四話「PLANET DANCE」

 護って欲しい、と悪魔の少女、うさぎは言った。

 依頼は護衛。どうやら今回の仕事は多少面倒になりそうだった。

 当然、護衛とは言え、香苗自身やうさぎのを命に危険がありそうな仕事をするわけではない。劇作などの如く悪魔を狩る仕事を生業とする人間は存在しないし、広島では天使と悪魔が敵対しているわけでもない。悪魔だからと言って、不当な差別を受けるような事実もあまり無い。

 それ故に香苗がうさぎを護衛する仮想的は、当然の帰結の如く、変質的に異性、或いは同性を追い回す迷惑な輩、つまりストーカーとなる。たかがストーカーと侮ってはならない。天使や悪魔が広島に降臨した頃から深刻な社会問題になっているのが、何を隠そうストーカー問題だった。

 真っ当な人間に恋愛ができないからか、人間相手に不幸な恋愛を経験してしまったからか、それとも単にマニアックだからか。そのどれが原因なのかは不明だが、とにかく近年では天使と悪魔をストーキングする輩が増加する傾向にあった。

 一般に天使と悪魔は人間の好意を撥ね付けない。

 言い寄ってくる人間があればある程度までは受け付けるし、普通の人間同士の間では生じる軋轢も生じさせない。その意味では天使も悪魔も人間に対して非常に優しい存在であるだろう。

 天使と悪魔のその優しさを勘違いする人間は決して少なくはない。天使と悪魔は人間を受け容れる。どんな形であれ、人間の好意を不躾に拒絶する事などせず、全ての人間の言い分を取り敢えず受諾する。だが、それは違う意味でしかない。

 天使は人間を解脱させるため、悪魔は人間を堕落させるために人間を受け入れるだけに過ぎないのだ。それだけの行為を恋愛感情と勘違いしてしまう人間は非常に多かった。無論、これは天使達と人間の間に限った問題ではない。人間同士でもそうだろう。

 香苗はそれを知っている。何度も仕事を経験して、うさぎの苦しみも知っている。

 だから、うさぎを護衛しなければならないと感じもした。

「でもなあ……」

 眼前のうさぎに聞こえないよう香苗は静かに呟く。

 うさぎを護ってやりたいとは思っている。ストーカー被害など、できる事であればこの世から撲滅してやりたいとも思う。それを念頭に置いても、護衛という任務には一つだけ大きな問題があるからだ。

 危険度の問題ではない。報酬の問題でもない。護衛という任務は危険も多く含まれている代わりに、相当な謝礼金が期待できるおいしい仕事だ。少なくとも護衛任務を一回こなすだけで、かなりの報酬を期待できる。

 つまり問題点はただ一つ。相当に面倒臭い仕事だという事だ。

 護衛任務は常人が考えるより遥かに面倒臭い任務だ。まず護衛相手の生活リズムに自分のそれを合わせなければならないし、絶えず周囲に注意しなければならない。ストーカーの調査もしなければならない上、いざとなれば身を張って護衛相手を護らねばならない。更にストーカーを撃退するまで、護衛期間は相手が望む限りは無期限だ。いつ終わるとも知れない仕事に身を置くのは、相当に神経が磨り減らされるというものだった。

「どうなると思う?」

 庚に小さく囁いてみるが、彼女の反応はやはり予想通りだった。

「そりゃ受けんといけんよ、香苗。ストーカー問題は深刻じゃしね。ウチらで力になれるんじゃったら、喜ぶくらいの勢いでこの仕事を引き受けさせてもらわんと」

 庚は髪の長いだけの広島弁の少女に見えるが、その実はかなり情に厚い少女でもある。誰かの力になる事を厭わず、誰かの笑顔の為に働く事に誇りを持っている。たまにそんな彼女を見ていると腹が立たせられる時もあるが、香苗はそんな彼女が嫌いではない。

 肩を竦めて視線を移すと、うさぎが香苗達に向けて深く頭を下げていた。

 額に大きな角があるという点、多少露出が多いミニスカートとキャミソールという服装であるという点を除けば、極普通の中学生の少女にしか見えなかった。いや、むしろ普通の少女よりも健気で礼儀正しく、護ってやりたいという気分にさせられる悪魔だった。

 そうだよな、と香苗は嘆息する。他に仕事があるわけでもない。内勤の裕の仕事を手伝えるわけでもない以上、香苗は香苗でできる仕事をしていくしかない。それこそが最終的に裕のためになるのも間違いないだろう。

「うさぎさんって名前だったよな? なあ、うさぎさん、その依頼、あたしは請けてもいいと思うよ。だけど、あんまり期待はしないでくれ。依頼を請けるかどうかは上司が決める事だし、あたし達でどれくらい役に立てるか分からないからな」

 少し突き放した言葉ではあったが、それでもうさぎは再び頭を下げた。

 額の角が香苗の頬を引っ掻きそうになって少し危なかったのは気にしない事にする。

「ありがとうございます! うさぎ、蒼鬼さんに相談して、よかったです! こんな優しい人達が依頼を請けてくださるなんて、うさぎ、感激です!」

 多少大袈裟ではないかとは思えたが、そう言われると香苗も悪い気分はしなかった。

 頬を軽く掻きながら、香苗は照れ隠しに気になっていた事を蒼鬼に訊ねてみる。

「なあ、蒼鬼」

「何だい?」

「蒼鬼とうさぎさんってどんな関係なんだ? おまえが悪魔の人と仲が良いのは知ってるけど、まさかこんな依頼を持ってくるとは思わなかったもんな。だから気になるんだよ。おまえ達はどんな関係なんだ? まさか蒼鬼、またこんな年端も行かない悪魔の人に手を出してるんじゃないだろうな?」

「酷い扱いだね。確かに俺のストライクゾーンは広いけど、流石にうさぎちゃんみたいな歳の子には手を出さないよ。俺とうさぎちゃんのお母さんが知り合いで、そのお母さんを通してうさぎちゃんの相談を受けただけだ。うさぎちゃんの相談を受けて、これは裕さんに任せた方がいいと判断したんだよ」

「まあ、さっきも言ったけど、それだけは賢明な判断ではあるな。了解、大体把握した。お姉さまが戻り次第、話してみ……」

 その香苗の言葉は途中で切られた。

 香苗の待っていたあの方が、自宅にお戻りになられたからだ。

「私がどうかしたのかしら、香苗ちゃん?」

 少し掠れ、憂いを帯びたようにも思わせながら、艶っぽさを感じさせる声色が響く。

 無論、それは裕の声だった。庚とうさぎ、蒼鬼の視線が一斉に裕に集中する。

 少し遅れて顔を紅潮させた香苗が裕の胸に飛び込んだ。

「お帰りなさい、お姉さま!」

 先刻までの低い声を嘘の様に高く変化させ、甘えた口振りで香苗が瞳を輝かせる。

 裕は軽く微笑みながら、彼女の胸に飛び込んできた香苗の頭を軽く撫でた。

「あらあら、香苗ちゃんは今日も甘えん坊さんね」

「だって……、私、最近お姉さまと全然一緒に居られないんだもん! 寂しくて寂しくていつも溜息ばかり吐いていたの。だからとっても嬉しいの、お姉さまと逢える少ない時間が。その時間が本当に嬉しくて堪らないんだもの!」

 艶を帯びた瞳で香苗が更に胸の中で甘える。

 その様子を庚と蒼鬼が呆れた様に見つめ、うさぎが呆然とした表情を浮かべていた。

 この香苗の変貌は裕の前だけで香苗が演じる演技というわけではない。無論、先刻まで庚達に見せていた香苗の姿も演技ではない。両方が香苗の素の姿だ。庚達の前では厳しく男勝りな少女であり、裕の前ではお姉さまについ甘えてしまう甘えん坊へと変貌する。それが香苗という少女だった。

 それは香苗の服装にも見て取れる。香苗は普段の男勝りな性格に似合わず、淑やかなプリーツスカート、淑やかな雰囲気のブラウスを好んで着用している。髪の色も漆黒で肩に掛かる長さの柔らかい髪型であり、それをピンクのリボンで纏めていた。無論、それは裕に気に入られるために他ならない。

「お姉さま、お帰りなさい!」

 裕の胸に顔を埋め、香苗が更に甘い声を出す。

 庚と蒼鬼はそれを見ないように、視線を逸らした。

 うさぎだけが困ったように香苗の変貌振りに動揺していた。

「あの、蒼鬼さん、これは……?」

「見ちゃいけない。あれは俺達が関わってはいけない世界なんだ」

 蒼鬼が呻く様に呟き、軽くうさぎの頭を撫でた。

 ちなみに香苗の『お姉さま』、裕とは何者なのかを少しだけ述べる。

 桃色の着物を着用し、鮮やかな色取りの帯を見事に巻いている。日本人形の如く前髪と後ろ髪が切り揃えられている髪型。下駄を優雅に鳴らし、悠然と歩く姿はとても優雅で美しい。睫毛も非常に長く、瞳も切れ長で小振りな唇もまた秀麗だった。着物自体は亡き母親のお下がりで色褪せてはいるが。

 性格も温厚で丁寧。優しさだけでなく厳しさも兼ね備えた才色兼備。まさしく非の打ち所が無く、十九歳とは思えない理想的な大和撫子と言えるだろう。

 そして、香苗が『お姉さま』と呼称している事から分かるが、裕は香苗の実姉だった。蒼鬼や庚の事を痛い人間だと言い張る香苗ではあるが、実姉を『お姉さま』と呼び、思慕して甘える香苗もまた十分に痛い人間なのだった。

 結局の話、類は友を呼ぶという事だろう。

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