第十一章 魔人の逆襲

魔人の逆襲 一 砂漠の戦い

 ハラル海は南方諸国やルカ大公国とリスト王国との間を隔てる広大な岩石砂漠ハマダである。

 砂漠というと砂丘が延々と続く光景を思い描きがちだが、実際にはそうした砂砂漠はあまり多くなく、岩石が露出している荒涼とした大地――岩石砂漠の方が圧倒的に多い。


 しかし、そのハラル海でも一部ではあるが砂が堆積している地域がある。

 サキュラ首長国と、その南西に位置するナフ首長国とのちょうど中間地点にある〝サシャ〟と呼ばれる大オアシスの周囲にも、そうした砂砂漠が広がっている。

 このオアシスはちょっとした湖ほどの大きさで、周囲を取り囲む砂砂漠との間に広大な草地が拡がっている。


 遊牧民が多い南方諸国の民からすれば、絶好の水場兼餌場である。

 そのため、サキュラとナフの両国は協定を結んで、このオアシスを共同利用していた。

 しかし、これを自国だけで独占したいと思うのは当然すぎる願望である。


 したがって、このサシャ地域は古くから両国の間で領有権を巡る紛争の種となっていた。

 過ぎる〝魔人事変〟を契機として、サキュラが連邦とたもとを分かったことで、その緊張は一気に高まっていた。


 そんな中、突如ナフ国側はサシャに進駐し、同地域の占有を宣言した。

 魔人事変で自国の兵士三千人を無駄に犠牲とされた代償である――というのがナフ国側の主張だった。


 サキュラがこれを認めるはずはない。

 半額に値切った上に分割払いを無理やり認めさせたとはいえ、曲がりなりにも賠償に応じたのだ、ナフの主張は言いがかりに近い。

 サキュラはただちに出兵した。


 今、オアシス周辺の草原地帯に陣取るナフ国のラクダ騎兵三千と、砂砂漠に展開したサキュラの騎兵二千が睨み合っていた。

 両軍の間に、サラーム教の予言者を讃える歌が朗々と砂丘の上を流れていく。

 その歌の終了を合図に、双方のラクダ騎兵が一斉に突撃を開始する。


 両軍を率いるのは二人の王、ナフのナイラ女王とサキュラのシャシム王である。

 大公国のような外国と戦う時は別だが、このような部族間抗争の場合、王が前線で指揮を執るのが南方諸国のしきたりである。

 サラーム教では女性が戦場に出ることを厳しく禁じているが、王となれば話は別なのだ。


 王と言っても所詮は部族のおさである。

 戦争で後ろに隠れているようでは部族の支持を得ることができない。

 敵に臆病者、卑怯者と嘲りを受けるわけにはいかないのである。


 両軍のラクダは時速五十キロに近い速度で急接近する。

 彼我の距離二十メートルを切り、あと数秒で激突するという時になって、両軍の騎手たちはあぶみを踏ん張って立ち上がる。

 そして、短弓を引き絞って素早く矢を放った。


 鋭い擦過音をあげて短い矢が飛び交う。

 騎乗したまま使用する短弓は射程が短く、殺傷力も強くない。

 それでも何頭かのラクダは矢を受けて転倒し、騎乗する兵士を砂の上に投げ出した。


 突進するラクダの群れの中で落ちた人間の運命は決している。

 五百キロを超す体重を支えるラクダの足が容赦なくそれを踏みつける。

 幅の広いラクダの足に踏まれた人間は、内臓破裂を起こすか、頭蓋を踏み潰されるか、体中の骨を砕かれるか――どうであろうと数秒ももたずに死ぬ。


 運の悪い戦士のことなど誰も気にかけない。

 両軍のラクダは一気に交錯し、その瞬間に戦士たちが手にした半月刀シャムシールが陽を受けてきらめいた。

 腹を裂かれ、腕を切り飛ばされ、首を刎ねられた戦士たちがラクダから滑り落ち、たちまち目鼻もわからぬミンチへと変貌する。


 砂漠の民は槍を使わない。

 ひたすら半月刀を振るう接近戦が彼らの流儀だ。

 入り乱れた両軍のラクダ騎兵たちは、ただ己の技量を頼みに剣の舞いを踊り狂う。


 その中でひときわ体格のよいラクダに跨った二人の王が躍動している。

 近衛兵が周囲を固めているとはいえ、乱戦の中ではその防壁を破って王に肉薄する敵兵も珍しくない。

 そんな勇士を王はやすやすと討ち果たす。


 誰よりも強く、武技に優れていなくては砂漠の王は務まらない。

 それは女であるナイラとて同じだ。

 彼女は王族であるにも関わらず、十四歳の時から戦場に出ていた。


 無論、女が戦場に出ることは許されないから、男に変装し父王に黙って出陣していた。

 彼女は百八十センチを超える男を凌ぐ体格と体力を誇り、剣技もまた卓越したものを持っていた。

