そのに
そのに
「何だいこりゃ。」
杉三は、出されたお皿の中身を見てあっけらかんと声を上げた。
「肉魚一切抜きか?」
「そうですよ。ここでは。」
杉三の教育係として、笛吹会女性信徒の一人が、杉三を窘める。
「はあ、そうか、それじゃあ、ここではひどいアレルギーとか、膠原病の人ばっかりなのか?」
またそう聞くと、
「そんなことありません。あたしたちは、人間も動物も殺してはいけないから、肉や魚を、食べないでいるんです。」
と、教育係は、きっぱりと答えた。
「それに、味への執着を絶って、何でも食べるようにすることが、基本なんです。ですから、贅沢は
言いません。」
「そうなのねえ。せめて、高粱のおかゆくらい、食べさせてもらえないだろうかなあ。」
杉三はそういって、その小麦粉を団子状に丸めたものを口にした。
「けっ、まずい!ただ、団子に水をぶっかけただけじゃないかよ。戦時中の食糧よりひどいぜ、これは。すげえ歯について食べにくい。」
「それでは杉三さん、明日からご飯抜きにしましょうか。」
と、教育係が言った。
「ちょっと待ってくれ。飯を食わせてもらえないの!」
「そうですよ。親のありがたみを知るために、贅沢をあまりに口にすると、ご飯を抜きにするという、罰則があるんです!」
「はあ、そうなのかよ。まあ、それじゃあしょうがないか。じゃあ、これしょうがないから無理でも食べるよ。」
「よろしい!」
にこやかに言って、教育係は、杉三が食べる様子を観察する。ここでは、粗末な食事が与えられるどころか、其れもしっかり完食しなければならないというおきてがあった。何かまるで、食べ物に対して、わがままを言わないことと、完食を強要する、監禁施設みたいな感じだった。杉三には、小麦の入った餅が提供されたが、ほかの信徒の食事を見ると、なんだかメダカの餌を団子状にして、それに水をぶっかけて食べているのではないかと思われる信徒も少なくなく、なんとも不衛生な食事だった。
新入りの信徒には、位の高い信徒が教育係としてつけられており、親のありがたみを徹底して教えられることになっている。それがしっかり体得で来たものは、信徒として認められ、野菜畑や機織り、或いは、土木建築業などに従事するという仕組みになっていると杉三は教育係から聞かされた。教育係として、新人信徒の教育に携わることができるようになるのは、信徒として、大掛かりな労働を成し遂げたものがなれるという。
「おばちゃん、そんなことはどうでもいいが、作った野菜を自分たちで食ってはいけないのですか?」
杉三はもっともな疑問を放った。
「いいえ、食べ物は、自分ではなく、上の身分の人たちに食べてもらうことによって、はじめて、成仏することになります。作ったものを、自らの、手で殺して食べるという行為はしてはなりません。それをしたらどうしても執着心や、独占欲が出てしまいますからね。」
と、答える教育係。
「何回も言いますが、あなたたちは、間違った育てられ方をしたせいで、この世がなんでも自分の思い通りになると思っているでしょうが、それはおおきな間違いで、上の人たちに生かしてもらっていると覚えておきなさい。」
「はい、わかりましたよ。厳しいな。」
杉三は大きなため息をついた。
「いいですか。あなたは、生かしてもらっているんですよ。自分の意思で生きているとはっきり言っていいのは、働いている人だけだと思いなさい。それをまず変えることから始めましょうね。」
「はあい。」
教育係にそういわれて、杉三は大きなため息をつく。
「それでは、食事の教育はここまでにして、次は礼儀作法の教育をしますからね。」
杉三は、今いる部屋をもう一度眺めて、
「ここって窓がないんだね。」
とぼそっと言った。
たしかに、山の奥深くにある施設なので、音と言ったら風の音と、雷の音くらいしか聞こえてこない。小さな小鳥の声も、かあかあと鳴く烏の声も聞こえてこないのだった。
「ええ、外部の刺激に触れると、それだけで気持ちが沈みますから。」
「ふうん。」
教育係による講義は、数時間続いた。と言っても、受ける科目は修身のみである。基本的に修身の講義を要約すれば、働いていない人間はすべて悪人であり、働いている人たちに絶対服従しなければならない。意見を持つことも、反論することもいけない、という内容のみであった。これを本当に、耳にタコができるくらい聞かされた。教育係は、あなたは足が悪くて、ただでさえ他人の助けを必要とするんですから、それをしっかりと自覚して、生かしてもらっているという事をよく知っておきなさいという事は非常によく言われた。
「じゃあさ、僕らはなぜ生きているんだ?そんなに服従服従というんだったら、消えたほうが良いと考えるやつもいるだろう。」
杉三がまた疑問を投げかけると、
「ええ、それは、皆さん、自分の意思で勝手に生まれてきたわけではないんですよ。だから、自分の意思で勝手に死んではいけないんです。」
と、相田みつをの詩の中にありそうな文句が帰ってきた。
「其れよりも、働けないとわかった時点でいっちゃうべきではないかな?」
「いいえ、それはいけません。お父様もお母様も、あなたを欲しいと思って、この世に送りだしたんですからね。それを破るという事は絶対してはいけないのです。」
「そうか、なんだか、働いていない奴が悪人という理由は非常にわかりやすかったが、いっちゃうことをしてはいけない理由は、以外に抽象的何だな。」
「ええ、それは、皆さんが思っていることでしょう。お母様方は、心のよりどころが欲しい、後継者が欲しい、家を守ってくれる人が欲しいという意味で子供を作るんです。決して、本人の自己実現のためではありません。そこを取り違えてしまったばかりに、あなたはくだらない芸術に走り、家を壊してしまう存在になったのよ。だから、それを反省して、これからは周りの人に生かしてもらっていることを知りましょう。」
「はあ、えーとそうですか。」
杉三は、大きなため息をついた。
「はい、それは分かりましたか?わかったんなら、今教えてもらったことを、復唱してごらんなさい。」
「はい。僕たちは、自ら生きているんではなくて、誰かに生かしてもらっている。それを取り違えたから、悪い人間になってしまった。ごめんなさい。」
杉三は、でかい声でそれを復唱した。なんだかとてもくだらないことをやっているような気がしてしまった。
「はい、よろしい。全部覚えているわけではないけれど、一通り覚えてくれたみたいね。それでは、明日もう一回復唱できるかどうかテストしますからね。徹底的にこの思想を覚えてもらわないと、正しい生き方にたどり着けないわよ。」
「正しい生き方ね、、、。」
杉三は腕組をして考え込んだ。
「それでは今日はよろしい。これから好きになさい。」
やっとうるさい講座が終わって、教育係は部屋を出て、自分の持ち場へ戻っていった。教育の時間が終わると、すきなことを仕手もよいことになる。変なもので、野菜作りなどを課せられても、自身のすきな文筆活動などに専念できる時間は与えられていた。そこがなんともおかしなシステムだった。
「僕はどうせ、文書もかけないし、絵も描けないな。まあ、退屈だから、中庭を散歩でもさせてもらおう。」
杉三は一人で建物を出て、中庭にでた。この建物は、バリアーフリーはしっかりしているようで、余り段差はなく作られている。杉三のような歩けない信徒も何人か存在していた。
中庭と言っても、本当に狭い庭で、小さな池が設置されているだけの話だったが、杉三は池の周りに何か生えているのを見つける。
「おう、のびるだ。」
丁度池の周りは、まだ草刈りをしていなかったようだ。のびるやヨモギ、クレソンなどの野草がたくさん生えている。其れに、建物の壁にもたくさんのヤブガラシのつるが巻き付いていた。それは杉三にも十分ての届く高さだった。
「お、こののびるやヨモギを食べればいいぞ。後は、出汁の元があれば完璧だ。この、ヤブガラシだって、ゆでて水につけておけば立派な食糧だ!」
杉三はそういって、ヨモギとヤブガラシの葉をむしり取った。
「よっしゃ!これで大丈夫!」
急いで、食堂に戻り、こっそり冷蔵庫を開けてしまう。信徒の食事の味付けは、ほとんどが塩コショウのみであり、出汁などは使えなかったが、とりあえず杉三は、食堂に置いてあった片手鍋で、ヨモギの葉を煮て、塩味の簡素なスープを作った。それに、先ほどの小麦餅を入れれば、立派な雑煮ができる。
「何をしているの?」
若い女性の信徒たちが杉ちゃんの前に集まってきた。
「おう、あのべちゃべちゃの餅では、とても食べた気がしないからよ。」
杉三が言うと、彼女たちの目がパッと輝く。
「あたしも足りない!それ、どこから調達してきたの?」
「中庭だよ。ヨモギも、ヤブガラシも、強い植物だから、刈り取らない限り生え続けるよ。」
そう聞かれたのでとりあえず、杉三はそう答えた。
「ちょっと聞くが、ここには出汁の元とかそういう物は、本当に使用禁止なのか?」
「実はそんなことないわ。」
一人の女性信徒がそういう。
「偉い人になれれば、普通に白いご飯を食べているんですって。あたしも、早く偉くなって、それを食べたいなあ。」
という事は彼女、完全には洗脳されていないという事が読み取れた。
「でも、ここにいるってことは、もう、今までの世の中で間違ったことをして、帰ってはいけないってことじゃない。もう無理なのよ。」
別の女性が言った。
「いや、無理じゃないぜ。お前さんたちは、ただほんの少し疲れただけで、悪いことなど何もしていないんだからよ。悪いのはこんなところへ放り出した奴らさね。よし、これから、みんなにヨモギの汁の作り方を教えてやる。ヤブガラシなんて、荒れ地でも生えているから、すぐ調達もできるんだ。」
と、杉三は、ヨモギの葉を切って、鍋の中に入れた。彼女たちは、興味深くそれを観察している。やっぱり、餅だけでは、ぜんぜん面白くないという事だろう。
杉三は、ヨモギの葉を丁寧に煮て、塩コショウで汁を味付けした。本来は、味噌か、チキンブイヨンでもあればいいのだが、ここにはそれはなさそうだ。でも、それだけでも彼女たちはすごいすごいと言っている。
「よし、これで出来上がりだ。餅だけより具材があったほうがいいだろう?それにみんな足りないだろう?」
杉三がそういうと、彼女たちは、申し訳なさそうに頷いた。となると、やっぱり、みんな餅に水をかけただけの食事には満足していなかったようである。
「よし。お前さんたちにも分けてやる。皿を持ってこい。具材は中庭から取れるし、問題ないよ。」
入信するにあたって、ひとつどんぶりが配られるのだが、逆を言えば、其れだけが食事に使っていい道具だった。
みんな、それぞれのどんぶりを持ってきた。杉三は、具入りのスープをどんぶりに入れてやった。
「よし食おうぜ。いただきます!」
と、杉三の合図で、全員ヨモギの汁を食した。
「おいしい!久しぶりのヨモギ、味わって食べよう!」
「なんだ、其れすら食べてないの?」
と、彼女たちがそういうので杉三が聞くと、
「そうなのよ。さっきも言ったけど、お餅だけだもん、それだけでも、すごいご飯だからありがたく思えって。とにかく働いていないから、きちんとしたご飯を食べてはいけないんだって。」
と、一人の女性信徒が言った。
「へえ、でも、また働きに出ることもあるんじゃないの?」
「でも、一度躓いた人は、なかなか社会には出れないじゃないの。どうしても自信を無くしてしまって。」
と、また別の女性信徒が言う。
「まあそうだけどさ、少し休んでまた再度働けば、それでいいのではないかと思うんだけどね。」
「ううん、もう無理。あたしたちは、心が病んでいるとか、そういう診断名もつけられているし。それは、もう避けて通れないって、千沙先生がいってた。診断名がつけられたことはもう、世の中からの脱落者だって。家族とも別れないと治らないし、社会からも隔絶されないと治らないって。」
「それにしても、久しぶりのヨモギはうまいわね。」
と、二人の女性信徒が相次いでいった。確かに、洗脳はされてしまっているようであるが、食べ物をおいしいと思ってくれる能力はまだあるらしい。それまでまずいといっていたら、本当に、隔絶されてしまったことになり、二度と現世に帰ってこられないかもしれない。
「それにしても、なんでこんなおかしな団体に、みんな平気で入っていられるのだろうか。どう考えても、ここは、変だなと思ったが、、、。」
「そんなことないわよ。働けない私たちは、こうして閉じ込めてもらうのが一番幸せなのよ。」
「それに、現実社会に行っても、どうせ偏見の目で見られるだけだし、親だって恥ずかしい思いをするんだから、帰るべきじゃないわ。」
杉三がそういうと、彼女たちは相次いでそういうのだった。
一方そのころ。
笛吹会の建物には、信徒が生活をする居住棟だけではなくて、大規模な病院もあった。完全に世の中に適応できなくなってしまった人を、ここへ収監するのだという。
水穂が気が付くと、そこは病院の一室であった。六畳にも満たない狭い個室で、自身は、パイプ製の白いベッドの上に寝かされていた。いつの間にか礼装は脱がされて、一枚の白い浴衣姿になっていた。
部屋は窓がなかった。ただ、真っ白い壁があるだけの、部屋だった。あるとしたら、身の回りの物をしまっておく、小さな箪笥があるだけである。ドアは真っ白で、鉄でできているようであった。やはりドアからもそとは覗けなかった。
水穂が、暫く部屋の中を見渡していると、廊下を誰かが歩いてくる音がする。そこだけは、聞こえるようになっているらしい。
暫くすると、音はだんだん大きくなってきて、まもなく、ガチャンとドアのかぎが開けられる音がして、重たいドアがぎいと開いた。まるで、コンサートホールの防音ドアより重そうだった。
「気が付きました?」
二人の人物が入ってきた。一人は男性で、もう一人は女性であった。もっとも、ここでは髪型も自由にできないようで、男性か女性か区別がつきにくかった。二人とも白装束であるのは、ほかの信徒と同じである。
「あの、ここは。どういう建物なんでしょう。」
「ええ、ここは笛吹会の付属病院なんです。体の悪い人や、症状が重い人を収監するところなんです。」
と、女性のほうが答えた。
「ここでは、労働は課しませんから、自由に療養してかまわないですからね。ただ、その代わり、働いていないのですから、一段格は下がりますけど。」
「格が下がるとはどういう?」
「ええ、こちらでは階級制なんですよ。ちょうど陸軍の階級と似たような感じですね。そうした方が、速く甘えを矯正できるのではないかと、千沙先生がおっしゃっておられまして。」
「あ、そうですか。」
としか水穂は言えなかったが、なんだか恐ろしいところに来てしまったのではないかと、ちょっと体が震えた。
「先ず、あなたは、労働には出られないのですから、何も言ってはなりませんよ。その代わり、良くなるようにはしますけど。其れさえしっかりしてくれれば、悪いようにはしませんからね。」
「悪いようにはしないって、、、。」
「ええ、千沙先生が、あなたを何かに使おうかと考えておられるようです。」
千沙とは、先ほど講演をやっていた、遠藤千沙であることはすぐに理解できた。
その遠藤千沙が、ここの出滓者なのだろうか?
「あの、千沙先生というのは、どのような。」
「ええ、こちらをお建てになった方で、この笛吹会の中でもっとも力のある人です。そして、私たちの間違いを矯正し、素晴らしい方向へ導いてくださるお方ですわ。私たちが、単に親の世話になるという、間違った生き方をしていたことに気づかせていただき、そして、労働の場を与えてくださる、素晴らしいお方です。」
「そうですか、、、。」
どうも、それは、果たして役に立っているのだろうか、わからない人だった。
「この笛吹会付属病院にいたしましても、体の悪い人、重症な人を手厚く葬ってあげられる、素晴らしい設備を整えてございます。」
葬ると言うとなにか恐ろしい雰囲気があった。それはもしかしたら、絶滅収容所と同じようなものではないかと予測できた。善意的に行われている施設であれば、せめて窓があるとか、全員白装束であるとか、そのようなことは課さないはずだ。もし、住み込み施設であっても、服装の事については、自由にできるのではないだろうか?
そうなると、この部屋はたぶん、隔離室何だろう。と、水穂は思った。
「あなたも、症状が落ち着いたら、病院の中だけですけど、歩いてもいいと思いますからね。たぶん、昔ほど怖い病気ではないと言われていますし、大丈夫でしょう。説明するのは、少しづつやっていきますから、とりあえず今日はよく、お休みくださいませ。」
とはいっても、眠る気にはなれなかった。この部屋は、窓がないので太陽の光も入ってこず、常に電気による人為的な光しか、光というものがないのだった。
とりあえず、眠ろうと試みたが、眠る気になれず、何回か寝返りを打っていると、
「睡眠剤、飲みますか。」
と、さっきの女性に、一錠丸薬を渡された。朱い小さな粒の薬だった。
水穂が渡された水と一緒にそれを飲みこむと、
「それではよく休んでくださいませ。」
と、男性のほうがそういっているのが、聞こえてきた。しかし、もう何を言っているのか、わからなくなり、間もなく意識も消えて行った。もしかしたら、睡眠剤というよりも、意識をなくしてしまう薬というほうが正しい説明なのかもしれなかった。
本当に、この笛吹会の周りには、花も木も、何も生えていなかった。あるとしたら、ヤブガラシが大量に巻き付いているだけ。其れこそ、むき出しの状態で立っている建物だった。
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