フォア・アンジェ(2)
緩衝アームで突き出されたパイロットシートから昇降バケットに降り立つと、膝から先の力が抜けてしまい身体が泳ぐ。1G下であれば倒れていたかもしれない。
無重力にすれば、今度は細かな部品などが舞って始末が付かなくなるので、低い重力で床面のメッシュへと取り込まれるような構造になっているのだ。
「大丈夫かな?」
ユーゴを検知したバケットは自動でキャットウォークへと移動している。
「ん、ここ……?」
「もう移動しちゃっているよ。アル・スピア27番機は修理とビームコートの再塗布をするから整備士さんにお任せ」
「ありがとう」
手を貸してくれた女性にお礼を言う。
「いい子なんだ。君みたいな優しい子がパイロット志望とかどうかと思うけど」
見上げれば、まだ年若い女性である。
機械屋と技術屋の怒号が飛び交うハンガーにも女性の姿は多い。ソフトウェア関連を扱う技術者は特に女性の姿が目立つ。彼女もその一人だと教えてくれた。
「君に合わせた
キャットウォークに座り込む彼に優しく声を掛けてくれる。
「ごめんなさい。すごく疲れてて」
「いいのいいの。そのままで付き合ってくれたらいいから」
彼女曰く、実戦や訓練後のパイロットは疲労から不機嫌になり、周囲に当たり散らす人間も少なくないらしい。それでも速やかなデータの吸い上げと分析を必要とする彼女のような技術者は、その対応に当たらなくてはならない。結果的に負けないほどの気概の持ち主か、寛容な人間だけが生き残っていくのだそうだ。
「君のような子は楽で助かるよ」
同じく隣に座って目の高さを合わせてくる。
「それじゃ交換しようか」
「はい」
ユーゴは後頭部のメインスイッチを押し込み、「リムーブ」と口にする。
重要な
「本当に古い型のσ・ルーンなのね」
ユーゴにはまだピンと来ない。
「そうなのかな? あの、チルチルは居なくなっちゃうんでしょうか?」
「3Dアバター? 問題無いよ。そのまま移しちゃうから、学習した分も全部移行するからね」
そう言いながら、真新しいσ・ルーンを手渡された。
最新だと言われたσ・ルーンは彼が今まで使っていた物よりどこも細く薄い。後頭部を覆うようだった本体は、耳の後ろから頭頂部へとアーチを描くような薄い形状になっている。中央からは下にシリコン
耳に掛けるカメラ部や頬に伸びるマイクを含めたセンサー類も頼りないほど細くなっていて、重量では比較にならない。生活に支障が出ないよう進化を重ねてきた結果なのだろう。
古いσ・ルーンを膝に置いたペリーヌはタブレットを操作している。両方を無線で繋げてデータ移行操作をしているのだろう。
「完了っと。じゃあ、着けてみようね?」
新しいほうのσ・ルーンが彼女の手で装着されると、電源スイッチが入れられた。
「違和感はない?」
「はい。あ、チルチル!」
復活を喜ぶように両手両足を広げて浮かぶチルチル。姿は全く変わらないが、金線で描かれた細部が細かくなっているように感じる。
すぐにユーゴの疲労感を読み取ったチルチルは、肩に留まって彼の頭を撫でる動作をする。
「マスターに似て優しい子に育っているんだ」
褒めるペリーヌの優しい笑顔が嬉しい。
「うん。これからもっと仲良くなろうね?」
手を挙げたチルチルは古いσ・ルーンの所へ飛ぶと、労うように撫でた。
「ねえねえ、ユーゴくん。この古い筺体はもらってもいい? 興味があるんだぁ」
「うーん、でもそれ僕のじゃないし……」
「そうそう、カザックも分析に回すみたいだから、それとセットのσ・ルーンもフォア・アンジェの預かりでいいよね?」
そう言われると、格納庫の隅に放置されていたカザックが無くなっている。片脚を失っているので立つことができず、壁面に縋るように座らせてあったのだ。
「それだったらペリーヌさんにお任せします。頑張ってくれたんで大事にしてあげてください」
彼にも労いの気持ちはあった。
「大丈夫。それと、今吸い上げた君の動作データは個人情報だけど、解析に回すように言われてるから使用させてもらうね?」
「はい。色々と面倒かけてごめんなさい」
申し訳なさそうなユーゴを、ペリーヌは目を輝かせて抱き寄せる。
「お姉さんに任せて!」
彼女の身体を包むスキンスーツの感触にユーゴはどぎまぎする。
宇宙空間に出ているのだから全員が装着しているのだが、ほのかに伝わる体温と、女性特有の柔らかさは思春期男子には刺激が強い。熱くなる頬を隠すように顔を逸らしていたら自分を呼ぶ声が聞こえてくる。
キャットウォークを滑るようにラティーナが近づいてくるのが見えた。
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