フォア・アンジェ(3)

 ラティーナはつま先で床を軽く後ろへ押すようにして、前傾させた身体を流してやってくる。この低重力下での移動が覚束ないユーゴに比べたら、自由に行動しているように見える。その辺りが、彼女が0.2Gしかないツーラで生まれ育ったのだと思い出させた。


「それはどういう経緯の結果なのかしら?」

 険のある声音にユーゴはびくりと震える。彼は今、ペリーヌに抱きすくめられていた。

「あっ、あなたが例のお嬢さんなんだ。当面、この子のソフトウェア設定管理担当になったペリーヌよ。よろしく」

「よろしくお願いします……。ソフトウェア設定には身体的な接触が必要なのでしょうか?」

「違う違う。彼があんまりけなげなものだから、つい愛おしくなっちゃって」

 感情的な行為だと隠そうともしない。

「……精神面の管理は私がしますので、本来のお仕事のほうをお願いできませんか?」

「えー、一人占めはずるいよー? それともそういう仲なの?」

「彼とは姉弟みたいなものです!」

 機嫌は直っていないのだと少年は落胆する。


 彼女とは訓練に出る前に軽く口論になっていた。内緒でアームドスキンのパイロット志願をしたのが気に入らないらしい。

 ユーゴにしてみれば、とにかく自分にできることは何でもするつもりなのだった。志願して、断られれば別の何かを手伝うくらいの気構えだったのだ。

 ところが、ラティーナは彼がこのカウンターチームに関わることを善しとしていないのだろう。反対して切り離そうとしている節がある。ただの客でいればいいのだと思っているようだ。それが少年には納得がいかない。


 しかし、この時の不機嫌は少し質が違う。言葉の端々に少年趣味を滲ませるペリーヌに多少の嫉妬心を抱いた結果のものなのだが、それがユーゴには理解できていないのだった。

 そのうえで、慕っている相手に姉弟だと言われて、少し傷付いてしまっている。


「ペリーヌさんは悪くないよ。僕がちょっと疲れちゃっているのを気遣ってくれただけだから」

 自分の所為で彼女が批判されては困るので擁護する。

「それは彼女の仕事ではないのだから迷惑になってしまうでしょ? こっちにいらっしゃい」

「へー、気に入らないわけねー?」

 頷いて身体を起こしたユーゴをよそに、ペリーヌが揶揄するように言う。

「あなたには関係のないことです。この子とはもう少し話し合わなくてはならないのですから」

「はいはい」


 ユーゴの内心の困惑を表すようにチルチルがあたふたとしているが、お構いなしに険悪な空気のまま。引っ張るラティーナに従いながら、彼が頭を下げるとペリーヌは問題無いとばかりに首を振って見送ってくれた。


   ◇      ◇      ◇


「いい、ユーゴ。君はまだ無理して大人の真似事などしなくていいの」

 彼女に貸し与えられた部屋へと引っ張り込まれると、咎めるように言われる。

「彼らは確かに救いの使者だったけど、恩返しまで考えなくていいのよ。それは私の両親に任せてくれない?」

「駄目。そこまでの道程だって何が起こるか分からないよ。僕は無事にラーナを両親に会わせるまで努力は止めない」

「どうしてそんなに意固地になっているの? サディナのことがあったから?」

 口調が宥めるような方向へと変わる。

「それもある。でも、僕がやらなくちゃいけないし、僕にならできると解ったから」

「……はぁ」

 彼女は吐息を一つ。


 自分の中に生まれた変化は使命感を抱かせた。彼女にはそれが理解できないのだろう。ただ、彼が冒険心に駆られているかのように思っているのかもしれない。

 事実、どう説得すべきなのか模索するようにラティーナは眉根を寄せて考え込んでいる。


「よく考えて。確かに彼らは市民を守るために時には戦闘行為に及び、人を殺めるのも当たり前としているわ。だからといって、君まで同じことをしていいわけではないの。解って」

 話は訓練前のものと同じになっている。

「どうしても僕がアームドスキンに乗るのは反対?」

「もちろんよ。戦うのは専門家に任せればいいの」

「それはずるいよ。生き延びたいって願っているのは自分なのに、嫌なことは人任せなの? それは変だ。僕はラーナを守るためなら嫌なことだってやるよ。それが人の道に反しているって非難されても」


 自分が汚れるのは彼女のためだと押しつけがましい言い方をしているとは解っている。それでも、本心をぶつけないと納得させるのは無理だと感じていた。

 大切な人に悲しい顔をさせてでも貫きたいと願っている。その願いを叶えるためにも勇気を持つにも、非力な自分にはアームドスキンという力が必須なのである。


「どうしても、なの? これほど私が止めても?」

 決意を示すように、真摯な面持ちで頷く。

「私がそんなユーゴを嫌いだと言っても?」

「うん……。嫌われても仕方ない。僕はそれほどに願っているんだから」


 悲痛な表情をさせてしまうのは心苦しい。しかし、今は自分の中に宿った勇気の炎を消してはいけないと思う。そんな彼をラティーナは優しく抱きしめた。


「気持ちは嬉しいの。嬉しいけど……、悲しいわ」


 それが彼女の本心なのだろうとユーゴにも分かった。

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