呪われた宝珠 十 力ある呪術師

 ユニたちが再びヒヒの後を追い始めてから三十分も経たないうちに、いきなり彼らは追跡相手に出くわした。

 常緑灌木の茂みを抜け、視界が開けた瞬間、目の前にヒヒとライオンが対峙していたのだ。


 ヒヒはボロボロになっていた。右腕は肘の先から失われ、血を滴らせている。

 そればかりでない。身体中のあちこちに肉を抉り取られたような傷を負っており、毛皮が血で黒く汚れている。

 どう見ても重態で、立っているのが不思議なくらいだったが、その顔には一切苦痛の色がなく、無表情に近い。


 そして、目だけが獣のそれでなかった。

 明らかな知性と意思を持った人間の目――それが皺だらけのヒヒの顔に嵌まっている。


 ヒヒの背中には鷲のような翼が生え、尻尾はヘビになっている。

 いわゆるキマイラというものだったが、そんなことが些細に思える程、〝人間の目〟は異様であった。


 一方のライオンは、見た目ではほぼ無傷だが、ヒヒ以上に足元がふらついている。

 顔をはじめ、毛の薄い部分がどす黒く変色しており、強烈な腐臭を放っていた。

 呪いか毒かはわからないが、ヒヒから何らかの反撃を受けた結果なのだろう。

 このライオンも、瞳は人間のものだった。


 突然現れた闖入者ちんにゅうしゃに二頭は同時に振り返った。

 ライオンの目には驚きの色が浮かんだが、ヒヒの顔は苦々しげに歪んだ。

 どうも笑ったらしい。


「……ギギ……マタオマエタチカ……シツコイ。

 ドウニモ……ジャマナ……ヤツ、バカリダ……」


 ヒヒが人間の言葉を発したことに驚いている暇はなかった。

 ユニは叫ぶ。

「サイードから奪った宝玉はどこ!

 おとなしく渡せば、命までは取らないわ」


「ホウギョク……? コレノ……コトカ」

 ヒヒはそう答えると、無事な片手を差し出し、握っていた手を開いた。

 そこには青く輝く宝玉が見えた。

 ライオンがびくりと反応し、目に輝きが戻る。


「ギギギギギギ……」

 しかし、次の瞬間ヒヒが取った行動は意外なものだった。

 ヒヒはがばりと口を開け、手にしていた宝玉を放り込み、飲み込んでしまったのだ。


「そんなことをしても無駄よ!

 腹を裂けばいいだけのこと、いいかげん観念しなさい!」

 ライオンの方も毒に犯された身体で最後の攻撃をかけようと身構えている。


 しかし、ヒヒは笑い声(多分そうなのだろう)をあげ続けた。

 そして、いきなりその声が途切れた。

 人間の目がぐるりとひっくり返り、白目を剥く。

 笑っていた口はだらしなく弛緩して、顎がかくんと落ちる。


 落ちたのは顎だけではない。

 ヒヒの頭ごと、ずるずると滑り落ちていく。

 ユニが唖然として見ている内に、ヒヒの頭部はずるりと地面に落ちていき、そのままころんと半回転した。


 周囲には腐臭が広がり、オオカミたちが一斉にくしゃみをした。

 頭を失ったヒヒはそのまま立ち続けている。

 首からは一滴の血も流れず、代わりに茶色い汚らしい汁がぼとぼとと滴り落ちていた。


 ヒヒの変化はそれだけで終わらなかった。

 羽根の生えた背中のあたりがぼこりと盛り上がり、ヒヒの背中を破って何かが出てきた。


「サル……? いや、違う――まさか……ガーゴイルなの?」

 ユニが呆然とつぶやいたように、それは古い遺跡の彫刻としてよく見られる有翼の悪魔のようだった。

 違うのは、コウモリの羽根ではなく、ヒヒが生やしていた鷲のような翼をそのまま背につけていること。

 そして、小柄――子猫ほどの大きさだということだ。


 小さな骸骨に薄い皮を張っただけのような身体。

 尖った耳に牙のある口。

 その小さな細い手には、しっかりと青い宝玉が抱えられている。


 ぐちゃぐちゃという粘ついた音を立てながら、ヒヒの身体を抜け出したガーゴイルは、ばさばさと何度か羽ばたいたかと思うと空中に舞い上がった。

 キイキイという耳障りな声で何やら喚き声をあげたガーゴイルは、やがて人間の言葉を発し始めた。

 それは明らかな敵意と悪意に満ち溢れ、ユニに対して投げつけられた。


「キサマノセイデ……。

 オカゲデ、さいーどヲツレテイケナカッタゾ!

