本星決戦(4)

 一応外を覗いたリューンは、発着甲板デッキを雨が強かに叩いているのを見て回れ右をした。さすがに外を走るのは難しいようだ。


「しゃーねえなぁ」

 そうこぼしつつトレーニングルームへと足を向ける。


 大型戦艦ベゼルドラナンのトレーニングルームはかなり広めにとってある。それでも陸戦隊の面々が外周をぐるぐると回っているとそこへ加わる気にはなれない。

 空いたランニングマシンに乗ってσシグマ・ルーンをリンクさせる。そうしておけば好みに合わせた速度に調整するのは簡単。


「置いとくね」

 顔を覗かせたフィーナがうろうろしていると思ったらドリンクを持ってきてガイドホルダーに入れてくれる。

「ありがとな」

「ううん」

 いつものように傍で眺めているのかと思うと、隣のマシンに乗って設定を始めている。

「走るのか?」

「うん、ちょっと運動しなきゃ」

 そう言われれば確かにスキンスーツではなく短いウェアに着替えている。

「最近、お兄ちゃんがこまめにパンを焼くんだもん。それをつまんでたら色々と気になってくるの」

「つままなきゃいいじゃねえか」

「それができれば苦労なんてしない! もう、乙女心が分からないんだから!」


(乙女心? 食欲の間違いじゃねえか?)

 そうは思うが口に出すのは危険な感じがして回避した。


 実際、リューンは時間を見つけてはパンを焼くようにしている。行動範囲が広がったから必要性を感じたのだ。

 格納庫ハンガーやここトレーニングルームは以前から利用しているが、艦橋ブリッジにも居付くようになったし、機関室やフレニオン通信設備調整室にも顔を出して労いの言葉と一緒にパンを差し入れるようになっていた。感謝の気持ちもあるし、そうしておけば何かとフィーナにも目を掛けてくれる。

 そろそろ艦内全てを味方にしておかねば外へ目が向けづらい状況になってきた。敵は軍がメインになり数も増えてくる。エルシやヴェート以外にもいざという時に妹を守ってくれる人間を作っておきたいという計算もある。


「足取られないでね、ペコ」

 動き出したベルトに真っ先に乗ったのはロボット犬のほう。フィーナはその後ろに乗る。

「さあ、走るよー」

「ほどほどにしとけよ」


 特に運動は苦手ではなかっただろう。学校の運動系サークルには所属していなかったが、成績も悪くなかった。

 アルミナで暮らしていた頃は敬遠され気味だったので、生憎と噂話には疎かったリューンだが、フィーナは学校でどんなことがあったのか夕食時には話してくれていた。彼女としては、兄に学校に戻ってほしい願いで話していたのだと思われる。

 聞いた話では友人たちと快活に過ごしている様子が窺えた。あまり付き合いが良くはなかったはずなのに、交友関係はかなり広かったようだ。近しい友人は限られていただろうが関係が長いのは彼女の人柄のお陰だろう。


「うえ、この速度でこんなに速いの? お兄ちゃん、どんなペースで走っているの!」

 いつも見ている数字にまで上げようとして手が止まったらしい。

「鍛えてっからな。足の長さも違う」

「それはそうだけどー」

 小柄なフィーナとではストライドが全く異なる。


 確かに運動不足もあるだろう。今の配属はオペレータ。肉体疲労はそれほどではないが、精神疲労は並々ならぬものがあるポジションである。

 精神疲労を回復させる手段は睡眠を含めた休養しかない。肉体疲労のように間を置けば幾分か回復するような類のものではない。

 あとは本人が快楽と感じるような行動も疲労を和らげる効果があると思われる。そういう意味でパンにかじりつくのも良いと思っていたのだが、疲労は和らいでも別のものは増えてしまっているらしい。


「うー、お兄ちゃんのパンが美味しいのが恨めしい」

 明らかに冤罪だ。

「運動する機会が減ったんなら自発的にやるしかねえな」

「走るもん。で、消費するんだもん。パンなんてカロリーの塊なんだから!」

 ぎくり。そんな気配が実際に音で聞こえてきたように感じる。

「まあな、美味いもんは大概カロリーが高い……、って、なんだ、お前ら!」


 何気なく反対を振り向けば女性パイロットたちがランニングマシンに鈴生りになっている。モーターの唸りがひと際大きくなり、踏まれたベルトのゴムの軋む音が猛然と鳴り響き始めた。


「ちょっと走り込みが足りない気がしてたんだよね、僕も」

 ミントの乗るベルトはランニングというより中距離走並みの速さで回っている。

「そうだよ。これからは集団戦闘のプロを相手にしなきゃなんないんだからね? しっかりとスタミナを付けなきゃいけないよ」

「ペルセもそう思う」

 アルタミラに続き、ペルセイエンも淡々と手足を動かしている。

「素直になれよ、なあ。肥えたんだろうが?」

「僕たち乙女にその表現は禁句だよっ!」

「無理よ、ミント。この不良にそんなデリカシーが存在してると思ってるの? 今だって、きっと心の中で嘲笑してるんだから!」

 フランチェスカの眉は逆立っている。足はしきりに動いているが。

「そんなことねえって。今思ってんのは、チェスカが一番身体が重いんじゃねえかってだけだ」

「はぁ!? ふざけないで! 誰の所為でそうなってると……」

「そいつは俺だけの所為じゃねえんじゃねえか?」

 リューンはニヤリと笑う。

「そのでかい胸で青少年をたぶらかしてんじゃねえぞ」


 そのひと言はフランチェスカを飛び上がらせた。

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