黄金の少年篇 壱の巻 出会い

其の壱 桜色の少女剣士

 意識が徐々に覚醒していく。

 頭の怠さを感じながら重いまぶたを開けると、そこは荒れ果てた土地。龍蔵はすぐに辺りを見回した。

 そこは、自然にそうなった地形ではなく、何者かの手で荒らされた集落のようだった。

 つい最近焼き払われたらしい木造の建物の残骸が、そこら中に転がっている。

 すすで真っ黒になった外壁もあり、それすらも無残に倒壊していた。


「生き残りは……居らぬのか……?」


 そう呟いた声に、龍蔵は大きな違和感を覚えた。

 ……否、おかしかったのはそれだけではない。

 皺だらけだった両の手は若々しさを取り戻し、年齢に見合った低く響く声は、軽やかに喉から解き放たれている。

 思わず自らの顔を触ると、やはりいくらか張りのある頬の滑らかさが、指先から伝わった。

 あの宮殿の女主人との出会いは夢などではなく、彼女によってこの身が若返ったというのも、紛れも無い真実だったらしい。

 水場が見当たらない為、顔の確認までは出来ない。だが、己が身に付けていた羽織とはかまは、若かりし日に龍蔵が好んで着ていたものに間違いなかった。


 つまりは、あの天女との取り引きも現実のもの……。

 龍蔵の願い──『若返り』は果たされた。

 ならば自分はその見返りに、彼女の望む『魔物の殲滅』を実現せねばならないだろう。

 それを無視するつもりは無かった。彼女の目的達成の手段とはいえ、高虎との再戦の機会を与えてくれた相手だ。己は恩を仇で返すような男ではない。

 そうなればすぐにでも魔物を倒し、再戦に向けた修行を積まねばならないのだが……。


「……天女は得物えものまでは与えてくれなんだか」


 異なる世界での若返りを果たした龍蔵は、驚くべき事に丸腰であった。

 常に共に戦場を駆け、己の最期を見届けた愛刀の姿はどこにも無い。

 確かに『自力で高みを目指したい』とは言ったものの、まさか素手から始まる事になるとは予想外であった。

 龍蔵はすっかり皺の取れたつるりとした顔を、苦悩に歪めた。

 ……だが、それでもやるしかあるまい。

 それが龍蔵の選んだ道なのだから。



 ひとまず、ここがどこなのかを調べなければ始まらない。武器を調達するにしろ、民家を探すにしろ、探索は不可欠だ。

 愛刀を失った悲しみは大きいが、それを上回るのが高虎への感情だった。

 己の剣が及ばなかった悔しさも虚しさも、あの時の事を思い返すだけで今にも胸が押し潰されてしまいそうになる。

 いつになるやも分からない再戦の日こそは、一片の悔いも残らぬよう万全の状態で臨みたかった。

 その為にはやはり、強敵との闘いや新たな経験が必要となるであろう。

 ならば、こんな所でぐずぐずしている訳にはいかない。龍蔵はすぐに集落の探索を開始した。




 ────────────




「……これだけの被害が出たというのに、一人の亡骸も見掛けぬというのは妙にござるな」


 あらかた見て回ったところで、龍蔵はこの焼けた集落への疑問を抱き始めていた。

 草木も焼き焦げた激しい炎に包まれたであろう家々からは、焼け残った家財道具はあれど……生存者も、遺体すらも一切見付からなかったのである。

 骨の一本すらも出て来ないというのは、流石に不審だ。


「全員逃げ延びたか……あの魔物というあやかしに、骨まで喰われたか……」


 どこかへ避難したというのなら一安心だが、後者の予想が当たっていれば大問題だ。

 人を喰らう魔物が跋扈ばっこしているならば、龍蔵にも危険が及ぶ。

 何せ丸腰なのだ。流石に、素手での勝負で魔物に勝てるかどうかは分からない。

 手頃な武器でもあれば助かるのだが、焼け跡からは武器になりそうなものは見付けられなかった。

 どうしたものかと頭を悩ませていると、何者かの足音が聞こえた。

