呪われた宝珠 二十 祝賀会

 魔人の崩壊とともに、ナサル首長国連邦――実質的にはサキュラ首長国軍は退却した。

 大公国側に数で劣るばかりか、幻獣を防ぐ手立てのない彼らが引いたのは当然である。


 その結果、両軍の間で兵同士の直接戦闘がない、珍しい紛争「魔人事変」としてこの戦いは記録されることとなる。


 一つ不可解だったのは、魔人が滅んだ跡から〝心臓〟が発見されなかったことだ。

 だが、心臓は恐らく魔人とともに崩壊し、消滅したのだろうと推測され、あまり問題視されなかった。


 大公国側は、一切の追撃を行わなかった。

 その代わり戦後の両国間の交渉で、そこそこの賠償金を勝ち取ることができた。


 両国の争いは、最終的には命ではなく金のやり取りになる。


 ナサル連邦が攻め込んで大公国が撃退した場合、連邦軍が敗走した時点で大公国は追撃を止める。

 逆にナサルが押し込んだ場合でも、それ以上進めずに戦線が膠着すると、連邦はあっさりと引き上げる。


 そして、戦後の交渉で戦いを優位に進めた側が賠償金を得るというのが暗黙の了解となっていた。


 連邦側は、大公国を占領できる見込みがあれば別だが、それが難しいと判断した場合、戦争を長引かせて戦費と人命、人命と同等の価値のあるラクダをつぎ込むだけ無駄だと考える。