 カナラズヤ、ノロッテヤルカラ、カクゴシテオケ……」


 そう言い捨てると、干からびた身体に不釣り合いに生々しい鷲の翼を羽ばたかせて西の空へと飛び去って行く。

 ユニとオオカミたちには、空中のガーゴイルに対して攻撃するすべがない。

 黙ってガーゴイル――いや、宝玉が持ち去られるのを指をくわえて見ているしかなかった。


 西の空に小さな点となって消えていくガーゴイルを見つめるユニの傍らで、「どさっ」という重い音がした。

 驚いて音のした方を見ると、そこにはライオンが横たわっていた。

 毒が全身に回ったのか、顔がどす黒く変色し、口からは血の混じった泡を吹いている。


 ユニは警戒しながら側に近づいてみた。

 ライオンはすでに息絶えている。

 一応、身体を改めてみたが、特に不審なところはない。


 このライオンはヒヒを操る呪術師と対立する者が操っていたのだろう。

 ということは、首長国連邦も一枚岩ではないということだ。

 ――いろいろ考えなければならないことがあったが、今はその時間がない。


 とりあえずユニは残してきたサイードのもとへ向かった。

 オオカミたちが周囲を警戒しているところへ戻ると、改めて彼の様子を確かめる。

 やはり外傷や薬物を投与された気配はない。

 呼吸も脈もしっかりしており、何かの術で眠らされているという感じだ。


 ユニは背負っていた背嚢を降ろし、中からロープを取り出してサイードの身体をライガに背負わせ、しっかりと縛った。

 自分はハヤトに乗ってリュートリア市に向かう。

 すでに夜はすっかり明け、太陽が昇っていた。

 ユニの身体は鉛のように重い。ずしりと重みのある眠気と疲労が襲ってきた。


 宿で一眠りしたいところだが、サイードを王宮まで届けるまで、それは許されない。

 帰り道、何度かユニはハヤトの背から落下しそうになった。

 そのたびにヨミが彼女の身体を咥えて助けてくれたが、帰途の約二時間が永遠に続く地獄のように思えた。


 リュートリアの城門に着いたところで、ユニはライガに乗り換え、群れのオオカミたちに休息を取るよう指示してから城門をくぐった。

 街の大通りには多くの人が行き交っており、三メートルもの巨大なオオカミに縛られた商人と若い女性が乗って歩く姿は注目を浴び、あっという間に人だかりに囲まれてしまう。

 幸いすぐに警備の兵士が駆けつけ、人々を追い散らして先導をしてくれた。


 城に着くと待ちかねたようにユニたちは中に通された。

 サイードは医師の手当てを受けるため担架で運ばれていく。

 昨夜と同じ部屋に通されると、大公もあまり時間を置かずにやってきた。


「さすがだな。まさかサイードを取り返せるとは思わなかった」

 破顔する大公に、ユニはこれ以上ないくらい暗い顔で答える。

「ですが、宝玉は奪われていまいました」


 ユニはことのあらましを説明した。

「恐らくライオンはヒヒを操っていた者とは別の首長国に仕える呪術師が操っていたのでしょう。

 彼らが内部的に対立しているのはわずかな救いですが、いずれにしろ最大限の警戒が必要です」


 大公は厳しい顔でうなずいた。

「わかっている。われわれは至急軍議を開かねばならん。

 ユニ殿、ご苦労だった。ひとまず休まれよ。

 また後で力を借りねばならんだろうがな……」


 ふらふらになったユニはサイードが攫われた宿に戻った。

 マリウスに金を押しつけると、肉屋で枝肉を買ってライガに城壁外のオオカミたちのところまで運ばせるようにと言いつけると、そのままベッドに倒れ込んで眠りについた。


