魔人の逆襲 十二 古き種族
黒城の地下にある召喚の間はこじんまりとしている。
この城の主である黒蛇ウエマクの身体がそう大きくないためだ。
ユニはその扉の前で待たされていた。
契約の儀式を除いて、何人であろうと神獣の召喚を目にすることはできないのだ。
ただ、ユニがそう待たされることはなかった。
十分もしないうちに扉が開き、彼女はヴァルターによって招き入れられた。
「これはこれは。
こんなに早く再会できるとは思っていませんでしたよ」
召喚の間の床に描かれた巨大な魔法陣の中央に、金属光沢を帯びた黒い羽毛に覆われた大蛇がとぐろを巻いていた。
黒蛇ウエマクである。
ユニの頭の中に、男とも女ともつかない不思議な声が響いてくる。
「あまり時間がないようですから……ユニ、こちらへおいでなさい」
彼女は素直に黒蛇の指示にしたがい、その目の前へと近づく。
蛇という恐怖感はない。
ウエマクは首を伸ばし、ユニの顔の前に自分の顔を近づける。
「目を閉じてじっとしていなさい」
そう言うと蛇もまた目(瞬膜)を閉じ、ユニの額に自らの額を合わせた。
そのまま数分が過ぎ、ウエマクが顔を離すと、ユニの頭の中に愉快そうな笑い声が響いた。
「面白い、まったく面白い。
あなたという人は、つくづく面白い人です」
そのまま「くっくっ」という笑い声が続く。
『少し失礼じゃないかしら』
ユニが心の中で憮然とした感想を漏らすと、それが聞こえているようにウエマクが詫びを言った。
「いや、すまない。
あまりに興味深い話なのでね。
そうですか、魔人の心臓が再び現れましたか……。
それで、私の知恵を借りたいと?」
ユニはうなずく。
「はい。ウエマク様は私に『困ったことがあれば、一度だけ知恵を貸そう』と約束してくださいました。
今がその時と思っています」
ウエマクは少し感心したように首を傾げた。
「ことは王国の大事です。
国を守護する神獣としては、当然知ることを教えるのが務めです。
何もあなたの権利を行使しなくてもよいのではないのですか?」
ユニは真面目な顔で答える。
「いえ、失礼ですがウエマク様は私たちが想像する以上にいろいろなことを知っている――そう私は思っています」
「だから?」
「必要最低限のことを教えてもらうのではなく、それ以上のことまで私は知りたいのです」
ウエマクは吹き出した。相変わらず蛇がどうやってそんなことができるのか、聞いてみたい衝動が襲ってくる。
「これは……一本取られましたね!
なるほど、あなたの言うことは当たっています。
よいでしょう。あなたが知りたいことは何でも答えますよ」
「ではまず、第一に吸血鬼を倒す方法を教えてください」
ウエマクは少し考え込んだ。
「それに答えるには一つ条件があります。
吸血鬼を討ち果たしたのなら、魔人の心臓を手に入れ私のもとへ持ってくるのです。
例えアリストアが何と言おうともです。
あれは人が持っていてよいものではありません。
よいですね?」
ユニは黙ってうなずく。
「先ほどあなたの頭の中を覗きましたが、人間たちの伝承にも答えが隠されていますよ。
吸血鬼を倒すには、銀製の武器を使うのです」
「ですが……!」
ユニは反論する。
「赤城で吸血鬼の眷属に銀の短剣を使ってみたそうですが、何の効果もなかったと聞いています」
「ええ、それは普通の銀だからでしょうね。
吸血鬼はあれで結構古い種族なのですよ。
特に魔人の心臓から生まれてくる吸血鬼は〝真祖〟といって非常に強力です。
あれを討つには彼らと同じくらい古く神聖な金属〝ミスリル銀〟が必要なのですよ」
「しかし、ミスリル銀の武器など王室の宝物庫にだってありませんよ」
「お忘れですか?
アスカという娘に持たせた宝剣を」
「でも、あれは合金であまりミスリルの比率が高くないと聞きましたが……」
「心配いりません。
ミスリルが混じってさえいれば、吸血鬼の再生能力を無効化することができます。それに、あの剣でなければ駄目なのです。
あとは、あのアスカという娘が吸血鬼の力と速さに対応できるかどうかですね」
そこでユニは考え込む。
アスカならば理由を話せば助けてくれるだろう。
だが……。
「どうしました?
