十四話「MY SOUL FOR YOU」
黄昏の中で異文化の擦れ違いばかりを感じていても仕方がない。
香苗は一つ大きく嘆息してから己の頬を軽く叩き、異文化に対する違和感を頭の片隅に追いやった。異文化研究など自宅に戻ってから一人で出来る事なのだし、香苗には遂行せねばならない仕事が残されているのだから。
「ところで庚」
「どしたん香苗?」
「いちいち確認するなよ。今更だけど分かってるよな?」
「分かっとるって。小学校高学年くらいの男の子が五人。上手く尾行しているつもりみたいじゃけど、こんな見晴らしのいい場所で身を隠せるはずが無いよね」
「遠目だけど慧遠に貰った写真に写ってた小学生みたいだな。電車も使わずに遠回りしてわざわざ宇品橋を渡った甲斐があったってもんだ。こんな場所でストーキングするなんて無謀以外の何物でもないのにさ。ずっとあたし達があの子達に気付いていない振りをしていたもんで、自分達の追跡は完璧だって勘違いしちゃったみたいだな」
香苗がわざとらしく嘆息すると、調子を合わせて庚も苦笑いを浮かべた。自分の力を過信している人間ほど苦笑できるものは無い。特にその人間が苦労など一つも知らずに育ったような子供達だった時には尚更だろう。
「どうかしたんですか、香苗さん、庚さん?」
何も気付いていない様子のうさぎが首を傾げる。
香苗達に護衛を頼んでいるとは言え、彼女も彼女で不用心過ぎた。
こんな見晴らしのいい場所で五人の小学生の尾行に気付かないなど、はっきり言って危機感が全く足りていない。うさぎが小学生五人に付き纏われる様になったのも、ある意味は当然の帰結と称せるかもしれない。
「うさぎさん、ゆっくりと後ろを振り返ってくれるか?」
香苗は嘆息したくなるのを我慢しながら、うさぎに指示する。
上下関係に厳しい悪魔社会に慣れ親しんでいるからだろう。うさぎは嫌な顔一つせずに香苗の指示に従ってくれた。
「振り返りましたけど、何かあるんですか? うさぎの背中にゴミでも付いてます?」
「いやいや、そうじゃないって。ほら、橋の袂くらいに小学生が見えるだろ? 一応、顔を確認してくれないか?」
「……すみません、見えません。うさぎ、視力が悪くって」
また溜息を吐きそうになったが、そこで溜息を吐いていたら何でも屋とは言えない。
溜息を飲み込んで、香苗は翼を夕陽に輝かせている隣の天使に頭を下げた。
「こはるさん、知り合ったばかりでこんな事を頼むのも変なんだけどさ」
「はい、何でしょうか、迫田さん」
「眼鏡、貸してくれない? あたしも庚も視力は良いから掛けないんだよね」
「構いませんわ、どうぞ」
こはるは存外に簡単に眼鏡を外し、香苗に手渡してくれた。眼鏡を外したこはるの顔は存外に平凡な顔になったが、それを口に出すのは失礼にも程がある。
香苗はまだ首を捻っているうさぎの背中に回り込むと、借りたばかりのこはるの眼鏡をうさぎの鼻先に掛けた。
「これでよく見えるだろ? それでどう? あの小学生に見覚えあるよね?」
「えっ……と……」
どうやら眼鏡を掛けてなおうさぎは目を細めているらしい。
十秒ほど沈黙の時間が流れ、夕陽がほんの少しだけ傾いた。
どれだけ悪い視力で生活してるんだよ、と香苗が思い始めた頃、やっとうさぎは小学生達の顔を視認できた様だった。
「あっ、はい、あの子達ですよ。うさぎを尾行してたのは間違いなくあの子達です」
「うん、ありがとう、うさぎさん。こはるさんも眼鏡ありがとう」
「どういたしまして」
香苗はうさぎから眼鏡を外して、こはるに返す。
その眼鏡を掛け直して位置を調整すると、こはるは意味深に背中の右側の翼を揺らした。
「それでどうなさるんです、迫田さん?」
「どうなさる……って?」
「あの子供達の事ですよ。今からあの子達を捕縛するつもりですの? 少し無理がありませんか? あちらは五人。こちらは四人。相手が子供とは言え、全員捕縛するのは難しくありませんこと?」
「別に全員捕まえる必要は無いんだよ、こはるさん。相手は小学生だしさ、一人でも捕まえて締め上げれば芋づる式だよ」
「そうだとしても、その一人を捕縛できまして?」
こはるの疑問はもっともだった。現在、香苗達が居るのは宇品橋の頂上付近、対して小学生達は橋の袂に五人で陣取っている。これから捕縛に向かうとしても、距離があり過ぎると言いたいのだろう。
無論、香苗はそれを理解しているし、庚も先刻承知済みだ。
香苗は、まあ、見てなって、とこはるに微笑んでから、うさぎの方に向き直った。
「なあ、うさぎさん、もう一つ頼みがあるんだけどさ」
「いいですよ? 何します?」
「話が早くて助かるよ。じゃあお言葉に甘えて頼むんだけど、今からあの小学生達に向かって手を振ってくれないか?」
「えっ、いいんですか? 逃げられちゃいますよ?」
「うん、それでいいんだよ」
「香苗さんがそう言うなら……」
得心がいかない様子ではあったが、うさぎは息を大きく吸い込むとその腕を天に掲げた。
身体全体が動いてしまうくらい、大きく腕を振る。
「おーい! そこの男の子達ー! どうです、今夜ー! 一緒に遊びませーんっ?」
そこまでは指示していなかったのだが、小学生達には逆に効果的な様だった。
突然のうさぎの行動に驚いたらしい小学生達が、散り散りに逃げ出していく。
四人までは見逃した。
見逃したのは比較的気の弱そうな四人だ。気の弱そうな小学生を締め上げたところで、首謀者の名前を出すとは言い切れない。ボス的存在に怯えて口を割らない可能性が高いからだ。故に狙いは比較的身体が大きく、態度も大きそうな一人だ。
ボス的存在の小学生はすぐに見分けが付いた。一人だけ髪を茶色に染めていて、ランドセルではなく手提げ鞄を持っている。
香苗はその小学生を追い掛けない。追い掛ける必要が無い。追い掛けたところで今更追い着かないし疲れるだけだ。
しかし。
「うわああああああっ!」
橋の袂からでも聞こえる叫び声が夕陽の空に響いた。
どうやら上手くやってくれたらしい。
香苗は首を捻っているこはるとうさぎを引き連れ、緩慢と橋の袂に向かった。
「よっ、香苗ちゃん、これでいいのかい?」
橋の袂では、香苗よりも大柄な小学生の手首を掴んでいる更に大柄な男が待っていた。
野太い声、坊主に剃り上げられた頭、筋肉質な身体を見せ付けるノースリーブのタンクトップ。その身長は二メートルを下るまい。知り合いでなければ、正直香苗も叫び声を上げてしまいたいほどの威圧感を持つその男。
名は山本連。
裕の幼馴染みであり、頼めば香苗の仕事を手伝ってくれる気はいい男だった。その名の通り連なる山の様な存在感を持つ男だが、外見に反して悪い人間ではない。
「おっ、庚ちゃんも久し振り! 元気してたか? 相変わらずその髪、モップみたいだな!」
致命的なまでにデリカシーが足りないという欠点を除いて、だが。
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