呪われた宝珠 十九 赤龍ドレイク

 ベヒモスが牽いている大型荷車は、柱と横板で箱型に加工されている。

 その中には麻袋が積まれていたが、先ほどオオカミたちが運搬したタバコと違い、かなり重そうだった。


 それを二台連結しているのだから、相当の重量があるに違いない。

 しかし、ベヒモスは平気な顔でガラガラと土埃を立てながら、魔人に向かい進んでいく。


 比較的ゆっくりなのはベヒモスの牽引能力の不足ではなく、荷車の強度の問題からだろう。

 ベヒモスは白煙を上げるタバコを越え魔人に近寄ると、そこでスピードを上げ、魔人の直前で急ターンをした。


 荷車は遠心力に耐えかねて、その場で横倒しになる。

 麻袋が荷車から投げ出され、いくつかは岩にぶつかって裂け、中身をまき散らした。

 それは鮮やかな黄色をした石のように見えた。


 ベヒモスは荷車を太い脚で踏みつけ破壊した。

 そして、幻獣の身体と荷車を繋いでいた太いロープだけを引きずりながら大公国側に戻ってきた。

 その頃にはタバコはほぼ燃え尽き、立ちのぼる白煙もかなり薄くなっている。


 魔人はまだうずくまっていた。

 サキュラの騎兵隊をほふったマンティコアは、そのまま魔人とサキュラ軍との間に立ちはだかり、威嚇を続けている。

 一方、グリフォンは魔人の方へと戻り、そのまま足元に降り立った。

 そこにはベヒモスが投げ出した大量の麻袋が転がっている。


 グリフォンは両前足の鉤爪でそれを掴むと、まっすぐ上へと舞い上がった。

 そして魔人の頭上、かなりの高さまで高度を上げると、麻袋を離した。

 二つの袋は真っ直ぐに落下し、まともに魔人の頭にぶつかる。

 中身が飛び散り、黄色い粉を巻き上げながら、バラバラと魔人の身体を伝って下へ落ちていく。


 魔人はまったくダメージを負った様子を見せなかったが、それが刺激となったのか、ゆっくりと身体を起こし始めた。

 頭から上半身にかけて、黄色い粉を浴びたせいで青い皮膚が緑色に見える。

 ゆるやかな春の風が吹きわたり、その場に残っていたタバコの煙を完全に消し去っていく。


 魔人は立ち上がると、自分の使命を思い出したように、大公国軍の方を振り向いた。


      *       *


 一方、大公国側では、ベヒモスとグリフォンの一連の動きをじりじりした思いで見守っていた。

「ちょっと、ヒルダさん!

 大丈夫なんでしょうね? もう魔人、動き出しちゃうわよ!」

 サングラスをしているのに、ヒルダが「申し訳ない」という顔をしているのがわかった。


「いえ、ちゃんと間に合うはずですから……。

 その辺は信用してよいお方です」


 ユニはなおも追求する。

「大体、どうして余裕を持って待機しないのかしら?

 ぎりぎりで到着する必要がどこにあるのよ」


 大尉はますます言葉に詰まる。

 透けるような白い顔に赤みが差し、困るというより恥ずかしいという感情が勝っていることが窺えた。

「一応は直前まで敵に覚られぬようにということなのですが……。

 ……その、リディア様はぎりぎりで間に合った方が……」


「間に合った方が何なの?」

 かわいそうなヒルダは観念したように小さな声で答えた。

「つまり……その方が〝かっこいい〟と……」


 ユニとヒルダのやり取りを聞いていた全員が呆れた顔を隠そうとしなかった。

 ヒルダは小さくなってもじもじしていたが、突然はっと救われたような笑顔を浮かべて叫んだ。

「来ました!」


 彼女の指さす方角、南東の上空から、太陽の光を反射して赤く輝く物体が急速に迫ってきた。

 かなりの速度が出ているらしく、その姿はあっという間に大公国軍の上空に達し、太陽を遮って地上に大きな影を作った。

 兵士たちはすぐにその正体に気づいた。


「赤龍だ!」

「赤龍ドレイクが来たぞ!」

 魔人の動きを不安な眼差しで見守っていた兵たちは、一斉に歓呼の声を上げる。


 赤龍はそのまま高度を下げ、地面ぎりぎりのところで大きく羽ばたき急制動をかけた。

 一瞬、龍は空中で静止して、前脚の手から何かを落とし、再び羽ばたいて上昇すると魔人の元へと向う。

 龍が落としたのは人間だった。

 およそ三メートルほどの高さからぽとりと落下し、そのまま地面をごろごろと転がる。


 言うまでもなくそれは赤龍帝リディアであった。

 ヒルダは悲鳴を上げ、慌てて彼女の元へ駆けよる。

 リディアを抱き起すと怪我がないかを確かめ――その場にへたり込んだ。


 そして地面に座り込んだまま、赤龍帝の鎧をバンバンと音を立てて叩き、泣き叫んだ。

「どうしてあなたは無茶をするんですか!

