十一話「MY FRIENDS」

 校門前でかなり待っただろうか。

 放課後、多くの生徒が下校するのを見送った頃、うさぎが香苗達の前に姿を現した。

 うさぎは一人ではなかった。友人らしい少女がうさぎの隣で翼を揺らしていた。

 一目で分かる。うさぎの隣の少女は人型の天使だった。

 少女は金色の縦ロールの髪と金色の瞳をしており、中学生とは思えない発育の良さを体型に見せている。収納自在ならば仕舞えばいいのに、少女はわざわざ中学校の制服に切れ込みを入れて、これ見よがしに翼を露出させていた。しかもこの前見たのぞみとは異なり、彼女は左半身に三つ、右半身に四つも翼を有していた。かなりバランスが悪そうな翼の配置だが、天使にとっては大きな問題ではないのかもしれない。

 悪魔のうさぎがその天使の少女と肩を並べて歩いている。

 天使と悪魔の揃い踏み。

 ファンタジーの劇作などであれば、例えばラグナロク、ハルマゲドンなどの前触れの場面なのだろうが、残念ながらと言うべきか現実では天使と悪魔が揃い踏みしたところで何も起こらないのだった。

 たまには喧嘩くらいであれば起こしているようだが、それくらいならば取るに足らない出来事に過ぎないし、人間が人間と喧嘩をする確率の数分の一程度でしか天使と悪魔の喧嘩は起こっていないらしい。天使と悪魔だからといって戦争を起こすのは、物語の中だけだという事なのだろう。

「や、うさぎさん。遅かったね」

 香苗が呼び止めると、うさぎは何処か楽しそうに香苗に駆け寄って来た。

 多少庚が表情を歪めたようではあったが、曲がりなりにも庚もプロだ。依頼人に気付かせないようすぐに表情を通常に戻して、駆け寄るうさぎを出迎えた。庚と遊んでいた猫はいつの間にか何処かに行ってしまったようだった。

「調子はどうなん、うさぎ? 香苗に虐められとらん?」

「あはは、大丈夫です。香苗さんとの生活は楽しいですよ」

 微笑んでうさぎが舌を出す。数日前には見せなかった表情だ。最初の頃は緊張していたようだが、少しずつ香苗に心を開き始めているようだった。香苗は何となく照れ臭い気分になって、うさぎではなく隣の少女を指し示した。

「ところでうさぎさん、隣の子は誰なんだ? クラスメイトなのか?」

「ああ、この子はうさぎの……」

「クラスの委員長です」

 うさぎが紹介するより先に、天使の少女が掛けている眼鏡の蔓を右手で押し上げた。眼鏡を掛けた天使とは奇妙な雰囲気かもしれないが、天使はコンタクトレンズを好まないらしく(瞳にガラス片を密着させるという行為に違和感を覚えるらしい)、広島では視力の悪い天使の殆どが眼鏡を掛けている。

 この世界に降臨してきた際の天使の視力は平均で3.0を記録していたらしいが、降臨して二十年も経つと人間社会で生活する為の視力に適応してきたらしく、ほぼ全ての天使の視力が大多数の人間よりも悪くなっていた。

 それはそうだろう。天使は勤勉で常に知識を欲している種族であり、知識を得て理性的な存在になる事こそが美徳なのだ。簡単に言えば、天使は普段から人間の少年少女の数倍は自宅で勉強をしている。それだけ勉強していれば視力が低下するのは自明の理だった。

「委員長か。見たまんまだね」

 香苗が苦笑しながら呟くと、天使の少女が無愛想に応じた。

「私の名前はこはる・はるいちばん。お好きなようにお呼び下さいませ」

「春だらけじゃね……」

 天使の少女……、こはるに聞こえないよう庚が小さく香苗に耳打ちしたが、香苗はそれを薄く笑う事で制した。

 流石の香苗もこの生真面目そうな天使の前では、そういう軽口を使い難かった。ふとした事で天使の風変わりな名前を指摘しようものなら、恐らくは広島の裁判所で裁判沙汰にされる事だろう。天使と付き合う際は、特に裁判沙汰に注意せねばならない。それが広島で上手く生きていく為の注意点だ。

 天使は誇り高い種族ゆえ、侮辱に対して毅然とした態度で立ち向かうのだ。人間世界の規則は弁えているようだが、逆に人間世界の裁判という制度を利用して自分の立場を更に向上させようと尽力している抜け目ない種族でもある。

 天使は誇り高い。道徳を守り、他者を大切にし、倫理を声高に語る。

 天使はいい種族だ。勤勉で、実直で、誰かの為に犠牲になる事を厭わない。

 天使は素晴らしい。美しく、気高く、人間が目標とすべき存在には違いない。

 だが。

 天使は厄介な存在だ。それほど信心深くない民族には天敵のようなものだ。

 天使は融通が利かない。自分達の倫理を最も尊い物として、他者にそれを押し付ける。天使こそが正義であり、彼等に適応しない者は堕落者に過ぎなくなる。確かに天使の言っている事は正しいのだろうが、人間とは元来勤勉と怠惰の両方を備えた存在だ。勤勉だけを目標に生きていく事は人間には断じてできない。

 天使は全体主義者だ。集団の為であれば平気で個人を切り捨てる。役に立たなくなった歯車はすぐに取り外される。歯車の方もそれで構わないと本気で考えている。彼らは個人の脳ではなく全体の脳で勤勉に動く。それぞれの天使が全体の一部でしかなく、個人としての思惑は誰もが切り捨てる。例えば仲間の天使が病で死に至ろうとしたとして、その治療に莫大な資金が必要になったとしたなら、天使は平気で病の天使を切り捨てて安楽死に至らせるだろう。

 それはある意味で完全な平等社会と言えるのかもしれない。

 平等という言葉は何の下に平等なのかで意味が異なってくる言葉ではある。平等という言葉だけでは意味を為さない。何の下に平等であるのか、平等という言葉を使う際はそれを留意せねばならない。例えば日本では法の下に平等だ。法さえ守れば取り敢えず平等という事になっている。他にもスポーツ精神の下に平等、武士道精神の下に平等、世界にはそれら色々な平等がある。

 そして天使は全体の中で平等だ。

 個の意識は存在しない。全体に属し、全体の中で存在する限りは永久に平等なのだ。天使は美醜の差や生まれ持った能力の差では他者を判断しない。全体の中でどれだけ勤勉に生きているか、それこそが天使の中での最大の価値観なのである。無論、恋人などという定義は存在せず、天使はただ全体的に決定付けられた相手と子を為し、家族として子の面倒を見ている。友人程度ならば存在するかもしれないが、それも殆どの場合は仕事の作業効率を上げる関係性に過ぎない。

「天使……ね」

 香苗は誰にも聞こえないように呟く。

 天使こそが完全なる平等主義者である事は疑いようがない。人間は誰しもが天使のような存在を目指すべきなのだろう。

 それでも。

「あたしは……、嫌だな」

 その言葉はすぐに空気の中へと溶け込んだ。

 深い意味のある言葉ではない。

 確かに天使は素晴らしいが、どうも香苗は永久に天使の様にはなれそうもない。

 だから嫌なのだ。それだけの事だった。

「迫田さん? どうかなさいましたか?」

 こはるが無表情に棒読みで囁いた。

 棒読みなのは演技だからではない。天使が感情を読み取らせない種族だというだけだ。

「いや、何でもない。それより迫田って言ったよな、こはる……さん? うさぎさんからあたしの話でも聞いていたのか?」

 香苗が訊ねると、右の翼を動かしてからこはるが答えた。呼び捨てにはし難かった。

「ええ、うさぎさんがストーカーに付け狙われていて、その護衛の為に迫田さんが尽力なさってくださっているのだと伺っております。ありがとうございます。わたくしもクラス委員長として、うさぎさんの安全が気になっていましたから。それで今日はうさぎさんと集団下校に至ろうと考えたんです。ですが迫田さん達が護衛して下さるのならば大丈夫でしょう。折角ですので私も同行させて頂けると喜ばしいのですけれども」

「ああ、うん、別にいいけど」

 香苗が返すとこはるが微妙に顔面の筋肉を歪めた。笑った。と言うべきなのか。間違いなく作り笑いではあるが、とにかくこはるは礼儀として微笑もうとしたのだろう。

 そのままの表情でこはるが続けた。

「お願い致します、迫田さん。是非ともうさぎさんを付け狙うストーカーという輩を排除して下さいませ。そのような存在を私はクラス委員長として、断じて認めるわけにはいけませんから。よければ処分は私に一任させて頂けません? 悪い様には致しません。堕落者には鉄槌を。その天使の倫理に則って、私がそのストーカーという輩に然るべき鉄槌を下しますわ。如何でしょうか?」

 こはるの奇妙な笑顔に圧倒されながら、考えておく、とだけ香苗はどうにか言った。

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