黒い泥(2)
「なんで……? どうしてだよ! 撃墜したじゃないか!」
自失から戻ったユーゴの言葉は頷けなくもない。素人ならそう考えるのは当たり前だとラティーナ・ロムウェルは思った。
「あれは
疑問を解消したところで元には戻らないが、彼には我に返ってもらわなくてはならない。
「こんなの……。こんなの間違ってる!」
「そうね。でも、危険なのは変わっていないの。サディナを連れて逃げるのよ」
瞬時にユーゴの顔が引き締まり、深く頷く。
レズロ・ロパの七割が失われ、その他の区域も対消滅反応が発した熱や衝撃波で甚大な被害を受けている。郊外の防衛基地が残っているのは狙撃によってミサイルの軌道が変わったせいだろう。
しかし、それで終わらせてはくれない。北の空に新たな航跡が多数刻まれている。あれはアームドスキンの推進噴射による飛行機雲だとしか思えない。
(ゴート軍の残党が活性化してるって聞いてない。でも目の前の現実は現実として受け止めなくちゃ)
自分には二つ下の十四歳の妹と、同い年の弟のような少年もいる。
大戦終結から八十年余り、潜伏した残党は散発的な抵抗運動を続けてきている。ゴート本星の管理を託されているガルドワインダストリーの保有する私設軍が取り締まってもいるが、彼らが『ザナスト』と名乗り、ここ三十年ほどは組織的な活動を行っているのも知っている。
その対策としての防衛基地であり戦力である。基地からもアームドスキンが離陸しているのが見える。ここで戦闘になるのは間違いない。このままでは巻き込まれてしまうだろう。
「どうして……、なんでよう……。メイミーやエリンは? シャリーだって」
サディナは衝撃の光景に蹲って頭を抱えている。大粒の涙を零しながら。
「サーナ、行こう。逃げないと駄目だ。きっとみんなシェルターに隠れているから」
「立つのよ、サーナ。ユーゴの言う通り。今は自分の身を守らないと」
(気休めなのよね。あんな地下深くまで被害を受けてたらシェルターも何もないわ)
その被害の規模を見れば明白だ。それでも妹を立たせなくてはならない。
「これの意味を思い出すのよ。あなたは何の上に立っているの?」
「こんなの違う! 違うもん! 私の所為じゃないもん!」
妹の胸には届かない。ただ悲しみに支配されているだけだ。
「逃げないと死んじゃうよ。ラーナも僕も」
「あ……」
その声にハッとして彼女は想い人の顔を見上げる。サディナには分かるだろう。彼なら恐怖に顔を歪めながらも自分の盾になって命を散らすだろうと。
息が整わないまま震える膝を叱咤して立ち上がる。妹にはこれが一番効果的だったようだ。それでも街の上空ではすでに激しい戦闘が開始されており、ビームカノンから放たれる光が交差し、時折り爆光も閃く。
(着弾時の発光からして、あの対消滅弾頭にもターナブロッカーは使われていたはず。被爆で被害は受けていなくとも、ビームカノンの攻撃からは逃れられない)
身を隠すのが最優先だとラティーナは思う。
対消滅反応で放射されるガンマ線やその他の放射線は、放射線波長の電磁波を可視光波長まで変調させる化合物、ターナブロッカーによって人体には有害でない状態になっている。ザナストとてここを被爆地域にするのは本意ではないのだろう。
それでも進宙歴72年に制定されたコンストラ条約に違反する大量破壊兵器まで使用したザナストだ。自分たちが捕まればどんなことになるか想像もできない。
「走ろう!」
「うん!」
ユーゴは気丈にも妹と自分の手を引いて駆け出そうとしている。しかし、サディナは頭上を光芒が走る都度、頭を押さえてしゃがみ込んでしまうのだった。
(恐怖が上回ってしまっているんだわ。私だって怖いけど、ここは……)
少年と二人で背中を押して立たせようとする。
その時、ほんの50m横に巨大な人型兵器が落下してくる。再びの衝撃に妹は蹲ってしまった。
「冗談じゃないって! こんな骨董品でザナストのアームドスキンと戦えるもんか!」
誰への言い訳なのかは知らないが、黄土色の機体のハッチを開いて飛び出してきた男は叫びながら逃げ出していった。
その機体は確かに古臭く見える。強度を意識したのか構成パーツに
「ひゃっ! やあっ!」
その様子にひどく動揺したサディナが二人の手を振り解いて走り始める。限度を超えてしまったらしい。
(森のほうへ向かっているから好都合。あとはユーゴを促し……、て?)
上空で起きた爆発音とともに、前方数十mのところへ左半身を失ったアームドスキンが落下した。
衝撃に揺さぶられたのは二人の身体だけではない。心も激しく揺さぶられてしまう。
(え? なに? サディナはどこ?)
妹の姿は見えなくなっている。
彼女が走っていた位置には落下してきたアームドスキンの右腕が横たわっているだけ。
「ああっ! あああー!」
振り絞るような少年の咆哮が遠く森へと響き渡っていった。
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