 骨でも折ったらどうする気です!」


 リディアは「てへへ」と舌を出して笑いながら頭を掻いている。

 ルカ大公をはじめとする軍の幹部たちは、「ああ、あれが新しい赤龍帝か」と納得した。

 そして、お守役のヒルダ大尉に深い同情を捧げたのである。


      *       *


 赤龍ドレイクが四神獣の一柱であることは言うまでもない。

 赤銅色の鱗は鈍い輝きを放ち、その体長は尻尾まで入れると二十メートル近い。

 彼は四神獣の中でも最大の体格を誇っていた。


 赤龍は炎龍とも言われ、その二つ名のとおり炎のブレスを吐く。

 龍族でも本流をなす一族で、巨大なものが多い。

 召喚されたこの世界ではだいぶ制限はされるのだが、空を飛ぶことができるのは蒼龍と同様である。


 赤城市を発った赤龍とリディアは、呪術師の監視のある隊商路を避け、密林地帯の上空を飛んできた。

 あまり長い距離は飛べないので何度も休憩を入れる必要があり、時間がかかったという事情がある。

 それでも一日かからずに飛んでこれるのだから、地上軍に比べれば何倍も早く大公国に来れたはずだ。


 ぎりぎりのタイミングで現れたのは、ヒルダが言ったとおりで「演出上かっこいい」とリディアが言い出したからだ。

 側近たちは当然「何を馬鹿なことを」と彼女を諌めた。


 しかしリディアは「大公国に対して新たな赤龍帝のお披露目となるのだから、その登場は印象深いものでなければならない」と、屁理屈を押し通してしまったのだ(一応、表向きは「敵に赤龍の参戦を直前まで知られないように」ということになっている)。


