二十二話「Angel 恋をした」

「それで、また僕の所に来たわけなんだ?」

 諦めの入った表情で慧遠が呟く。

 ちゃっかりと付いて来た悠も若干呆れた表情を浮かべている。

 当事者本人である香苗も、定型化された自身の行動に呆れも、諦めもしていた。

 蒼鬼と話していて実感した様に、香苗自身には情報を集める事はできない。誰かが集めてくれた情報を組み立てて推測してみる事しかできない。まったく、誰にでもできる簡単なお仕事だ。それでも、香苗にできる仕事は、これしかない。

「まあ、そう言うなよ。慧遠のお気に入りのドーナツ、奢ってやるからさ」

「三個だよ?」

「二個半で頼む」

「ちゃっかりしてるね。はいはい、了解だよ」

 苦笑がちに慧遠が前髪を掻き上げる。

 悔しいけど美少年は何をしても様になるな、と思いつつも、香苗はそれを口には出さず慧遠の肩を軽く叩いた。

「いつも悪いね」

「いいよ、小さな頃は何度も助けてもらったしね。それより天使さんの自殺の事だっけ?」

「ああ、そうだ。慧遠は憶えてるか、あの自殺?」

「うん、ネットでちょっとだけ騒いでたから憶えてるよ。天使が自殺するのってそれだけ珍しい事らしいんだよね。年に一件あるか無いか、それくらいって書いてあった気がする」

「人間はその何万倍も自殺してるからな」

 皮肉っぽく悠。

 しかし、その横顔には皮肉の笑みは貼り付いておらず、それよりも何処となく苦々しげな感情を感じさせた。恐らくは自殺に関して思うところがあるのだろうが、今はそれに触れている時間は無かった。そんな余裕は、香苗には無いのだ。

 香苗は悠の言葉を軽く聞き流し、慧遠の話の続きを促した。

「憶えてるなら話が早い。それで聞くけど、慧遠はあの自殺についてどう思った?」

「一般的中学生の認識でよければ答えるけど」

「頼むよ、一般的中学生」

「自殺云々より先に、天使さんも死ぬんだな、って思ったよ」

 真っ当な認識だった。

 天使が死亡する案件など、ニュースなどではほとんど報道されない。

 本当に死んでいないのか、それとも報道が情報規制されているのか、そのどちらなのか香苗は知らない。少なくとも香苗の知っている天使の中に故人は居ない。それだけに天使と死は無縁なのだと認識しがちなのだ、広島の人間にとっては。

 だが、天使は死ぬ。人間と同じに。自殺だってする。人間と同じに。

 そして、香苗はそれを調べている。

「あたしもそれは思ったよ、慧遠。天使が死ぬなんて、それも自殺なんて珍しいにも程があるもんな」

「実際、ネットでも同じ意見をちらほら見かけたよ。天使は不死の存在って漫画も多いからね、余計にそう思う人も多かったのかもしれないね」

「漫画脳ってやつだな、あたし達に言えた話じゃないけどさ」

「流石に死んだ人間が生き返るとまでは思ってないけどね」

「さあ、それはどうだろうな。天使も悪魔も存在してる県なんだ。知らない所で死者蘇生くらいやってるかもしれないぞ」

「うわ、漫画脳ここに極まれりだね」

「冗談だよ。それで聞きたいんだけどさ、慧遠」

「うん?」

「さっきも言ったけど、その自殺しためのう・さとうきび。彼女の周りに男の影は無かったか分からないか?」

「分かるよ」

 あっさりとした返答だったが、これこそ慧遠の得意分野なのだった。

 蒼鬼は犯罪に関する情報網に優れているが、慧遠は男女関係に関する情報網にこそ優れている。故にこそ、香苗は慧遠を訪ねたのだ。

「中学生、しかも天使の女の子の周りに男の影があったら目立ってしょうがないからね。もしもそのめのう・さとうきびって天使さんが自殺しなくても、男の情報は僕の所に入って来てただろうね」

「流石は慧遠。恋愛の機微に誰よりも詳しいストーカーだ」

「誉めないでよ、香苗ちゃん」

「照れるな照れるな。それでどうなんだ? めのうさんの周りに男の影はあったか?」

「ちょっと待って、確認してみるから」

 言い様、慧遠は学生鞄の中からスマートフォンを取り出した。

 放課後の夕暮れ、中学校の校門付近で年上の女性に囲まれている慧遠の姿は目立つかもしれなかったが、まあ、今更だった。

 やましい事は別に何もしていないし、慧遠を訪ねる年上の女性――つまり香苗――の姿はある意味、名物になっていると聞いた事がある。週に一回は慧遠を訪ねているのだ。香苗の事が話題にならないはずがない。中学生とはそれくらい他人の男女関係に興味津々な年頃なのだから。

 一分ほど待っただろうか。

 スマートフォンに入力されている情報を粗方確認し終わった慧遠が軽く首を振った。

「うん、やっぱりだ。そのめのうさんの周りに男の影があったって情報は僕の所には入ってないよ」

「慧遠がそう言うんならそうなんだろうな」

「納得が早いな、カナ!」

 突っ込んだのは悠だ。縦ロールを指先で弄りながらも、若干驚いている表情だった。悠と慧遠の付き合いはまだ短い。故に分かっていないのだ、サイレントストーカーである慧遠の情報の確実さを。

