完全無欠ザムライ拙者 〜妖刀少女と歩む異世界激闘録〜

由岐

異界の女神

 ただの一度も敗れた事の無い『無敗の剣聖』と呼ばれる男。

 その名は氷室ひむろ龍蔵りゅうぞう


 彼はとある国を治める主君に仕えていたのだが、今はもう隠居した老剣士である。

 山奥にひっそりと佇む村に移り住み、残る人生は戦いから身を引き、穏やかに過ごそうと何気ない日々を生きていたある日の事。

 龍蔵のもとに、異国の血を思わせる白髪の若者が訪ねて来た。


「お前があの『無敗の剣聖』──氷室龍蔵で間違い無いか?」


 若竹のような瑞々みずみずしい緑の瞳が、茶屋の店先で熱い茶を味わっていた龍蔵を鋭く睨んだ。

 こうして龍蔵を訪ねて来る者は少なくない。

 年老いたとはいえ、剣聖とまで呼ばれた男と手合わせをしたいと願う剣士は多い。

 そんな男達の相手をこれまで両手では数え切れない程にしてきた龍蔵は、特に焦る様子も無く冷静に言葉を返す。


如何いかにも。拙者せっしゃが氷室龍蔵にござる」

「俺の名は雲春くもはる高虎たかとら。剣聖よ──俺はお前に、命を賭けた真剣勝負を申し込む」


 春の柔らかな風が、二人の剣士の髪を揺らす。

 龍蔵は飲み頃になった茶を一気に喉へと流し込み、深いしわの刻まれたその顔を、期待の笑みで歪ませた。


「……拙者の異名を知る若人わこうどよ。そなた、命が惜しくはないのか?」

「無敗の剣聖……この俺がその異名ごと、お前を斬り伏せてやるさ」

「ははは、その意気や良し!」


 茶屋の娘に勘定を済ませると、龍蔵は高虎に振り返る。


「雲春と言ったな。その勝負、逃げも隠れもする事は許さぬぞ」


 その言葉に、高虎は鼻で笑った。


「元からそのつもりだ。無敗の剣技、魅せてもらおう」





 人気の無い河原は、夕焼けの色に染まっている。

 既に闘いの火蓋は切られ、文字通りの命賭けの勝負に決着がついていた。


「この程度か……」


 勝者は眉間に皺を寄せ、不愉快そうに呟いた。


(これは……どういう事だ……?)


 どこか遠くで、烏の鳴く声がする。

 男の視界は己の血の色で染まり、経験した事の無い熱が腹の奥から溢れ出していく。


「無敗の剣聖……。期待していた相手だったが、とんだ無駄足だったな」


 地に伏したのは、無敗の龍蔵。

 それを見下ろすは若き剣士、高虎。

 霞む景色の中で、龍蔵は残る力を振り絞り、愛刀に手を伸ばす。


「お前の剣はとっくの昔に錆び付いていた。こんな老いぼれに、刀を振るう資格などあるものか……!」

「…………っ!?」


 が、一足先に高虎が龍蔵の刀を拾い上げる。

 そして龍蔵の手の甲に、勢い良く刀を突き刺した。


「ぐおおっ……!!」

「俺はお前と同じく無敗を誇る剣士として、この闘いを夢見て研鑽を積んできた! しかしこれはどういう有様だ!? 国を越えて轟く『無敗の剣聖』など、もうこの世には居なかった!!」


 高虎は刀を握る手に力を込め、手首を捻り龍蔵の手をいたぶった。


「拙者はもう……とんだなまくら、だったのか……」

「そうだ……その通りだ……! お前なんぞに剣聖の名は相応しくない!!」


 高虎の慟哭どうこくが、龍蔵の心にまでその刃を届かせる。

 己の剣に勝る者など居ないと思っていた。

 故に龍蔵は、この真剣勝負を受けた時点でこの青年の人生はここで終わるものだと、そう信じて疑わなかった。

 しかしどうだ。結果は真逆。

 高虎の剣に圧倒され、これまで一度も負った事の無い敗北感を突き付けられている。


(ああ……これは驕りだったのか……。もう剣の高みに到達したものだと慢心していた、拙者の負けだ)


