其の肆 笑顔になれる味

「ちょっと! どうして貴方がムラマサと同じ部屋に居るの!?」


 何者かの怒鳴り声に意識を浮上させると、すぐ近くに美しい少女の顔があった。


「ちゃんとそれぞれの部屋を用意してあげたわよね? いくらムラマサが剣から出て来た女の子だからって、年頃の男女が同じ部屋で一夜を明かすだなんて大問題だわ!」


 その声の主は、この屋敷に泊まらせると言ってくれたサクラだった。

 けれどもサクラの姿は、夕食の時に見た姿とは異なっていた。

 昨日の彼女は、龍蔵と同様に髪を一つに束ねていたが、今はその細く滑らかな桜色の長髪を下ろしている。

 やはり、桜の樹に宿る天女のような存在感を放つ彼女。髪型を変えても、また違った魅力があるように感じる。

 しかし、いつまでも彼女を眺めている訳にもいかない。龍蔵は怒りに染まった表情を浮かべるサクラに言う。


「そなたの言う事はもっともだ。せっかくの気遣いを無駄にしてしまって、本当にすまない事をした」

「待つのじゃサクラ! リュウゾウは悪くない。妾がリュウゾウを引き止めてしまったのがいけなかったのじゃ!」

「ムラマサが……?」


 すると、騒ぎに気付き目を覚ましたらしい村正が龍蔵を庇い、サクラへ必死に訴えかけた。


「それは本当なの? リュウゾウ」

「……ああ。村正が眠るまで、ここに居る約束だったのだが」


 村正は寝台に腰掛ける。

 そしてサクラを見上げながら、彼女は昨夜の出来事を語り出した。


「リュウゾウはな、妾の為に一晩中手を握ってくれたのじゃ。妾は……一人きりで居るのが、怖いのじゃ。だから、リュウゾウは妾の頼みを聞いてくれただけ……。こやつは何も悪くない」

「そう、だったの……」


 村正の話を聞いて、サクラは申し訳無さそうに龍蔵に頭を下げた。


「ごめんなさい……! 私、てっきり貴方がムラマサに何か良からぬ事をしようと、彼女の部屋に忍び込んだとばかり思って……。そうよね。貴方がそんな事をするようには見えないもの。もっと冷静に考えるべきだったわ」

「昨日出会ったばかりの者を疑うのは当然でござろう。そなたは謝らずとも良い」

「だけど……貴方が不快な思いをしたのは変わらないわ」


 先程自身が口にしたように、彼女が抱いた疑念は出会って間も無い相手に抱いてもおかしくない感情だ。

 故に、龍蔵は彼女に疑われても仕方がないと割り切っていた。

 けれどもサクラは、自分がした事に大きな責任と後悔の念を抱いているようだった。

 しばらく何か考え込んでいたサクラだったが、彼女はふと顔を上げ、龍蔵と村正にこんな質問を投げかけて来た。


「ねえ、二人共。甘い物は好きかしら……?」




 ────────────




 漂ってくる甘い香りと、香ばしい匂い。

 嗅いだ経験の無いものではあるが、食欲をそそられる魅惑的な香りだ。


「お待たせ。久々に作ったからちょっと焦げちゃったけど、失敗したものは私が食べるから。二人は綺麗な方をご馳走するわ」


 食事の席に着いた龍蔵の前に、きつね色に焼けたものの上に、赤くとろみのある汁がかけられた料理が運ばれる。

 それはサクラが龍蔵と村正の為に用意してくれた朝食であり、普段はあまり料理をしないという彼女が腕を振るった一品だった。

 これがサクラなりの詫びの印であり、先程二人に「甘い物は好きか?」と尋ねてきた理由である。

 続いて村正の前にも皿が置かれると、彼女はきらきらと目を輝かせていた。


「サクラ! このいかにも甘くて美味そうなものは何なのじゃ!?」


 元気良く質問した彼女に対し、サクラは嬉しそうに答える。


「これはパンを卵と牛乳を混ぜた液に浸して、フライパンでこんがりと焼き上げた後にジャムをかけた料理よ。昔、母さんがよく作ってくれたの」

「この赤いのが、『じゃむ』というやつじゃな?」

「ええ。庭で採れたカルムベリーで作ったの。甘酸っぱくて美味しいのよ」


 サクラも席に着いたところで、龍蔵達は夕食の際にも使ったフォークとナイフを箸代わりにし、早速食事を始めた。

 村正はナイフで切り分けたものをフォークに刺し、大きく口を開けて頬張る。

 そして次の瞬間、村正が叫び声を上げた。


「んんんん〜っ!! しゅごい! しゅごいじょシャクラ!!」

「口に物を入れたまま喋らないの!」


 すぐさまサクラに叱られた村正は、急いで口の中のものを飲み込む。


「……っんぐ。改めて言うぞ! 凄いぞサクラ! この赤くて甘いやつ、果実の香りと爽やかさを殺さず、甘くはあるが甘すぎない絶妙な加減のタレじゃ! そしてこのぱん、トロトロとカリカリの食感が同時に楽しめる最高の食べ物じゃ! この二つを組み合わせたサクラの母君、もしや天才なのではないか!?」