 そもそも赤龍が大公国の支援に出陣したのは史上二度目のことである。

 大抵は国家召喚士が出ればことが足りるのである。

 過去一度だけ、赤龍が出張ったのは、首長国連邦が他の対立する南方諸国と一時的な連合を組んで攻め寄せた時のことで、もう八十年も前のことだ。


 しかし大公国の民衆の間では、その時の赤龍の活躍が詩となり、お伽話となって、誰一人知らぬ者はない。

 本来、兵士たちに赤龍の援軍があることを知らせていれば、彼らの不安は始めから払拭できたのだが、連邦への情報漏洩を恐れて秘密にされていたのである。


      *       *


 赤龍ドレイクが魔人の前に舞い降りたのは、魔人が一歩を踏み出そうとした直前のことだった。

 魔人はさすがに赤龍を前にして、とまどったような反応を見せた。

 一方のドレイクは何も迷わなかった。

 その太い首の喉の辺りがぐいと膨らむと、躊躇なく炎のブレスを吐き出した。


 問答無用であった。

 赤い火線がシャッという音を立てて走る。

 それはまず、魔人の足元の地面にぶち当たり、転がっていた麻袋を跳ね飛ばした。


 魔人の足から膝、腰、腹、胸、顔と、舐めるように赤い光が走る。

 「じゅう」という肉を熱した鉄板に落としたような音が響き、次の瞬間赤く染まった火線の跡が内部から爆発するように燃え上がった。


 同時に足元の麻袋、そして魔人の身体にかかった黄色い粉が青い火を放つ。

 そちらの方も炎のブレスとは違った意味で爆発的に燃え上がる。


 ドレイクが放ったブレスは、魔人の内部から皮膚を突き破って炎を吹きだしたが、それ以上燃え広がることはなかった。

 深い傷口が開き、そこからぼとぼとと青く細かな肉片をまき散らしながら、傷口はぐちゅぐちゅと気味の悪い音を立てて塞がっていく。


 見守っていたルカ大公をはじめとする者たちは、赤龍のブレスすら致命傷たりえないことに驚愕し、絶望に襲われた。

 しかし、それはわずかな間に過ぎない。

 魔人の様子が明らかにおかしい。


 タバコの煙は、ただ嫌がって避けるだけだった。

 ドレイクのブレスは傷を負わせたが、痛がるそぶりもなく傷は治癒した。

 しかし今、魔人は苦しんでいた。


 青い巨人は喉を掻きむしるようにして、赤龍の前で膝をつく。

 爪をたてた指の隙間から、青い肉片がぼろぼろと零れ落ちる。

 それだけではない。

 魔人が苦しんで身体を揺するたびに、皮膚の表面から同じような肉片がぼろぼろと剥げ落ちてくるのだ。


 かなり大きな望遠鏡で覗いていたルカ大公は、顔をしかめながらそれをユニに渡した。

「覗いてみろ」

 ユニは受け取った望遠鏡を覗き込む。

 魔人にピントが合っていて、かなり大きく見えるのでその全体像は掴めないが、ちょうど喉のあたりが拡大されて見える。


 相変わらず魔人は喉を掻きむしっているので、皮膚が裂け、深い傷口から肉片が落ちていくのがよく見えた。

「うっ!」

 ユニは望遠鏡から顔を離し、思わず口を手で押さえた。

 酸っぱい液体が上がってきて、もう少しで吐いてしまうところだった。


 ユニが見た青い肉片――それは子どもが作った粘土細工の人形のようだった。

 胴体からは頭と腕と足が生えている。顔には目と口に当たる部分に穴があいている。

 その人形のような肉の塊りが、ぐねぐねとのたうちながら魔人の肉から生えてきて、ぼとぼとと落下しているのだ。


 ヒルダ大尉はサキュラ以外の四首長国の兵士、一万二千人が魔人復活のための生贄になったのではないかと推測していた。

 だが生贄どころでない。

 魔人の身体そのものが、一万を越す人間の身体で構成されていたのだ。


「吐き気を催しますね」

 大公に望遠鏡を返し、ユニは正直な感想を洩らした。

「効いたな?」

 大公はそれだけをユニに言い、後は黙りこくった。


 赤龍は魔人の周囲に散らばって、まだ火のついていない麻袋に向かって再びブレスを吐いた。

 麻袋はあっという間に青い炎を吹いて燃え上がり、白い煙をあげる。

 魔人の身体は崩壊を加速させている。

 もう初めの姿からは想像もつかない、痩せ細ったカカシのようになっている。


 麻袋の中身は硫黄イオウであった。

 ルカ大公国と首長国連邦を隔てるアルカンド山脈には、いくつかの活火山がある。

 そこからは天然の硫黄が豊富に産出され、硫酸の原料となったり、着火用のくちに利用されていたので、ごく馴染みの深い鉱物である。

 タバコと違って、かき集めるのに苦労はいらなかった。


 召喚士のヴィンス准将がユニの側にやってきた。

「ユニ殿、どうして硫黄が魔人に効くとわかったのですか?」

 ユニは少し離れたところに立っていたマリウスをちらりと見た。

 会話が聞こえないだろうということを確認して、彼女は准将の問いに答える。


「そもそもはマリウス――あの帝国の元魔導士に教えてもらったのよ。

 タバコの煙は毒だって」

 ユニはマリウスを褒めることになるのが少し悔しいらしい。


「大体、どうして魔人がタバコの煙で滅んだのかが疑問だったんです。

 大公のおかげで力ある呪術師から聞くことができましたが、伝説の魔人は当時の呪術師が造ったまがい物なんだそうです。

 身体も恐らく地下に埋められた死体を原料にしたのだろう。だから、本物の魔人よりいろいろなものに耐性がなかったのではないか――とも言っていました」


「ただ、どうして誰もが普通に吸っているタバコに影響を受けたのか、疑問でした。

 ところがマリウスが、『タバコの煙は一種の毒物ですから、毒物――というか毒ガスに弱いんじゃないですか』と教えてくれたんですよ。

 彼がいた帝国は魔術とともに化学が発達していて、魔導士は化学知識を身につけているそうです。


 ――それで彼に、何か毒ガスを発生せさせる方法はないかと訊いたら、硫黄を勧められたんですよ」


 硫黄を燃やすと発生するガス(現代の知識で言えば二酸化硫黄)は、果物の保存やワインの醸造にも利用されているが、本質的には毒性の気体である。

 高い濃度の硫黄ガスを吸えば、人間も死に至る危険な代物なのだ。


「万を超える人間の身体を繋ぎ合わせて、あれだけの巨体を作りだしていますから、魔人は相当な無理をしているのだと思います。

 毒物が入り込むことで、拒絶反応が連鎖的に広がっているのではないでしょうか。

 ――本当は赤龍のブレスで片付けられると思っていたんですけど……。

 最後は博打みたいな手に頼ることになって、冷や汗ものでした」

 ユニは自分の案が裏付けを欠いた不確実なものだったことを正直に認めた。


「そうでもないさ」

 それまで黙っていた大公が口を挟んだ。

「誰もタバコの煙で魔人をいぶしてやろうなんて考えつかなかったからな。

 初めてこの案を聞いた時は、冗談を言ってると思ったくらいだ。

 見ろ、魔人の最期だ……」


 大公に言われるまでもなく、彼らの見つめる先で、魔人は存在そのものを失おうとしていた。

 巨大な身体は細い棒きれのようになり、ついにはバラバラと折れ、崩れ落ちた。

 同時に、何か青くキラキラした光るものがぽろりと落下するのも見えた。


 それは魔人の心臓に違いなかった。

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