 高虎が何かを訴えているのは分かるが、この頃にはもう龍蔵の意識は薄れていた。

 龍蔵の胸にあるのは己の慢心が招いた敗北感と、高虎の望む闘いに応えてやれなかった後悔だ。


(もしもやり直せるものならば……この男ともう一度、剣を交えたいものだ……。全てを一からやり直し、決して驕らず、今よりも遥か高みを目指し……あの白き剣士と闘いたい)


 若き剣士──雲春高虎。

 彼との再戦を強く願いながら、氷室龍蔵はその生涯を終えたのだった。





 優しく蕩けるような、春の木漏れ日のような女の声がする。


「さあ、次は貴方の番ですよ。意識はありますか、氷室龍蔵さん?」

「んん……?」


 その声に導かれるままに龍蔵は──否、はその目蓋を開いた。

 目の前には墨のように美しい黒髪の女性がゆったりとした大きな椅子に腰を掛け、こちらを見下ろしている。


「ここは……」


 どこか籠ったような己の声がする。

 龍蔵はふと自身の両手を眺めたが、何やら様子がおかしい。

 本来あるはずの手はおぼろげで、輪郭がはっきりとしない。それは手だけに留まらず、腕や脚、胴体までもがぼやけて映っていたのだ。

 自分の身に起きた異変に気付いた龍蔵を見て、女は困ったように眉を下げて曖昧な笑みを浮かべる。


「貴方にも分かりやすいように説明すると、ここは死者の魂の行く先を決める場所です。わたしは貴方がその生涯を終えた瞬間を見ていました」

「拙者は……そうか……」

「ええ。龍蔵さん、貴方は雲春高虎との勝負に敗れ……命を落としました」


 彼女の言葉で、龍蔵の脳裏にあの男との闘いが鮮明に蘇った。

 高虎の剣に完膚なきまでに叩きのめされ、彼の慟哭と共に意識を手放し──そして死んだ。

 どうしてこの瞬間まで、あれだけの出来事を忘れていたのか。

 龍蔵の胸には、どうしようもない後悔と、自身への怒りが満ち溢れていた。


「残念でしたね。貴方の最期は、無敗の剣聖の名に相応しくありませんでした。彼も、さぞやがっかりした事でしょうね」

「……天女よ、言いたい事はそれだけでござるか」

「あら、天女だなんて呼ばれるのは久し振りですわ。ですが……貴方自身も、悔しくてたまらないのでしょう? 見れば分かりますもの」


 二人を囲む空間は、龍蔵にとっては全く見覚えの無い、真っ白な床と壁に囲まれた西洋風の宮殿で──とにかく異質な場所だった。

 時間の概念があやふやなのか、窓から覗く景色は朝から夜へと目まぐるしく移り変わっていく。

 高虎との勝負の場に居なかったはずの彼女がそれを知っており、そんな女が住むこのおかしな宮殿からして、これは現実に起きている事だとは信じ難い。

 けれど、疑うばかりではこの状況は変わらない。ひとまず得られるだけの情報は探ってみようと、龍蔵は早速行動に出た。


「ここは……死者の魂の行く先を決める場である、と言っていたな」

「ええ、そうです。貴方がこの先、これまでの人生で得た記憶を何もかも消去し、姿も全く違う別人に生まれ変わるのかどうかを決めるのです」

「天女がわざわざ拙者を招いたのであれば、何かしらの理由があるのでござろう。違うか?」


 龍蔵の問いに、女は穏やかな笑みを見せる。


「ええ、その通り。まっさらな人間として転生するか──もしくはもう一つの道を選ぶのか、貴方に決めて頂くのです」


 彼女は右手をかざし、その先に大きな球体を出現させる。

 そこには、どこかの草原と青空が映っていて、異形の怪物と戦う少女の姿があった。

 少女は細身の剣を巧みに操り、時には掌から火球を飛ばしながら怪物に攻撃を続けている。


「わたしは今、とても困っているのです。この人間の少女が斬り伏せようとしている怪物──魔物がはびこるとある世界は、人々と魔物の争いが絶えません。貴方のような力のある死者に対し、この世界で魔物を殲滅するよう、協力を求めているのです」


