其の参 魅惑の妖刀
「そうじゃ、リュウゾウ。お主、ちょいと妾を振るってみぬか?」
夕食を終え、そろそろ就寝しようかという頃。
ふと村正の口からそんな発言が飛び出した。
龍蔵は村正とは別の部屋を用意されたのだが、彼女は何故かここに押し入り、退室する様子が無い。
例え刀の付喪神といえども、村正は少女の姿をしている。
だからこそ別室で休むよう、サクラにも言われていたのだが……。
「急に何を言い出したかと思えば……」
「ほれ、よぉ〜く考えてみよ。もしも突然敵襲が現れた時、妾のような慣れぬ刀を振るったとして、お主はまともに相手に出来るのかの? 試し斬り……とまではいかぬが、素振りをしてみるぐらいは必要ではないかのぅ」
と、一見まともな事を言っているように見える村正。
だが今の彼女は、一人用の寝台にごろりと寝転がりながら、猫のようにくつろいで話している。これでは説得力も何も無いだろう。
けれども、そこを度外視すれば、村正の意見は完全に正しく聞こえて来るのも事実である。
教会の地下を抜け、ここまで腰に携えてきた彼女の本体……妖刀・千子村正。
思えば一度も振るわずにいたが故に、扱いに慣れていないのは間違い無い。この機に多少の修練はしておくべきだろう。
それに、このまま彼女と共に修行に励むのなら、様々な魔物と闘う事になるのだ。断る理由は思い付かない。
「……良かろう。ならばそなたの本体、振るわせてもらおうではないか」
「そう言うと思っておったぞ! では早速、外に出るべきじゃな! 部屋の中で何か壊しでもしたら、サクラにこっぴどく怒られるに決まっておるからな」
龍蔵が彼女の提案に乗ると、村正はパッと花が開いたような笑顔を見せて、寝台から飛び降りた。
そうして部屋の外へ出るのかと思いきや、彼女は何故か窓を開け、そこから身を乗り出して外へ出ようとしているではないか。
龍蔵は、せっせと小柄な身体を駆使して外へと向かう少女の背に語りかける。
「村正、それは人が出入りする為のものではないと思うのだが……」
「そのような細かい事を気にしていると禿げるぞ、リュウゾウ! それに、
龍蔵が止めるのも聞かず、村正は窓から出て行ってしまった。
幸いこの部屋は、屋敷の中でも下の階に位置している為、窓から転落するような事は無いのだが……これはこれで、サクラに叱られるのではないだろうか。
しかし、このまま彼女を外に放置する訳にもいくまい。
村正が言っていたように、この世界では下駄や
龍蔵も彼女と同じく窓から外へ出ると、そこで待っていた村正が満足げに頷いているのが見えた。
彼女は屋敷の敷地内で少し開けた場所を見付けて、そこに龍蔵を手招きした。
「ほれほれ、ここなら邪魔なものは無いぞ! それでは早速、妾を振るってみせよ! 妾はここでちゃんと見守っておるから、お主に寂しい思いはさせぬぞ〜」
「あ、ああ……」
そう言って、期待に胸を膨らませた面持ちで──とは言っても、膨らむ程の大きさではないが──こちらに目を向ける村正。
彼女の気遣いは嬉しいが、いくら身体が若返ったとは言っても、龍蔵の精神はあの頃のままだ。一人で剣を振るうのに、寂しいなどという感情が湧いてくる事は無い。
「……いざ」
腰に差した刀に触れ、静かに鞘から抜き取る。
元居た世界とほとんど変わらぬ夜空の明かりに照らされ、刃に星々の輝きが反射していく。
柄を握った感触は、やはりこの世界に持ち込めなかった愛刀とは異なっている。けれども、それは時間が解決してくれる事だろう。
目に見えて分かる千子村正という刀の質は、きっと闘いの場で遺憾無く発揮されるはずだ。
