魔人の逆襲 三 赤城市再訪
ヒルダの話を聞き終えたユニは、難しい顔をしていた。
「えーと、要するに赤城市の新市街で謎の拉致事件が発生した。
犯人は俊敏、怪力で、全身を槍で貫かれても死なない。
首を刎ねたら倒すことができたけど、死体は崩れて消えてしまった……。
――ってことよね?」
「そういうことですね」
ヒルダがうなずく。
「ねえ、ヒルダさん。
それって、犯人は人間じゃない――そういうことじゃない?」
「第三軍内で、未知の幻獣ではないかという見方があるのは事実ですね」
「あたしとオオカミたちに、そんな化け物を相手にしろっていうの?」
ユニの皮肉めいた言い方にも、ヒルダはまったく表情を変えなかった。
「いえ、相手は私とロレンソ少佐の幻獣がいたします。
ユニさんには、あくまで犯人の追跡、あるいは居場所の特定をお願いしたいのです」
「んー、マリウスはどう思う?」
ユニは隣りでおとなしく話を聞いていた若者に声をかけた。
「面白そうじゃないですか?」
ユニはがっくりと肩を落とした。
「あんたの判断基準はいつもそれね。
面白けりゃ何でもいいの、あんたは?」
マリウスはにこにこしながら反論する。
「そんなことはありませんけど、面白い事件には知的好奇心がそそられますからね。
ヒルダさんの話だと、犯人は理性を失っているような感じですよね。
ひょっとしたら言葉も話せないのかもしれない。
多分、大きな力を得た代償なんだろうと思いますが……南方諸国で見た呪術師の呪いと似ているような気がしませんか?
……うん、やっぱりこれは面白いですよ」
「訊いたあたしが馬鹿だったわ。
――いいでしょう、それで報酬は?」
「無条件で金貨十枚。成功報酬としてさらに十枚」
「悪くないわね」
ユニは笑って立ち上がる。
ヒルダも立ち上がって、ユニと握手を交わす。
二人の手の上に、もう一つの手が重なった。
「もちろん、僕も同行します」
栗色の巻き毛の青年がさも当然といった顔で笑った。
* *
三か月ぶりの赤城市、特に新市街はすっかり雰囲気が変わっていた。
何というか全体に活気がなく、人々の顔が暗い。
正体のわからない拉致事件が毎日のように起きているのだから当然ともいえる。
赤城市に到着したユニとマリウスは、すぐに赤城に通されて赤龍帝に面会することになった。
彼女の執務室らしき部屋に案内された二人を、一足先に帰っていた副官のヒルダが迎えてくれた。
部屋の中央に置かれたテーブルには、リディアと二人の副官のほか、一人の男が席についていた。
制服が警衛隊のものなので、警備の責任者らしい。
ユニとマリウスは彼と簡単に自己紹介を済ませると、用意された席に着いた。
リディアがさっそく口火を切る。
「二人ともよく来てくれた。
挨拶は抜きだ。
状況はヒルダを使いに出した時から悪化している。加速度をつけてだ。
現在行方不明者は八十名余り、一晩に十名を超えているのだ」
大人びた言葉遣いで状況を語る赤龍帝の見た目は、小柄で華奢な少女に過ぎない。
年齢で言えば二十歳になっているはずだが、十五、六歳だと言っても通じそうなほど幼い顔立ちだ。
「ちょっと訊いていいですか?」
マリウスが手を挙げて発言を求めたのに対し、リディアはうなずいて許可を示す。
「犠牲者が発見されたのは、襲撃現場を押さえた時の一件だけなんですよね?」
「そのとおりだ。その時殺された女性以外、まだ誰も見つかっていない」
答えたのはミルコという警備責任者だ。
「つまり生死はともかく、犯人は犠牲者を連れ帰っているということですよね。
厳重な巡回警備をしていてもそれと遭遇しないということは、新市街の外部から侵入したとは考えられません。
犠牲者は新市街の住民に限られていて、城壁内の旧市街は無事です。
ということは、犯人は新市街――しかも貧民街に潜伏しているとしか考えられないのではありませんか?」
ミルコはマリウスの言うことにいちいちうなずいていた。
「私たちも当然そう考えました。
そこで貧民街全域を、シラミ潰しに捜索しましたが何も見つからないのです。
そもそも貧民街の住民は、一部屋、よくて二部屋に家族全員が住んでいます。
何十人という被害者を隠せるような大きな建物なんて、そもそも存在しないのですよ」
ユニも手を挙げて発言する。
「その、襲われた女性は全身が干からびたようになっていたそうですが、医師の見立てはどうだったのでしょう?」
