六話「1・2・3・4・5・6・7NIGHTS」

 慧遠に調査を依頼した後、香苗はうさぎと共に自宅に戻った。

 護衛任務が終わるまでは香苗の自宅でうさぎを護衛する事になっている。護衛場所は庚の家でもよかったのだが、ある事情から彼女の自宅では仕事を持ち込み難い。その点、既に両親が亡くなっている香苗の自宅であれば問題も少ないだろう。

 八年前に香苗の母親は病死している。

 脳梗塞だった。女手一つで香苗達を育てた無理が悪影響を及ぼしたのか、唐突に母親は亡くなった。相当無理をしていたのだろう。母親が突然に倒れ、病院に運ばれた直後には既に亡くなっていた。

 それ以来、香苗は姉の裕と二人で生活している。

 親類は殆ど存在せず、頼れる知人も少ない中で香苗達は生きてきた。生きるだけで精一杯で、思春期の少年少女が興味を持つであろう事に無関係に生きてきた。そうしなければ生きていけなかった。友人も少なく、同級生からも無視され、姉の裕も妹に構う余裕が無く香苗はほぼ独りで存在してきた。

 それについて香苗に不満や後悔は無い。

 彼女は孤独に生きてきて、失った物も多かったが得た物も多かった。

 孤独ではあったが、完全なる孤独ではなかった。

「どうしたんですか、香苗さん?」

 うさぎが居間に寝転んでテレビを観ながら、香苗に小さく訊ねた。どうやら物思いに耽っている香苗の様子が気になったらしい。何でもないよ、とかぶりを振ってから、香苗は逆にうさぎに訊ね返した。

「あたしの事より、うさぎさん? そういえばあんたのストーカー被害について詳しく聞いてなかったな。一体、どういう被害を受けたんだ? ストーカーの正体には何か心当たりあるのか? 慧遠には何か話していたみたいだったが、何を話していたんだ?」

「そんな一度に聞かれても答えられませんって」

「じゃあ一つずつでいいよ。どういう被害を受けたか教えてくれ」

「被害ですか? 実はですね、二週間くらい前から誰かの視線を感じるんです。最初はうさぎが悪魔だからなのかなって思ったんですけど、どうも違うみたいなんですよねえ。無言電話も一日に何回も掛かってくるようになったし、ポストの中にうさぎの盗撮写真が入っていたりもしたんです。それが怖くて」

 怖いと思っているような口調には思えない冷静な言葉だったが、悪魔という存在は人間とはかなり精神性が異なり、演技と思える行動でも実は本当にそう思っている場合が多かった。

 それこそが悪魔の精神性だ。怠惰を基本としつつ、性的に解放的な種族であり、力を重視しながらも全く統率が取れていないという矛盾した種族の精神性だった。

 異文化と触れる事は頭で考えるより遥かに難しい。同じ国の人間であってさえ、歳の差や生まれた地方の違いで異なった精神性を有してしまう。増して世界も種族すらも異なっている悪魔と理解し合おうとする事自体が土台からして無理な話だ。

 しかし相互理解が不可能だからと言って何もかも諦めてしまうのは、香苗としても忍びなかった。それではただの対人恐怖症の人間と微塵も変わらない。完全な相互理解が不可能であると分かってはいても、生物は他者と関わらなければ生きていけないのだから。

「無言電話は腹立つよなー。実はあたしも中学の頃は慧遠との関係を邪推したのが大勢居たみたいでね、厭になるくらい無言電話を受けたもんだよ。ま、その無言電話の話は今度にしよう。じゃあ次の質問だ。ストーカーの正体に心当たりがあるのか? あたしがトイレに行っている間に慧遠と何かを話していたみたいだけど、犯人の心当たりについて話していたのか? それとも何か他に話でもしていたのか?」

「心当たりというか、慧遠さんに一つだけ気になる事を言っておいたんです。実は一ヶ月くらい前の事なんですけれど、私、学校からの帰り道で、同い年くらいの子から虐められてた小学生の男の子を助けてあげたんです。虐めはよくないよって事で。それで助けてあげたその子は、名前も言わずに逃げて行っちゃったんですけど」

「その小学生がストーカーだと?」

「いえ、分からないんですけど、何故か最近よく見掛けるんです。私の家の前に立ってたり、手にカメラを持ってたり」

 脱力して香苗が肩を落とす。

「その子があからさまにストーカーじゃんか」

「いえいえ、それだけならうさぎだけでも対処できましたよぉ。相手は小学生の男の子なんですしね。だけど何処か様子がおかしいんですよ。多分、ストーカーさんはあの男の子だけじゃないと思うんです、何となくなんですけど」

「何か気になる事でもあるのか?」

「集団だと思うんです。実は盗撮写真を見てて思ったんですけど、何だか写真の種類が疎らなんですよね。デジカメで撮ったようなものもあれば、明らかに画質が悪い写真も有りましたし。それを慧遠さんに伝えておこうと思ったんです」

「成程、確かにそれはおかしいな。カメラを使い分ける必要なんてないしな。画質の違う写真が疎らに入っていたとなると、それは単独ではなく集団で撮影したものだと考えるのが賢明だな。となると確かにうさぎさんだけで対処するのは難しいね。ストーカーは通常群れないものだけど、たまに手を組む事がある。滅多に手を組まないだけに、ストーカーが手を組むと厄介な問題になるよ。集団心理と言うのか、秘密の共有と言うのか、とにかくストーカーの様な根暗な奴らが組むと大胆な行動を取り始めるよ。下手すると強姦とか平気でするだろうね。……うさぎさんがお姉さまに依頼に来たのは、やっぱり正しい選択だったみたいだ」

「強姦……」

 何故か遠い目をしてうさぎが呟いた。

 怖いかと香苗が問うと、うさぎは頭を振った。どうやら他の事を考えているらしい。

「真正面から来てくれればうさぎも拒否したりしないんですけどね」

「そういうもんか?」

「そうですよ? 強姦なんて悪魔の世界でも御法度です。性行為自体は禁じられていませんし、逆に奨励されてます。経験した相手が多ければ多い程、経験値の高い美人って事になりますから。だけど強姦はいけませんよ。ストーカーもいけません。それは悪魔の世界でもやってはいけない事です。相手を困らせるような事をしてはいけません。悪魔は人間や天使を堕落させて何ぼなんです。相手の嫌がる行為をしてても意味なんてないんですよ」

 悪魔の精神性はやはり分からない。

 香苗は少し頭が痛くなりながら、そうなんだ、と応じた。

 頭は痛いが、一応理に適った理論であることには間違いない。

「悪魔の事はそこまでよく知らないけどさ、うさぎさんがそう言うんならそうなんだろうな。だけど何にしろもう少し模様眺めだよ。慧遠に頼んでおけば、ストーカーの身元はその内割れるだろうし、庚も庚で調査をしてくれているからさ。今はあたし達に出来る事は何もないよ。うさぎさんは普段と同じに生活してあたしは不審者からうさぎさんを護る。それだけになりそうだね。一週間はあたしの家で生活してもらう事になるだろうけど、逆に言えば一週間も経てば事態は進展してるはずだよ」

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