第一話

黒い泥(1)

 三日も雪が降っていないレズロ・ロパの街はどこにも積雪は残っていない。しかし、高台まで上ってくると遠く望める平地や、郊外まで迫る森林は白く彩られたままだ。

 十四歳のサディナ・ロムウェルも、そこが本来の色を取り戻していたのを見たことは数えるほどしかない。今踏みしめている大地も多少はぬかるみを感じる。


「あ、ユーゴくん、みっけ!」

 前方に同い年の少年の後姿を認める。

「お姉ちゃん、行こ」

「うん、追い付きましょう」

 二つ上の姉ラティーナの手を取ったサディナは引っ張るように駆けだした。


 事情があって街から離れた場所に家を構えるサディナにとって、100mほど離れているとはいえ隣家の少年ユーゴ・クランブリッドの存在は特別だ。幼い頃から街でも、そして家の裏手の森林でも彼と一緒に遊んでいる時間が多い。

 学校ではそれを揶揄する噂話が多々聞こえてくるが、そんなのは関係ない。むしろユーゴと付き合っていると誤解してもらったほうが既成事実となって好都合。


「ユーゴくん!」

 呼び掛けに応じて振り返った少年は、すぐに柔らかい表情を見せる。

「サーナも今帰り?」

「うん!」

「今日は僕のクラスは早めに終わったから、あとから行こうと思ってたんだ」

 想い慕う彼が愛称で呼んでくれ、自分のことを考えながら帰宅の途についていたのが嬉しい。


 公言したりしないが、自分は可愛いほうだと思う。スポーツに長けているクラスの男子は彼女を前に試合結果を自慢しにくるし、美形の男子からも度々遊びに誘われる。程よくあしらって躱しているが、それで女子から妬まれることはない。理由は明確だから。

 クラスは違えど、ユーゴと接している時の表情は自分でも露骨に違うと思う。察しの良い女子グループは、彼女の想いを見誤ったりはしない。彼女たちの意中の男子が言い寄ろうとサディナがなびく可能性は無いと分かっている。


(ユーゴくんの良いところは私だけ分かっていればいいんだもん)


 時に気弱に感じなくもないユーゴだが、その物腰の柔らかさと生来の優しさは他の男子からは感じられない。

 それでいて、いざという時は決して譲らず、身体を張ってでもサディナを守ってくれようとする。真剣な表情のユーゴの凛々しさは自分だけが知っている宝物でいい。


(もしかしたらユーゴくんはお姉ちゃんのほうが好きなのかもしれないけど負けないもん。あと四、五年したらお姉ちゃんは大人になっちゃうし、上に帰るかもしれないから、その時傍に居るのは私だけなんだから)

 年齢という意味でサディナは大きなリードがあると信じている。


 当座の目標は姉を押し退けてユーゴの横を勝ち取り、両親に彼との仲を認めさせることだ。そうすれば、一人ぼっちになってしまった彼を自分の一家に加えられるかもしれない。いや、加えなくてはならないと半ば義務のように感じていた。


 サディナは姉のラティーナと二人暮らしをしている。訳有って、この惑星ゴートの試験移住プロジェクトに潜り込んでの暮らしだが、両親を失ったり捨てられたのではない。時が来たらいずれは両親のもとに戻る。その時ユーゴも連れていこうと画策している。


 三星連盟大戦時、浄化作戦の標的となった惑星ゴートには多数の氷塊が落とされた。人口氷河期の始まり。八十年前のその出来事はサディナにとっては歴史上の事項でしかない。

 しかし、進宙歴498年の今、三百年は人が住める状態にはならないと言われた大地は、少しずつ暖かさを取り戻しつつある。その試験的な移住計画の対象に自分たち姉妹とユーゴが加わっていたのが重要なのだ。


 移住当初、彼は母と二人暮らしだった。だが、その母親は二年前から行方が知れない。ユーゴが涙に暮れるのを見かねたサディナは、姉に頼んで伝手を辿って捜索してもらったが良い結果は得られていない。立場からすればそれは異常事態とも思える。

 ともに両親のいない状態で暮らすユーゴとサディナたちは自然と助け合って、より深い繋がりを持つようになった。不謹慎ながら彼女は心のどこかで幸運だと感じている部分もある。


(私たちとユーゴくんはもう家族みたいなものなの)


 それを法的にも事実とするのがサディナの望みである。

 ただ、姉の母性に彼が惹かれているのだとすれば彼女の計算は狂う。なので常々、ラティーナの行動を観察して真似ていたりもするのだが、今の姉は訝しげな表情を見せていた。


「この匂い……」

 眉根を寄せると、ハッと上空を見上げる。

「微かに酸っぱいような……、まさかターナミスト!」


 ラティーナが携帯端末を取り出して確認を始める。彼女が口にした名前の物質が撒かれているのなら電波通信は無効化されてしまう。案の定、未接続が表示されているところへ、けたたましい警報音を鳴り響かせ始めた。


襲撃警報コンバットアラート!」

 ついぞ見たことのない表示にラティーナも戸惑うが、すぐに緊迫した面持ちになる。

「お姉ちゃん、シェルターに!」

「街に戻る時間なんてない! そのまま森に隠れるのよ!」

 姉は冷静なようだ。


 そうしているうちに北の空を飛翔体が横切っていく。


(ミサイル? 今どきそんな古い兵器)

 すぐ防空網に引っ掛かるとサディナは思う。


 飛翔体が爆散する。目に見えないが、対空レーザーで狙撃されたのだ。

 ところが爆炎の中からひと回り小さくなった飛翔体がレズロ・ロパに向かう。更に二度爆散を繰り返すも、都度小さくなっていくミサイルはとうとう街に着弾した。

 途端に凄まじい光量に襲われ視界が奪われた。固く瞑った瞼の向こうが元の明るさに戻ってから開くと、レズロ・ロパの七割の地域が半球状の窪みと化している。


「反物質弾頭……」


 ラティーナの唇から零れた名前の兵器は、一瞬にして多くの人の命を奪っていっていた。

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