魔人の逆襲 十四 赤龍帝襲撃
ナイラは石造りの回廊をずんずんと進んでいった。
城を一周したあたりでやっと内郭へと通じる扉が現れる。
そこを警備していた兵士には、不幸にも中庭への退避命令が届いていなかったらしい。
それだけ城内が混乱していたのだろう。
そもそも結界の消滅は翌日と考えられていた。
実際に結界はまだ存在していたのだが、弱まって消える寸前だった結界をナイラが強引に突破したのだった。
これが彼女の眷属だったら、恐らくまだ結界は有効だっただろう。
剣を抜いて切りかかってきた兵士に対し、ナイラは右腕を横に振り払った。
それだけで二人の警護兵は吹っ飛ばされ、石壁に激突した。
呻き声をあげてうずくまる兵士を、ナイラが裸足の足で踏みつける。
「ばきばきっ」っという音とともに、仰向けになった兵士の肋骨が折れ、胸骨が踏み抜かれる。
肺を踏みつぶされた兵士は口から血の泡を吹いて、悲鳴を上げる間もなく絶命した。
ナイラは足を再び上げ、隣りに転がっている兵士も踏みつける。
同じように胸を踏みつぶすつもりだったが、男が激しくもがいたため狙いが逸れた。
ナイラの足は兵士の左肩を粉砕し、男は絶叫を上げて気絶した。
まだ息はあるようだったが、女吸血鬼は彼を無視して扉を開けた。
城の内郭に入ると、これまでの石で組み上げた回廊とは様相が一変する。
床には厚手の絨毯が敷かれ、壁も天井もふんだんに装飾された白い漆喰で塗り固められている。
壁には黄色い光を放つランタンが等間隔で並び、要所には花瓶に活けられた花が飾られている。
「ふん、王国の城も大したことはないな」
ナイラは鼻を鳴らした。
南方諸国の幾何学模様や植物文様を多用した、繊細で複雑な装飾に慣れた目には物足りないのだろう。
「それはご挨拶だな」
ふいに低音の男の声が響き、通路の角から佐官の軍服を着た壮年の男が現れた。
ロレンソ少佐である。
そして、その前には獅子の頭を持った筋骨逞しい男が守るように立ち塞がっている。
体長は三メートル近い巨体、革の腰巻だけをつけた裸体は岩のような筋肉で覆われている。
そして逞しく盛り上がった肩の上にはライオンの頭部が乗っている。
いわばオオカミ男のライオン版――それがロレンソの幻獣ナラシンハであった。
「悪いがこの先に行かせるわけにはいかん」
ロレンソは落ち着いた声で呼びかける。
ナイラは小さく首を傾げたが、すぐに納得した。
「ああ、召喚士と幻獣か。
その
面白い、やってみるがいい」
言い捨てるなり、ナイラは低い姿勢で突進した。
数メートルの距離を一瞬で詰め、がら空きなっている獣人の腹に拳を叩き込む。
一撃で人間の頭蓋を叩き潰す攻撃を、ナラシンハは難なく受け止める。
そればかりでなく、繰り出されたナイラの右腕を両手で掴むと、そのまま振り回した。
青く染まったナイラの身体が、白い漆喰の壁に叩きつけられ、漆喰の破片が飛び散った。
しかし、ナイラは逆に獣人の腕を取り、壁にぶつかった反動を利用して見事な一本背負いを決めた。
ナラシンハは背中から床に激突したが、分厚い筋肉がクッションとなり、さしたるダメージを受けなかった。
彼はそのままバネのように跳ね起きると、丸太のような脚で回し蹴りを放つ。
ナイラの腹に入った蹴りは、彼女の身体を壁にめり込ませた。
肋骨が何本か折れた音がしたが、それは一瞬で再生する。
二人の怪物は延々と肉弾戦を繰り広げた。
形勢は互角だが、肩を上下に揺らし始めたナラシンハに対し、ナイラは息すら切らしていない。
力では吸血鬼を凌ぐナラシンハも、天井に頭がつきそうな屋内では思うように身体が動かせない。
対して敏捷に動けるナイラだが、うかつに飛び込んで捉まえられるとただでは済みそうもない。
攻め手を欠いた二人は少し距離をとって身構えている。
その時、ナイラの後方で扉が乱暴に開き、一人の兵士が現れた。
「馬鹿者! 来るなっ!」
叫ぶロレンソの声が届かないのか、兵士は右手に握った長剣を振りかざしてナイラに向かって突進してきた。