      *       *


 ユニが目を覚ましたのはもう日が落ちかかった夕方のことだった。

 ベッドから身を起こすと、下着の上にシャツを一枚着ているだけの姿だ。

 上着やズボン、ブーツや靴下などはきれいに畳まれてすぐ側のテーブルに置かれている。

 誰が脱がせてくれたのか知らないが、もしマリウスだったら殴ってやろう――そう心に決めて起き上がる。


 服を着て、背嚢から替えの下着とタオルを取り出すと、部屋を出て階下に向かう。

 どこの宿も一緒だが、炊事場の側にはシャワー室があり、宿泊者は自由に使うことができる。

 湯あみは各部屋でできるが、別料金だし予約をしておかないと湯を運んでもらえないのだ。


 冷たい水で身体を洗い流すと、意識がはっきりしてくる。

 下着とシャツを新しいものに替えると気分もよくなってきた。

 それと同時に猛烈な空腹が襲ってくる。


 ユニは宿の女中に洗濯ものを預け、食堂に向かった。

 ちょうど夕食時が近づいている時だったので、すぐに食事にありつくことができた。

 茹でた腸詰と酢漬けのキャベツ、パンに熱いチキンスープだ。


 ものすごい勢いでそれらを詰め込んでくると、ひょっこりマリウスが顔を出した。

「あー、こんなとこにいた」

 呑気な声で近寄ってくると、彼はユニの向かいに腰を下ろした。


「どうやら復活したみたいですね。

 大公から目を覚ましたら王宮に来るようにと伝言が届いていますよ。

 どうやらサイードが意識を取り戻したようです」

 ユニは食べ物が口に詰まっているので返事ができない。


 マリウスは苦笑を浮かべながら続けた。

「それ、食べたら出かけるってことでいいですね?」

 ユニは頬を冬眠前のリスのように膨らませながらむぐむぐとうなずいた。


      *       *


 もうすっかり大公との会談場所になってしまった私室には、大公のほかにサイード、そして見知らぬ老人が集まっていた。

 ユニとマリウスが部屋に案内されると、大公が立ち上がって迎えてくれた。


「どうやら元気になったようだな。

 今朝は酷い顔色だったから、呪術師の呪いにでもかかっているのかと思ったぞ」


 ユニは心遣いに感謝して、ちらりと老人の方に目を走らせた。

 暗に「そちらの方は?」と大公に尋ねているのは明らかだ。


「残念だがかのご老体を紹介することはできん。

 彼はたやすく人に名を明かさないのだ。

 ただ、力ある呪術師と言えば、その必要はないだろうな?」

 ユニたちは驚きをもって老人を凝視した。


 しかし、ややあってマリウスが首をかしげた。

「ご老人、あなたのその身体、現身うつしみではありませんね?」

 老人は表情を変えなかったが、垂れ下がった白く長い眉毛に隠れていた片目をわずかに見開いた。


「ほう……坊主、貴様何者じゃ?」

 大公の方ははっきりと驚いた表情を見せている。

「ユニ殿、彼は……そなたの従者ではなかったのか?」


 ユニは観念した。それにここまで協力関係を築いた王族の信頼を失うのはどう考えてももったいない。

「彼は元帝国の魔導士です。先の黒龍野会戦に先だってわが国に亡命しました」

 そう言うと彼女はマリウスに向き直った。

「マリウス、あのご老人の姿は幻ってことなの?」


 彼はこともなげにうなずく。

「ええ。帝国では幻影術って言いますけど……会話ができるレベルはかなりの高等魔法ですよ。

 それと同じ魔力の波動を感じます。

 ユニさんだって、リリちゃんの幻獣ミラージュの幻影を見ているでしょう?

