兎の目 三 赤龍召喚

 話は一か月ほど前に遡る。


 王都リンデルシアの王立魔導院では、新年度を一か月後に控え慌ただしくその準備が進められていた。

 魔導院の院生は、全員が付属の寄宿舎で生活している。

 その舎監長といったは代々院生の代表として、時には魔導院の教員や審問官と待遇についての交渉が行えるほどの権限が与えられている。

 いわば、生徒会長のようなものである。


 十二年生のリディアは、新たな舎監長として選ばれた十一年生のランディに各種設備や備品、書類の引継ぎなどを行っていた。

 それは本来、現舎監長であるジェイコブの役目なのだが、彼は審問官に呼ばれて不在だったので、副舎監長のリディアが代わりを務めていたのだ。

 あらかたの説明が終わった後、二人は休憩してお茶を飲んでいた。


 ランディは金髪を短く刈り、縁の厚い眼鏡をかけた温厚そうな少年だった。

 優秀であり、人望もあるからこそ、次の舎監長に選ばれた(舎監長は全院生の投票で決められる)のだが、その顔は少し不安そうだった。


 彼は小さく溜め息をついてリディアに訴えた。

「先輩方が卒業されるなんて、何だか実感が湧きませんね。

 僕にジェイコブ先輩の後が務まるんでしょうか?」


 リディアは少し首を傾げた。

 ジェイコブは優秀な生徒だ。十二年生九名の同期の中では学問でも武術でも、一度としてトップを譲ったことがない。

 ただ、少し面白みに欠ける退屈な男の子だとリディアは思う。


「あら、心配ないと思うわよ。

 ランディだって立派なものよ。

 面倒見がよくて下級生からも好かれているじゃない」


 ランディは苦笑いを浮かべて反論した。

「それを言うならリディア先輩の方がずっと上でしょう」

 彼の言うとおり、リディアは下級生に慕われている。

 武術はともかく、学業では目立った活躍をしていないリディアが、副舎監長に選ばれたのもそのせいだった。


 リディアは魔導院でもちょっとした有名人だった。

 小柄で華奢な体躯、南方人の特徴である濃い眉と黒い大きな瞳の愛らしい顔立ちの美少女でありながら、彼女はトラブルメーカーとして知られていた。

 とにかく行動的で、義憤にかられると後先を考えない激情家でもある。


 下級生の揉めごとには自分から顔を突っ込み、解決するまで全身全霊でことに当たった。

 理不尽だと思えば、相手が審問官であろうと果敢に立ち向かう。

 あるささいな誤解から、三年生の女子が教師からやや性的な体罰を受けた事件では、十二年生になったばかりのリディアは女子生徒の無実を証明して教師に謝罪を迫った。


 ところが、教師は誤解から罰を与えたことには謝罪したものの、性的な屈辱を与えたことを頑として認めなかった。

 リディアは激怒し、全生徒を集めて緊急集会を開き、教師側の態度を糾弾して抵抗を訴えた。

 挙句の果てに生徒たちの支持を受けた彼女は、学院にバリケードを築いて封鎖し立て籠もるという、前代未聞の事件を起こしたのである。


 結局、事態は審問官と軍の介入を招き、問題の教師は左遷され、リディアもまた二週間の謹慎処分をくらって騒ぎは収束した。

 もともと下級生から人気があったリディアだったが、この事件で彼女は英雄視され、一方で教師や審問官からは問題児扱いされることになった。

 一体誰が舎監長なのか分からなくなるような活躍ぶりである。


「やっぱりジェイコブ先輩が呼ばれているのは、赤龍帝の話でしょうか?」

「そうなんじゃない……知らないけど」

 リディアはあまり興味がなさそうに答えた。


 つい先日、赤龍帝がこの世界を去ったというニュースは、すぐに学院にも伝わった。

 四帝の一人に空席ができるということは、即ち今の十二年生の中から次の赤龍帝が生まれることを意味している。


 これまでも、神獣を召喚して四帝の一員となる院生は、文武に秀でたとびきり優秀な者であることがほとんどだった。