ミルコはリディアの方に視線を走らせる。
赤龍帝は軽く咳払いをした。
「これはまだ
被害者は全身の血液の過半を失っていた上、肉から内臓に至るまで水分を抜かれたように委縮していたそうだ。
それなのに大きな外傷が見当たらない――一か所を除いてな」
「その一か所とは?」
ユニの質問に、リディアは少しの躊躇を見せた。
「首に……二つ並んだ小さな噛み跡があった。
ちょうど人間の犬歯を突き立てたような間隔だと医者が言っていた」
「それじゃまるで吸血鬼じゃありませんか?」
吸血鬼の伝承は各国にある。人間の血を吸う悪魔であること、血を吸われた人間もまた吸血鬼になることなどは共通しているが、それ以外はその地域によってさまざまに言い伝えられている。
最も有名なのが、北の大国イゾルデル帝国に伝わる伝承で、ある地方の領主が吸血鬼であり、美女を虜にして次々と眷属を増やすものの、吸血鬼の殲滅に執念を燃やす狂気の科学者がそれを討ち滅ぼすというものだ。
もっとも、これは伝承をもとにした演劇をベースに、ある作家が発表した恐怖小説である。
これが帝国内でベストセラーとなり、一気に吸血鬼の知名度が上がった。その小説は各国で翻訳出版され、広く知られることとなった。
もう百年近くも前のことで、今では吸血鬼といえばコウモリに変身して空を飛び、聖遺物やニンニクを苦手とし、太陽の光に焼かれるか、銀製の武器で心臓を貫かれると滅びるというのが定番となっている。
「まぁ、首を刎ねた後に犯人の身体が崩壊したことの説明はつくのだがな……。
さすがに今のところは可能性の一つに過ぎない。
とにかく、今は市民がパニックに陥るのが怖い。
今のままでは何の発表もできん。
何でもいい、手掛かりを見つけてくれ!」
リディアの苦しそうな言葉は、赤城市の置かれた状況を表していた。
* *
唯一抑えられた犯行現場は、警衛隊によって規制線が張られ、厳重に保存されていた。
遠巻きに市民が見守る中、ユニのオオカミたちは現場の臭いを慎重に確認していた。
見守るユニとマリウスの側にはヒルダが付いている。
赤城での会談の終わりに、赤龍帝はヒルダにユニたちのサポートを命じた。
「女性同士の方が何かとやりやすいだろう。
グリフォンを含めて、ヒルダを好きに使ってくれ」
そう言うと、リディアは傍らのロレンソ少佐を見て苦笑いを浮かべた。
「ロレンソには気の毒だが、お前は私のお守役だ。
少しはヒルダの普段の苦労を思い知るがいい」
「それはまた、困難な任務ですな。
ですがお任せください。
昔から姫のお守役は爺やと決まっておりますからな」
「貴様はまだ四十だろう。いつから年寄りになった?」
そう言うとリディアとロレンソは顔を見合わせて笑った。
オオカミたちはかなりの時間をかけ、規制線の外側まで臭いを追っていたが、やがてライガがユニのもとへ戻ってきた。
『駄目だな。犯人の臭いが残っているのはこの周辺だけだ。
外に続く臭いが全くない』
「どういうこと?」
ライガの目に思慮深い光が宿る。
「つまり犯人は外部から侵入したのではなく、突然この場所に現れたか――。
そうじゃなきゃ、そこの小僧ががノルドで使ったような臭いを遮断する魔法を発動させたかだな」
「どうなの? マリウス」
ユニはライガとともにマリウスの顔を見る。
「魔法だとすれば不自然ですね。
そんなことができるのなら、最後まで魔法を解除しないでしょう。
ノルドで現場に臭いを残したのは、あくまでユニさんを誘い込むための作戦です。
ここでそれをする理由なんて考えられません」
真面目な顔で答えたマリウスは、思いついたように付け加えた。
「あ、もし犯人が吸血鬼だったとしたら、ここまではコウモリに変身して飛んできたってのはどうです?」
「あんた、それ本気で言ってるの?」
「冗談ですよ、さすがにそれはないでしょう」
ユニもマリウスも、吸血鬼の存在自体は疑っていない。
各地に似たような伝承が残っているということは、過去に何らかの原因で(恐らくは〝穴〟のせい)異世界から飛ばされてきた吸血鬼がいたということだろう。
ただ、二人は現在広く知られている吸血鬼の特徴の多くが、演劇や小説で描かれたものだということを知っている。
召喚術が発達している王国では、あらゆる幻獣の調査を行っている。
各地の伝承を比較検討した結果得られた吸血鬼像は、吸血とそれに伴う