 それよりも優位なうちにさっさと引き上げて金を回収した方が結局は得なのだ。

 この辺は、南方諸国の人たちの、極めて現実主義的な気質の表れとも言える。


 大公国には、そもそも連邦を占領し支配するだけの軍事力も人的資源もない。

 このへんは召喚士に過剰に依存して極端に兵力を減らした結果、戦闘には勝てても他国を占領支配する力を失った王国に倣ったのであるから、仕方のないことなのかもしれない。


 ならば相手が当然失ったであろう人やラクダを見逃して、その命の分、金にしてもらった方がいいと思っているのだ。

 敵を無駄に殺して恨みを買うのは愚か者のすることだ――そう考える大公国の人たちも、多分に南方人の気質に染まっていると言える。


 今回は連邦が魔人という怪物を出したのに対し、大公国も王国の神獣を引っ張り出したため、互いの戦力が過大なものとなった。

 大公国軍に戦死者がなく、一般兵同士の戦闘がなかった割に、賠償金が大きかったのはそのためである。


 それよりも、問題は首長国連邦内部が紛糾したことである。

 魔人の復活のため、サキュラ以外の各国はそれぞれ三千人の兵を失った。

 当然四か国はサキュラ首長国に対してこの賠償を求め、それは膨大な額となった。


 サキュラは大公国に対する賠償を一国で負うことを了承したが、四か国への賠償は拒絶したのである。

 このため、四か国は連合してサキュラと対立し、戦争寸前にまで緊張が高まった。


 結局、サキュラは四か国の要求を半分まで値切り、さらに十年の分割払いという条件で支払いに応じることになった。

 こうした無理が通ったのは、サキュラが軍事力で突出していた上、今回の戦いでの犠牲が少なかった(南オアシスの部隊以外はほぼ無傷)ことがある。

 それに対してもともと国力が劣る四か国が、合計で一万二千人もの犠牲を出していたのが大きく影響している。


 ただし、両陣営の対立は決定的となり、サキュラ首長国は連邦からの離脱を表明することとなった。

 大公国とすれば、アルカンド山脈という天然の防壁が途切れ、唯一砂漠で国境を接する隣国が単独国となり、さらに背後に敵を抱えることとなったのだから万々歳である。


      *       *


 一人の戦死者も出すことなく魔人という脅威を粉砕して勝利した大公国軍に対し、国民は最大限の賛辞を送った。

 国が滅亡するかもしれない魔人の復活を知らされていなかった事実も、こうなってみれば不問にするしかない。


 そして活躍した幻獣と、それを操る召喚士への尊敬はいや増すばかりであった。

 無論、神獣である赤龍、そしてグリフォンを派遣してくれた王国第三軍も、熱狂をもって迎えられた。


 王国の派遣軍は、南オアシスを封鎖していた敵の半数を壊滅させ、残りを捕虜としたのだからなおさらである。

 ちなみに捕虜は身代金(一人当たりの額はあまり高くはない)と引き換えにサキュラに返された。


 だが何といっても、魔人を封じ込めたタバコや硫黄を使った作戦を立案・実行した軍首脳部――というより大公個人に対する賞賛が一番だった。

 この作戦自体はユニが考えて進言したものだったが、それを知っているのは軍幹部の一部にすぎない。

 ユニも、これは大公が考えたことにしてほしいと強く望み、軍を統帥する大公への信頼が高まると判断した大公国側もそれを受け入れた。


 大公国の上から下まで、そして王国からの派遣軍に至るまで、誰もが満足する結果となったのだが、ただ一人不満を隠さないでいる人物がいた。

 赤龍帝リディアである。


 せっかく魔人が再び動き出そうとするタイミングに合わせて登場し、赤龍のブレスで魔人を倒す予定だったのに、終わってみれば単なる火付け係である。

 しかも、大公国の民衆はもちろん、一般兵にも作戦の詳細は知らされていなかったので、硫黄ガスはタバコと同様足止めのもので、あくまで魔人に止めを刺したのは赤龍のブレスだったと信じられている。


 リディアとしては表面上そのように演じなければならなかったが、大公国側の首脳部は真実を知っている。

 要するに赤龍帝はきわめて間の抜けた立場に陥ったのである。


 さらに言えば、この事件にはとんでもないオチがついていた。


 赤龍ドレイクは戦いが終わった後、すぐに戦場から赤城市へと単独で帰ってしまったのだが、その前にルカ大公をはじめとする主だったものが感謝を伝えるために面会する一幕があった。


