第十章 兎の目

兎の目 一 ヒルデガルド

 国家召喚士は、強大な力を持つ幻獣を召喚しえた者に与えられる称号である。

 院生ヒルデガルド・ライムクラフトが魔導院でグリフォンを召還した時、立会いの審問官たちは迷うことなく彼女を一級召喚士、すなわち国家召喚士に認定した。


 飛行能力を持つ幻獣の召喚は稀なことであり、その能力は軍隊にとっては喉から手が出る程欲しいものであったから、それは当然のことだった。


 この瞬間、ヒルダという十八歳の娘の将来は決定された。

 彼女は軍学校で一年間の促成教育を受けたのち軍に入隊し、幹部将校の道を歩むこととなる。


 ヒルダが軍に入って最初に配属されたのは参謀本部だった。

 王国の主要都市である四古都に駐留する各軍(第一軍~四軍)は、どこもグリフォンを操るヒルダを欲したが、さまざまな作戦を立案する参謀本部が、その強大な権限を振るって彼女を確保した。

 配属時点で彼女の階級は少尉である。


 参謀本部に所属していた約十年の間、彼女が王都にいられたのは年間百日に満たない。

 ヒルダは各地に派遣され、主として強行偵察任務や、地図製作のための観測任務に当たっていた。

 彼女が直接空に上がることは少ない。


 グリフォンはいわゆるキマイラで、鷲の上半身とライオンの下半身を持っている。

 上半身はともかくとして、下半身はとても空を飛ぶのに適した形態ではない。

 そのためグリフォンの飛行能力は卓越していたが、飛行時間に限界があった。

 その負担となってまで騎乗して空を飛ぶのは緊急時に限られていたのである。


 それでもヒルダは空を飛ぶのが好きだった。

 高い空から地上を眺めていると、ちっぽけな自分の悩みがくだらないもののように思えてくるからだ。

 一緒に飛ばなくても、彼女は幻獣と意識を同調させることができ、グリフォンの見ている世界を共に感じることができる。


 ヒルダは色素異常アルビノということもあって、幼少時からいじめを受けてきた。

 そのため自然と内向的な性格になり、友人も少なかった。

 偵察任務は孤独を好む彼女にとってはありがたい仕事だった。

 多分、自分は幻獣界に転生する日まで、こうした日々を送るのだろうと漠然と思っていたのである。


      *       *


 彼女の生活に大きな変化が生まれたのは四年前、ちょうど彼女が三十歳になった年のことだ。

 その前年に、魔導院でロック鳥を召喚した青年が現れたというニュースは、召喚士たちの間でちょっとしたセンセーションを巻き起こした。

 青年の名はアラン・クリストといい、軍学校での一年の教育を経てこの年参謀本部に配属となった。


 彼が召喚したロック鳥は、超大型の鳥類型幻獣である。

 飛行能力は抜群で、速度や高度、航続距離に至るまでグリフォンを大きく凌駕していた。

 さらに小隊規模の兵員を運搬することすら可能だった。


 こうなると、さすがに飛行能力を持つ幻獣を参謀本部が独占することに、各軍から不満の声が上がった。

 そのため、参謀本部はヒルダを赤城市の第三軍に異動させることにした。

 イゾルデル帝国という仮想敵国と対峙する黒城市の第二軍も強い要請を上げていたが、王国で唯一実戦を経験している第三軍が優先されたのだ。


 ヒルダとしては軍が命じるまま異動するしかなった。

 実質的にはアランという便利な召喚士が手に入ったので、ヒルダは用済みのお払い箱になったということだ。


 ただ、表面的には当時の赤龍帝アルフレッドの副官を務めていた国家召喚士が幻獣界に旅立ったため、その後任としての異動ということにして、体裁を繕ったに過ぎない。


 第三軍に着任したヒルダは戸惑った。

 まず、これまで日常的に行っていた偵察・観測任務が全くなくなった。

 大公国と首長国連邦間に緊張が高まった場合は、そうした任務が課せられることになっていたが、平常時はその必要がない。

 仕事のほとんどは、赤龍帝の副官としての秘書官のようなものだった。


 仕えることになった赤龍帝は毛深い筋肉質の中年男で、庶民からは〝筋肉ダルマ〟とあだ名されていた。

 典型的な南方人で、陽気で外交的な性格をしており指揮官としての能力も高い。

 市民からも慕われている、赤龍帝としてはほぼ理想的な人物であった。


 ただ、正直に言ってヒルダの最も苦手とするタイプである。

 ところが、実際に日々赤龍帝の側で仕えるうちに、彼女はアルフレッドに対する見方を変えざるを得なかった。

 彼は意外にも細かなところに気を遣う常識人だった。


 新参者のヒルダが戸惑わぬよう裏で手を回しながら、決してそれを覚られぬよう気を配ってくれた。

 ヒルダは人間観察に人一倍鋭い女性だったので、そのことに気づくことができた。

 それでいながら赤龍帝は、表面上〝女好き〟の陽気なおっさんとして振舞うことを忘れない。


