二十三話「電脳遊戯」
「これが彼女のSNSですか」
香苗の敷いた来客用の布団に転がりながら、こはるは自らのスマートフォンを覗き込んでいた。無論、こはるのスマートフォンには、先刻香苗からめのうのアカウントが送信されている。
「何か目新しい情報はありそう?」
「どうでしょうね」
香苗の質問にこはるは素っ気無く返す。
興味が無いわけではなく、本当に分からないだろう。めのうのSNSに何らかの手がかりが残されているかどうかを。小さく嘆息してから、香苗はもう一度別の質問を投げ掛けてみる。
「こはるさんはめのうさんがSNSをやってた事を知ってたのか?」
「話題にした事はありませんけれど、しているのではないかと思っていました。彼女は多少内向的な性質がありましたし、クラスメイトと会話するよりも、自宅でパソコンに向かっている方が楽しそうな子でしたから」
「じゃあ、こはるさんはSNSでめのうさんと繋がっては無かったって事か」
「ええ、SNSって幼馴染みでもそういうものなんですよ。電脳世界と現実世界は似て非なるものですから。現実を電脳に持ち込みたくない人は大勢居ます。寧ろそちらの方が一般論ではないでしょうか。その様子だと香苗さんはSNSに余り詳しくはないようですね」
「まあね、積極的に利用してるわけじゃないよ。情報収集に使ってるくらいさ。後は顔馴染みの何人かと繋がってるって感じかな。やる事が沢山あるからネットに繋がりっ放しってわけにはいかなくてさ」
「香苗さんらしいですね」
言い様、こはるが寝返りを打った。
横たわるのに邪魔であろうと思われていたこはるの翼は、肩甲骨の辺りに器用に拳大程度に折り畳まれている。
天使の翼が伸縮自在である事は香苗も知っていた。だが、天使は翼を伸縮させた姿を誰かに見せる事を嫌っている傾向がある。滅多に見られるわけではない光景に香苗は何処か新鮮な感覚を味わっていた。
同時に少しだけ喜ばしくもあった。
基本的に嫌っている姿を見せてくれる。それは即ち、香苗がその程度にはこはるに信頼されているという事と同義だ。うさぎの案件を解決した事で、多少は信頼できる人間だと判断されたのだろう。
まさか香苗の自宅に泊まり込みに来るまでとは思っていなかったが。
「なあ、もう一度訊くけど、こはるさん」
「どうしました?」
「本当に依頼が一段落するまで、あたしの家に泊まり込むつもりなのか?」
「ええ、そのつもりですが、何か」
「いいのか? 何日も自宅を空けちゃって?」
「問題ありません。私は一人暮らしですし、家族とは密に連絡を取り合っておりますから。勿論、宿泊させて頂ける手間賃や食費は負担致しますし、食事も私が用意させて頂きますわ。御迷惑でしょうか?」
「いや、迷惑ってわけじゃないんだけどさ……」
寧ろ大歓迎ではある。
古いが部屋数だけは多い自宅なのだ。有償で貸し出せるものであれば、香苗の方から願いたいくらいだ。食費を負担してくれるというのもありがたい。先刻、今晩お世話になるお礼の前払いに、とこはるが調理してくれた夕食も美味しかった。少なくとも香苗の調理した料理の数倍は満足感に浸れた。
しかし、釈然とはしなかった。何しろこはるが香苗の家に泊まり込む必要性が一切感じられないのだ。
「うさぎさんも香苗さんのお宅に泊まり込みでお世話になったと耳にしておりますが?」
「まあ、それはそうなんだけどさ」
うさぎは香苗の家に泊まり込んだ。しかし、それはうさぎをストーカーから保護するためであり、保護の必要性が感じられないこはるを泊まり込ませる理由にはならない。
めのうの情報を一刻も早く知りたいのかもしれないが、それも一昔前ならいざ知らず携帯電話の普及した現代なのだ。メール一通送れば済むだけの話だろう。そういった疑問を角の立たないように伝えると、こはるは縦ロールを指先で弄りながら微笑んだ。
「行間が知りたいんです」
「行間?」
