十八話「降るプラチナ」
広島市南区宇品に位置するファミレスの内の一店。
予期せぬ相手から呼び出しを受けた香苗は、その相手を席の横に座らせてハンバーグを食べていた。最近食欲が減衰気味ではあるが、支払いが相手側とあっては食べないという選択肢は存在しない。対面の席が空いているというのに、わざわざ真横に座る相手の事も気にしない。自らの食費を抑える事こそが、現在の香苗の最優先事項だ。
「迫田さん、そろそろよろしいでしょうか?」
金髪の縦ロール、眼鏡の女子中学生が無表情に訊ねてくる。
香苗は口の中のハンバーグをゆっくり咀嚼し、飲み込んだ後に口を拭いて視線を向けた。
「うん、悪いね。奢ってもらってるのにあたしだけ先に頂いちゃって」
「構いません。支払いはこちらが持つと言ったのは私ですし、生憎私は今だ空腹ではございませんから」
「あたしが中学生の頃は、放課後になったらお腹が空いて動けなかったもんだけど」
「胃が小さいのかもしれませんね。地上に降臨するまで、私達は果実を少しくらいしか摂取しておりませんでしたから」
そうなんだ、と返してから、香苗はさりげなく相手の全身を観察してみる。
こはる・はるいちばん。
うさぎのクラスメイトであり、委員長を務めている典型的な天使。性格は基本的に丁寧にして厳粛。実の兄と婚約しているらしいが、その事実に不満や不安は無いらしい。左半身に三翼、右半身に四翼持つその肉体は、年上の自分が少し悔しくなるほど豊満。
香苗がこはるについて知っているのはその程度だろうか。改めて観察してみたものの、その情報に嘘は無く思えたし、それ以上の情報を得るつもりも今日までは無かった。
そうなると浮かんで来る疑問はたった一つだ。
何故、その程度の仲でしかない香苗を、こはるは突然呼び出したのか。
それもこはるに教えていなかったはずのメールアドレスを何処かから入手してまで。
「用件を聞こう」
後ろに誰かが立つ事を嫌う殺し屋を真似てこはるに訊ねてみる。
別に威圧しようと思っての行動ではない。依頼人と初めて交渉をした時に参考にした漫画がそれだったというだけだ。残念ながら他に参考になりそうな漫画は香苗の家には置いていなかったのだ。
「御用件をお伝えしますわ」
香苗に合わせる様にこはるが頷いた。こはるの方は単に素で返答しただけだろうが。
「迫田さんに一つ調査して頂きたい事案がございますの」
「ん? 今日呼び出したのは、調査の依頼のためだったのか?」
「他に何かございますか?」
無表情のままにこはるが応じる。
その通りだ。こはると香苗の間にそれ以外の関係性が生じようはずもない。少なくとも親睦を深めようと考える事は今後一切無いはずだ。気が向いた時に打ち上げに呼ぶ事くらいはあるかもしれないが。
こはるとの関係は飽くまでビジネスライク。この仕事に携わる者として当然の事を改めて胸に刻んでから、香苗はポシェットの中からメモ帳を取り出した。
「続けてくれ、こはるさん」
「かしこまりました。今回、私が迫田さんに御依頼したいのは、私の幼馴染みの事ですわ」
「こはるさんの幼馴染みって言うと天使の人か? いや、中学生のこはるさんなら、人間が幼馴染みでも何の不思議も無いけどさ」
「いえ、彼女は天使ですわ。名前はめのう・さとうきび。年齢は私と同じ。同い年にしては小柄な方ですが、それ以外は一般的な天使だと思います」
「それでそのめのうさんがどうしたんだ? 中学デビューでもして交友関係が不安とか?」
「天に還りました」
「天に還った?」
呟いてから、香苗は思い出した。
『天に還る』とは天使達が好んで使用している隠語だと。
字面から誰もが思い浮かぶだろうが、無論それは『死んだ』という意味だ。
死んだ。
胸の内でだけ呟いてみると、香苗の中に大きな不安が湧き上がり始めた。
香苗にとって『死』は案外に身近な概念だった。両親は既に亡くなっているし、同級生も何人か早逝していた。空腹で死を間近に感じた事すらある。香苗にとって、死は日常だったのだ。
しかし、故にこそ香苗には不安が生じていた。『死』は身近で避けられない概念であり、自分如きちっぽけな存在では手に負えない巨大な自然現象だと身に沁みて知っているからだ。『死』相手にどれほどの調査を行えるというのだろうか。
それでも、香苗は毅然と言い放った。こはるに決して自らの不安を悟られないように。
「殺されたのか?」
「いいえ、自殺です、恐らくは」
「恐らく?」
「彼女が天に還ったのは三ヶ月前です。迫田さんもニュースで目にしていませんか? 珍しい事態としてそれなりに話題になったはずですが」
生憎香苗は三ヶ月前のニュースを憶えているほど、記憶力がいい方ではない。メモ帳を置いてスマートフォンで検索してみると、その自殺の件はすぐに引っ掛かった。飛び降り自殺したと報じられていたのは、めのう・さとうきび。確かにこはるが言っていた名前の天使だった。
それにしても。
「飛び降り自殺……ね」
