第二章―8

「誠一さんの心を支配するものは何ですか?」


「俺の心は」


 言葉に詰まる。心、心と唱えてみても、何が心かわからなかった。それが、自分の心の声を無視した副作用かもしれない。


 あなたは弱い。すぐ、逃げる。シンの言葉が浮かぶ。彼の言っていることは正解だった。


 秋山は幼い頃母親が交通事故で亡くなり、父も四年前病に倒れ、この世を去った。母親が死んだ時は、もう二度と見れぬ笑顔を思い出しては悲しみ、いつしか思い出すのをやめた。父親が死んだ時は、医者でありながら救えなかった命を嘆き、そして忘れるよう努めた。どちらも、寂しさから逃げた。囚われたままでは立つことさえできないと怯え、囚われないよう記憶を消そうとした。


 浩子が死んだ時。秋山は必死にその時のことを思い出す。


 彼女が死んだ時、彼女を失った悲しみ以上に、佐々木に対して怯えた。彼の一人残された悲しみが、自分への恨みに変わるのが怖かった。怖くて、彼と正面から向き合えなくなった。視線を掻い潜り、避け続けた。


「俺は失うのが怖い」


 何を言い出す、そう思う前に言葉が先に出る。


「一人残されるのが怖い。それ以上に一人残される人を見るのが怖い。いや、違うな。一人取り残してしまうのが、怖いんだ。取り残された人は、きっと俺を恨む。そして離れていく」


 右手を抱きしめるように、秋山は身を縮める。暗闇に怯える子供のように。そうだ。由美を助けたいと思うのは、その母親が近くにいるからだ。由美が死に、母親の孤独な姿を見るのが怖かったからだ。だから手術を強く薦めることもできなかった。


「俺は、失いたくないんだ」


 一人になるのが怖くて、その恐怖を和らげるために、一人でいた。失うぐらいなら、何も要らないと、逃げていた。

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