第二章―3

 薬も投与していないのになぜ。秋山は自分の右手を掲げ、眺めた。指と指の間から、先程の少年の姿が見える。秋山は咄嗟に少年の元へ駆け寄った。


「お前、何かしたのか」


 彼の話を全て信じたわけではない。だが、彼に不思議な力が備わっていることは感じていた。その力で、由美を落ち着かせたのだと秋山は考え、詰め寄った。


「僕はただ、祈っただけです」


「祈った?」


「祈りです。彼女が、楽に呼吸ができますように、と」


 彼は目を瞑り、指を交互に絡ませた。手の平はつけず、手と手の間にかすかに空間がある。不思議な祈りの姿勢だった。


「祈りで人が救えたら、医者はいらねえよ」


 舌打ちして、秋山はシンに背を向けた。 


 眠っている由美の隣で、秋山は寝顔を見つめた。由美は大人しく、絵を描くことが大好きな女の子だ。呼吸をすることも苦しいはずだが、それを感じさせない強さと優しさを持っている。友達も多いようで、入れ替わり立ち替わり、同級生が見舞いにやってくる。彼らの前では笑顔で、苦痛の片鱗をも見せない由美を見て、秋山は彼女を治してやりたいと、心の底から思っていた。


「コーヒー、飲めよ」


 部屋で休んでいると、佐々木がやってきて秋山の隣に腰を下ろした。秋山は、彼から目を逸らす。


「お前さ、いい加減こっち向けよ。いつまで俺のこと避けるつもりだよ」


「別に避けてない」


「嘘つけ。もう一年だぞ。俺が乗り越えたのに、お前が囚われたままでどうする。それに、あれはお前のせいじゃない。自分を責めるなよ」


 責めてない、そう言いかけてやめる。自分を責めてはいた。だが、それでも足りないと秋山は思う。


 まだ、一年しか経っていないのだ。乗り越えたと佐々木は言う。だが、それは建前だ。心は未だ、きっと彼女を想っている。


「誠一、俺は寂しいよ」


「悪かった、ほんとに」


「違う、そういう意味じゃない」


 佐々木の言葉は、秋山には届いていなかった。秋山は逃げるようにして、部屋から出て行った。

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