 そちらへ顔を向けると、見覚えのある娘が駆け寄って来る。


「貴方、この村の生き残り? それとも、貴方もここへ駆け付けた冒険者? それとも勇者候補かしら?」


 桜色の美しい髪を束ねたその少女は、あの天女が見せた球に映し出されていた娘と瓜二つだった。

 しかし、実際にこの目で見た少女はあまりにも儚げで、本当にこの娘の細腕で妖と戦えるものなのかと疑ってしまう。

 何故なら、彼女は細く白い手脚を曝け出すような無防備な装いで、青々とした若葉のような色合いの瞳を持つ美しい少女であったからだ。

 まるで桜そのもののように穏やかで、華のある彼女の問いに、龍蔵は少し反応が遅れながらも口を開いた。


「拙者は……偶然この地に足を踏み入れた流れ者だ。勇者とは、武芸に秀でた者を指す言葉にござるか?」


 すると彼女は少し目を大きく見開いた後、こう返した。


「貴方、随分個性的な喋り方をするのね。着ているものも特徴的だし、勇者の事まで知らないなんて……。どこの田舎から出て来たのかしら。とにかく、この辺りは今物騒だから、早くここを離れて安全な町まで移動した方が良いわ」

「そうしたいのは山々なのだが、生憎あいにく得物も金の持ち合わせも無い。更に言えば土地勘も無くてな。そなたの迷惑でなければ、何か拙者に良い手立てを考えてはくれぬだろうか?」

「そ、そんな状況で、何で外を出歩いてるの……!? ちょっと待って。今良い案を考えてあげるから……!」


 そう答えれば、桜色の少女はあごに手をあてながらううんと唸り始めた。

 しばらくすると少女は何かを思い付いたらしく、龍蔵の顔を見上げて言う。


「……とりあえず貴方、私に着いて来て。このままここに放置するのは気が引けるもの。もしかしたら男手が必要になるかもしれないから、ちょっとだけ私の仕事を手伝ってもらうわ」

「手伝いか? うむ、引き受けよう」


 男手が必要という事は、何らかの力仕事を任されるのだろう。

 今の龍蔵は若返りを果たし、気力体力共にみなぎる健康体だ。その程度の事であれば、いくらでも手を貸せる。


「ありがとう。これが済んだら町まで案内してあげる。少しの付き合いだと思うけど、これから宜しくね」


 言いながら差し出された、少女の右手。

 龍蔵の視線は、彼女の手と顔を何度も往復した。


「……まさかとは思うけど、握手を知らないって訳じゃないでしょうね?」


 不審な者を見る目付きでそう言った彼女。


 (握手──つまり、少女の手を己の手で握り返せば良い、という事なのだろうか?)


 一方的に顔を知っているだけの娘に触れて良いものなのか、しばし苦悶する。

 しかし、この少女らが暮らす世では、これが礼儀作法なのかもしれない。ならば、この手を握らねば礼を欠いてしまうだろう。

 龍蔵は覚悟を決め、は少女の白く小さな手をおそるおそる握る。

 すると、彼女は少し安心したような表情を浮かべた。


「良かった……。流石にそこまで世間知らずじゃなかったのね。私はサクラ・ヴェーチル。年齢も近いみたいだし、サクラって呼び捨てにしてくれて構わないわ」

「拙者の名は氷室龍蔵と言う。そなたの好きなように呼ぶと良い。宜しく頼むぞ、サクラ」

「ええ、こちらこそ宜しくね。ヒムロ」


 どうやらこれで正しかったようだ。

 互いに名乗り合ったところで手は解かれたが、どうにも先程から精神が乱れている。

 滅多に女と触れ合う機会が無い生涯を送っていたせいだろうか。どうやら龍蔵は、サクラの柔らかな手の感触が忘れられないらしい。


(拙者は身体だけでなく、心までもが若返ったとでも言うのか……?)


 そんな疑問を晴らす方法など浮かばず、龍蔵は気を紛らわせるように両の頬を強く叩くのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る