呪われた宝珠 九 キマイラ
「にわかには信じがたい話ですね……」
ユニは正直な感想を洩らした。
大公自身もそうだったのだろう、うなずきながら答える。
「まぁ、それが普通の反応だろうな。
だが、お前たち召喚士にそれを言われてもな」
確かにユニたち二級召喚士はともかくとして、国家召喚士ともなればそれこそ怪物クラスの幻獣を従えている。
王国の四神獣に至っては怪獣並みと言ってよい。
その非現実な存在を知る者が、魔人の復活をお伽話と笑えるだろうか。
魔人の話は後から考えるとして、ユニはまず現実的な問題を指摘した。
「とにかく、まずはサイード氏の身の安全を確保するのが先ではありませんか?
彼は確か、まだこのリュートリアに滞在しているはずですよ」
大公は溜め息をついた。
「当然だ。
だが、手遅れだったんだよ。
サイードは昨日、いやもう二日前ということになるか――失踪した」
* *
二日前の夜、サイードは首都リュートリアの常宿でくつろいでいた。
今回の隊商は、帝国の大隧道の崩壊というアクシデントで引き返さざるを得ず、中途半端なものとなった。
帝国、特に帝都の王侯貴族や大商人は、彼のよい顧客である。王国の貴族たちの内情は苦しいところが多く、帝国程の購買力はない。
大公国や南方諸国から仕入れた工芸品や宝玉の数々は、予定の半分も売れなかった。
しかし、その代わり今回は山ほど〝売れる情報〟を仕入れることができた。
昨年末の黒龍野会戦は、参戦した兵士の口からさまざまな情報が洩れ出していた。
サイードたちは、行く先々でそうした情報を丹念に拾い集め、懇意にしている王国の商人と情報を摺り合わせて、単なる噂の数々を確度の高い情報へと昇華させていった。
こうして仕入れた情報は、大公国で高値で売れた。
全体として今回の旅の収支は悪いものではないだろう――サイードは頭の中でそう計算をしていた。
だが、彼は商人である。きちんと帳簿をつけ、銅貨一枚だろうと金の動きを疎かにするつもりはない。
宿の部屋を照らすランプとは別に、机の上にも明かりを置いて、彼は几帳面な字で帳簿を整理していた。
あと少しで帳簿を付け終わるという時に、机を照らす明かりがぐらりと揺れた。
同時に、サイードの頬を湿気を帯びた夜の空気が撫でていく。
風で窓でも開いたのだろうと思った彼は、右手の窓に目を向けた。
果たして窓は少し開いており、カーテンが風を孕んで膨らんでいる。
やれやれ、といった顔でサイードは窓を閉めようと椅子から立ち上がった。
その途端に、ふくらはぎにチクリとした痛みが走った。
彼は慌てて痛みを感じた右足を上げ、原因を確かめようとした。
やや肥満気味のサイードにとって、足の裏側を見るのは結構難しい。
バランスを崩しそうになったサイードは片手を机に突き、どうにかふくらはぎを確認した。
そこには二つの小さな血玉が浮いていた。
数センチの間隔で並ぶ小さな傷……。
――蛇か!
