七話「DYNAMITE EXPLOSION」

 護衛任務三日目。

 調査には特に進展も無く、中学校にうさぎを送り出した後、香苗は本通りをぼんやりと散策していた。護衛任務は体力勝負であるだけに自宅で眠っておくべきだとは分かっているのだが、何となく散策したい気分だったのだ。

 秋風はまだ暖かく、平日の昼間だというのに広島市中区商店街、本通りは人で溢れかえっていた。皆、暇なのかな。と自分の事を棚に置き、ドーナツ屋で安いドーナツを二個注文してぼんやりと考えていると、不意に後ろから誰かに肩を叩かれた。

 気だるく振り向くとその場には見覚えのある顔が揃っていた。香苗の肩を叩いたのは、栗色の肩まで届くふんわりと柔らかいウェーブヘア。あまり特徴の無い顔つきでありながら、何処までも楽しそうな表情を崩さない女性、沙羅だった。

「や。久し振りだね、香苗。儲かりまっか?」

「ボチボチでんな」

 香苗が関西弁で返してやると、沙羅は嬉しそうに香苗の頭を撫でた。

「ネタの分かる子は好きよん」

 沙羅は断りもせずに香苗の座っているテーブル席の隣に座り、伸びをして目を細めた。

「でも本当に久し振りよね、香苗。最近、何してんのよ?」

「仕事三昧だよ。うちは貧乏でね。それで今は仕事中。少し時間が空いたから、遅い朝ごはんの途中。そういう沙羅姉は何をしてるんだよ、こんな平日の昼間から。またバイトを辞めさせられたのか?」

 それには沙羅ではなく、沙羅の後ろで席に座れずに立たされている少年が答えた。

「そうなんだよ、香苗。姉ちゃんてば、また店長相手に謀反起こしたんだぜ? 同僚引き連れて労働条件の向上を訴えてさ、同僚諸共全員クビだよ。全く勘弁してほしいよな。俺のバイトだって安定してるわけじゃないんだからさ」

 そう苦笑したのは悠樹、沙羅の弟だ。

 香苗は横目に悠樹の顔を見て少し苦笑した。相変わらずよく似た姉弟だと思えたからだ。

 悠樹の髪も栗色で少し癖のある髪質であり、ウェーブヘアの沙羅と並んで言い争っていると、まるで同種の猫がじゃれているようにしか見えない。顔も特徴が無いのが特徴であり、多少沙羅よりはおっとりとした顔付きである点を除けば殆ど同じであると言っても過言ではない。無論、男女の顔の性差はあるが。

 香苗と沙羅・悠樹姉弟との関係は二年程前から続いている。香苗が最初に知り合ったのは悠樹だった。知り合ったきっかけは覚えていないが、姉を持っている同士という事でいつの間にか仲間意識を持っていた事は記憶している。

 悠樹の言葉を不満に思ったのだろう、沙羅が不機嫌そうに頬を膨らませた。

「黙りなさいよ、永久下僕の悠樹君? 私の造反は正しい行為だったんだからね。だってさ、あの店長って完全無欠に最悪なのよ? 女の店員には色目使うわ、美人の客が来たらカウンターを乗っ取るわ、セクハラ発言以外しないわ、本当に最悪なわけ。あんたもそれは知ってるでしょ?」

「いや、知ってるけどさ」

「しかもあの店長、悪魔の子が来ると必ず手を出すのよ? 悪魔の子は誘いを断らないからって調子に乗っちゃってさ。本当、あの顔を見てると、額に肉って書いてやりたくなるわよ。油性でね」

「油性かよ」

「当たり前でしょ。何? 文句ある?」

 沙羅が手を伸ばして悠樹の頬を抓る。

 かなり痛そうに見えたが、香苗にはそれすらも羨ましく感じられた。姉の与える痛みですら愛おしい。半分は本気でそう思えていた。

「ところで沙羅姉」

「何?」

「バイトがクビになったのは分かったけど、だったら今日の沙羅姉は昼間から何をしてるんだよ? バイトに行くわけでもないみたいだし、悠樹まで引き連れて何処に行くつもりだったんだ? デートとか?」

「実は悠樹と新しいラブホテルにでも行こうかと思ってさ」

 沙羅が事も無く笑うと、隣の悠樹が目に見えて狼狽し始めた。

「ちょ……っ! 何言ってるんだよ、姉ちゃんっ! そういう誤解されるような発言はやめてくれって、いつも言ってるじゃないか! 今日はただ姉ちゃんの買い物に俺が無理矢理付き合わされてるって、それだけだろっ!」

