物で、何がおこなわれているのかわかってしまって、ぞっとした。そうとおりになってしまったら、ここにいる人たちみんな、そうなってしまうことになる。もし、患者や信徒たちを、預けた家族にこのことが知られたら、それではいけないと、大変な大騒動になってしまうんだろう。もしかしたら、おかしくなってしまう家族もいるのかもしれなかった。でも、もしかして、、、ならなかったら?
それは、もうこの社会が崩壊したと言った方がよいのかもしれなかった。
「じゃあ、水穂さん。そこの時間表に書いてあるように、一時から勉強会を開始しますので、集会室に来てください。」
「はい。」
とりあえずいく先生に言われて、とりあえずそういうが、もう、この先どうなるのだか、怖くてたまらなかった。ここの組織の言う通りにすることも、ここから逃げていくことも、できないのだった。
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