 そして、二十五歳で王位を継ぐまで百の戦場に出たという経験が、並みの戦士では太刀打ちできない程の実力を育んでいた。


 ナイラの実力と実績は、ほとんどの族長が知っていたので、彼女の父王が身罷った時に誰も女王の誕生に異論を挟まなかったのだ。

 身分を隠し男装したとはいえ、彼女が戦場に出ていたことは周知の事実で、それは父王も一緒だった。

 正体が皆に知られていようと、〝隠している〟という事実がサラーム教の世界では大切なのである。


 ナイラは近衛兵を押しのけ、自分から敵兵の波へと乗り込んでいく。

 片手で振るう細身の半月刀シャムシールは縦横に、そして弧を描き、煌めく残像を残して敵兵を血祭りにあげていく。


 今しもナイラはラクダごと体当たりを仕掛けてきた敵を寸前でかわし、握った刀ごと敵の手首を切り飛ばしたところだった。

 くるくると円を描いて顔の横を飛んでいく半月刀を、顔を傾けて避けた彼女の頬に血飛沫がかかり、派手な頬紅のように染め上げた。


 近衛の兵たちが慌てて女王と敵の間に割って入る。

「ナイラ様、あまり無茶をされますな!」

 部下の怒号に、血に酔っていたナイラも我に返った。


 鞍の上で立ち上がり、周囲の戦況を確認したナイラは渋い顔をして腰をおろす。

「押してはいるが、思ったほどではないな……」


 数の上ではナイラたちナフ国側が上回っている。

 事実、相手を押し込んでいるのだが、千人という戦力差を考えるとサキュラ側の善戦が目立つ状況だった。

 白い民族衣装を着込んだ自軍の兵と、黒っぽいサキュラの兵士ははっきりと区別がつく。


 サキュラの戦士は、大公国や王国の兵士のような革鎧を着込んでいた。

 上半身だけではあったが、籠手や兜も装着している。

 彼らの軍装が変わってきたのは比較的最近のこと、シャシム王の代になってからのことだった。


 他の連邦の国々からは嘲笑され、サキュラ兵側の抵抗も大きかったが、シャシムが強権で断行したのだ。

 しかし、こうした斬撃を主体とした白兵戦では、防具のあるなしの影響が戦況に如実に現れた。

 数に劣るサキュラ側が頑強に抵抗できるのは、その防御力の高さにあることを、女王は認めざるを得ない。


 ああした防具を取り入れようとしても、ナフの戦士たちは決して認めないだろう。

 ナイラ個人としては、くだらない誇りよりも勝利が大切だったが、それを口にすることはできない。

 自国の部族、すなわち戦士たちを強力に掌握し、支配しているシャシム王がある意味羨ましい。


「伝令!」

 ナイラは戦場で鍛えたしゃがれ声を張り上げた。

 即座にラクダに乗った伝令の兵士が駆けつける。


「オアシスに残してきた五百騎に、迂回して敵の側面を突くよう命じろ!

 崩れた敵を挟撃する」

「はっ!」

 拝命した伝令が即座に戦場を脱出していく。


 すでに戦闘が始まってから二十分は経過している。

 耐久力に優れたラクダはともかく、人間には一時間近く戦闘を継続する体力などない。

 この辺で戦局を打開して、一気に片を付けるしかない――そうナイラは判断したのだ。


 オアシスの予備部隊とは二キロも離れていない。

 ラクダの足なら数分で敵に突入できるはずだ。

 ナイラは鞍の上で「ぶんっ」と剣を振るう。

 血振りした半月刀を目の高さにかかげると、刀身は陽を受けて鈍く輝いている。


 まだ二、三人は斬れそうだと確かめると、ナイラは再び近衛兵を押しのけ、敵の塊りに突っ込んでいった。


      *       *


 白い衣装を敵兵の返り血で真っ赤に染め、暴風のように荒れ狂っていたナイラの耳に、やがてラクダの群れが立てる地響きが聞こえてきた。

 敵の中に突っ込んでから、恐らく十分以上は経っているだろう。

『やっと来たか、ずいぶん手間取ったものだな……』


 雄たけびとともに横薙ぎに振るわれた半月刀を余裕でかわしたナイラの頭脳は冷静だった。

『腰が入っていないな。それではとても届かんぞ』

 刀を空振りさせバランスを崩した敵兵が慌てて身を起こした瞬間、ナイラが身体をぶつけるようにして突きを入れる。


 若い男の喉にナイラの半月刀が深々と突き刺さると、彼女は柄から手を離した。

『やはり若造か、まだ女の味も知らないだろうに……もったいない』

 あの刀はもう切れ味が鈍って使い物にならない。

 彼女は鞍に括りつけていた予備の刀を抜いた。


 ラクダの足音はどんどん後方から迫ってくる。

 ――待て、後方から?