「性格こそ性悪ではあるけど慧遠の情報は絶対なんだよ、ハル。慧遠が無かったって言うんなら、めのうさんの周囲に男の影は無かったんだ」

「疑ってるわけじゃないが、何か釈然としないな……」

「だったら軽く証明しましょうか、悠さん?」

 悠に疑われた事が気に障ったのかもしれない。

 慧遠が一般的な女子高生よりも遥かに俊敏な手捌きでスマートフォンを操作すると、表示された画面を悠に見せた。

「んなあっ!」

 悠が素っ頓狂な叫び声を上げてスマートフォンの画面を覗き込んだ。

 直後、隣に立っている香苗に画面を見せないよう手のひらで覆ったが、見なくても香苗にはその内容が分かっていた。

 知っていたからではない。慧遠との長い付き合い故に推測できるという事だ。

「ど、何処でこんな事を知ったのよぉ……」

 外見通りの弱々しい口調で慧遠に訊ねる悠。目尻に涙を浮かべている事から推察するに、余程誰にも知られたくない情報が記されていたのだろう。

 スマートフォンを鞄の中に片付けながら、平然とした表情で慧遠が応じる。

「そりゃ知ってますよ、秋山悠さん。名門校に通うお嬢様。学校ではお嬢様らしく清楚に振る舞ってますよね? それだけに目立つんですよ、悠さんみたいな人がこういう事をしていると。大なり小なり情報は簡単に入ってくるんです。何なら悠さんが今日身に着けてる下着の色まで当てて差し上げましょうか?」

「や……、やめて! ごめんなさい! 私が間違ってました! 慧遠さんの情報は絶対です!」

 立場逆転。

 強がっていても、やはり悠は結局名門校に通うお嬢様に過ぎないのだった。

 苦笑しつつ、香苗は慧遠を諌めてやる。

「まあまあ、それくらいにしてやりなよ、慧遠。ハルだって悪気があったわけじゃないんだからさ」

「分かってるって、ちょっとからかってみただけ。ごめんね、悠さん」

 柔和な笑顔を見せる慧遠だったが、悠はまだ目尻に涙を浮かべていた。

 トラウマにしてしまったかもしれない。

 慧遠もそれは理解しているようで、苦笑しながらわざとらしく肩を竦めてみせた。

「まあ、僕の情報網も完全に完璧ってわけじゃないんですけどね。今見せたのは悠さんが有名人だから自然と集まった情報ってだけなんです。もっと地味な、例えば香苗ちゃんや庚ちゃんとか相手だったら、こんなに情報は集まってませんよ。僕が集められる情報は、飽くまで有名人の弱点くらいなんです」

「地味で悪かったな」

「あはっ、言葉の綾だよ、香苗ちゃん」

 それは分かっていたが、自分が地味だという事も香苗は自覚していた。服装以外取り立てて目立つ点が無い中卒フリーター――フリーターと呼ぶべきか微妙なところだが――の女、それが香苗なのだ。今のところ、その点に関して絶望した事は無いが。

 肩を竦めながら、香苗は続ける。

「ともあれ、めのうさんの情報に間違いは無いって事だな、慧遠」

「多分ね」

「おいおい、自信が無いのか?」

「男の影が見当たらなかったってだけだからね。だけど、夜の闇の中では影なんて消えちゃうものでしょ?」

「上手い事を言ったつもりか?」

「厨二病って呼んでよ、香苗ちゃん。でも僕の言ってる事、間違ってないでしょ?」

 慧遠の言う通りだった。

 めのうの周囲に男の影は見当たらなかった。警察が調べた通り、蒼鬼が語っていた通りに。しかしめのうの膣には何者かの精液が残されていたのだ。天使とは言え、まさか処女受胎と言うわけでもあるまい。

 今は見えないだけで、確実に居たはずなのだ、めのうと性交した男が。その影を完全に消している男が。

「結局、確かな事は何も言えないって事なんだな」

 嘆息がちに香苗が呟くと、慧遠が頭を掻きながら頭を下げた。

「ごめんね、香苗ちゃん」

「いいさ、慧遠のせいじゃない。ここから先は私達がこの足で調べる情報ってだけさ」

「そうだ。役に立つかは分からないけど……」

 一瞬後、香苗のスマートフォンのバイブが振動した。

 確認してみると、慧遠からのメールだった。いつの間にか送信していたらしい。

「めのうさんのSNS、見つけたから添付しておいたよ。実名のと匿名のやつを二つずつで計四つ。大した情報は無かったと思うけど、よく見たら何か見つけられるかも」

 調べたのか、知っていたのか、ともかくこの短期間で恐ろしいほどの情報速度だ。

 香苗はこの末恐ろしい美少年と幼馴染みである事を感謝しつつ、お礼代わりに慧遠の頬にキスしてやった。もしもこの案件を解決できたら、ドーナツを五つくらいプレゼントしてやる事にしよう。

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