 球体に映る少女は、桜色の髪を揺らしながら、無事に一体の魔物を仕留めた。

 しかし、息つく暇も無く、また新たな魔物が背後から少女に飛び掛かろうとしている。


「龍蔵さん……貴方が暮らしていた世界では、彼女のような若い娘が、このような怪物と戦う事などあり得ない話でしょう? ですが、彼女が生きる世界は違う。これが、この世界での常識なのです」


 けれども少女は油断せず、振り向きざまに剣を振るった。

 彼女のその瞳は、一人の剣士としての覚悟を秘めたものであると、龍蔵はすぐに悟っていた。


(うら若き少女ですら、剣を取らねばならぬ世界……。そのような世界が、あの世の先にはあったというのか)


「わたしは……わたし達はそんな世界を変えるべく、貴方のような人がここへ来るのを待っていました」

「……そなたの望みを叶える事が、もう一つの道であると?」

「魔物の殲滅……。それを実行すると約束して下さるのであれば、わたしも貴方の望みを一つ叶えて差し上げますわ。どんな願いでも構いません。最強の武器でも、最強の肉体でも、あらゆる願いを叶えましょう」


 高虎に敗れた己に、そこまでの願いを叶えさせる権利などあるのだろうか。

 しかし、あの桜色の少女は今も剣を手に魔物と戦っている。

 この女の望みを叶える事は、あの少女のような人々を救う事にも繋がるはずだ。

 そして、それと引き換えに手にする願いは──


「さあ、貴方の魂は何を望みますか? ゼロからの出発? それとも……わたしの望みを聞き届け、全てを引き継ぎ、悔いの残る人生を引きずってでも生まれ変わりますか?」


 決まっている。

 龍蔵の人生における最大の後悔は、己の全力を出せずに終わった高虎との勝負だった。

 高虎に会うまでは、無敗を誇っていた。それは永遠に変わらぬ事だと信じ切っていた。

 この女がどんな願いでも叶えられるというのなら、求めるものはただ一つ。

 龍蔵は真っ直ぐに女を見詰め、意を決して口を開く。


「そなたの願い、聞き届けた」

「……貴方の望みは?」

「拙者の望みはただ一つ……。高虎との再戦にござる。あの鋭くも力強い剣技は、若き日の拙者をも超えるものであった。であるならば、拙者は『若返り』を望もう」

「若返り……? それだけの事で満足なのですか?」


 女は予想もしていなかった答えに、目を見開いた。

 だが、それこそが龍蔵の求める高虎との再戦に必要不可欠なものだったのだ。


「うむ。天女の力であれば、拙者を最強の剣士にする事も容易であろう。しかしな天女よ、それでは己が剣を振るう意味が無くなってしまうのだ」


 龍蔵は思う。

 まだ幼かった頃、拾った木の枝でチャンバラごっこをして遊び回った日々。

 主君に仕え、己の理想を追求して刀を振るった若き日々。

 そしてあの日、目の前に現れた若き虎──雲春高虎。

 あの男のような貪欲さを、いつしか龍蔵は失ってしまっていたのだ。


「……田舎暮らしも悪くは無かった。けれども拙者は、主君に仕える侍であったあの頃が一番心が踊っていた。己の力を磨き上げていったあの日々が、拙者にとっては何より輝いていた瞬間だったのでござるよ」