それだけ彼女は……この刀は、何かとても良いものを持っている。
そして、呼吸を整えながら構えた刀を、静かに両腕を上げながら、一気に振り下ろす。
空気を斬り裂く音と感触が、あまりにも心地良い。
「どうじゃ、妾のカラダは。病みつきになるじゃろう……?」
誤解を招きかねない発言ではあるが、確かに病みつきになってしまいそうな感覚を味わってしまった。
長年連れ添った愛刀とはまた違う、独特の雰囲気。
これが、妖刀の持つ力とでも言うのだろうか。
「……ああ。そなたは紛れも無い名刀であり、一生涯手放したくない、魅惑の剣でござる」
龍蔵がそう言えば、村正は心底嬉しそうに、とろけるような笑みを浮かべた。
「そうじゃろ、そうじゃろ〜? むっふふふ! 妾の良さが分かるとは、やはりそなたは妾の家臣に相応しかったようじゃな!!」
すると「好きなだけ、満足するまで妾を好きにせい!」と村正が言うので、龍蔵はその言葉に甘えて気が済むまで彼女を振り続け──
流石に歩き疲れていたのだろう。
素振りを終えた後、村正は今にも眠りの世界へ誘われようとしていた。目がとろんとしている。
「眠いのだろう、村正。拙者がそなたの部屋まで送ってやろう」
「うぅ……頼む……」
龍蔵は村正を抱き上げ、開けたままになっていた窓から彼女を室内へといれてやった。
すぐに龍蔵も部屋に戻り、そのまま隣の部屋まで村正を送り、寝台の上へ優しく寝かせる。
流石に履物のまま寝台で眠るのは良くないそうなので、彼女の下駄を脱がせておく。
「長い時間付き合わせてしまって悪かったな。今夜はゆっくり休むと良い」
そう言い残し、自分の部屋へ戻ろうと彼女に背を向けたその時だった。
着物の袖を掴む小さな白い手が、龍蔵が離れるのを阻んだのだ。
振り向くと、黒髪の少女は心細そうにこちらへ目を向けている。
「妾が眠るまで、側に居てはくれぬか……?」
今にも泣き出してしまうのではないか──そう感じてしまうような、不安げな声音。
「一人で眠るのは……怖いのじゃ……。ほんの少し……眠るまでで、良いから……」
暗い地下室で、何百年もの時を過ごした妖刀の付喪神。
神の一端ではあれど、少女の姿をした彼女にとって、あの暗闇で過ごした孤独な日々は、その心に深い傷を刻み付けていたのだろう。
それを思うと、このまま彼女の側を離れる訳にはいかない。
──否、離れて良いはずがない。
龍蔵が頷くと、村正は安心したように口元を緩めた。
「拙者の手を握っていると良い。夜が明けるまで、そなたの側に居よう」
「……感謝するぞ、リュウゾウ」
寝台の近くにあった椅子に座り、彼女の手を己が手で包み込んだ。
すると、村正は嬉しそうに微笑みながら目を閉じ、それからすぐに寝息を立て始めた。
龍蔵の手を、きゅうっと握り返しながら。
「良い夢を見られると良いな……」
少女の寝顔にそんな言葉を投げ掛けながら、龍蔵も静かに目を閉じる。
よく笑い、よく怒り、それでいて寂しがりな少女。
まるで妹でも出来たような心地だ。
そして、邪気など微塵も感じないこの妖刀の付喪神を、自分が護りきってみせよう。
仮にも龍蔵は『無敗の剣聖』と呼ばれた身。その全盛期である、若き肉体を取り戻したのだ。
天女との契約通り魔物を討ち滅ぼし、村正を護り、高虎との再戦を果たし勝利する──
やるべき事が増えるのは良い事だ。人生にハリが出る。
この世界での第二の生、後悔で幕を閉じたくはない。同じ過ちを繰り返さぬよう、全力を尽くべきなのだから。
そんな決意が、より一層深まる夜であった。
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