 ユニもマリウスも龍を目の前で見るのは初めてだったので、その中に加えてもらった。

 リディアは鎧が暑いと言って、着替えるために第三軍のテントに向かっていたので、その場にはいなかった。


 正統な龍族は言葉を発することができなくとも、相手の言葉を理解し、望む相手に自分の意思を伝えることができる。

 彼は大公の謝意を鷹揚に受け取った上、驚いたことに「すまなかった」と大公たちに謝ったのである。

 意外な言葉に一同が顔を見合わせていると、ドレイクはその理由を教えてくれた。


「リディアは私を召喚した時に、前の赤龍帝の知識を受け継いでいるはずなのだが……。

 なんと言っても彼女はまだ若いし経験も足りない。

 後であのにはきつく言って聞かせるつもりだが、どうか許してほしい。

 私が参戦するのであれば、もっと早くに諸君と会って入念な打ち合わせをすべきであった。

 だが、赤城で彼女に呼び出された時には、もう時間がなくて私にはどうにもできなかったのだよ」


 大公が慌てたようにリディアを擁護する。

「しかし結局は間に合ったのですし、魔人を倒すこともできました。

 あまり赤龍帝を責めなくても……」


 ドレイクは目を閉じて首を振った。

「――あの大量の硫黄を集めるのも、それを効果的に使うためタバコで動きを封じたのも、準備と段取りは相当な苦労をしたのであろう?」


「ええ、それはまぁ……」

 大公の遠慮がちな答えに、赤龍は目を閉じて深い溜め息をついた(ユニは心の中で感心していた。『ウエマクもそうだったけど、神獣は何でもありね』)。

「これはその……大変言いづらいのだが……、あの硫黄は必要なかったのだ」


「え?」

「え?」

「え?」


 大公、ユニ、マリウスが同時に間の抜けた声をあげた。

 赤龍はすまなそうな顔をしている。


「実を言うとな、私たち炎龍一族は炎のブレスだけでなく、毒息を吐くこともできるのだよ。

 それもちょうど成分としては、硫黄を燃やしたガスと同じもので――ただ濃度はかなり高いがね。

 毒息単独でも吐けるし、ブレスと一緒に吐くこともできる。

 ――あの場はせっかくの諸君の努力を無駄にしたくなかったから、硫黄を燃やしたのだが……。

 実際には、私だけでも大丈夫だったんだよ」


 赤龍の前にいた一同は一斉に脱力した。

 そして恨めしげな顔で後ろをゆっくりと振り返る。

 そこには気の毒なほど顔を赤くして縮こまっている、リディアのお守役・ヒルダ大尉が立っていた。


      *       *


 召集された大公国軍は解散し、王国から支援に来ていた第三軍も赤龍帝とともに帰ることになったが、その前に首都リュートリアの王宮(大公宮)で祝賀会が催された。


 正式な戦勝祝賀会は準備期間が必要なため、後日開かれることになっていて、これは第三軍の兵たちの送別会のようなものだった。

 第三軍の将校は全員が招待され、さまざまな叙勲が行われた(招かれなかった一般兵にも従軍記章が贈られた)。

 若い下級将校も大勢いたため、食事も正餐ではなく立食形式のごくくだけたものだったが、大公国の貴顕紳士淑女も多く参加して華やかさを添えていた。


 こうした場では、軍人は礼装を着用する決まりになっているが、遠征にそのような荷物を持ってくるはずがなく、第三軍の将校たちの多くは常装で参加した。


 ただ、赤龍帝の副官であるヒルダはさすがに礼装を着用し、リディアはちゃっかり用意してきたドレス姿であった。

 まだ任について二年余りの赤龍帝、しかも見た目(だけ)は可憐な美少女というリディアはちやほやされ、その日のパーティーの女王のように君臨できたので、彼女の機嫌もようやく直った。


 当然、ユニも参加を強要されたが、大公の計らいでさる貴族令嬢のドレスを借りることとなった。

 大公はユニにも勲章を贈りたがったが、彼女はそれを丁重に断った。

 ただ、召喚士突撃章(戦闘で勇敢な突撃をしたあかし)だけはありがたくいただいた。

 それを付けている限り、大公国内での身分証明は不要となり、さまざまな便宜が受けられるからである。

 