 ジェイコブがそこまで飛び抜けてるかと問われると、やや疑問も残るが、ほかに適任者はいない。


 魔導院では生徒も教師も、ジェイコブが赤龍帝になるものだと決めつけていた。

 下級生たちは、この幸運な先輩を羨望の目で見るようになり、ジェイコブ自身もそう思っていたのだろう、下級生に接する態度も一層鷹揚なものとなっていた。


      *       *


 時はあっという間に過ぎ、十二月の中旬になった。

 十二年生たちは人生最大の試練、召喚の儀式の日を迎えていた。

 今年は赤龍の召喚が確実視されていたので、注目度が桁違いである。


 ただ、ジェイコブ以外の八人の十二年生たちはそれどころでない。

 自分の一生のパートナーとなる幻獣との出会いの日なのだ。

 リディアもまた、華奢な身体の割に豊かな胸をときめかせていた。


 二級召喚士となって、辺境でオーク狩りに明け暮れる日々も面白そうだが、彼女はできうれば国家召喚士となって、存分に軍で活躍してみたいと思っていたのだ。

 ほかの同級生たちも、恐らく同じだろう。


 しかし現実には、一人でも国家召喚士になれればいい方だ。

 学年全員が二級召喚士という結果も珍しいことではない。

 特に今年は、一人が赤龍を召喚することになるので、その可能性が高い。


 ジェイコブは一番最後に儀式に臨むことになっていた。

 リディアは三番目である。

 「召喚の間」は魔導院に隣接する王城の中にある。

 普段はまず足を踏み入れることのない所だ。


 召喚の間自体は舞踏会でも開けそうな巨大な広間だが、儀式を受ける十二年生たちの控えの間は小さな部屋だ。

 二人目の院生が呼ばれて出ていってからしばらく経つ。

 先に儀式に臨んだ者が、どんな幻獣を呼び出したのか、控えの間にいるリディアたちには知らされない。


 リディアは高鳴る鼓動を静めるように、頭の中で召喚呪文のおさらいをした。

 本当は古代の失われた文明で使われていたという神聖語の呪文なのだが、王国ではそれを自分たちの言葉に翻訳して使っている。

 魔導院に集められる子どもたちは、生まれながらに高い召喚能力を持っているので、そんな呪文でも代用できるのだそうだ。


 目を閉じてすっかり暗記している呪文を終わりから逆順に思い出すことに集中していると、突然重い扉が開く音が聞こえた。

 リディアの小さな心臓がドキンと跳ね起き、彼女は目を開いた。

 扉を半分ほど開けた、その隙間に優しそうな目をした老審問官が立っている。

 彼は小さな声で、リディアに「来なさい」と声をかけた。


      *       *


 召喚の間の床一面に描かれた巨大な魔法陣の中央に、リディアは一人で立たされていた。

 案内してくれた審問官を除いた、儀式に立ち会う審問官たちは通常なら二階部分に当たる壁面のバルコニーに立ち、彼女を見下ろしている。

 召喚の間は広いだけでなく、三階分まで吹き抜けになっていて天井がとても高い。


 バルコニーの中央に立つ、かなり偉そうな審問官が厳かな声で儀式の始まりを告げる。

「リディア・クルスよ。汝の魂が求める幻獣とのえにしを結ぶよう願うのだ」

 リディアは目を閉じ、呪文の詠唱を始めた。


 これまで何度も練習してきた呪文である。すらすらと言葉が口をついて流れ出ていく。

 ところが、練習の時は違う不思議な感覚がリディアを包み込みはじめた。

 身体が浮遊する感覚というのだろうか、自分の肉体から魂が抜け出ていくような気がする。

 すうっと身体の中が冷たくなり、意識が薄れていく。


 どのくらい気を失っていたのだろう、気がついた時にはリディアは空中から自分の姿を眺めていた。

 魔方陣の中央に立っているリディアは、目を閉じて呪文の詠唱を続けている。

 してみると、意識を失ったのはほんの短い時間だったのだろう。


