第二章―2

「何のことだか、意味がわからねえな」


「手術前に、手が震えるんですよね」


 衝動的に秋山は少年の胸倉を掴み、殴りかかった。振り上げた右手を少年の鼻先で止める。それでも、少年は顔色一つ変えていない。隣の青年の方が気色ばんでいた。それを見て冷静を取り戻し、少年を離した。


「僕は医者です。心の、医者です。あなたの心の声を頼りにやってきました」


 心の医者。心の声。秋山は少年の言葉を笑い飛ばした。こんな子供が精神科医の真似事かとおかしくなる。


「誠一さん、あなたは心の病にかかっています。それに気づいていながら解決しようとしていない。でもどうか、僕の治療を受けてもらえませんか」


 秋山は笑うのを止めた。一転真剣な眼差しでシンを見る。


「悪いな。お前を否定するわけじゃないが、俺は今の俺で満足してる。医者はいらねえよ」


「ですが」


「出てってくれ」


 二の句を継がせない秋山の態度を見て、二人は部屋を出て行った。一人になり、息を吐く。


「何者だよ、あいつら」


 手の震えを見透かされたことに少なからず動揺しているのか、背中を冷や汗が伝う。秋山は自分の小心を鼻で笑った。


 彼らの言っていたことは全て、当たっていた。心の不調を、秋山自身感じてもいた。手の震えも、その現れだ。深層心理とでも言うのだろうか。秋山は過去を思い出し、俯く。  


 しかし息つく間もなく再びノックの音がする。


「先生、ちょっと」


 看護師に呼ばれ、秋山は小走りに病室へと向かった。白衣を正す。行く先は、本多由美が寝ている病室だ。着いた早々様子を量る。少し熱が高い。呼吸がうまくできていないようだ。瞬時に見取り、看護師に薬を用意するよう指示する。


 彼女は今、秋山が最も心を砕いている患者だ。小学四年生の女の子で、二年前から病状を発している。手の施しようがないと、いくつもの病院から治療を断られ、秋山の元へとやってきた。秋山は手術を勧めたが、成功率を伝えると、了承しかねるという判断を親は下した。


 症例自体は、過去に幾度か秋山も治療したことのあるものだったし、国内での秋山の成功率はかなり高い。だが一度、秋山は失敗した。たった一度だ。だが、失敗とは死。それを思うと、無理には勧められない。


 由美の呼吸が荒くなる。薬はまだか。秋山は、汗で濡れた由美の額を手で拭う。すると、なぜか呼吸が落ち着いていく。数十秒経たないうちに由美は寝息を立てていた。

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