 マリウスにエスコートされたユニは、しんのドレスを身に纏っていた。

 それはユニの白い肌を際立たせ、大きく開いた背中は引き締まった背筋を惜しげもなくさらしている。

 彼女の顔は日に焼けていたが、王宮の侍女たちが腕によりをかけた化粧で目立たないようにしてくれた。


「これはこれは……女性は化けるとよく言うが、見事なものだな」

 いつの間にか側に来ていた大公が面白そうに声をかけた。

 ユニは思い切り顔をしかめて舌を出してやりたかったが、作り笑いを浮かべてやり過ごす。


「こういう格好は好きではありません。

 それより、さっきから踊りの申し込みがうるさくて……。

 断るのに苦労しているのですが、どうにかしてくれませんか?」


 会場では先ほどから音楽が鳴り響き、多くの人々が踊りに興じていた。

 第三軍の将校たちは、大公国の令嬢たちから見ると救国の英雄ヒーローのように見えたのだろう、そこかしこでペアを組んで楽しそうに踊っている。

 リディアの周りにも黒山の人だかりができていた。


 オオカミたちとともに魔人のもとに突っ込み、麻袋に着火して回ったユニの姿は多くの兵士たちが目撃している。

 彼女が作戦の立案者だとは知られていないが、〝勇気ある王国の召喚士〟として、すでに兵士以外の人の口にも上るようになっていた。

 ドレス姿の彼女が意外に美しいこともあって、彼女を踊りに誘おうとする者が後を絶たなかったのである。


「ほう、ユニ殿は踊りは苦手なのか?」

「一応、魔導院で基礎は習ってますけど、学院を出てから一度も踊ったことなんかありませんもの」

「そうか……」

 大公は周囲を見渡すと、近くにいた給仕に目配せする。


 すいと側に寄った給仕に何かささやくと、再びユニの方を向く。

「そんなことではこの先困るだろう。

 よい者を紹介しよう」


 すると、先ほどの給仕から伝えられたのだろう、一人の男が近づいてきた。

 恐らく六十歳は越していると思われる白髪の紳士である。

 長身で引き締まった身体をしており、柔和で上品な表情やたたずまいは、いかにも貴族然としている。


「大公閣下、お呼びでございましょうか」

 男の礼を受け取り、大公は軽くうなずいた。

「ああ、すまないな。

 こちらのユニ嬢のお相手をしてもらいたいのだ。

 彼女は長らく踊りをしていなかったそうだ。

 君なら上手くリードできるだろう」


 そしてユニに向かって彼を紹介する。

「こちらはモーリス伯だ。わが国でもダンスの名手として知られている。

 安心して身を任せなさい」


「お嬢さん、このような老人では楽しくないでしょうが、なに、リハビリだと思ってお付き合いください」

 モーリス伯は一礼をして、ユニにダンスを申し込む。

 こうなるともう、断ることもできずに、ユニは踊りの輪の中に引きずられていく。


 ユニはもともと身体を動かすことが好きなので、魔導院でのダンスの時間(礼儀作法のひとつ)は嫌いではなかった。

 ただ、長い辺境暮らしでステップも何も忘れてしまい、今さら踊ったら人の足を踏みそうで不安だったのだ。


 モーリスは大公が踊りの名手と推薦するだけあって、実にリードが巧みだった。

 ささやくようにしてアドバイスもするが、それはほんのわずかである。

 彼はユニの身体をしっかりと支え、上手に誘導するので自然と身体が動き、だんだんと昔習ったステップが思い出されてくる。


 時に足捌きを間違えると、モーリスは同じ動作を自然に繰り返してユニに復習をさせてくれた。

 スロー、スロー、クイック、クイック。スロー、スロー、クイック、クイック。

 三十分も踊っていると、身体がすっかりほぐれ、ユニの動きは自信を持った軽やかにものとなり踊ることが楽しくなってきた。


 何度目かの曲の切れ目で、モーリスはユニの身体を放して丁寧に礼をした。

 そして、そのまま彼女を連れて大公のもとに戻る。


「いや、なかなかどうして、勘のいいお嬢さんです。

 閣下には、お待たせいたしましたな。

 お返しいたしますぞ」

 そう言うと、モーリス伯はユニに素早くウインクをしてその場を去って行った。


 何のことかわからずにきょとんとしているユニに、ルカ大公は軽く会釈をした正式なポーズでユニにダンスを申し込んだ。

 そしてユニの手を取ると、有無を言わさず踊りの輪へと入っていく。

 曲が始まると大公は組んだ手を上げ、残る手を腰に回すとユニにそっとささやいた。


「美しいお嬢さんをダンスに誘いたかったんだがね、私も足は踏まれたくないのでモーリスに頼んだのだよ」

 曲に合わせて足を出し、ユニの身体を支えて軽やかなターンを決めると、少し離れた場所で妙齢のご婦人と踊っているモーリスと目があった。

 彼は笑顔を浮かべ、軽くうなずいてみせた。


 踊る楽しさに身を任せながら、ユニは目の前の男らしい大公を見上げた。

 その顔は、くったくのない、無邪気な笑みを浮かべている。


「――やっぱり間違えた振りをして、このオッサンの足を踏んでやろうかしら……」

 一瞬、そんな思いがユニの脳裡をよぎったが、やがて彼女は踊ることに没頭し、すべてのことを忘れ去ってしまっていた。

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