一話「HOLY LONELY LIGHT」
陽が照っている。
残暑を感じさせる秋の陽光は多少熱を帯び、香苗の気分を少しだけ高揚させたが、またすぐに気持ちが沈んだ。
香苗は一年の季節の中で夏が好きだ。夏の夜の風は何とも言えない感触がするし、海で思い切り泳ぐのも大好きだ。だからこそ季節も秋口に変わると、自分が少しだけ物哀しさを感じてしまうのも仕方あるまい。無論、物哀しいのはそれだけが理由ではない事を理解してもいるのだが。
公園のベンチで秋口の陽光を眺めつつ、香苗は大きな嘆息を吐いた。嘆息をすると幸福が逃げていくとは誰の弁だったか知らないが、それでもどうにも嘆息したくて堪らない瞬間もある。取り分け大切な人間と逢いたくても逢えない時には。
溜息を吐き過ぎていたせいだろう。隣に座っている庚に瞳を覗き込まれた。
「どうしたんよ、香苗」
香苗は何となく庚から視線を逸らし、再び秋口の太陽を見上げる。
「あたしだって溜息を吐きたくなる時くらいあるって」
「何なん? 恋とか? 香苗には実に似合わんけどさ」
「恋ねえ……」
庚の言う通りかもしれなかったが、肯定するのは何となく腹立たしい。
せめてもの抵抗として香苗は首を傾げる事で応じたが、庚はその香苗の様子を見て苦笑した。香苗の考えている事など分かり切っているという意味だろう。腹立たしくはあるが、庚の考えは間違いとは言えない。香苗の憂鬱の原因は間違いなく恋だ。逢いたくても逢えない事で憂鬱な気分になるなど、恋以外の何物でもないだろう。
無論、それを口に出すつもりはない香苗は、肩を竦めて軽口を叩く事で応じた。
「そんな庚こそどうなんだよ? 庚こそいい人は居ないのか?」
「ウチは、ね。まだ少し……」
その質問に庚は視線を逸らし、呻くように呟いた。
腹立たしかったからと言って、憂鬱だからと言って、これは意地の悪い質問だった。
香苗は自分の頭を掻いて、庚に聞こえないよう小さく「ごめん」と呟いた。庚には恋など出来ない理由がある。いつかはまた恋愛に興味を持てるかもしれないが、恐らく今はまだ無理だろう。だからこそ香苗は「ごめん」ともう一度呟いた。呟くのがせめてもの誠意だった。
「あに?」
庚が怪訝な様子で視線を向けたが、香苗は苦笑してからかぶりを振った。
「気にするな、こっちの話だよ」
言いながら香苗は庚の全身を見渡してみて、少しだけ苦笑してしまった。
庚に恋が出来ないのは深い理由があるのだが、他の点においても問題があるからだろうと思えたからだ。
庚の外見自体は可愛らしいと言える。背も香苗より頭一つは高く、大きな目と通った鼻筋が意志の強さと純粋さを主張していて、肉付きも悪くはない。胸や臀部はそれほど大きくはないが、それなりに女性らしい曲線を立派に描いている。恐らくは美少女と称しても過言ではないだろう。
だが庚の問題は服装と髪型にある。服装は近年の女性に見られない、何故か人参が印刷されている安っぽいシャツと色が煤けたジーンズだった。それだけでも十六歳とは思えない枯れた服装だが、髪型はなお不自然だった。髪型と言うより髪の長さか。庚の髪は腰にまで達しそうなほど長いのだ。
髪が腰まで届く女性は劇作の中では多く存在し、それなりの人気を博してはいるが、現実に存在するとなるとそうはいかない。特に庚くらいにまで長いと洗髪も一苦労でろくに手入れされていない事も多々ある。幸いにと言うべきか、庚は毎日相当な時間を掛けて洗髪しているらしく、彼女の長髪は絹のように流れているし悪臭が漂ってくる事もないのだが、それでも不自然には違いない。
「それで香苗?」
唐突に庚が話を進める。その長髪からはシャンプーのいい香りがした。
「何だよ?」
「結局、どうして溜息なんか吐いてるんよ? 何か気がかりな事でもあるの?」
「あー……、そういやそんな話だったっけ? いや、最近お姉さまの仕事が修羅場に入っていてね、あんまり長い時間一緒に居られないんだよね」
「成程ね、でも、それは仕方無いって、香苗。裕さんはウチらみたく外回りだけしてればいいもんじゃないしね」
「分かってるよ」
そう。分かっている。自分では裕の力になれない事を香苗は分かっている。故にこそどうしても嘆息してしまうのだ。
その事情すら完全に理解しているのだろう。庚が香苗の肩を軽く叩いた。
「気持ちは分かんなくもないけどね。でも、だったら尚更、ウチらに溜息なんて吐いてる暇なんてないんじゃない?」
「それもそう……、それもそうだな」
香苗は表情を緩め、軽く庚の後頭部を叩いてやった。
どうせ香苗が裕の為にできるのはその程度の事なのだ。逢えない辛さを考えるより、逢う時間を得る為に何かを行う方がまだ有意義には違いない。
香苗はリボンで纏めた自分の黒髪を軽く梳く。姉の裕とよく似た髪質の黒髪。取り柄の少ない香苗の些細で大きな自慢の黒髪。触っていると、少しだけ心を落ち着けられる。
「ところで庚」
「あによ?」
「依頼人との待ち合わせ時間は何時だったっけ? そろそろじゃない?」
「ほうよね。待ち合わせ時間は十時じゃけえ、もうすぐ来るとは思うんだけど……」
香苗達が朝から女二人で公園のベンチに座っているのは、無論の事ながら仕事だからだ。人と出会い、その人物から仕事を貰うためだ。いや、人というには語弊がある。依頼者は人間とは限らない。特に広島には様々な種族が混在している。依頼人が人間だろうと天使だろうと悪魔だろうと、言葉さえ通じればどんな依頼でも受ける。それが香苗達に出来る唯一の仕事であり、それこそが彼女等の日々の糧となっている。
それから数分。
香苗と庚が秋口の風に軽く欠伸を噛み殺したその頃、依頼人が背中の翼を揺らし、二人の前に姿を現した。
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