第一話

アルミナの不良少年(1)

 フィーナ・バレルはトレーの上に並んだパンに一つひとつ目を走らせて、右耳に掛けているレジスキャナーに読み取らせると、2Dテンキーパネルを表示させて入力する。


3ミーグ750円ちょうどになります」

「あら、20フィズ50円足りないわよ?」

 客の婦人は計算していたのか間違いを指摘してきた。

「おまけです。常連のラカザさんですもん」

「ありがとう。じゃあ、お言葉に甘えるわ」


 フィーナがテンキーを操作したのは、レジが割り出した合計額から端数を引くためだったのだ。


「毎度ありがとうございます」

 朗らかに礼を告げると、夫人は目を細めて返してくる。

「フィーナちゃんは本当に働き者で良い娘ねぇ。あの兄の妹だなんて信じられないくらい」

「ごめんなさい。お兄ちゃんのことは悪く言わないでください。このパンの数々を見ていただければ分かるように、あんなふうに見えて努力家なんです。お客さんに良いものを提供しようと頑張っているんです」

「職人としての腕はすごいと思うのよ。でも、妹さんに一人でお店を任せて自分は寝ているんじゃねぇ」


 フィーナの兄は確かに今は部屋で眠っている。ただし、それは朝方まで店に出すパンの仕込みをやっていたから朝の開店時にはベッドの中なのだ。彼は深夜に、店に並ぶ全てのパンを手作りし、オーブンのタイマーをセットしてから就寝する。そんな暮らしをずっと続けている。


 近所でも噂になるくらい素行不良だと思われているのは間違いない。学校にも通っていないし、あまり風体の良くない少年たちと付き合いがあるのも知れ渡っている。

 だが、学校に通えないのは、両親を喪った兄妹の生活を支えるためである。そして、同年代の普通の少年少女との接点のない彼が自分の自由時間に触れ合えるのは、同じくドロップアウトしかけている素行の怪しい相手しかいなかったからだろうとフィーナは思っている。


「わたしを養護施設に任せたり、学校にも通えない暮らしをさせないために努力してくれているんです」

 そんな敬愛する兄を悪し様に言われるのは本意ではない。

「分かってはいるつもりなのよ。でも、お昼過ぎに挨拶もろくにせずバイクを飛ばして出ていく姿を見ているとね、フィーナちゃんのことが心配になっちゃうの」

「お兄ちゃんが自由にできる時間はそれから夕方までの僅かな時間だけなんです。学校で友達とかと楽しく過ごしているわたしとは違うんですよ」


 それが彼が決めたことだ。朝と夕方の店番以外は自由にして構わないと言っている。

 自発的にクラブ活動などには参加せず、友人との寄り道なども最小限にして店を開いているのが多いフィーナだが、それは兄の作る美味しいパンを毎日売り切りたいからに過ぎない。


「そんなものなのかねぇ。まあ、自分たちが納得しているのなら私があれこれ言うことでもないものね」

 それでも口さがないご婦人がたは兄のことを色々と噂するのだろう。

「幸せなんで、今のままで十分です」

「それならいいわ。ありがとう」

 礼で見送る。


 兄が好きなバイクに乗るのは、数少ない道楽だと思っている。遊びに出掛けても、必ず夕方には帰ってきて彼女と夕食をともにするし、きちんと話し相手もしてくれる。

 兄の苦労を礎にしているのは心苦しく感じながらも、フィーナは本当に幸せだと感じていた。


   ◇      ◇      ◇


 地方都市クルダスは、王都ウルリッカのある北ソネム大陸ではなく、トルリチー大陸東岸にある人口130万人ほどの中規模都市である。歴史も120年ほどと長くも短くもない。


 進宙歴180年に惑星アルミナに到着した航宙移民船団は、観測された情報よりは遥かに少ない植物資源に苦しめられた。大気は呼吸可能なものの、船団の人口を賄うのには少々厳しい水準の緑しか無かったのである。

 そのままではせっかく移民しても人口増加は見込めない。その状況を打開したのが参加していた植物学者トマソン・ベルリッチであった。


 トマソンはそれまでの人生の研究成果と、惑星アルミナの原生植物との融合で、繁殖力の強い草木を生み出すことに成功する。移民団は彼の指示に従って各地に種を蒔き緑を増やして、ようやく生活圏を得たのだ。


 彼の深い知識と指導力の高さは民心を崇拝に近いものへと変えていく。そして、船団到着から九年の時を経てトマソンはアルミナ姓へと改名し、アルミナ王家を開闢かいびゃくしたのである。

 それは彼のサポートをし続けていた周囲の政治的ブレインの思惑も関与していたが、自身のカリスマ性の高さが成し得た偉業でもある。

 以降、三百九年に渡りトマソン・アルミナの血筋を継承してきた者が玉座に着き、三星連盟の干渉も押し退けて独立独歩の道を歩み続けてきた。


 そんな背景もあって、惑星アルミナには荒野も多い。クルダスから別の都市へとつながる広い幹線道路も荒野の中の直線の一本道。リューン・バレルはその幹線道路をバイクで駆け抜けるのが好きだった。


 十六歳の少年は、ヘルメットから覗かせたストロベリーブロンドをなびかせてバイクをとばす。赤というよりはオレンジに近い発色を持つ髪は、彼の鋭い薄茶色の瞳と良く合っている。見る人によっては美形と称されるであろうが、どちらかといえば凛々しいという印象の強い少年だ。


 リューンの走らせるバイクの先には、同じようにバイク乗りと思われる少年少女がたむろしていた。

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