 面白いくらいの狼狽振りだった。

 勿論、香苗も沙羅の言葉が冗談である事は知っているが、あえて沙羅の言葉尻に乗って非難の表情を浮かべる。

「そうか、悠樹は沙羅姉を無理矢理ラブホに連れ込もうとしていたのか。実の姉に手を出すとは何たる鬼畜。何たる非道。何て羨まし……いや、何て赦しがたき所業だ。反省しろよ、悠樹」

「だ……、だから何言ってるんだよ、香苗も! おまえだってこれが姉ちゃんの俺への嫌がらせだって、本当は分かってんだろ? 分かってるって言ってくれよ!」

 本気で泣きそうな表情で悠樹が喚く。

 その様子は狼狽するにしても、大袈裟に過ぎた。どうやら彼自身、姉との関係を様々な意味で深く意識してしまっているらしい。香苗がそれを指摘するより先に、沙羅が意地の悪い微笑みを浮かべた。

「そんなに狼狽えないでよ。と言うか悠樹、あんた大袈裟過ぎよ。そんな大袈裟に否定してると逆に人から疑われるわよ。こういうネタはあんたがちゃんと受け流せば、大騒ぎにはならないわけ。あんたが騒ぎ過ぎるから人からも疑われるのよ。そこのところ分かってる? それとも悠樹? あんたってもしかして本当はお姉ちゃんとそういう関係になりたいから過剰反応しちゃうのかしらん?」

 多少強引な理屈ではあったが沙羅の言葉は道理に適っていた。

 彼女の言う通り、悠樹が過剰反応しなければ沙羅のネタは単なる趣味の悪いネタで終わらせられる。そうならないという事は、やはり悠樹は心の何処かで沙羅との関係を求めているのかもしれない。

 途端、先刻まで青冷めていた悠樹の表情が真っ赤に染まった。青くなったり赤くなったりと忙しい男である。

「馬鹿な……、そんな馬鹿な事が……」

 確かに馬鹿な事ではあったが、その馬鹿な事の根本は彼自身にある。

 彼もそれは分かっているのだろう。口を噤んでその場に蹲っていた。自分の中の複雑な感情と戦っているに違いないが、残念ながらそれについて香苗が悠樹にしてやれる事はなさそうだった。精々悠樹には自分の中の危うい感情と戦ってもらうとしよう。

 沙羅は楽しそうに悠樹を見下ろしながら、小さく香苗の肩を叩いた。

「話は変わるけどさ、香苗は最近どんな仕事をしてるのよ?」

 何でも屋という職業は、自らの仕事内容を他人に伝えるのは本来禁忌であるのだが、沙羅にならば別に構うまい。少し悩みはしたが、香苗は包み隠さずに沙羅に全てを伝える事にした。

「護衛任務だよ。ストーカーに狙われてる悪魔の子が居てさ、その子を護ってあげないといけないんだよ。今は学校に行っているから大丈夫だと思うけど、それ以外は一緒に住む事で護衛する事になってるんだよね」

 護衛ね、と沙羅が呟く。

「大変だね、香苗も。本当は護衛なんか警察とかに任せられれば一番いいんだけどさ」

「仕方が無いよ。犯罪はどうしても減少しないから警察も忙しいし、警察ってのは事件が起こってからじゃないと動けない組織だしさ。警察こそ何でも屋だって勘違いしている人も多いみたいだけどね。だから護衛や警備は個人でやらないといけない。自分の身は自分で護らないと」

「そうね。自分の身は自分で護らないと意味が無いわよ。自分の力で自分を守り抜くか、或いは私みたいに永久下僕に自分を護らせるか、どちらにしろ自分の安全は自分で保障しないとね。そもそも安全神話ってのは危険の存在を知らなかったってだけの事なんだし」

 自分の安全を自分で保障するという事は、つまり自分が生きるという事を責任持って考えるという事だ。国家権力の様な知らない誰かに自分の安全を託すという事は、自分の生命を軽く扱っているという事と同義でもある。いざという時に頼れるのは自分、若しくは信頼できる仲間だけだろう。香苗はそれを理解しているつもりだ。

 そして、うさぎは香苗を頼ってくれている。

 知らない誰かではなく、うさぎ自身が自らの生命を託す相手を選んでいる。

 香苗という人間を自分の生命を護る切り札として考えてくれている。

 だからこそ香苗はうさぎを護らねばならないのだ、全身全霊で。どのような形であれ、香苗はうさぎの依頼を請けたのだから。

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