思わず口に出た。
翼を数翼持っている天使が飛び降りて自殺するなど、こう言っては不謹慎だが滑稽過ぎた。他に自殺の方法はいくらでもあるだろうに、わざわざ飛び降り自殺を選択する事に並々ならぬ意図を感じなくもない。
香苗と同じ疑問を持っていたのだろう。香苗のスマートフォンを覗き込みながら、こはるが続けた。
「迫田さんも不思議に思いまして?」
「流石にね。このニュースに注目してなかった身で言うのも変だけど、奇妙過ぎるよ、この自殺」
「私もそう思っておりました。めのうさんとはそれほど親密な関係であったわけではありませんが、自殺をする様な兆候は見られなかったと記憶しております。そもそもにして、天使が自殺する事自体が言語道断です。私達の存在価値は、偉大なる父の教えをあらゆる世界に浸透させる事にこそあります。それを為せずして勝手に果てるなど、許されざる事です」
「確かに天使の自殺ってあんまり聞いた事ないな」
「ええ、ありえないはずの事なのです、本来ならば。しかし警察と天使の上層部はめのうさんのそれを自殺と断じました。無論、その断定に不満があるわけではありません。上層部が決定したのであれば、私もそれに従いますわ。けれど……」
「釈然としない?」
「はい、その通りです。正直に申しますと、私としましてもめのうさんの件は自殺で構わないのです。探偵小説の様に真犯人を見つけ出してほしいと依頼したいわけでもありません。私が迫田さんに望むのは、彼女が自殺したその動機なのです」
「それは私も気になる。仕事じゃなくても調べたいし、仕事なら喜んで働かせてもらうよ。最近は大口の仕事も無いし、お姉さま……上司もこの件の調査を許してくれると思う。でもさ、一つだけ聞いていいか?」
「何でしょうか?」
「どうして、今になって調べようと思ったんだ?」
「迫田さんの存在を知ったからですわ」
意外な返答だった。
その意図を計り切れず首を傾げていると、こはるがその口元を歪めた。その表情はほんの少しだけ苦笑しているように見えた。
「迫田さんはうさぎさんの件を解決して下さったでしょう? 失礼だと思いますが、正直に言います。初めて迫田さんを見た時、こんなお嬢さんにストーカー事件を解決できるはずがないと思っていました。けれど迫田さんは、それから数日と経たずにストーカーの件を解決していました。この人なら或いは、と思ったんです。ずっと気に掛かっていた疑問を解消してくれるのでは、と」
「あたしはほとんど何もやってないよ。連や上司に頼ってただけさ」
「そうかもしれません。ですが、その上司の方達に頼る人脈を香苗さんが持っているのも、また確かなのです。少なくともそれは両親に庇護された中学生の天使である私には無い物なんですよ、迫田さん」
そうなんだろうか、と香苗は考える。顔が広い自覚はある。同年代の女子と比較すれば、間違いなく幅広い人脈を有している。蒼鬼と連の二人だけでも、普通の女子では知り合えるはずもない人脈だろう。
知識が深いわけではない。運動神経も人並みで、服装以外の可愛らしさとも無縁。覚悟だけは有しているつもりだったが、先日の件でその自身は粉々に打ち砕かれた。
成程、香苗が有しているのは、確かに人脈だけだ。
「分かったよ、こはるさん」
何故か苦笑してしまいながら、香苗は続けた。
「何処までできるかは分からないけど、やれるだけの事はやってみる。めのうさんの自殺の動機を調べればいいんだな?」
「はい、ありがとうございます、感謝します、迫田さん」
「報酬の話は後で上司と相談した後にまた連絡するよ。あ、これはもしもの話だけどさ」
「何でしょうか?」
「もしも自殺じゃなかったら、どうするんだ? 例えば他殺だったとしたら?」
「私は真犯人を断罪したいわけではありません。私が知りたいのは、めのうさんが死んだ理由なのです。もしも他殺であったとしたなら、然るべき機関に引き渡して頂ければ結構ですわ」
「もっともだ」
言った後に、香苗は残っていたハンバーグを一気に平らげた。
依頼が生じた。とりあえずは生きていくための生業をまた手に入れる事ができた。ならばこれからそれに専念するだけだ。例えまた心が砕かれる事態になろうとも。
香苗は、生きていかなくてはならないのだ。
少なくとも今は、最愛の人の前で笑顔を浮かべているために。
水を飲んで、一息吐く。
メモ帳の新しいページに、走り書きではない綺麗な文字でめのうの件を記していく。まずはこはるの持っている情報の聞き取りだ。本人ではそうと認識していなくても、重要な情報を有している可能性は多分にある。
「じゃあ早速聞かせてほしいんだけどさ、めのうさんは……」
生きていかなければならない香苗が、生きる事を放棄したと思われるめのうの話を、生きる事に疑問を持たないこはるの口から聞き出していく。
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