第二章―5

「俺は、幼い頃母親を亡くしてる。父親も、四年前に死んだ」


 ぽつりと、秋山が零した。何を言い出すのだと自分で驚く。シンが耳を澄ませるのを感じた。


「だから、残された人間の気持ちは、少しはわかるつもりだ」


 その悲しみを。寂しさを。


 望んでも、心の中でしか会えない、切なさを。


 残された人間は、今から歩む年数分、届かない想いを抱き続けるしかない。


 それは、果てしなく、孤独な試練。


「お前もたぶん、俺と一緒なんだろ」


「え」


「孤独を」


 孤独を抱えて生きている。そう言おうとして止めた。孤独なのは自分ではない。佐々木だ。悲しみに浸って自分を守ることはやめなければならない。そんなことは許されないのだ。


 シンは秋山の言葉に戸惑っているように見えた。初めて見た彼の姿に、秋山は少しだけ親近感を覚えた。だがすぐにそれを消す。


「さあ出て行け。もう十分話した」


「誠一さん」


「出て行け」


 シンは素直に頷き、扉へと向かった。ノブに手をかけ、回す。そして出て行く直前に立ち止った。


「あなたは弱いです。すぐ、逃げる。でもそれは、あなたの心が優しいからだと思います」


 そう言って、シンは扉を閉めた。


 あなたは弱い。すぐ、逃げる。


 シンの声が、頭の中で鳴り続ける。やはり見透かされていたのだと、ぼんやり思

った。


「先生、ぼんやりしてる。珍しいね」


 由美の声で秋山は我に返った。午後の回診の途中だったのだ。何をやっているのだと自分を叱咤する。


「先生、私最近よく夢を見るの」


「夢、何の?」


「あのね、男の子と男の人が出てくるの。いっつも同じ人なんだ。すごくない?」


 秋山は息を呑んだ。まさかという思いときっとそうだという確信が同時に浮かぶ。


「もしかして男の子は赤い石の首飾りをしてたとか?」


「え、何で知ってるの?」


 やはり、と秋山は脱力した。そんなことまでできるのかと呆れもする。不思議そうな顔をしている由美に笑いかけ、頭を撫でる。


「そいつらは夢の中で由美に何かしたのか?」


「うーんとね、何かしてるわけじゃないの。ただ男の子は祈ってるみたいな感じ。こうやって手を合わせて、由美さんが元気になりますようにってずっと祈ってくれてる」


 そう言って由美は手と手を合わせた。シンが以前見せた、祈りの姿勢だった。


「男の人はあんまり由美のこと気にしてないみたい。その男の子のことばっかり考えてる。あ、その人は男の子が元気になるようにって祈ってる感じ」


 秋山は翔のことを思い浮かべた。あまり接したことはないが、常にシンの傍についている。由美の言っていることは正しいように秋山は感じた。


「先生、私手術する」


 突然由美がそう言い出した。視線を合わせる。由美は秋山を真っ直ぐ捉え、離さない。


「いいんだな」


 由美は頷く。


「男の子が私を守ってくれてるし、先生だったら、大丈夫だって信じてる。私、頑張るよ」

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