第十五話

血の意味(1)

 パタパタと軽い足音が響く。まだ体重が軽い子供のそれだから、ときに危うげなリズムも刻む。耳に届くと転ぶのではないかと一瞬の不安がよぎるが、すぐに甲高い笑い声に掻き消されてどこかへ吹き飛んでいく。


「だから、ここは託児所じゃねえー!」

 軽く引き攣った顔でリューンが叫ぶ。

「凄んでも全然怖くないよ、お兄ちゃん」

「なんでだよ」

「心配そうな目をしてるから。子供ってそんな目をした大人が自分に危害を加えないって本能的に分かるみたい」


 ロボット犬ペコを追いかけているリナも彼の声には全く反応していない。最初の頃は目を丸くしていたものだが、数時間もすると慣れてしまった。

 リューンとて子供を泣かせる趣味など無い。時々大きな声を出すが、基本的には優しく頭を撫でてくれる相手という認識に至ったらしい。


「ここは艦橋ブリッジだ。しかも二十八隻もいるXFiゼフィ艦隊の旗艦のだ。どうして子供だらけになった?」

 未成年の筆頭格が不平を漏らす。

「引き取ってきたからだよ、お兄ちゃんが」

「違う。そんなつもりはねえ。俺は田舎に引っ込んでろと言ったんだぞ、おっさん」

「聞けんな」


 それに応じたのは、しばらく前までアルミナ軍に所属していた壮年の熟練パイロット、ガラント・ジームである。三歳のリナは彼の娘なのだ。


「私は敵中での起居を余儀なくされている殿下の護衛を務めねばならん。ご一緒でなければどこへも行かんぞ」

「だって」

 堂々と胸を張るガラントの主張をフィーナが引き取る。

「だってじゃねえ! せめて嫁と子供は安全な場所に送り出してやれよ」

「あら、ひどい。愛し合う夫婦を引き裂くというの、剣王」

 美貌をひけらかすように髪を掻き上げながら、ガラントの妻シャレードが流し目を送ってくる。

「そんなん効くか。お前が旦那を説得しろ」

「いや。旦那様を立て、意思を尊重するのがわたしの役目。尽くすタイプなのよ」

「誰も聞いてねえし。何でそんなに落ち着いてやがる」

 リューンがだらしなく足を放り出しているコンソールに浅く腰掛けているのだ。

「いつでも美しく優雅でありたいの。ガラントの前では」

「お前の遺伝子、どうにかしろ」


 というのも、ガラントの一家はもう一人存在する。九歳になる娘のミヨンだ。彼女は今、アルミナの王子エムストリの脇に控えている。

 清楚を演じ、穏やかな笑みを湛えて静かに佇んでいる。エムストリが時折り目をやると気恥ずかしげに薄く頬を染める。既に自分が美少女で、王子の目を惹けるほどだと自覚している。十一歳の王子とは年齢的にもお似合いだとか思っているのだろう。


(末恐ろしい。女ってのは小っせえ頃からこうなのか?)

 思えば、彼の妹、正確には義妹のフィーナも自分の気持ちを上手に隠してきた。それでいて程よく兄に女を意識させる仕草を織り交ぜていたと感じる。


 将軍ダイナの後ろで控える二人などは確かに同類だとは思う。秘書官のルテビアもキャサリンも有能でありながら女を隠そうという素振りさえ見せずにダイナに寄り添っている。

 では、全般的にそうかといえば違うらしい。姉御肌のアルタミラは気にするふうもなく子供を見守っている。ミントは憧れの眼差しでぽやーっとシャレードを見つめているし、ペルセイエンは何を考えているか分からない無表情。敗北を覚ったのか口元を歪めているフランチェスカが編隊の中では比較的あちらに属しているのではないかと感じさせた。


(千差万別か。理解できねえ)

 自分が鈍感な部類に選別される自覚はある。

(あの優男ならもっと上手に振る舞えんのか?)

 敵軍の伊達男エフィ・チャンボローを思い浮かべる。

(ありゃ違う気がする。いいように振り回されてたみてえな)

 結局のところ、男のほうがそっち方面は疎くて馬鹿なのだと思い知らされている気がした。


 じゃれてきたペコと一緒にリナを無意識に抱き上げて膝に座らせたリューンはそんなことを考えていた。苦笑するエムストリにも気付けない。


「なんとかしろよ、エムス」

 苦り果てた声で頼む。

「ぼくにそんな器を求めたって無理だよ、剣王」

「だがよ、こいつを収拾できんのはお前くらいなんだぜ」

「それでも帰れとは言わないんでしょう?」

 保護すると言った以上、二言は無い。


 当のエムストリがシャレードに撫でられるのを好きにさせている時点で不可能だとは思うが、他に当たる相手がいない。悪足掻きをやめて不貞腐れたリューンは頭の後ろで手を組んで天を仰ぐ。


 膝の上でリナが声を立てて笑った。


   ◇      ◇      ◇


 一つくしゃみをしたエフィ・チャンボローは頭を掻く。


「おかしいな。夕べの君は情熱的だったから風邪をひく暇なんてなかったはずなんだけどね?」

「言ってる言ってる。あたし、知ってるんだからね。どうせ別の女に噂されてるんでしょ? あーあ、雰囲気に流されるんじゃなかった」

「そんなこと言わないでさ。ほら、これから美味しい食事をご馳走するし。そうだ! 何か欲しいものはないかな?」

 同伴する女性の肩を抱く。

「そんな呑気にしてて大丈夫? アルミナ軍はあんまり良い噂無いのよ」

「うーん、難しいところだねぇ。でもさ、僕としては君だけ守れれば問題はないんだけどね」

「もー、調子のいいことばかり!」


 明るいのは彼ばかりで、王都ウルリッカには陰鬱な空気が漂っていた。

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