質問は終わりですか?」
黙り込んだユニを見て、ウエマクが声をかける。
ユニは夢から覚めたように顔を上げた。
「一つ疑問があります。
ウエマク様は吸血鬼を古い種族だと言いました。
私たち人間は、新しい種族だと聞いています。
その人間の血を吸って仲間を増やす吸血鬼が、古い種族だというのは矛盾しませんか?」
ウエマクは実に楽しそうだった。
恐らくユニの質問が気に入ったのだろう。
「そうですね。彼らは人間が現れてから吸血鬼になったのですよ。
人間がいなかった頃は、吸血鬼ではありませんでした。
もっとも、彼らはそのことをすっかり忘れているようですがね。
――彼らはかつて〝天使〟と呼ばれていました。
そう、大いなる神の
ですからかなり古い種族なのですよ。
私や龍族、巨人族には
神は自らに似せた生き物――人間を造り出し、知性を与えました。
いずれ彼らはこの世界の主となる――そう思ったのでしょうね。
神はそれ以来、この世界に干渉することをやめ、天界でただ見守るだけの存在になったのです。
ところが、天使たちの中にはそれをよしとしなかった者が多かったのです。
まぁ、簡単に言えば人間に嫉妬したのですよ。
その結果彼らは神を疑い、堕天したのです。
堕天使のことは聞いたことがありますか?」
ユニはうなずいた。
「ええ、かつて一度だけ魔道院でアルケミスという男が堕天使を召喚したと聞いています」
「ああ、そうでしたね。あれは小者でしたが……。
まぁ、吸血鬼もその堕天使の一人でした。
堕天使たちは悪魔と呼ばれ、魔界の闇の中からさまざまな害悪を撒き散らしていたのですが、吸血鬼となった悪魔は人間を憎むあまり、人を直接滅ぼす存在となったのです。
吸血鬼が残忍で淫乱なのは、秩序の
「では、あの魔人の心臓とは何なのですか?」
ユニが一番知りたかったのはそのことだった。
ウエマクは遠い目をして顔を上に向けた。
「吸血鬼が現れると、生まれたばかりの人間たちに
人間の最初の王国は崩壊寸前まで追い込まれました。
それを憐れに思ったのでしょうか、あるエルフの王が吸血鬼を討伐したのです。
実をいうと、私も少し手助けしたのですよ。
エルフの若き王は一計を案じ、吸血鬼を油断させミスリル銀の短剣で心臓を貫きました。
ですが、相手はかつて天上の輝ける軍勢の将、堕天した悪魔王の一人です。
完全な消滅までには至りませんでした。
その代わり、吸血鬼の肉体を滅ぼし、魂を封印することには成功しました。
それが魔人の心臓です」
「……では、アスカが吸血鬼を倒しても滅ぼすことはできないと?」
「そうです。魔人の虜となった意識と肉体が滅びるだけで、その魂は魔人の心臓に戻るだけです。
ですからそれは私が管理した方がよいのですよ。
もともと魔人の心臓は、私のいた世界のものなのです。
それがなぜ、こちらの世界に現れたのかはわかりませんがね」
――その後もユニは、ウエマクからさまざまな秘密に満ちた話を聞くことができた。
彼女が召喚の間を出た頃には、もう日が落ちかかっていた。
付き合ってくれた黒蛇帝は首を振って溜め息をついた。
「やれやれ、とんでもない話を聞いたもんだ。
私は近く消滅してウエマクに吸収される身だからいいが、君はあんな秘密を知って後悔しないかね?」
ユニは黙ったまま何も答えなかった。
「それにしても、吸血鬼とはまたやっかいな敵に狙われたものだ。
赤龍帝の嬢ちゃんには同情するな。
君はアスカのところに行くのかね?」
「はい、明日の朝には発とうと思います」
「では、蒼龍帝にことの仔細を書いてやろう。
それを持っていった方が話が早いだろう」
「恐れ入ります」
ユニは深々と頭を下げた。
* *
翌朝、ユニとアランは黒城市を発って蒼城市へと向かった。
両市の間はそれほど離れてはいないので、三時間足らずでロック鳥は蒼城の中庭に降り立った。
城の警護兵は驚いた。
ロック鳥が連絡もなく飛んできたということは、すなわち緊急事態である。
ユニが黒蛇帝の親書を見せると、彼女はすぐさま蒼龍帝のもとへ通された。
ユニは蒼龍帝となったフロイアに初めて会う。魔導院では八学年も上の先輩だったから、幼いユニからしたらフロイアはもう大人で言葉も交わしたこともなかったのだ。
アスカからその人となりはよく聞いていたが、目の前にしてみると思わず魅入られるような人物である。
アスカほどではないが、女性としてはかなり背が高く、均整のとれた身体をしている。
男性のような髪型にした凛々しい顔立ちは、〝男装の麗人〟という表現がぴったりだった。
フロイアは黒蛇帝の書状を読み終わると、側に控えているアスカに黙って手渡した。
そしてアスカがそれを読んでいる間にユニに問いかけた。
「ユニか、久しぶりだな――と言いたいところだが、私の記憶ではお前は小さい子どもでな、正直初対面の気分だ。まぁ、噂はアスカからいろいろと聞いている。
お前にはアスカのことでいろいろ恩義もあるからな、特別に貸してやろう。
どうだ、赤龍帝のひよっこはべそをかいていたか?」
ユニは苦笑した。
「いえいえ、リディア様はあれで結構しぶといですよ。
二十歳そこそこで、部下や市民の心をがっちり掴んでいます。
大したものですよ」
フロイアは意外そうな顔をした。
「そうなのか?
