十九話「光の帰る場所」

「相変わらず暑苦しい服装してるよな。蒸れないのか、その手袋?」

「おまえに言えた事か、今時珍しくリボンまで装備してるくせに」

「装備って言うな、英国かぶれ」

 瀬戸内海に面する海岸線。

 日本の海岸線には全く似つかわしくない服装の二人が、歯に衣着せず言い争っていた。

 今時珍しくリボンを装備していると称されたのは香苗だった。確かに十六歳を過ぎてリボンを装備している人間の絶対数など、余程のこだわりを持つ人間を除いては極小に違いない。

 対して英国かぶれと呼ばれたのは悠だった。『ゆう』ではなく『はるか』と読む。香苗がこの仕事を始めた頃に知り合った高校生で、案件が解決した後も何故かこうして香苗に付き纏っている。服装は黒を基調としたゴシックロリータ。そのフリルの数は二十を下るまい。英国かぶれとは少し違うかもしれないが、香苗にとって長手袋を装着している人間は皆英国かぶれなのだった。

 そして、傍から見ると自分達がロリータファッションの仲間同士にしか見えない事を香苗は――恐らくは悠も――よく理解していた。だからこそ近親憎悪的に言い争ってしまっているのだ、お互いに本心からロリータファッションを好んではいない身として。

「ま、まあまあ、二人ともその辺にしようよ。服装なんて個人の自由なんだしさ」

 及び腰で仲裁に入ったのは蒼鬼だ。

 蒼鬼も蒼鬼で指抜きグローブを装着し、露出の多い黒ジャンパーを着こんでいたので、ある意味説得力のある言葉ではあった。

 あたし達、何かビジュアル系のバンドミーティングをやってるみたいだな……。

 自嘲気味に苦笑してから、香苗はポシェットの中から愛用のメモ帳を取り出した。今日はバンドの解散を語り合うために集まったわけではないのだ。

「そうだな。今日は蒼鬼のその似合ってもいない指抜きグローブに免じて、ハルのゴシックロリータを許してやるとするよ」

「うっさいぞ、カナ。そのリボンで絞殺してやろうか?」

「ふざけんな、あたしはともかくリボンに触れた途端に、そのフリルの数よりリストカットさせてやる」

「ああん?」

「何だよコラ」

 二人して鋭い眼光で睨み合う。

 まさしく一触即発。

 悠は今すぐにでもフリルの下からカッターナイフを取り出しそうだったし、香苗もポシェットの中に忍ばせているソーイングセットの待針を装備しかねない雰囲気だった。こうして広島という地に似つかわしい血で血を洗う仁義なき戦いが遂に勃発……はしなかった。

 香苗と悠は無表情のままに腕を上げると、気持ちのいい破裂音を発した。

 簡単に言い換えるとハイタッチを交わした。

 そうして先刻までのしかめ面は何処へ行ったのか、二人して晴れやかな笑顔を浮かべて肩を組むのだった。

「相変わらずだな、カナ。嬉しいよ、その慇懃無礼なその態度」

「そっちもだよ、ハル。いや、でもストレスが溜まってるのか? いつもよりちょっと口が悪かった気がするけどさ」

「まあな、こっちにも色々あんだよ、金持ちの娘としてはさ」

「羨ましい事だよ、まったく」

「そう言うなって」

 こはるに劣らない悠の巻き毛の感触を頬に感じながら香苗は笑う。偽りなく心から。

 香苗は悠に近親憎悪的な感情を有している。しかし、それはそれだけ似た者同士だという事だ。何でも屋の仕事を始めてから、誰かと本音で語り合えた事などそうはない。幼馴染みの庚相手にでさえ、心の奥底は隠し続けている。だからこそ嬉しいのだ。軽口とは言え本音で語り合える相手が居るという事は。

 それは悠にとっても同じなのだろう。だからこそ、今でもこうして何の見返りもなく香苗の仕事に顔を突っ込んで来ているのに違いなかった。

「話、始めていいかな?」

 蒼鬼がおずおずと香苗に訊ねる。香苗と悠がじゃれ合いに言い争っているのを目にするのはこれで三度目のはずだが、未だその一触即発の雰囲気には慣れていないらしい。慣れろという方が無理な話なのかもしれないが。

 香苗は名残惜しく悠と離れてから肩を竦める。

「ああ、待たせたな。それじゃあ調べてもらってた事を教えてもらえるか?」

「そうは言っても、昨日の今日だから目ぼしい情報はそんなに無いかもしれないけどさ」

「構わないぞ、こっちだってネット以上の情報を得られてるわけじゃない。それにおまえの人格はともかく、情報網は結構信頼してるぞ?」

「本当かい?」

「ああ」

 本当だった。香苗は蒼鬼の情報網を信頼している。今まで蒼鬼の情報には何度も助けられてきたし、その軽薄な態度を除いて香苗は蒼鬼の事を決して嫌ってはいない。比較的裕に近い距離に居る事が気に入らないだけだ。勿論、それを蒼鬼に伝える機会は一生無いだろうが。