一瞬で全身に緊張が走り、彼は周囲の床を見回そうとした。
同時に大声で宿の者を呼ぶ。
――つもりだったが、そのどちらも果たせなかった。
身体に痺れが走り、声が出せないのだ。
彼はぎこちない動きで、どうにか部屋の扉の方を振り返った。
しかし、彼の目に扉は映らない。
その代わり、彼の視界いっぱいに映っていたのは一匹のヒヒだった。
ハラル海(岩石砂漠地帯)に棲息する大型のヒヒが、いつの間に侵入したのか、サイードのすぐ目の前に立っている。
だが、何かがおかしかった。
彼はすぐにその違和感の原因に気づいた。
ヒヒの背から、鷲のような翼が生えている。
ヒヒの尻から、尻尾の替わりに黒い縞模様の蛇が生えている。
ヒヒの額には、見覚えのある呪印が刻まれている。
そして、ヒヒの両目は獣のそれではなく、明らかに人間の目であった。
ヒヒは口を醜く歪めた。どうやら笑っているらしい。
そして、耳障りなしゃがれた声で言葉を発した。
「ギギギ……ミツケタ……ウラギリノむばらっく……」
サイードは痺れが全身に回り、尻餅を突くように椅子に倒れ込んだ。
「……オマエ……むばらっく……ムスコ……さいーど」
酷い発音でそこまで言うと、突然ヒヒは目を剥き、大口を開けて牙を剥きだした。
そして大声で叫ぶ。
それは発音のはっきりした、人間そのものの声だった。
「貴様の父親が遺した宝玉はどこだ!」
サイードは口を開けないでいたが、その叫び声を聞いた一瞬、目が泳いだ。
ヒヒはぐいと彼の目の前に顔を近づけた。
吐き気がするような獣臭が鼻を突く。
人の知性を宿したヒヒの目が、ゆっくりとサイードの目の動きをトレースした。
「……ソコカ」
彼らの視線の先には、壁に立てかけてあるサイードの杖があるだけだった。
ヒヒは杖を手に取り、調べ始める。
長さは一・五メートルほど。自然の木の根から作ったものか、全体にゴツゴツとした瘤がある。
中でも頭部はひときわ大きな瘤となっていた。
ヒヒは瘤を撫でまわし、指であちこちを触っていく。
やがて、かちりという音がして、瘤に隙間が生じた。
慎重に隙間に指をねじ込むと蓋が開き、鮮やかな青色の宝玉が姿を現した。
ヒヒは満足そうにうなずくと、サイードの方を振り向いた。
「……オマエ……キテモラウゾ……」
数時間後、宿の者がランプの油を注ぎ足すためにサイードの部屋を訪れると、窓が開け放たれた室内には誰の姿もなかった。
* *
「失踪なのですか……?」
ユニが少し不審な顔で訊ねた。
大公は苦々しげに答える。
「宿の部屋には争った跡がなかった。サイードの長持や手荷物も残ったままで、一切荒らされていない。
ただ本人だけが姿をくらましたのだよ」
もう一日半近く経過しているわけだ。やっかいだなとユニは思う。
「大公閣下、サイード氏は首長国連邦へ向かっていると思うのですが……」
大公もうなずく。
「恐らくな。一応国境や街道筋の警備は強化しているが、山脈に逃げ込まれていたら正直お手上げなのだ」
であれば、ユニにできることは一つしかない。
「サイード氏の宿に案内してください。
手遅れかもしれませんが、私のオオカミたちで跡を追ってみます」
「もうこんな時間なのにすまぬな」
大公は目に見えて安堵した表情になった。
ユニたちは大公に命じられた兵士の案内で、深夜の街を移動することになった。
サイードの泊まっていた部屋が封鎖され、警備の兵が付いていたためだ。
部屋に一歩入ると、ライガが即座に反応した。
『うおっ、
これはサル……いや違うな。ヒヒの臭いだと思うが……何かおかしな』
「別の臭いもするってこと?」
『ああ、種類はわからんが蛇の臭いと……鷲か? 鳥の羽根の臭いもするぞ』
「なんだか変な取り合わせね。
それでサイードさんはどこへ連れていかれたかわかる?」
ライガはすぐに答えた。
『窓の外だ』
ユニは窓に近づいてみた。
窓は開け放たれているところを見ると、発見時のままにされているのだろう。
窓枠をよく見ると、動物の毛らしきものがわずかに引っかかっている。
そして、窓の外からは隣家の屋根が見えた。
サイードの部屋は宿の二階である。
誘拐者は屋根伝いに逃げたのだろうか……。ライガの言うように犯人がヒヒならば、それもあり得ないでもない。
「ライガ、追える?」
『誰に向かって言っている。
お前こそ、しっかりしがみついていないと、そのでかい尻から落っこちるぞ』
ユニはマリウスの方を振り返った。
「あなたに追跡は無理だわ。
あたしたちだけで行くから、マリウスはこの宿で待っていて」
マリウスが何か答えようとした時には、もうユニとライガの姿は窓の外へと消えた後だった。