「そういうものなのですか……。珍しい人ですね、龍蔵さんは。ここに来る人間は、大抵そんな努力なんてせず、簡単に最強チートを欲しがるものですのに」

「その者達にはその生き方が合っていた、というだけの話にござろう。さあ天女よ、拙者の願いは叶えられるのでござるか?」


 不思議そうに首を傾げた彼女は、球体を消し、椅子からゆっくりと腰を上げた。

 そして、ぼやけた姿の龍蔵の目の前まで歩きながら、言葉を発する。


「良いでしょう。その願い、このわたしが叶えて差し上げます。貴方の人生で、最も輝きを放っていた瞬間……その頃の肉体に、時計の針を巻き戻してあげましょう」


 女の手が、龍蔵の頬に触れる。

 すると、その箇所から暖かな熱が龍蔵の身体を包んでいくではないか。


「これから貴方は、あの世界へと旅立ちます。高虎さんとの再戦に向けて、魔物共を倒しながら修練を積んでいくと良いでしょう」


 みるみるうちに、龍蔵は実体を取り戻していく。

 皺だらけだった手は瑞々しい肌に変わり、身体は羽根のように軽くなっていた。

 頬から手を離した彼女はふわりと笑い、こう言った。


「貴方、若い頃は随分とハンサムだったのですね」

「はん……さむ……?」

「あら、ジェネレーションギャップというやつですね。もう何百年か先を生きる人間なら、通じる言葉なのですけれど……。まあ、そのうち意味も分かるようになるでしょう」


 彼女は聞き慣れない言葉に悩む龍蔵に構わず、肩に流れる髪を一房耳にかけた。


「とにかく、これで交渉成立です。これはわたしからの個人的なお礼ですので、遠慮せず受け取って下さいませ」


 彼女は龍蔵の肩に手を置いたかと思うと、そのまま少し背伸びをして、ちゅっとリップ音を立てて彼の頬に唇を寄せる。


「……そなた、正気か?」

「あら、頬じゃご不満だったかしら? でもごめんなさいね。わたしの唇は、大事な相手が出来た時の為に取ってあるものですから」


 困惑する龍蔵を気にする素振りも無い彼女は、満足そうに微笑んでいた。


「……そろそろ時間ですね。今回はわたしが見付けたから良かったですが、次に命を落としたらどうなるか分かりません。今度は簡単に死んでしまわないよう、気を付けて生きて下さいね」

「無論、そのつもりではあるが……」


(今の行為に、何の意味があったのだろうか……)


「それでは行ってらっしゃいませ、龍蔵さん。此度こたびの人生こそは、悔いの無いものとなりますように」


 すると、彼女が別れの挨拶を切り出した途端、龍蔵の意識は薄れ始めた。


(これが出立の合図という事か……?)


 ぐらぐらと歪む景色の中に、白の宮殿に佇む黒髪の女の姿が滲んでいく。

 龍蔵の意識は、そこでぷつりと途切れた。





 残された女は、つい先程までそこに立っていた男の事を考えていた。

 後悔と怒りによって歪みきった老剣士の姿は、彼女が与えたやり直しの機会によって希望を見出し、麗しい青年剣士へと変貌を遂げた。


「……彼ならば、期待しても良いかもしれません」


 漏らした言葉は誰に聞かれるでもなく、一人きりの宮殿に溶けていく。

 彼女はまたお気に入りの椅子に座り直し、大きく息を吸って吐き出した。


「龍蔵さん……。高虎さんとの再戦、遠くない未来に叶うかもしれませんね。それまでどうか、心折れずにいてほしいものですわ」


 宮殿の女主人は目の前に小さな球体を浮かべると、そこに視線を落とす。

 そこには、不機嫌そうに歩いている高虎の姿があった。


 その宮殿は──死者の選定の場。


 女主人はあらゆる世界、あらゆる時代を生きた者を拾い上げ、目的を果たす道具として様々な世界へと送り出していく。

 彼女はまた次の道具を探すべく、その力を振るうのだ。

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