第十三話

混沌の宙域(1)

 ガルドワ軍ザナスト討伐艦隊は立ち往生している。難しい局面であるのに動くに動けない。中心的存在である旗艦エヴァーグリーンの艦長ハルナン・ロークレーが秘密組織『御者神ハザルク』の構成員だと判明したからである。


 フォア・アンジェは会長レイオット・ボードウィンの私兵的性質を持つ組織であり、彼個人によって選抜された宙士によって構成され、出向扱いで編成されている。

 しかし、討伐艦隊のエヴァーグリーンとアイアンブルーの乗員は正規部隊として軍幹部との協議も踏まえて編成されている。十分と思われる調査が行われて編成されたはずであるのに、艦内で犯罪が発生するという惨事に発展してしまった。


 頼みにしていた精鋭、特務隊の離反もある。現在は他構成員との連携を怖れてフォア・アンジェ二番艦オルテーヌで収監されているロークレーも特務出身者であり、かの組織には根深い思想汚染があるものと考えられた。

 結果として、特務出身者は謹慎状態に置き、その他乗員にも再度の面接調査が行われている。主要な大型戦艦二隻が運用不能状態に陥り、艦隊は行動不能になっていた。


「はぁ、疲れた……」

 艦隊幹部の中心である司令官ラティーナは忙殺されている。

「少しお休みください。ひと通りの処理は済みましたし、会長も人員補充を約束してくださったのでしょう?」

「兵員が揃ったからってすぐ運用再開ってわけにもいかないのよね。戦略的現状も艦隊特情も知らない人間が即座に機能してくれるとは思えないし」

 秘書官ジャクリーンの勧めに、素直に頷けないのが現状である。

「確かにエヴァーグリーンの要として艦を統括していたロークレーが捕縛されたのは痛いですね」

「そっちは何とかなりそう。打診にあまり色よい反応が無かったけど、ようやく応じてくれる決心がついたみたいだし」

「おや、旗艦の艦長向きの方が艦隊内におられましたか?」

 個人的に動いていたのでジャクリーンにも人選は伝えていなかった。

「やっぱり不安だったみたいだけど、何とか首を縦に振ってくれたから」


 このあと、彼女がやってくる。


   ◇      ◇      ◇


 薄茶の波打つ髪を首元までで整えている女性とラティーナは面している。緑色の瞳はまだ不安げに彷徨い、完全に決心がついたとはいえない状態のようだ。


「ありがとう。応えてくれて」

 ラティーナはこの人選には自信があるので落ち着いている。

「エヴァーグリーンだけを統括して制御するだけで構わないって条件で良いんですよね?」

「ええ、約束した通りです。艦隊運用的な判断を強要する気は全くありませんから安心して任務に当たってください」

「それは命じられてもできませんから」


 敬語で接しながらも表情は砕けている。知らない人間ではないからだ。

 対面しているのはマルチナ・ベルンスト一杖宙士。元レクスチーヌ副艦長である。今回の配置転換で彼女は二杖宙士に昇進することになっている。

 今回の判断には疑問があるだろう。そんな重要任務であれば、直属の上官であったフォリナン・ボッホが適当であると考えるはず。しかし、ラティーナにしてみればフォリナンはフォア・アンジェ三隻を円滑に運用できる要石であり、そうそう動かすわけにはいかない。そこで彼の薫陶を受け、対御者神ハザルクでも事情に通じているマルチナに白羽の矢を立てたのである。


「閣下のご判断に合わせて一隻を運用するのならば私にも可能かもしれません」

 その思いには頷ける。

「今までフォリナン艦長の下でやってきたことと同じと思ってください。艦の規模は桁違いに感じるかもしれませんが、責務には大きな差異はないと思っています」

「そんな気軽におっしゃらないでください」

 プレッシャーはひしひしと圧し掛かっているらしい。

「あなたはこの事案に最初から深く関わっています。頼りにしています」

「了解いたしました」


 この人事は全艦隊に周知され、マルチナの権限は保証される。艦長席に収まった彼女はそれまでの自信なさげな様子はおくびにも出さず、胸を張って挨拶して皆を安心させた。この辺りは職業軍人であると感じさせる。


「うわーい! マルチナさんだー!」

 決定に喜び、駆け寄っていくのはユーゴである。彼女は心の拠り所の一つでもあったのだろう。

「こっちでもよろしくね、ユーゴ」

「うん!」


 彼も体格面の成長の片鱗を見せている。身長はぐんぐんと伸びつつあり、もうラティーナと変わらないくらいになっているので、抱き付くのは自重したらしい。その代わりに握手したあとは纏わりついている。


「マルチナさんが居れば安心だね」

 光り輝くような笑顔だ。

「ユーゴったら、まるでロークレーには不安を感じていたみたいじゃない」

「そうね。あんなことがなければ私も疑ったりはしなかったわよ?」

 ラティーナに続いてマルチナまでもが疑問を呈するとユーゴは首をひねる。

「何かちょっと変だったんだよ。僕を見る目が、何て言うか粘っこいみたいな」


 何も無ければ好々爺というのが適した人物だったように思っていたが、少年は感じるところがあったらしい。おそらく確信が無かったので放置していたのだろう。


「もう大丈夫なのよね? マルチナ艦長のいうことを聞くのよ?」

「いえ、彼は協定者ですので命じたりできませんし」

「大概は従うつもりだよ。ちょっと困らせちゃうかもしれないけど」


 不安を誘う台詞を紡いだ少年は少し冷たい瞳をしていた。

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