 彼女は赴任した初めの挨拶のことをよく覚えている。

 型通りの着任申告をした彼女をねぎらった後、赤龍帝は真面目な顔でこう彼女に尋ねた。


「ところで、住まいはもう決めてあるのかね?」

「え? ああ、はい。軍の官舎に入ることになっています。

 もう荷物も届いているはずですから、この後何もなければ片付けようかと……」


 アルフレッドは眉根を寄せた。

「異動してきたばかりで疲れているだろうに、それはいかんな。

 よし、今夜は家に泊まるといい」


 ヒルダは慌てた。

「いえ、そんなわけには参りません。

 寝るだけなら別に片付けは不要ですし」


 彼はいかにも心配だという顔をしてなおも言う。

「しかし、官舎の寝具は狭いうえに寝心地もよくないぞ。

 私のベッドは最上級の特注品でな、広さも十分だ。

 遠慮しなくていい」


「は?」

 この辺でヒルダは何かおかしいと思い始める。

 居合わせた先任の副官、ロレンソ少佐がわざとらしい咳払いをして口を挟んだ。

「ヒルダ大尉、真に受けるな。

 赤龍帝は女性と見れば誰であってもベッドに誘うのだ。

 冗談だ、冗談!」


 ヒルダは顔を赤くして頭を下げた。

「しっ、失礼しました!」


 赤龍帝は苦笑いを浮かべてそれを制する。

「いや、別に冗談というわけではないのだぞ。

 何か辛いことがあったらいつでも来い。

 俺が忘れさせてやる」


「はぁ……」

 ドヤ顔で言い切った赤龍帝に、ヒルダは間の抜けた返事をすることしかできなかった。


      *       *


 赤城市での日々は平和に過ぎていった。

 アルフレッドが部下や市民から親しまれてることは、多くの人が彼を〝フレディ〟と愛称で呼んでいることからも明らかだった。

 赤龍帝は何かと言えばヒルダをベッドに誘ってきたが、それは受け流せばよいだけだった。

 彼がどの女性に対しても同じ態度だということは、副官として仕えることですぐに気づいた。


 顔の美醜や年齢で対応が変わるということがないので、彼なりのリップサービスだということは理解できた。

 さすがに年端もいかない少女に同じようなことを言うのには、きょとんとしている少女との間に割って入って上司をたしなめなければならなかった。


 後はまぁ、油断するとすれ違いざまに尻を撫でられることぐらいだったが、これは誰にでもというわけではなく、秘書官やごく親しい何人かの女性将校、事務員だけが対象だった。

 ヒルダはそのセクハラ行為自体は嫌だったし、気を付けて避けるようにしていたが、自分が被害者の一員であるという事実は何となく嬉しく思っていた。


 彼女が赤龍帝の副官に任官してから二年近くが過ぎた。

 いつものように執務室でアルフレッドとの打ち合わせを終え、ヒルダが書類を抱えて退出しようとした時のことである。

 赤龍帝が明日の天気でも聞くように彼女に尋ねた。


「ああ、待ちたまえ。

 来週明けだが、練兵場に何か予定は入っているかね?」


 予想外な質問に、彼女は同室していた秘書官に助けを求める視線を送った。

 ヒルダより年上の有能な秘書官は、すぐに訓練部隊の予定表をめくって、当分使用予定がないことを教えてくれた。


「よかろう。

 ではヒルダ大尉、来週の月曜に訓示を行う。

 全軍を集合させるように手配したまえ」


「はい? 訓示ですか?

 全軍といいますと……?」

「警備上外せない部署以外の全軍、訓練中の部隊もだ。

 休暇中の者にも通知を回し、可能な者には参加するように伝えるのだ」


「そこまでとは……何か重要な案件が――まさか! 大公国への侵攻ですか?」

 アルフレッドは苦笑いを浮かべて否定した。


「違う違う、そんな大したことじゃないさ。

 突然で悪いが、俺は近く消えることになった。

 世話になった部下たちに挨拶をしたくてな」


「なっ!」

 ヒルダは絶句した。秘書官も青ざめた顔で立ち上がった。

 一方のアルフレッドは平然としている。


「俺がそろそろだってことは、どうせ皆もわかっていただろう?

 驚くほどのことじゃないさ。

 しかし、話には聞いていたが、突然その時がわかるというのは本当だったんだなぁ。

 多分、あと四、五日といったところだ。


 ――新しい赤龍帝がどんな奴か、この目で見られないのが心残りだが……。

 とにかく時間がない。

 引継ぎやら何やら、突貫工事でやっつけなきゃならん。

 当分家に帰れると思うなよ」


 そういうと、彼はヒルダを見てにやりと笑った。

「なに、眠くなったら俺のベッドに入れてやるぞ。

 ああ、もっともそうなったら天国を見るまで寝かせてやらんがな……」

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