噂ではリディアは〝姫さま〟と呼ばれてちやほやされていると聞いたが……」
ユニは首を振った。
「それは彼女の見た目しか知らない市民たちの思い込みです。
気が強いうえに無茶をする、とんだじゃじゃ馬ですね」
そうこうしているうちにアスカが書状を読み終わった。
彼女は目を上げて主人に念を押す。
「では、フロイア様。
行ってもよろしゅうございますね」
蒼龍帝はからからと笑った。
「ああ、存分に暴れてこい!
できるならば私が代わりたいくらいだ」
アスカはユニの方に振り向く。
「ユニ、これから帰って家の者に後のことを頼まねばならん。
準備もあるし、半日時間をもらえるか?」
「ええ、構わないわ。
明日出発すれば十分間に合うから。
あたしもフェイやエマさんに久しぶりに会いたいもの」
「ああ、みんな喜ぶだろう。
私は部下たちとの引継ぎがあるから、ユニは先に行っていてくれないか」
* *
アスカ邸は何度となく訪れているから、道には迷わない。
蒼城市の活気ある市街を歩いていると、別の世界に来たような気がする。
赤城市はまるで伝染病に怯えた都市のように活気がなく、どんよりとした雰囲気が漂っていたからだ。
住宅街の一画に建つアスカ邸は二階建ての一軒家だが、そう大きな屋敷ではない。
使用人も家令のエマと三人のメイドだけだ。
扉をノックすると、顔見知りのメイドが出てきて愛想よく迎えられる。
家の中に入ると、子どものいる家特有の〝匂い〟がする。
その原因が、二階の部屋を派手な音をさせて開け、階段の手すりを滑りおりてくる。
茶色い弾丸のような勢いでそれはユニに体当たりしてきた。
みぞおちのあたりにフェイの頭がもろに入り、身構えていたユニであったが思わず咳き込んだ。
「ユニ姉ーーーーーっ!
ひっさしぶり!」
顔中に柔らかな毛を生やした少女が太陽なような笑顔を見せる。
「あら、あんたまた背が伸びたんじゃない?」
ユニは抱き着いているフェイを引きはがし、目の前に立たせてみた。
一月に会った時には、まだわずかにユニの方が大きかったはずだが、目の前のフェイはもう自分を追い越してしまったようだ。
しなやかで細身の身体は相変わらずだが、抱き留めたときにわずかな胸の膨らみも感じた。
女の子はあっという間に大きくなる。
それでも、頭の中はあまり変わっていないようだった。
フェイは
話題が学校このこと、友人のこと、アスカのこと、食べ物のことと、話題がぽんぽん飛ぶのでユニは相槌を入れるので精いっぱいだった。
家令のエマがお茶と甘いお菓子を持ってこなければ、ユニはそのまま言葉の洪水に押し流されていただろう。
お菓子に飛びついたフェイの隙を見て、エマはユニに話しかけた。
「お久しぶりですが、ずいぶん突然のお越しですのね?」
「ごめんなさい。
もうじきアスカも帰ってくると思うけど、急な仕事で彼女を赤城市へ連れて行くことになったのよ。
軍務なので詳しいことは言えないけど、多分一週間くらいは帰ってこられないと思うわ」
エマは小さく溜め息をついた。
「そうですか、お仕事ならば仕方ありませんね。
わかりました。
私はアスカお嬢様のお支度を用意しなければなりませんね。
お気の毒ですが、ユニ様には
「それは大役だわ」
ユニは笑いながらフェイを見た。
彼女は目をキラキラさせてこちらを見ている。
「えっ、アスカお出かけなの?
赤城市って、南の果てでしょ?
そういえばユニ姉、春にそっちに行ったんだよね。
どんなとこ?
ねぇ、お話聞かせて!」
ユニは赤城市や大公国のこと、サラーム教徒や砂漠の民のことなど異国情緒にあふれた話を聞かせた。
そして、巨大な青い魔人と赤龍の戦いを、おとぎ話のように語った。
もちろん、彼女が経験した呪術師の
フェイは大興奮して魔人や赤龍のことを聞きたがった。
そして、自分がその場にいなかったことを大いに悔しがった。
「ああっ、あたしがユニ姉みたいな召喚士だったら、きっとそんな冒険ができるんだろうなぁ!
……でも、あたしだって大人になったら戦場を経験できるかもしれないものね」
ユニは少し顔を曇らせた。
「フェイ、あんたまさかアスカみたいに軍人になるつもりのなの?」
少女は顔を横に振った。
「ううん、あたしは医者になるの!」
「医者?」
「ええ。あたし、もっと勉強してお医者さんになる。
そしたらジェシカやシェンカ、それにアスカが怪我をしても助けてあげられるでしょ?
誰かが怪我をしているのに、何もできないでいる自分って、好きじゃないわ」
「そう……」
フェイは彼女なりに自分の将来を考えている。
そしてその実現のためには、がむしゃらに努力をするのだろう。
――ユニにはそれがよくわかっていた。
夕方、アスカが戻ってきた頃には、エマがすっかり旅の用意を整えていた。
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