 リディアは空に浮かんでいる自分の姿を見ようとした。

 しかし、首や頭、そして目を動かしている感覚はあり、視界もそれに伴って動くのだが、自分の身体を見ることができない。


 まぁ、下で呪文を詠唱している身体があるのだから、それも当然かな……と妙に納得していると、急に頭の中に大きな声が鳴り響いた。


「ほお、おなとは珍しいな」

 リディアは驚いて周囲を見回すが、声の主は見つからなかった。


「そう驚くな。

 私はお前に召喚された者だ。

 ――というより、私がお前を選んだと言った方が正しいのだがな……」


 リディアはやっと合点がいった。そうか、これが召喚なのか!

「あなたが私の幻獣なの?

 姿が見えないけど、あなたは誰?」


 声の主は少し楽しそうな声で答える。

「まぁそういうことになるがな……。

 いいか、私はまだ幻獣界に存在している。

 お前は人間界にいる。

 だから互いの姿が見えないのは当たり前だ。

 だが、互いの魂が惹かれあって、それぞれの世界からはみ出しかけているのだ。

 だから声が届いている。わかるか?」


「あなた説明が上手ね。よくわかるわ。

 それで、あなたを幻獣界からこちらの世界に呼ぶにはどうしたらいいの?

 下で私が呪文を詠唱しているけど、それだけのいいのかしら」


「いや、あの呪文に大した意味はない。

 途中で止めても構わないくらいだ。

 いいか、これから私とお前の魂を融合させる。

 意識が一つに溶け合い、互いの記憶と知識が共有されるのだ」


「あー、記憶の共有か。それは習ったわ。

 ――えっ? あの呪文意味なかったの!」


「忙しい奴だな、黙って聞け!

 私の記憶と知識は膨大だ。お前のそのちっぽけな脳に全部詰め込もうとすると、容量が足りずに人格が崩壊する。

 幸い私の中には、つい最近取り込んだ人間の意識がまだ形を失わずに残っている。

 それをお前の魂に植えつけてやる。

 そうなれば魂の共有が成立し、私は人間界に現出できるようになるのだ」


「ちょちょちょ、ちょっとそれ聞いてない!

 何なの、その最近取り込んだ人間って!

 まさかあなた、人間を食べちゃったりするの?」


「違うわ、馬鹿者!

 取り込んだというのは先代の赤龍帝の意識だ。

 さぁ、つべこべ言わずに始めるぞ」


「えっ?

 先代の赤龍帝?

 ちょっと、あなたまさか――」


 そこで再びリディアの意識が途切れた。

 ただ、自分と誰かの意識が混ざり合い、どろどろに溶けてから、再び〝自分〟という個の意識を取り戻していくという、不思議な感覚は記憶に残っていた。


      *       *


 リディアが目をあけた時、視界に入ってきたのは目を見開き、あんぐりと口を開けた審問官たちの間抜け顔だった。

『お爺ちゃんたち、何て顔をしているのかしら』

 そう思いながら、彼女は自分がたった今、呪文を唱え終えたことにはたと気がついた。

 儀式について習ったことは、呪文の詠唱と誓いの言葉だけだ。


「ねえ、この後ってどうするんだっけ?

 ドレイク、あんた知ってる?」

 リディアは振り向いて言った。

 そこには小山のような巨大な龍が、赤銅色の鱗を鈍く光らせ、呑気に寝そべっていた。


「えっ?」

 顔面蒼白となったリディアはくるりと〝回れ右〟をする。

「ええーっ?」

 審問官たちも口を開けたままだ。


 そして、どうにか現状を受け入れた審問官たちは頭を抱えて一斉に喚いた。

「なぜだーーーーーっ!」


 それが新たな赤龍帝誕生の瞬間だった。


      *       *


 ちなみにこの日、一番最後に儀式に臨んだ舎監長のジェイコブは、尾が二股に分かれたネコの幻獣を召喚して二級召喚士に認定された。

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