「そうです、行間ですわ。香苗さんの仰る通り、調査の進捗はメール一通で知る事ができるでしょう。けれど行間を窺い知る事ができませんわ。香苗さんがどの様にしてその答えに至ったのか、それまでの行間が。香苗さんの考えが。私は、それを、それこそを知りたいのです」
「私の考えの流れが、そんなに知りたいのか?」
「ええ、それが知りたいのです。極論を言えば、私はめのうさんの死の理由を知りたいわけではないのです。香苗さんがめのうさんの死について、どんな答えを導き出してくれるのか、それを知りたいのですわ」
それは買い被られたものだ、と香苗は思う。
香苗は一介の何でも屋に過ぎない。何処かの探偵学校で操作のいろはを学んだわけでもない。そんな中卒の小娘程度が出した答えに、どれだけの価値があるというのだろうか。いや、寧ろそんな小娘だからこそ出せる答えにこはるは期待しているのだろうか。
しかし何はともあれ、悪い気はしなかった。誰かに期待される事など久しくなかった事なのだ。やれる限りやってみせる事にするとしよう。
こはるに気付かれないよう軽く気合を入れてから、香苗は自らのスマートフォンに視線を落として呟いた。
「話は戻るけどさ、こはるさんもSNSを使ってるんだよな?」
「ええ、勿論。私だって中学生ですから。今時の中学生でSNSを利用していない人間は極少数ですわ」
「まあね。私が中学生だった頃もほとんどのクラスメイトが使ってたし。それでこはるさんはSNSを何に使ってるんだ? 友達との会話とか、情報収集とか、色々あるだろ?」
「主に会話ですね。互いの現状を知るのに便利ですものね、これも中学生の使い方としては多数派ではないでしょうか」
「となると、めのうさんも?」
「恐らくは。SNSの交遊関係の広さまでは知りませんが、帰り道で何度かあの子がスマートフォンを操作しているのを見掛けた事がありますわ」
スマートフォンと天使か。と香苗は胸の中で独りごちる。
近年、あらゆるものが電子化されている。あらゆる情報が電脳世界を飛び交っている。
天使が動画サイトに説法をアップもするし、悪魔が有名ブロガーになったりもする。天使も悪魔も人間も、電子的に画一化されていく。天使も悪魔も人間も、きっと本質的に近しい存在なのだろう。
それでも、と香苗は思う。
似ているようでも違う。似て非なるのだ、三者は。絶望的なほどに、喜ばしいほどに。
うさぎの案件が終わって以来、香苗はそう考えている。そう考えざるを得なくなったと言った方が正しいかもしれないが。
「あっ」
スマートフォンを操作していたこはるが小さく声を上げた。
何があったのかと近寄ってみると、こはるはスマートフォンの画面を香苗に向けた。
「ありましたわ」
あった、確かに。
匿名の方、しかもやり取りしている相手が少ないアカウントに、不自然に残った誰かとの会話。
めのうの発言は残されている。だが既に消去されてしまったのだろう。めのうの発言と対となるはずの誰かの発言は残されていなかった。けれどめのうがSNSで誰かと密に連絡を取り合っていたのは確かなようだった。それがめのうの膣内に精液を残した相手か確定できるわけではない。それでも捜査が一歩進展した事は間違いない。
しかし、何よりも目を引いたのは、めのうの発言の中によく見られる言葉だった。
少なくとも香苗の目には馴染みの無い言葉。
「『阿呆船』……?」
呟きながら、即座にインターネットで検索を掛けてみる。
『阿呆船』、十五世紀のドイツ作家に記された諷刺文学、あらゆる阿呆が阿呆の国に向かう船で出航する物語とあった。
めのうがこの言葉にどんな想いを込めていたのかは勿論分からない。
しかし、この言葉が香苗の胸に気持ち良い感情を残さない事、めのうも好んで使っていたわけではない事だけは間違いなかった。
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