混沌の宙域(2)
ラティーナより遥かに忙しくしていた人物もいる。彼女の父であるガルドワグループ会長レイオットその人である。
彼は通常業務に関わる案件を消化しつつ、離反した特務隊の穴埋めに用いる部隊編成にも着手し、そのうえで討伐艦隊への補充人員の選出にまで関わらざるを得なかったのだ。
これ以上、
「ふぅ……」
長期に空けていた自宅に久しぶりに戻ったレイオットは深い溜息をつく。
「おや?」
帰宅を告げたのに、応答も無ければ解錠される気配もない。仕方なく個人認証をクリアしてからパスコードを打ち込んで解錠する。
「出掛けているのか? そんな連絡はなかったのだが」
メールは入れてあったが返信は無かった。妻のルーゼリアにはそんなところがある。わざわざ返事しなくても歓待すれば問題はないと考える女性だ。
「困ったものだ」
苦笑しながらドアを開け、スーツのモールを緩めた。
ところが彼はすぐに息を飲む。ダイニングには人が転がっていたのだ。
保定バンドで縛られた家政士である。一瞬死体かもと思ったが確認すると息はあり、衰弱して気絶しているのだと分かった。慌てて家の中を捜索する。
「なんてことだ……」
ルーゼリアの姿はどこにも無かった。
◇ ◇ ◇
「お母様が?」
2D投映パネルの父からの連絡に仰天するラティーナ。
「行方が分からない。屋内の監視カメラはおろか、近隣のカメラ映像まで一部消去されていて、いつルーゼリアが拉致されたのかさえ不明だ。それだけのことをやっている。組織的な犯行だと断定していいだろう」
「ですが、何も分からないというのは手が込み過ぎてはいませんか?」
ザナストにそれができるとは思えないと暗に伝える。
「私もそう思う。治療の結果、家政士は回復して意識を取り戻したが、彼女を捕縛したのは見知らぬ男だったという。どうやってセキュリティを通り抜けて侵入したのかも解明されていない。家は今も正常に機能しているのだ」
「無理矢理侵入したのではないとすると、よほど計画的な犯行ですね。逆に犯人を分かり易くして見せているかのようにさえ思えてきました」
つまり偽装する意図はなく、犯行手順さえ脅迫の一部にしているかのように思える。それだけの事もできるのだと思わせたいのではなかろうか?
以前のラティーナでは狂乱していたかもしれないが、司令官としての経験が冷静な現状分析へと導いている。父の力にもなれそうだ。
「明言はできんが、ほぼ確定的だと言っていい。なのに私のほうには何も言ってこん。これ以上調査を進めるなくらいは言ってきそうなものなのにな」
「いずれ何らかの動きはあるでしょう。ただ困らせたいだけの警告だとは考えられませんから」
「そんなわけで状況によっては判断が遅れるかもしれん。が、お前はもう何が正しいが即座に判断できるな? 任せるから現場で好きにしなさい」
「分かりました。お父様を悲しませない結果になるのを祈っております」
父親は感謝とともに別れを告げて通信を切った。
(何を企んでいるの、
レイオットの要請で、自室の通信設備で対応していたラティーナは再び
(その程度で考えを改めるにはもう遅いと知りなさい。我々はあまりに多くの死を背負っているのよ)
暗い感情が湧き上がってくる。厳しい表情の彼女を慮ってかジャクリーンも黙々と付いてくるだけだった。
艦橋に入り司令官席へと向かうと艦長席の傍にはユーゴがいる。マルチナが艦長に就任してからはここに居る頻度が上がった。
吹聴すべきではなかろうが、二人には伝えておかねばならないと感じて近付く。するとマルチナは涙を堪えるのに苦心しているような様子を見せていた。
「そうね。私もできるだけのことはするわ。君が早くお母さんのお墓に挨拶に行けるように」
どうやらジーンの死の経緯を直接耳にしていたようだ。
「無理しないでね? 僕は自分で望んでここに残った。どうしてもしなくちゃいけないことがあるから」
「あまり自分を追い詰めないのよ」
彼女は以前の少年を想起して危険を感じているらしい。
「大丈夫。今の僕には支えてくれる人がいっぱいいる。だからもう独りよがりな思い込みだけじゃ動かないよ。期待には応えたいからね」
『案ぜずとも、これも成長しておるのだよ』
「ごめんなさい。男の子だものね」
言葉に反してマルチナはユーゴの両肩に手を置くと涙を零した。
(何だか伝えにくい空気だわ。どうしようかしら?)
そうはいえど伝えないわけにはいかない。ラティーナも状況によっては完全に自分を律する自信はない。
「閣下、重力場レーダーに感あり。それが……」
「レーザー発信で味方の識別を送って寄越しています。どうなさいますか?」
「レーザー発信?」
隠密航行をしながらもこちらを把握し、敵対意思がないという意図を伝えてきている。そんなことする必要がある相手は限定される。真っ先に思い浮かぶのは一つしかない。
「特務艦隊なの?」
「十二隻が確認できます。おそらくは」
敵性部隊と判断するしかないにもかかわらず、敵対意思がないという面倒な状況にラティーナは困惑を覚えた。
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