聖遺物やニンニクが苦手だとか、コウモリに変身できるといった特徴は、小説が広めた根拠のないもの――というのが研究者たちの見解である。
『ただ、吸血鬼っていう線は、案外当たっているかもしれないぞ』
「何かあるの?」
正直、吸血鬼説には懐疑的だったユニはライガの言葉に驚いた。
『犯人の臭いなんだがな……生きている人間の臭いじゃない。
むしろ死体の臭いに近い――腐敗していない死体……と言えばわかってもらえるか?』
ライガがそう言うのなら、ユニとしては信じざるを得ない。彼女は頭を抱えてしまった。
「うーん、……こりゃ相手は
うちはオーク専門なんだけどなぁ……」
* *
「そうか、やはり吸血鬼か……」
リディアはヒルダの報告を聞いて、こめかみを押さえながら唸った。
「それで、ユニとマリウスはどうしたのだ?」
「はい、吸血鬼の侵入経路が掴めない以上、独自に夜間巡回を行うと言って別れましたが……」
「ほう……何か特別な準備でもあるのかな?」
「いえ、暗くなるまで寝ると……」
「あ……。
いや、ああ、そうか。当たり前だな。
……そうだな、どうも私は余裕を失っていたようだ」
一瞬絶句したリディアは、すぐに気を取り直して自嘲した。
そして頭を振って、立ち上がる。
「ちょっとドレイクに会ってくる。
ついてこなくていいいから、ヒルダも休んでくれ」
リディアは赤城内にある召喚の間へと向かった。
王都を別にすれば、赤城の召喚の間が最も大きい。
赤龍が最大の神獣であるからだが、がらんとした召喚の間に小柄なリディアがぽつんと立っているのはひどく奇妙な光景だった。
彼女は巨大な魔法陣が描かれた広間の中央に立つと、静かに目を閉じ心を落ち着ける。
そして、ゆっくりと召喚の呪文を唱える。
実際には呪文はきっかけに過ぎず、必ずしも必要なものではないのだが、長く複雑な呪文を唱えていると雑念が消え集中力が増してくるのだ。
「長いぞ、まだ終わらんのか?」
びりびりと空気を震わせるような低音がふいに響いた。
リディアは片目を開いて振り返る。
「何よ、せっかく調子に乗ってきたところなのに――」
リディアの眼の前には体長二十メートルの巨大な龍が横たわっていた。
金属光沢を帯びた赤い鱗が鈍く輝き、恐ろしげな顔に反して、その目は優しげで深い知性を宿している。
「ほぉ、吸血鬼か……。ずいぶん久しぶりに聞く名前だな」
召喚する過程でリディアと赤龍の意識はいったん融合するので、今赤城市で起こっていることをいちいち説明する必要がない。
「何か知ってる? 弱点とか」
「いや、正直言って吸血鬼のことはよく知らんのだ。
だが、話を聞く限り対策を急いだほうがよさそうだな」
「どういうこと?」
リディアは眉を曇らせ、情けない顔をしている。
実は赤龍に聞けば何か解決策が得られると期待していたので、かなり落胆していたのだ。
「吸血鬼の被害は新市街に限られているのだろう?」
「そうよ」
「多分、それは結界のおかげだろうな……」
赤龍の説明によれば、彼がこの古都の守護を任された時に、外敵の侵入を防ぐために結界を張ったというのだ。
「その当時は俺もこの世界に慣れていなくてな、張ったのは龍とか巨人族とかの古い種族にしか効かない結界だったんだ。
だからあまり意味がなくてな、存在自体を忘れていたんだ。
だが、吸血鬼も結構古い種族でな、俺の張った結界が有効なはずだ。
――まだ新市街なんてのはなかった時代だから、結界の範囲は城壁内に限られている。
それで奴らは旧市街に入って来れないんだろう」
「だったらその結界、新市街の方にも張れないの?」
「そうできればいいがな、これは結構強力な結界なんだよ。
同じ地脈に二度仕掛けることはできないんだ。
それに、旧市街の方もそう長くはもたないぞ」
「それは、結界に期限がある……ってこと?」
赤龍はゆっくりとうなずく。
「そのとおりだ。
あれは敵の侵入に合わせて自動発動するタイプなんだが、効力は月の満ち欠け分――つまり一か月しかない」
リディアは指を折った。
「行方不明者が出始めたのは二週間前くらいだから……」
「その時点で吸血鬼が旧市街への侵入を試みていたとしたら、最悪残り二週間で結界は消える」
赤龍の答えにリディアは溜め息を漏らした。
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