 興奮して感想を述べる村正。

 雪崩のような賞賛の数々を浴びたサクラは、しばらくぼうっとした後、ハッとして村正に言葉を返した。


「あ、ありがとう……! そんなに褒めてもらうなんてもったいないぐらいだわ。でも、気に入ってもらえたみたいで本当に良かった」


 龍蔵も一口味わってみる。

 フォークに刺したそれを口に入れた途端、果実を使ったジャムが口内で豊かに香る。

 村正が言っていたように、適度な甘さに調整されたその味は、飽きの来ない食べやすさだと言えるだろう。


「うむ、確かに美味いな。初めて口にする味だが、拙者もとても気に入った」

「ほ、本当? 男の人はこういうのってあんまり好きじゃないんじゃないかって心配だったけど……ヒムロにそう言ってもらえると、本当に嬉しいわ」


 そう言って、少し照れ臭そうに笑うサクラ。

 彼女のそんな笑顔を見ていると、不思議とこちらの方まで嬉しさが伝染する。

 自然と己の口角が上がるのを自覚しながら、和やかな食事が続くのだった。




 ────────────




 朝食を終え、サクラの案内で龍蔵と村正がやって来たのは、大きな建物の前だった。

 サクラの屋敷と同じ程度の広さであろうその建物。その入り口の両開きの扉の上には、見慣れぬ文字で書かれた看板がかかっていた。


「ここで貴方達の通行証の正式発行を済ませるわよ。喧嘩っ早い人も多いから、今日も出来るだけトラブルは起こさないように気を付けて頂戴よ?」


 身支度を整え、髪を結い上げたサクラが念を押して言う。

 ここはサクラのような冒険者達が集うという場所……『冒険者ギルド』の会館だ。

 昨日町の門衛に渡された通行証は、あくまでも仮の物。

 他の土地にある町へ入ろうとするなら、ギルドでしっかりとした通行証を用意しておけば、余計な面倒事に巻き込まれにくくなるそうだ。

 サクラに続いて扉を抜けると、中には多くの老若男女がひしめき合っていた。


「ちゃんと私について来てね? はぐれたら大変だもの。……事後処理が」

「分かっているでござるよ。さあ、行こうか村正」

「うむ! この後も予定が詰まっておるんじゃ。さっさと済ませてしまおうぞ!」


 そう。通行証を作った後は、村正を保管していた村人達に会いに行かねばならないのだ。

 彼らに村正の所持と護衛を許可してもらわなければ、龍蔵と彼女との間に結ばれた主従関係が反故ほごになってしまう。

 そうならない為にも、村人達にしっかりと話をしておかなければ。

 すると、サクラがカウンターの向こう側に並んでいる女性の方へと歩き出した。龍蔵達もそれに続く。

 この場所の働き手なのだろう。同様の衣服を身に付けた女性の一人が、こちらに笑顔を向けて言う。


「冒険者ギルド、カルム支部へようこそ! 本日はどのようなご用件でしょうか?」

「この二人に通行証の発行を。……あと、冒険者登録もお願いしたいんですが」

「はい、かしこまりました。仮の通行証はお持ちですか?」


 女性にそう言われ、龍蔵と村正はそれぞれ懐から通行証を取り出した。

 それを渡すと、しばらくして少し色味が違う板が二枚返ってきた。

 龍蔵の気のせいでなければ、先程サクラは通行証の発行だけでなく、冒険者登録というのも頼んでいたはずだ。

 それが何を意味しているのかはまだ分からないが、真面目な彼女のする事に無意味な行動など無いだろう。


「お待たせ致しました。こちらがヒムロ様とセンゴ様の通行証で、こちらがお二人の冒険者カードとなっております。お二人は今回が初めての登録となりますので、冒険者ランクは初級の一段階目からのスタートです。最上級ランクを目指して、頑張って下さいね!」

「は、はあ……」


(『らんく』だの初級だの……一体何を言っておるのだ、この娘は……)


 渡された二枚のカードを手に困惑していると、サクラに背中を押された。


「ほらほら、次の人が待ってるから向こうへ行くわよ。ちゃんと説明してあげるから、一旦あそこのテーブルに移動しましょう?」


 サクラがそう言った通り、龍蔵達の背後には人が並んでいた。

 彼らも何かの手続きをしに来たのだろう。混み合う前に滑り込めたのは幸運だったようだ。



 三人は奥にあった無人の机を確保し、腰を落ち着ける。

 そこで早速、先程彼女が言っていた冒険者登録についての説明を聞かされた。


「ヒムロもムラマサも、生活していくにはお金が必要になるでしょう? 二人共、お店で働いてお金を稼ぐのはあまり得意なタイプには見えないから……。それなら、思い切って冒険者になってみるのも悪くないんじゃないかって思ったの」


 龍蔵も村正も、いつまでもサクラの世話になり続ける訳にはいかない。

 何故なら二人には、旅をする理由があるからだ。

 彼女が言うように、この先も人並みの生活を送りたいと願うなら、何かと金が必要になる。旅の資金だって必要になるのは間違い無い。

 話す言葉は理解出来ても、建物の入り口に掲げられた看板も通行証に記された文字も読めない龍蔵には、魔物を狩って稼ぐ冒険者の仕事が最適なのだろう。

 きっとサクラも、ある程度そういったものを感じ取っていたに違いない。


「そうだな……。拙者達には、冒険者が向いているのであろう。魔物を倒すのは拙者の目的の一つだ。それで資金を得られるのであれば、一石二鳥というものにござる」

「これでド貧乏からおさらばじゃな! 用を済ませたらバッタバッタと魔物を狩りに行こうぞ、リュウゾウ!」

「午後になったら、町の近くで魔物を討伐する依頼をこなしに行きましょう。それで一通りの流れは覚えられるでしょうし、貴方達なら大丈夫だと思うわ」


 細かい事はまた今度説明すると言って、サクラはまた二人を連れて移動を開始した。

 次に向かうのは、生き延びた村人達を保護している町長の家だという。

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