* *
湿り気を帯びた冷たい夜の空気が頬を撫でる。
ユニはライガの背に身体を密着させ、両手でしっかりと毛を掴んでいる。
オオカミはまるで猫のように、音も立てずに民家の屋根や塀の上を器用に歩いていく。
人の背丈ほどもある高低差も苦にすることなくジャンプし、飛び降りて進む。
ライガは時々しか残された臭いを嗅ごうとしない。
恐らくそれだけ獣の臭いがはっきりと残っているのだろう。
ユニたちはやがて街の外れ、城壁に迫ってきた。
『これか……』
屋根の上でライガが立ち止まり、上を見上げた。
そこには煉瓦づくりの
かなり上の方で、月明かりを反射して光る鐘の一部が見える。
『多分、この塔の上まで登ってから、城壁に飛び移ったんだろうな』
ユニはライガの視線を追った。
目の前に四メートル近い城壁が見える。
塔からあそこへ飛び移ったのだとしたら、五メートルは跳躍したことになる。
「ヒヒって、人間を抱えたままそんな芸当ができるの?」
『俺が知るか。少なくとも俺には無理だな。
下に降りるぞ』
ライガは屋根の上から軽々と地面に飛び降りると、城壁沿いに矢のように駆けだした。
数百メートルも走ると城市の通用門があった。
もちろん不寝番の兵士が立哨しているが、大公からの命令が行きわたっているらしく、ユニたちを何も言わずに通してくれた。
ユニたちは外へ出ると、再び鐘塔のあるあたりまで戻った。
すでにライガから連絡を受けていたらしく、群れのオオカミたちが集まって周囲の臭いを探っていた。
ユニたちが合流すると、ハヤトが先頭になってオオカミたちが一斉に駆けだす。
真っ暗闇の城外を、彼らはかなりの速度で走り続けた。
オオカミたちは夜目が効き、はっきりとヒヒの足跡を目視していた。
時々足跡が消えることがあっても、ヒヒの臭いは簡単には消えない。
ユニもオオカミたちも無言だった。
舌を垂らしたオオカミたちの荒い息だけが、夜の闇に吸い込まれていく。
郊外に出ると、ユニたちの追跡スピードは俄然あがった。
ほとんど止まることなく駆け足のスピードで一行はヒヒの跡を追った。
やがて人家は途切れ、道に傾斜がつき始め、山地に入ったことが知れた。
山中の道なき斜面を駆け登るうちに、周囲は明るくなってきた。
やっとユニにも周囲の様子が見えてくる。
春の山は麓でこそ緑が芽吹いているが、中腹に至ると常緑樹以外は骸骨のような姿の樹木が林立している。
かなり高度が上がってきたな……ライガの背中で揺られながら、ユニはそんなことを思った。
昨夜から徹夜で走り続けている。ろくな食事も摂っていない。
じわじわと疲労が襲ってくるが、オオカミたちは元気だ。
彼らは不眠で走り続けることも、数日餌を摂らないことも耐えられるらしく平気な顔でいる。
ライガが言うには、ヒヒは山中で一度休息をしているらしい。
さすがに人間一人を抱えたまま長時間逃走するのは厳しいようだ。
岩の窪みで仮眠をとったような痕跡があった。
すでに再出発しているようだが、臭いの鮮度がずっとよくなっているのだそうだ。
周囲はすっかり明るくなり、陽射しが朝の冷気を追い払いつつあった。
ユニがあくびを噛み殺して、どうにか眠気を振り払おうと頭を振っていると、突然オオカミたちが停止した。
山に入ってから、何度か臭いを確かめるため立ち止まることはあったが、今回は少し様子が違う。
オオカミたちは周囲を盛んに嗅ぎまわっている。
「どうしたの、ライガ?」
異変を感じたユニが訊ねる。
『ヒヒがここで襲われたようだ』
「襲う? 一体誰に?」
「大型の……ライオンだな。
ヒヒはここで待ち伏せされたらしい。
手傷も負ったようだ』
そこからの追跡は俄然難しくなった。
ヒヒは襲撃者からでたらめに逃げまわったらしく、臭いが交錯して跡が追いづらい。
ただ、臭いはどんどん新しくなっており、ユニたちはかなり敵に近づいているようだった。
『ユニ!
サイードがいたわ!』
突然ミナの叫び声が頭の中で鳴り響いた。
オオカミたちが一斉に彼女のもとに駆けつける。
地面に転がっていたのは確かにサイードだった。
ユニはライガから飛び降り、倒れているサイードを抱き起した。
すばやく男の首筋を抑える――脈はある。呼吸もしっかりしている。
サイードの頬を何度か叩いてみるが、まったく目を覚ます気配はない。
何らかの呪術か、あるいは薬物か――とにかく命に別状がないことが確認できれば今はいい。
「
ハヤト、トキ、一緒に来て! あたしたちはヒヒを追うわ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます