口笛

増田朋美

第一部 笛吹会にて そのいち

口笛

第一部 笛吹会にて

そのいち

ある時、杉三の家に、あわてんぼうの郵便屋が、一枚のはがきを配達してきた。文字の読めない杉三は、内容を隣の家の蘭に読んでもらったところ、どうやら市役所から送られてきたもののようである。

何が書いてあったかというと、こういう冒頭文句から始まっていた。

「障害年金を受給されている皆さんへ。」

杉三は、はあ?なんだという顔をする。

「そんなことよく知らないよ、、、。蘭、これは一体何のためのはがき何だろう?」

「平たく言えば招待状だよ。障碍者のための、よりよい生活のための講座だって。講師、遠藤千沙。女性の方だ。」

蘭はとりあえずはがきの文句を言った。

「つまり、これは何を教えようというんだろう?」

「うーん、よくわからないが、とりあえず杉ちゃんに届いたんだから、言ってみたら?会場も家から近いし。田子の浦公民館はここからすぐに行けるでしょ。」

「まあそれはそうだが、いったい何を教えようというのだろう。僕は教えてほしいことなんて何もないけど?余計なこと言わても、嫌な思いをするだけの事なんだけどな。」

杉三は、腕組みをして考え込んだ。

「でも、これはためになる講座だと思うから、行った方がいいんじゃないか。ほら、ここにも書いてあるけどじゃない。お金の使いかたとか、ストレスの管理の仕方とか、そういう暮らしやすくなるための内容盛りだくさんって。」

蘭にしてみれば、あきれ返るほどの大食いで、毎回買い物に行くたびに、大量に食材を買ってくる杉ちゃんに金の大切さを教えたい気持ちがあった。しかし、いつまでも、馬事東風なままなので、困ってしまっていたところだった。なので、こういうところで、教えてもらえば、杉ちゃんも考え直してくれるかもしれない。と、勝手に思ってしまうのだった。

「ぜひ行って来なよ。それで、お金の価値を少し知って、これからは買い物癖を少し節約してもらいたいよ。」

「節約?そんなもの必要ないじゃないか。お金はあれば便利、ないと不便、それだけの話で、ただほしいものを買いたいときに買えればそれでいいのさ。」

蘭の話に、杉三はまだ納得できないようであったが、

「いや、ぜひ行ってきてくれ。杉ちゃんは、もう買いに行けばすごい大量に買っていくから、それはある意味中国人の爆買いと同じだ!」

なぜか、蘭はこの時、行ってもらいたいなという気持ちが出てしまっていた。自身も、歩けないということは確かにあったが、刺青師という仕事をして自分はちゃんとやっているという自負があったし、国からの交付でのんべんだらりと暮らしている杉ちゃんに、時々閉口してしまうことがよくあったからだ。杉ちゃんがもう少し、自分が国に養ってもらっているという気持ちになれば、もう少し、考えを改めて、謙虚になってくれるのかもしれない、と、思ったのである。

「とにかくね。これは絶対杉ちゃんにとってためになるから、絶対に行ってきな。日程はこんどの日曜日、朝十時だ。」

蘭は、はがきの最後の行に書かれた文書を読み、そういってしまった。ちなみに最後の文書には、

「ご家族の皆様へ。障害のある方のことで自分の人生を台無しにされたと思わずに、できるところは本人にやらせるという気持ちを持ちましょう。そうして自分の人生を大切にしていきましょう。」

と、書いてあったからである。

それが、もしかしたら、この葉書の魔力だったかもしれない。

「そうか、じゃあ、行ってくらあ。でも、面白くなかったら、途中で帰ってくるかも。」

杉ちゃんがやっとそう思ってくれて、蘭はほっとした。途中で帰ってきたとしても、杉ちゃんに何となく刺激を与えてくれれば、それでいいのだ。杉ちゃんがのんべんだらりとしすぎているところを、少し直してくれさえすれば、僕の生活だって楽になるんだから!蘭は、そう思っていた。

「気を付けて行ってきてね。できることなら最後までちゃんと聞いて帰ってきてね。」

蘭は、本音というか、願望を口にした。

「おう。」

杉三は、ぶっきらぼうに言ったのである。


そして日曜日。

杉三は、言われた通りに新浜公会堂に行ってみた。公会堂はすぐにわかった。それほど近いところにある施設だった。行ってみると、沢山の重度の障害のある人たちが、講演を聞きにやってきていた。中には、一見すると障害があるとは分からない、いわゆる精神障害を負っている人たちもいる。

「杉ちゃん。」

不意に、そういわれて、杉三が後ろを振り向くと、水穂が黒の礼装に縞模様の袴をはいて立っていた。

「あれ、水穂さんにも葉書が届いたの?」

「そうだよ。」

水穂は、にこやかに笑って言った。

「で、なんでお前さんがこんなところに来るんだ?」

「いや、行ってみろと言われたから。」

杉三に聞かれて水穂はそう答える。

「へえそうか。僕も蘭に言われてここへ来たんだよ。蘭がうるさいからよ。もう、行って来いって。」

「そうなんだね。やっぱりあいつらしいね。」

二人がそう話していると、受けつけの挨拶をしていた、係員が、

「まもなく開始いたします。お早めにお席におつきいただけますようお願いします。」

と、外にいたお客さんたちに言った。僕らも入ろうか、と水穂と杉三は、公会堂の中に入った。

中に入ると同時に、講演開始のチャイムが鳴り、一人の女性が、舞台の上に立った。彼女こそ、遠藤千沙その人である。係の者が、彼女について簡単に紹介する。彼女は、ある一般社団法人、笛吹の代表だと言った。しっかりと化粧もしているし、着物もしっかりと着込んでいる。体格は中肉であり、一般的な女性という感じで特に気取っているようでもない。かといって、テレビに出れそうな美女というわけでもなさそうだ。要するに、普通の中年女性と言ったところだろうか。

「えー、皆さん。今回は私の講演会にいらしていただいて、ありがとうございます。」

彼女は、大変優しそうな口調で話し始めた。

「わたくし、笛吹の代表をしております、遠藤千沙でございます。それでは早速ですが、本題に入りましょう。今回皆さんにお集まりいただきましたのは、皆さんの存在意義について、もう一度考え直していただこうという事でございます。」

「はあ、何だ。」

杉三は、ぼそっと言った。

「皆さんは、まず、存在意義を考え直すにあたって、働いている方に養ってもらっているということを忘れてはいけません。一緒に住んでいてくれる家族のおかげで皆さんは生きていられるのです。もし、それがなくなったら、今頃道路で野垂れている可能性もあります。どうしても、食べ物がほしくて発狂し、コンビニなどへ強盗に入るかもしれません。食べ物がなければだれでも人は発狂しておかしくなりますから。人は食べて行かなきゃいけませんからね。」

と、にこやかに演説する彼女。聞いている人の中には、真剣に聞いている人もいる。

「そのような、障害を持ってしまった原因はいろいろあるのではないかと思います。先天的なものかもしれないし、後になって作られたものかもしれません。でもいずれにしても、原因の一つに、社会で躓いて適応できなかったという事があると思います。人間の健康という事は、病気をしないという事ではなく、劣悪な環境を受け入れて、対応していく方法を考え、それを実行できるという事だと、日野原重明先生がおっしゃっておられましたね。」

「はあ、偉い人の言葉を使っても、説得力はないな。」

と、杉三はまた言った。

「それができなかったという事は、皆さんはもともと不健康だったのです。健康という事は自己管理、つまり自己責任という事なのです。それができないと言いますのは、皆さんはもともと能力がないという事です。今暮らしている中でも、かなりのコンプレックスをもって生活しているのではありませんか?働いていない、いい年になっても、親の世話を受けている、そんな悩みをいつまでも抱えて、苦しい思いをしているでしょう。しかし、すべては自分の責任です。周りの人のせいにしてはなりません。躓いたのはあなたが悪い。これをまずしっかり自覚しなければなりません。」

「僕は躓いてないぞ!のんびりと暮らしているさ!」

杉三が野次を飛ばすと、水穂はやってはいけないとそれを止めた。

「いいえ、障害のある人に躓かない人はいません。そしてそれは誰のせいでもなく、自分のせいであるとはっきり自覚しなければなりません。そして、誰かに頼って生きていくという姿勢は今すぐおやめなさい。自身でどうしても生きていかれないという方は、自分を持ってはいけません。それをせず、

ただ、生かしてくれている人に、感謝し、服従することを徹底的に誓いなさい。」

千沙という人は、ちょっと語勢を強くして言い始めた。

「そして、自分ができなかったという事を反省し、生かしてもらっているとはっきり自覚して、決してご家族に逆らわず、最後まで服従することを忘れてはいけません。なぜなら、あなた方以上に、ご家族は苦労しています。働くということは大変なこと何です。もう仕事をしたくないと思っても、あなたたちのせいでやめられないというご家族も非常に多いと思います。それは、あなたたちが、その原因を作っているのです。それをはっきりと自覚して、生かしてもらっているという意識をしっかり持ち、反抗は絶対にしてはいけません。もし、怒りを感じたら、自分に包丁を向けてすぐに死ぬようにしてください。」

「おかしな発言だな。」

杉三は、ぼそりと言った。

「第一、僕らは、誰かに養ってもらっていて、申し訳ないとは十分承知しているさ。それを回避する必要があるのはもちろん知っている。だからこそ、公的な援助に頼ってもいいんじゃない?どんな奴だって、犯罪者でもない限り、生きてほしくない奴なんていないもんな。」

「さあ、それはどうでしょうか。」

と、千沙はにこやかに言った。

「きっとご家族の誰かは、一度や二度は、こう思ったのではありませんか。一度でいいから死んでくれ、と。」

「いや、今のところない。」

と、杉三は言った。

「でも、この講演を聞きに来たのですから、そういわれたのではありませんの?」

「いや、ない。」

「では、聞きますが食べるだけで何もしないという生活に、罪悪感も何もないのですか?」

「うん、ないよ。僕は毎日能天気に生きていればそれでいいのさ。」

「では、あなたはそうかもしれませんが、周りの人に聞いてみましょう。この中で、自分が存在してはいけない存在だと思ったことがある人はいますか?」

千沙の合図に、八割くらいの人が手を挙げた。

「はい。たしかに、その通りですよ。あなたたちはもともと存在してはならないのです。それはこの世のおきてとしてどこの世界にもありますから、仕方のないことなのです。」

千沙はまた口調を変えてそう話し始めた。

「ですから、あなた方は、この世界に住んでいても、碌な目に合わないと言いますか、幸せにはなれないのです。幸せになっていいのは、働いている人だけなのですから。あなた方が、幸せというのは死ぬより他に在りません。そこで私たちは、そのような皆さんを救済するために、、、。」

「はあ、どうなるんだ?」

また杉三がやじった。

「私たちは、そのような皆さんを救済するために、ある施設を建てました。それこそ笛吹会です。ご存知の通り、皆さんはもはや誰かに作ってもらわなければ、生きている場所はありません。この笛吹会では、そのような皆さんを収容し、手厚い介護とケアにより、皆さんが平和な日日を手に入れる、そしてご家族の皆さんにとっても、邪魔な存在がいなくなって、やっと自身の自己実現ができる。これをかなえていただくための活動を開始しました。皆さんは、笛吹川の自然豊かな場所で療養していただき、誰にも迷惑はかけずに過ごしていただくことができます。良質な食事とレクリエーションを提供し、何もない一日を提供してまいります。時には、皆さんが障碍者になるまではまり続けた、音楽などの芸術に打ち込むこともできます。そうなれば、皆さんも素晴らしい生活が送れて一石二鳥です。平和の意地のために、皆さんは社会から外れて隔離されること。これこそが、平和を築くために一番の秘訣なのです。」

千沙がそういうと、周りの人たちから拍手がおこった。という事はつまりみな、彼女の意見を支持しているという事なのだろうか?

「ありがとうございます。それでは、続きまして、ただいまより、今すぐ私たち笛吹会の設立いたしました、夢の住まいに入居したい方は、すぐにこの講演終了後、申し込みを受け付けますので、どうぞいらしてください。それでは、これを持ちまして、私の講演を終了させていただきます。長い時間聞いていただいてありがとうございました。」

千沙は大拍手の中、静かに礼をした。

杉三と水穂だけが、拍手はできなかった。


「あなたたち、こんないいお話聞かせてもらって、お礼の拍手も何もしないんですか!」

隣にいた聴講者が、二人にそう言いがかりをつけてきた。

「いい話ってどこがいいんだ。そんなの、収容所の宣伝じゃないか!」

と、杉三が言うと、

「まあ、失礼ね。こんないい話はほかに在りませんよ。あれだけ迷惑をかけて、何かあれば大声で騒いだり、何十日もお風呂に入らなかったり、部屋は、ぐちゃぐちゃにしたままで、何もしない。そんな子供たちを生かしてなんか置けますか。そんな子だったら、もう当の昔に捨てて、楽な生活をしたいとは思っていけないのかしら。世間の人は、私たちを子捨て親として変なことをいいますしね。其れなのに、こういう組織ができてくれれば、そこへ行って面倒を見てもらっていると、大っぴらに表現できますのよ!」

と、その人は言った。

「でも、収容されている人たちのことも考えてください。」

水穂がそういうと、

「いいえ、そんなこと考える必要はありません!今まで働きもしないで、私たちのお米を食べ続けたのが悪いんです。今日のお話を聞いてほっとしました。私が悪いのではなく、社会で躓いた子供たちのほうが悪いと。もう、これ以上やってはいけないから、私たちは、もう子供を笛吹会さんに預けて、やっと、人並みのセカンドライフができるということになりますから、とってもうれしいですわよ。」

と、別の女性がそう話した。

「やっぱり、人間は、一人の幸せのほうが大事なんですわ。自分の人生、大暴れする子供に盗られては、何も残りません。それなら、いっそのことこういうところに預けて、私たちは私たちの時間をやっと持てるというわけですのよ。よかったわ!」

「そうですか。」

水穂は、静かに言った。

「そうですかって、当たり前のことですよ。当たり前のことができる幸せ何て、これ以上のことはありますか!ある一方の方が、豪華に贅沢をして、私たちは虫けらみたいな生活なんて、不公平も度が過ぎてますよ!」

「何だか責任逃れにしか見えんがな。だって、そういう収容者を作ったのは誰だよ。もし、治療をするにしても、多少はなれることはあっても、一緒にやっていくもんだろうがよ。」

杉三は、そうぶすっと言った。

「ではあなたたち。」

二人の前に、例の受付係が、でかい声でいった。

「それなら、あなたたちが、いっその事、そこへ行ってみたらどう?それなら、どれだけありがたいことをしてくれるか、体験できるわよ。」

「はあ、僕たちはお断りします。」

水穂がそういって断ると、

「いいえ、来ていただかないと困ります!もうこれだけ文句を言った聴講者は初めてだわ。千沙先生がどれだけ悲しまれるか、お分かりになるかしら!」

と、聴講者の一人が、そう言い出して、またたくまに周りの人がそうしろそうしろと言い出して、シュプレヒコールの嵐になってしまった。

「うるさい!僕らは、もうかえるよ。こんな収容所まがいの所に、閉じ込められるわけないじゃないか!」

杉三はそういうが、周りのコールは、やみそうもなかった。

「杉ちゃん、これは通ったほうがいいのかもしれない。」

水穂が少し小さな声でそういうと、それを待ってたのよ!とでも言いたげに千沙を警護していた、女性たちが、二人を取り囲み、その手をひっぱった。二人は、あれよあれよと、その場を歩かされ、公会堂の前に置かれていた車に、無理やり乗せられてしまった。おい、なんでだよ、僕らはなにをしたというんだ!なんて杉ちゃんは怒鳴りながらも、無理やり乗らせられてしまう。水穂はだまったまま、静かに乗り込んだ。

車は走り出した。初めはよくわかる、静かな田舎風景が連なっていたが、なぜか急に見慣れない風景に変わってしまう。もしかしたら、車がワープして、どこかの知らない世界に連れて行ったのかもしれない。とりあえず、車はすごいスピードで走り出して、ある大きな川の橋を走って、一つの建物の前に止まった。出ろ、と言われて、杉ちゃんも水穂も、車から外に出る。

看板には「笛吹会総本部」と書かれていた。

これは何か大きなホテルのような建物である。外壁は綺麗だし、建物もところどころガラス張りになっていて、閉鎖的な空間という感じはしない。

とりあえず、ここへはいりなさいと言われて、杉三たちは、この建物の中へ入った。

中には多くの若者がいた。年寄りはほとんどいない。ガラス張りの大きな窓がある、居間のような広い部屋に入って通されると、それぞれの、机があって、それぞれすきなことをやっていた。何か作文のようなものを書いていたり、絵をかいたり、或いは、それ以外の、漫画を描くとか、そういうことをしている者もいる。でも、彼らは、全員白装束であり、服装の自由は一切ないようだった。そういうところからなのか、そこにいる人たちは、もう何もかも失ったような、そんな呆然とした顔をしている人たちなのであった。

水穂も杉ちゃんも、変なところに来てしまったなと思った。

「おい、腹が減ったな。お昼を食べてなかったな。」

杉三が、当たり前のようにそういうと、周りの人たちは、怖い顔をして杉三を見る。

「単に腹が減ったと言っただけだけどねえ。」

杉三はそういったが、

「そんなこと言ってはいけないよ。」

「食べさせてもらえるまで、静かにしていなきゃいけないんだよ。」

白装束の人たちは、そういうことをいう。

「でも、体の悪い水穂さんもいるんだし、何か食べさせてやってくれ。」

と、杉三はそういうが、皆かわいそうだと思われる顔は全くせず、

「ご飯を食べさせてもらっているんだから、なにも言ってはいけないんだよ。」

と、冷たい顔をして言うのだった。

この時、急に水穂が座り込んだ。

「おい、何をするんだ!しっかり立ってろ!」

「杉ちゃんごめん、ちょっと疲れてしまって。」

水穂はそういうが、咳き込んでそれ以上いう事ができず、わからなくなった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る