第一章

「何だって」


 言っている意味を問い詰めても、金木犀は悲しむだけで何も言おうとしなかった。


 目覚めない、確かにそう言った。翔は自分を落ち着かせる。眠ったまま目が覚めることはない、金木犀はおそらくそういう意味で言ったのだ。それを認める。だがそれは事実なのか?


「ごめん」


 翔はそう言って、夕貴の頬を思い切りぶった。渾身の力を込めたはずだった。その証拠に、夕貴の頬が赤く染まる。しかし安らかな寝顔はそのままで、少しも動きはない。


「起きろよ、おい。起きてくれよ」


 揺さぶっても、ぴくりともしない。次第に恐怖が膨らんでいく。目覚めない。その言葉を頭から振り払おうとする。


「くそ」


 翔は部屋を飛び出し、医者を呼びに行った。金木犀の囁きが、耳から離れないまま。


 夕貴は、それから一ヶ月間、一度も目を覚ましていない。


 様々な検査をしてもらったが、身体に異常は見当たらず、ただ眠っているだけだと診断された。本人が目覚めたくないと思っていることが原因だろうから、しばらくそっとしておくしかないと見放された。


 両親は憔悴し、点滴をしているものの日々窶れ衰えていく娘の目覚めを願い、祈祷やら悪魔払いやら、怪しいことにまで手を出し始めた。何かに頼れる内は、心は壊れない。翔は痛ましく思いながらも、両親の愚行を黙って見ていた。


 翔は庭の金木犀に、夕貴が目覚めるよう手を貸してくれと毎日頼んだ。だが金木犀は悲しげに微笑むだけで、語りかけても、言葉は返してくれなかった。


 唯一の味方も失い、翔は孤独になった。

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