 私は迂回して側面を突けと命じたはずだぞ?


 ナイラはラクダの手綱を引き、素早く後ろを振り返る。

 すかさず近衛兵がその隙を埋め、敵兵から女王を守る。

 耳を疑うまでもない、振り返った彼女の目に後方から迫るラクダの群れが飛び込んできた。


「馬鹿者! 何をやって――」

 張り上げたナイラの怒声は途中で途切れた。

 わずか二百メートルに迫ってきたラクダ騎兵が、茶色い革鎧を身に着けていることに気づいたのだ。


 呆然とする彼女の目の前に、先ほど使いに出した伝令が血みどろになって駆けつけてきた。

「もっ、申し上げますっ!

 サキュラの伏兵がオアシスを急襲、予備隊は壊滅しましたっ!」


 挟撃を画策したのはサキュラも一緒だった。

 彼らは二千騎のラクダ騎兵をオアシスに突入させ、予備隊の不意を突いた。

 五百騎のナフ兵を一蹴すると、そのままナイラの本体を挟撃しようと突進してきたのだ。


「くそっ!」

 真っ赤な顔で歯噛みしたナイラは、抜いたばかりの半月等を振るって叫んだ。

「戦線を維持しろっ!

 近衛は私に続け、新手に突っ込むぞ!」


 迫りくる敵に向けて突撃しようとするナイラを近衛の者たちが素早く取り囲み、無理やり押さえつけた。

「ナイラ様、この戦いは負けです!

 兵をお引きくださいっ!」

 ナイラを両側から挟み込み、左右の腕をそれぞれ取り押さえながら近衛兵が絶叫する。


 近衛の者の判断は正しい。

 わずか五十騎余りで二千の敵に突っ込むのは自殺行為だ。

 それはナイラだとて十分わかっている。


「があああああああああああああーーーーーーーーっ!」

 ナイラは顔を天に向け、言葉にならない叫び声をあげた。

 しかし、それはすぐに殺到する二千騎のラクダの足音に飲み込まれてしまった。


      *       *


 金の装飾が施されたランプがほの暗く照らす部屋の中央で、ナイラは背の高い椅子に座っていた。

 長身の彼女が小柄に見えてしまうほど大きく頑丈な樫の椅子はあまり装飾がなく、豪勢な絨毯とカーテンで覆われた部屋にはふさわしいものに思えない。


 ナイラは椅子の背に両腕を回し、手首をきつく縛られていた。

 足も、胴も、太いロープで縛りつけられ、口には猿轡さるぐつわを噛まされている。

 返り血を存分に浴びた白い衣装はすっかり乾き、血は茶色に変色している。


 彼女の両脇には、覆面をした二人の屈強な男が抜身の剣を手に仁王立ちしている。

 部屋の隅には誰かが椅子に腰かけているようだが、暗くてその姿はよく見えない。


 その暗がりから声がした。

「やれ」


 それに応えて、男の一人が片手をナイラの首へと伸ばす。

 彼女の顔ほどもある大きな手と太い指が、ナイラの胸元に滑り込んだ。

 男はそのまま襟ぐりを鷲掴みにすると、無言のまま一気に引き下げた。


 服はあっけなく引き裂かれた。

 戦場で何度も切りつけられて穴だらけだったせいもあるのだろう。

 とにかく、両肩から袖と背中を残してナイラの服は剥ぎ取られた。


 たっぷりとした重そうな乳房が揺れ、引き締まった腹部は臍まで露わとなっている。

 だが、女王の誇りなのだろう。彼女は呻き声ひとつあげない。

 もし視線で人が殺せるのなら、服を引き裂いた男はその場で死んでいただろう。

 そんな目でナイラは男たちを睨みつける。


 そして彼女は突然気がついた。

 自分の目の前に誰かが立っていることを。

 こんな側に寄られるまでなぜ気づかなかったのだろう?


 しかも、二十センチと離れていない眼前に立っているのはわかるが、その表情も、背格好も、性別すらわからない。

 身体全体が薄暗いもやのようなものに包まれ、どうにも判別できないのだ。


 その不確かな人物はゆっくりと右手をあげた。

 そして真っ直ぐに伸ばしてくる。

 間違いなくその手はナイラの乳房に向かっている。


 あまりの気味悪さ、恐ろしさに肌が粟立ち、乳首がぴんと浮き上がる。

 ナイラは初めて悲鳴をあげた。

 ただ、実際に部屋に響いたのは、くぐもった呻き声に過ぎなかった。

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