 香苗に信頼していると言われた事に気分を良くしたのだろうか、蒼鬼は軽くとだけ唇の端を嬉しそうに歪めて続けた。

「んじゃ、香苗ちゃんに信頼されてる情報網の力を見せないとね。あ、それより前に訊いていいかい?」

「どうした?」

「庚ちゃんは? 今回の依頼には関わってないのかい?」

「別に庚と四六時中一緒に仕事してるわけじゃない。今回の依頼は結構プライベートな案件だからさ、あたしだけで調査したいんだよな。庚は別件の仕事を連と進めてるはずだ」

 まだ庚の前でどんな表情をしたらいいのか分からない、とは言わないでおく。庚に落ち度があるわけではない。庚の忠告に従わないで痛い目を見た自分自身が情けないだけだ。こんな状態で庚の目を見られるはずがない。少なくとも、今は。

 故にこそ、昨日こはるの依頼を受けた後に、悠が偶然連絡してくれた事はありがたかった。何も知らない悠の前でなら、とりあえずは慇懃無礼で強気な香苗として振る舞える。

「そうなんだ。まあ、それはこっちにも好都合なんだけどさ」

 意味深な言葉で返す蒼鬼。

 香苗が首を傾げると、蒼鬼は珍しく複雑な表情を浮かべた。

「今回の事件には、庚ちゃんはあんまり関わってほしくないんだよね」

「ああ……」

 蒼鬼はそれ以上言わなかったし、香苗もそれ以上は訊ねなかった。

 事態を何も知らないだろうに、悠の方も何も言わず大人しくしてくれていた。こういう場面で何かを察せるからこそ、金持ちの娘なんてものをやれているのだろう。

 庚にあまり関わってほしくない事態。まず間違いなく男女の性的な関係が関わってくるのだろう。男女の関係に傷を負っている庚相手に、関わらせるべき案件ではない。

 香苗が蒼鬼に庚の過去について語った事は一度も無い。庚本人が蒼鬼に語る事があるはずがない。つまり蒼鬼はその情報網から庚の過去を知ったのだろう。蒼鬼はそれをおくびにも出さず庚の身を案じているのだ。やはりそれなりに良い奴なのだろう、女性問題が関わらなければに限るとしても。

「続けるよ」

 蒼鬼がジーンズの中からスマートフォンを取り出す。香苗と違い、蒼鬼はスマートフォンに情報を入力している。それならメールで情報を送ってもらえばいいのだろうが、香苗は蒼鬼自身の口から生の情報を聞きたかったのだ。

「ああ、頼むよ、蒼鬼」

「めのう・さとうきびちゃん。年齢は十四歳。三ヶ月前の七月七日、彼女は自殺した。少なくとも、警察発表では自殺とされている。死因は飛び降り自殺を決行した事による脳挫傷。天使の子も脳を損傷したら死ぬって事だね」

「今更なんだけどな」

 悠が首を傾げながら話に入ってくる。

 余計な詮索とは思わない。香苗は悠の意見も聞きたくてここに連れて来たのだ。可能な限り様々な視点からめのうの自殺を捉えておきたい。

「天使ってのは人間と別の器官で生きてるんだろうな、って小学生くらいまで思ってたよ。例えば『核』だな。漫画とかにありがちな設定なんだが、脳とも心臓とも違った第三の器官を持ってて、その『核』を破壊されない限り死なないんじゃないかって思ってた。今思うと正しく小学生の発想なんだけどな」

 それは誰もが一度は考える事ではあるだろう。

 二十年前、何の前触れもなく広島に降臨した天使。外見こそ人間に酷似しているものの、それ以外のほとんどが人間と違い過ぎた。肉体の構造も人間と異なっていると考える方が、それこそ自然なのではないだろうか。

「悠ちゃんの言う事ももっともだけどさ、天使の肉体の構造はほとんど同じだよ。人間の肉体より遥かに頑強な作りはしているけど、心臓が止まれば死ぬし、脳が破壊されても死ぬ。息ができないと窒息するし、遺伝子に異常を来たすと癌細胞だって生じる。そして、子供を作るためには生殖器を使用するんだ。知っての通り、人間との間に子孫は残せないけどね」

「生殖器、ね」

 香苗は面白くない表情で呟く。

 わざわざ生殖器の話題を出すのは、蒼鬼が下世話な話題を好んでいるからではない。いや、本当は好んでいるのかもしれないが、今だけはそういった動機から話しているわけではないのだと香苗も察した。

 香苗に倣ったのか、蒼鬼も面白くない表情になって吐き出すように続けた。

「実はね、警察発表には無かったんだけど、めのうちゃんの膣には何者かの精液が残されてたらしいんだよ。暴行の痕跡は無かったから強姦ではないはずだけど、天使の子の事だからね、本当のところは分からない。その性交渉の痕跡が自殺と関連しているのかも分からない。一つ言えるのは、めのうちゃんの膣に精液が残ってたって事だけさ。天使でも悪魔でもない、人間の精液が。中学生なのに進んでるよね、最近の天使の子は」

 成程、これはとても庚の前では話せない。話せるはずもない。

 香苗は庚がこの場に居なかった現実に感謝しながらも、吐き気を必死に堪えて拳を握り締める。

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