その左手は真っ赤な血に染まり、肩から千切れそうになってぶらぶら振り子のように揺れている。
門衛をしていて、肩を踏み抜かれた兵士だった。
大量の血を失い、蒼白となった顔面をゆがませ、よろめきながら兵士はナイラに向かっていく。
「こんの化け物がぁーーーーっ!」
絶叫する瀕死の兵士をナイラは感情のない冷たい目で見ている。
視力も定かでなく、腰の入っていない一撃だった。
ナイラなら苦も無く避けられるし、片手を振り払うだけで兵士を叩き潰せたはずだ。
しかし、ナイラは微動だにせず、兵士の攻撃を受け止めた。
ほとんど倒れ込みながら、必死の力を振り絞って放った斬撃は、ナイラの右手首の上あたりに叩きつけられた。
彼女は剣が半ばまで喰い込んだ右腕をぐいと前に突き出す。
兵士はそこに倒れ込みながら剣に全体重をかけた。
その勢いで長剣はナイラの手首を切断し、兵士はそのまま床に倒れ伏した。
斬られた手首からは即座に新しい手が再生し、ナイラは何の痛痒も感じていない。
生えた右手で倒れた兵士の胸倉を掴み、まるで小さなウサギのように軽々と目の高さまで持ち上げる。
男は意識が朦朧としているようだが、かろうじて薄目を開けていた。
「一太刀浴びせたな……満足か?」
ナイラの声音には意外にも優しい響きがあった。
兵士は声を出せなかったが、にやりと唇をゆがめて笑った。
「見事である」
ナイラはそう言って胸倉を掴んだ手を離した。
男の身体がずり落ちようとした瞬間、右手が兵士の喉を鷲掴みにし、そのまま握り潰した。
頸椎が折れ、ナイラの凄まじい握力で潰された首から兵士の頭が千切れ、「ごとり」と重い音を立てて床に落ちた。
ナイラはロレンソたちの方に向き直った。
「興がそがれた。
そこの獣人がわらわに勝てるとは思わんが、やっかいなことは間違いないな。
勝負はまたの機会にするとしよう」
彼女はそう言うと、床に転がっていた兵士の長剣を取り上げた。
そして兵士の
ロレンソは呆然としてそれを見送った。
話には聞いていたが、実際に人が影の中に潜っていく様を見るのは衝撃だったのだ。
「まいったなぁ……ナラシンハはミノタウロスに次ぐ戦闘力を持っているのだが。
何なのだ、あの化け物は……。
姫さま、どうかご無事で」
* *
ナイラは闇の中で城内の気配を探っていた。
兵士のほとんどは一か所の広い場所に集まっているようだった。
同時にそこには、先ほどのナラシンハと同じか、それ以上の尋常ではない化け物の存在も感じられた。
恐らく兵士を避難させて幻獣に護衛をさせているのだろう。
なおも気配を探ると、内郭の奥のそう広くない部屋に数人の人間がいるようだ。
人間だけで幻獣らしき存在は感じられない。
罠か? ――だとしても奴らに何ができる?
ナイラの肚は決まった。
上下左右の方向感覚が存在しない漆黒の闇の中を、彼女は泳ぐように移動していった。
* *
城内の騒ぎは当然、リディアの元にも届いていた。
一同は直接に赤龍帝の寝室を襲うものと予想していたし、結界の解けるのは明日と考えていたため不意を突かれたとも言える。
ただ、準備自体は怠りない。
すでにリディアは軍装に着替えて着剣していたし、プレートアーマー姿のアスカは宝剣を抜いて仁王立ちしている。
ユニとマリウス、そしてアリストアもリディアを囲むように待機していた。
長身のアスカからは長い影が床に伸びていたが、その影が突然暗く墨を流したように渦を巻き始める。
それはアスカの影とはまったくの別物になって、黒いタールの塊りのようにぬめぬめと灯りを反射しながら盛り上がってくる。
全員が身構える中、黒い塊りは次第に青く色を変え、水から浮かび上がるかのようにナイラが姿を現した。
身に纏っていた薄衣のベールは、先ほどのナラシンハとの戦いで引き千切られ、霧散していた。
百八十を超す長身、重たげに揺れる双の乳房、引き締まった腹部、淡い翳をつくる陰部、大きな尻と太い腿、長い脚――全身を恥じらうことなく晒した女の青く染まった肉体がそこにあった。
「なんだ、やはり人間しかいないのか?
