魔人の逆襲 十三 結界消滅
「うわぁ~!」
アスカと初めて会ったリディアの第一声は感嘆の声だった。
赤龍帝の頭は、鎧を着込んだ女騎士の胸のあたりまでしかない。
自分のすぐ前で目を丸くしているリディアを、アスカは困ったような顔で見下ろしている。
「それで、ウエマクはアスカならば吸血鬼を倒せると言ったのかね?」
二人を無視してアリストアがユニに尋ねる。
「いえ、そうは言っていませんが、アスカが持つミスリルの宝刀ならばそのチャンスがあると……」
「そうか……少なくとも希望はあるということだな。
そうなると、問題はいかにしてナイラをおびき出すかだな……」
「それなら心配ないだろう」
アスカのプレートアーマーを物珍しそうにパンパンと叩いていたリディアが振り返って笑う。
「あの女は元女王だけあって、プライドが高そうだった。
乳が垂れていると言われた時の、あの女の顔をアリストア殿に見せてやりたかったわ」
ユニもうなずいた。
「そうですね。
ウエマクから聞いた話では、真祖が眷属を一人つくるためには十人ほどの血を要するそうです。
しかも彼女が一晩に吸血できるのは数人に過ぎないとか。
彼女が一から眷属を増やすには相当の時間がかかるでしょう。
あの女がそこまで辛抱強いとは思えません。
黙っていても、まずはリディアを狙ってくるでしょうね」
「それにしても……」
アリストアはまるで独り言のようにつぶやいた。
「あれが真の魔人だとして、サキュラが操っているのだろうが、なぜ大公国を狙わないのだろう」
「ああ、それなら……」
ユニがそれに答える。
「ウエマク様から聞きましたが、サキュラの連中はだいぶ危ない橋を渡っているそうですよ」
「どういうことかね?」
「吸血鬼はそう従順ではないそうです。
ナイラ自身は一応言うことを聞くらしいですが、その眷属まで支配はできないそうです。
隣国をいつ裏切るかもわからない不死の軍団の国にはしたくないのだろう。
――それがウエマク様の見解でした」
「なるほどな……」
そこでアリストアはふと顔を上げた。
「ところでユニ、君はどうするつもりだね?」
ユニは少し考え込みながら慎重に答える。
「はい……私もマリウスとともに護衛につこうと思います。
何かアスカの助けになるかもしれません」
「ふふ……その顔はまた何か企んでいますね。
いいでしょう。君は君のできることをすればいい」
アリストアは何かを察したようだった。
* *
赤城の城門警備は十六名の兵士が担っている。
城の正面出入口だけあって、四名が四交替で昼夜を問わず立哨している。
六時間の立哨だけが勤務ではなく、当番兵士は勤務六時間前に控室に入らなくてはいけない。
何かあった時のための予備部隊というわけだ。
もっともそのような非常時はめったにあるものではないので、待機時間中は控室内で何をしていても自由だ。
大抵の兵士は勤務が明けると家族と共に過ごす時間を大切にする。
そのため、待機時間を睡眠に当てる者がほとんどだった。
ヤミ一等兵は今年二十二歳になる若い兵士だ。まだ独身であったが、非番の時間は貴重な遊び時間である。
家族持ちの先輩同様、退屈な待機時間を睡眠に当てるのを常としていた。
控室は窓のない半地下にある石造りの部屋で、夏でもひんやりとしている。
部屋には四つの簡易ベッドが並べられていて、それぞれに当番前の兵士が毛布一枚にくるまってイビキをかいている。
若いヤミも深い眠りについていた。
彼が息苦しさに目覚めたのは深夜零時に近いころだった。
立哨の交替は深夜一時。あと三十分もすれば鬼の先任下士官が彼らを叩き起こしに来る。
ただ、部屋の中は真っ暗で、ヤミには時間などわからない。
ヤミは寝惚けた頭で息苦しさの正体を探った。
自分の身体の上に何か重たいものがのしかかっている。
『そうか、よく金縛りになる時に見る夢と同じだな……』
初めはそう思ったが、すぐそれとは違うことに気がついた。
ひどく重たいのだが、同時に肉の柔らかさがある。
甘い女の体臭と酷く猥雑なチーズのような匂いが混ざり合って鼻を刺激している。
大きな女の乳房が股間のあたりに圧しつけられて潰れている感触がする。
シャツがめくりあげられた男の乳首を、女の舌がちろちろと舐めているようだ。
『ああ、これは……あれだ。
スケベな夢を見て〝いっちまう〟やつだ……。
ずいぶん久しぶりだな。
そう言えば最近溜まってたんだっけ。
下着を換えるのは面倒くさいがまぁいいや。
あれは女郎屋の女を抱くよりはるかに気持ちがいいからな』
そう思うと若いヤミはこの淫夢を楽しむことにした。
その時に見る夢は、いつも男にとって都合の良すぎる内容で、しかも酷くいやらしく気持ちがいい。
男の乳首をなぶっていた舌が胸から腹へと移動して、硬くなったものを熱く湿った唇が呑み込んでいく。
『ああ、いいぞ……その調子だ。
畜生、女郎屋の女もこのくらいのサービスをしてくれたらなぁ……。
あいつら、高い金を取るくせに死んだ魚みたいに転がっているだけなんだから』
夢の女は、彼の上でこすりつけるようにして腰を振りはじめた。
たくましい女の尻の肉が生き物のようにのたうち、躍動する。
『すげぇな、これまで見たどんな夢よりも気持ちがいいぞ!