 今さら珍しくはないと思いますけど」


 老人はそのやりとりを聞いて、しわがれた笑い声をあげた。

「ふぉっふぉっふぉ……なるほどのう。

 召喚士に魔導士か……面白い組合せじゃな。

 許せよ。わしはそう簡単に自分の結界から出るわけにはいかないのでな。

 われら〝力ある呪術師〟は互いに隙あれば殺してやろうと狙い合っているからの」


 そこで大公は咳払いをして一同の注意を引いた。

「では、役者が揃ったところで始めようか。

 私はサイード殿の話をすでに聞いているが、ほかの皆はまだだろう。

 すまぬがもう一度同じことを訊くことになるが、よろしいかな?」


 サイードは真面目な顔でうなずいた。

「サイードさん、お身体は平気なのですか?」

 ユニは思わず尋ねる。


 サイードは力なく笑った。

「ええ。ご心配なく。

 ――それではお話します。

 とは言え、私が覚えているのはほんの少しのことですが……」


 彼は宿屋で起きた出来事を話した。

 帳簿を付けている最中、夜風を感じて窓を見たら開いていたこと。

 閉めようとしたら、背後に翼を生やしたヒヒが現れたこと。

 ヒヒが人の言葉を喋り、父の遺品の宝玉のありかを尋ねられたこと。

 思わず宝玉を隠していた杖を見てしまい、ヒヒに見つかってしまったこと。


「――その後、ヒヒが私に迫ってきたところまでは覚えていますが、その先は気を失ってしまって、何も覚えていないのです」

 サイードは自分の話をそう締めくくった。


「ふん、単純な眠りの呪いじゃな。

 後遺症が残るようなものではない。幸運じゃったな。

 恐らく、お主の身体――というより記憶に用があったのじゃろうて……」

 老呪術師が解説を加えた。


「その宝玉はお父上――ムバラックと言ったな――から受け継いだのだな」

 大公が尋ねた。

「正確に言えば母からです。

 父は私の幼いころに死んだので、私はあまり詳しくは覚えていないのです。

 母の話では、父は大きな遺跡の探検から戻ってから人が変わったようになっていたそうです。

 まるで何かに怯えているような……。


 ――そして、母と幼い私を連れて、アルカンド山脈を越えて大公国へと逃げるように引っ越しました。

 手荷物しか持たない夜逃げのような状態だったそうです。

 ただ、父は高価な宝物をいくつか持っていたので、こちらでの生活には不自由しなかったと聞いています。

 しかし、亡命してから一月も経たないうちに、何の前触れもなく突然全身が黒く変色して、悶絶したまま息を引き取ったそうです。


 ――苦しみの中、父は母に宝物はすべて売っても構わないが、青い宝玉だけは息子(私)に持たせ、決して人に見せず、どんなことがあっても手放さないようにと言いました。

 そして、それを何度も母に誓わせてから息を引き取ったということです」


「では、魔人のことは何も聞いてないのだな?」

 再び大公が訊いた。


「はい。母もその宝玉がどこから出たもので、どれだけの価値を持つのか、何も聞かされていませんでした。

 ただ、私も長いことこの商売をやっております。

 宝物を見る目もそれなりに養ってきたつもりです。

 あの宝玉は、おそらく古代の偉大な七人の王の時代のもの……。

 そうなると、未だ発見されていないソレマーン王の墳墓から出たのではないかと思っています」


「ふむ……。まぁ、その見立てはおおむね正解じゃな」

 老呪術師が感想を洩らす。

「ちょっと待ってください。それっておかしくないですか?

 その古代王朝って確か二千年前くらいに栄えた国々ですよね。

 その宝玉がサラーム教の予言者が使役した魔人の心臓だとしたら、時代が千年は飛んでいますよ」

 ユニが魔導院で習った年表を必死に思い出しながら尋ねた。


「それはそうじゃろう。

 あのサラームの預言者は愚か者じゃったからな。

 せっかくの魔人を心臓もろともバラバラにしてしまいおった。

 だがな、あれはまがい物じゃ。

 伝承に出てくる呪術師が作りだした模造品じゃよ」


 ユニがごくりと唾をのむ。

「じゃあ、サイードさんが奪われた宝玉は……」


「そうじゃ、あれこそが真の魔人の心臓じゃ。

 われら力ある呪術師たちは、二千年の長きにわたって魔人の復活を夢見てきた。

 何人かの者は、その模造品を作りだすことに成功したが、いずれも失敗作じゃった。

 魔人の呼び出しに成功しても、あっという間に身体が崩れて消滅してしまうのじゃ。

 まぁ、心臓が贋作なのもあるが、魔人の材料にも問題があったのじゃがな……」

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