せめてさっきの獅子頭の獣人でも呼んだらどうだ。
これでは勝負にならんぞ」
ナイラはリディアに呼びかけた。
目の前に立つ鎧の女騎士の存在など意にも介さない。
「相変わらずいい歳こいて、たるんだ裸を見せたがるのね。
少しは恥を知ったらどうなの?」
ナイラのこめかみにぴくりと青筋が浮かぶ。
「ふん、
貴様はわが眷属にして、自分の部下を殺させてやるからな。
わらわに血を吸われると、女だとて淫液を垂れ流してよがり狂うのじゃ。
貴様はどんな醜態を見せるか、楽しみというもだ」
そう言うとナイラは一歩、リディアの方へ近づこうとした。
しかし、その眼前に鎧を着た騎士が立ちはだかる。
「待て、お前の相手は私だ」
面頬を下ろした兜から、アスカの低い声が響く。
「何だ、お前は女か?
わらわより大きい女とは珍しいな。
だが、人の身でどうにかなるものではないぞ」
「試してみるか?」
そう言うなりアスカの剣が目にもとまらぬ速さで打ち込まれた。
「ごうっ」という風切り音が聞こえるほどの重い一撃を、ナイラは手にした剣でやすやすと受け止める。
返す刀で敵の胸元へ水平に長剣を払う。
それをアスカは両手に握った宝剣で受けたが、その拍子にずるずると後ろに後退した。
ユニはアスカがオークの振るう棍棒を片手の剣で受け止めたのを見たことがある。
そのアスカが両手を使い、しかも押されて後退するとは、どれだけ吸血鬼の力は強いのだろう。
二人は「ガンガン」という派手な音を立てて数合打ち合った。
技術的には遜色がないのだろうが、いかんせんナイラの力は圧倒的だった。
両手を使って打ちおろすアスカの剣をナイラは片手の剣で受け止め、空いた左手で鎧のわき腹あたりを殴りつける。
オークの剛腕を凌ぐ一撃に彼女は吹き飛ばされ、「ぐっ」という呻き声を上げて壁に叩きつけられた。
それでも倒れることなく、彼女は再び斬り込んでくる。
怒涛のような斬撃の嵐を着実に受けながら、ナイラは感嘆の声を漏らした。
「ほう、剣技もよい。
力も人間としては信じがたいレベルだ。
それにずいぶん良い鎧を着ているようじゃの。
普通ならさっきのであばらが折れているはずだがな……。
確かにいい腕だが、それではわらわには勝てぬぞ」
アスカは彼女の言葉を意に介さず、ひたすら無言で攻撃を繰り出している。
「よくも息が上がらぬものだな。
そう遮二無二攻撃したとてどうにもならんぞ。
そうだ、ほれ斬ってみろ。無駄だということをわからせてやる」
ナイラは次の攻撃を剣ではなく、左腕で受けようとした。
彼女は腕を斬らせ、即座に再生する現実を見せてアスカに絶望を与えること。
そして、斬った勢いで前につんのめるところを捉まえてやろうと思ったのだ。
しかし彼女の目論見はすべて裏目と出た。
アスカの宝剣は吸血鬼の肘から先を遠慮なく斬り飛ばした。
だが彼女は体勢を崩すことなく、右足を踏ん張って素早く剣を引き、次の攻撃へと備える。
斬られた腕はたちまち黒い霧のようになって消え去った。
そして、即座に腕が再生するだずだった。
しかし、ナイラの傷口からはぶくぶくと青く細かな泡が吹き出すだけで、新しい腕などどこからも生えてこない。
ナイラは一瞬で数メートルも飛び下がった。
「何だ、どうしたというのだ?」
彼女は呆然として青い傷口を見つめている。
例え首を刎ねられても、胴を真っ二つにされようと、心臓をえぐり出されようと、ナイラの肉体は即座に再生するはずだった。
それなのに、今自分の目の前にある左腕は切断されたまま何の変化も起きない。
それどころか、本来感じるはずのない凄まじい苦痛が傷口から伝わってくる。
血こそ流れていないが、そこから精気が零れ落ちているような気すらする。
「何だ!
貴様、何をした!」
ナイラの怒気を含んだ絶叫が部屋に響き渡った。
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