だけど小便がしたくてたまんねぇなぁ……。
でも、こういう時はいくらしたくても出すものを出さなきゃ小便が出来ねぇんだよな。
――ああ、だめだ。
気持ち良すぎてもう無理だ!』
ヤミが盛大に果ててしまうと、女の動きも緩慢になり、名残惜しそうにこすりつけてくる。
『あれ、おかしいな?』
やっとヤミは異常に気づいた。
いつもならその瞬間に目を覚まし、汚れた下着の感触で自己嫌悪に陥るはずだった。
もちろん、同時に甘美な夢は終わり、都合のいい淫乱女も消え去ってしまう。
なのに彼の裸に剥かれた股間の上には、相変わらずむっちりとした女の肉の感触が残っている。
しかも、今はその体重がまともに彼の身体にのしかかっている。
小便を我慢してぱんぱんに膨れた膀胱が破裂しそうで、痛みすら覚えるくらいだ。
『違う、これは夢じゃない!』
慌てて身をよじり、大声を上げようとした若者の口を女の大きな手がすばやく塞いだ。
そして、彼の身体に再び女の肉が覆いかぶさってきた。
女はヤミの耳元でささやく。
「どうだえ?
気持ちがよかったであろう。
最期にこんないい思いができて、お主は果報者じゃのう……」
女の低く蠱惑的な声とともに長い舌がぺろりと耳の穴を舐めた。
女の舌はそのまま耳の下へ、首へと移り、唇が喉の横に吸いつく。
「ぷつり」という音。
ちくりとした一瞬の痛み。
同時にヤミの意識は爆発し、そのまま戻ることはなかった。
兵士たちの控えの間は真っ暗だったが、吸血鬼の目には昼間同様に見渡せる。
ナイラに吸血され干からびた
すぐ側に並んだ三つの簡易ベッドの上では、三人の兵士の陰惨な遺体が転がっていた。
いずれも頭を恐ろしい力でねじ切られ、目が覚める暇もなく絶命していた。
洗濯を繰り返してくたびれたシーツは大量の血で染まり、部屋は青臭い淫行の臭い以上に鉄錆のような血の臭いで満たされていた。
ナイラはベッドから降りて立ち上がった。
ターコイズブルーに染まった見事な肉体は、薄く透ける絹のガウンを一枚はおったきりで、全裸と何も変わらない。
彼女が扉を開けて外に出ると、控室の中が〝まし〟に思えるような惨状が拡がっていた。
立哨についていた四人の当番兵は、すでにこと切れていた。
二人は頭蓋を壁に打ちつけられたのだろう、石壁に血と脳漿を撒き散らしたまま崩れ落ちていた。
だらんとのびた舌と下あごの白い歯だけが、かろうじてそれが人間だということを示している。
そこから上は肉片となって石壁にへばりついたままだ。
潰れた眼球と上顎の白い歯が月の光を受けて輝いている。
もう一人は腹を蹴られたらしい。
腹に大穴が開き、そこからピンク色の小腸がずるりとはみ出ている。
最後の一人は最も悲惨だった。
床に手足や頭蓋骨のかけらなどがバラバラに転がっていたが、明らかにパーツが足りなかった。
見上げてみれば、石の天井に人の形をしたものが張り付いている。
そこから肉片、内臓、毛の生えた頭皮、舌などがぶら下がり、ぱたぱたと血を滴らせている。
恐らく天井に叩きつけられ、全身が潰されたのだろう。
* *
ユニたちが考えたように、ナイラは弱まった結界を打ち破り、赤城に侵入してきた。
ただ、彼女は直接赤龍帝を狙わずに、リディアの部下たちを標的に据えたのである。
それは赤龍によって自分の眷属たちを皆殺しにされた、ナイラなりの復讐であった。
城内の兵士を殺しまくってから、ゆっくりとリディアを
そして赤城市の主であるリディアに赤城市民を襲わせようと彼女は考えていた。
そのために闇の中に身を潜めながら旅人や商人を襲い、眷属を生み出せるだけの精気を蓄えていたのである。
ナイラは城門から堂々と城内へと入っていく。
当然、要所には警備の兵がいる。
深夜に裸同然の女が歩いてくれば、当然
武器など必要ない。
殴る、蹴る、叩きつける。
兵士はなすすべなく殺されていったが、警戒の声を上げることぐらいはできた。
駆けつけた兵たちもまた、不死の吸血鬼によって殺戮の憂き目にあった。
ただ、兵たちは現場に駆けつける一方で、上層部への報告も怠らなかった。
アリストアたちは城内の兵士の逐次投入を中止させ、彼らを広い中庭に集めてミノタウロスとグリフォンにこれを警護させた。
一方、ナイラに対しては副官のロレンソ少佐を向かわせたのである。
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