呪われた宝珠 五 オアシスの襲撃
隊商は予定どおり、四月一日に赤城市を出立した。
リスト王国と南方諸国との間には、ハラル海と呼ばれる岩石砂漠が幅二百キロ前後にわたって広がっている。
砂漠というと砂丘が連なる砂の海を思い浮かべがちだが、実際には
ハラル海も侵食された岩石と、砕けた砂礫にまみれた荒涼とした大地が続き、人の往来を拒んでいた。
唯一、密林地帯に近い砂漠の
南方諸国にあって、この交易路が通る地帯を支配していたのがルカ大公国である。
赤城市から大公国北端の都市レリンまでは約百八十キロ。隊商はこれを五日の行程で渡る。
隊商の商人たちと荷物は三十頭余りのラクダが運搬し、十八名の護衛隊は馬で移動する。
ユニは当然ライガの背に乗り、マリウスは馬での参加となった。
荒れた砂漠の道ではあるが、隊商路は一応、馬が難渋しない程度には整備されている。
最初の二日間は特に問題が起こらなかった。
隊商路の左側に密林地帯が見えてくる三日目から、護衛隊の様子が明らかに変わった。
もちろん、オークの襲撃を警戒してのものだ。
しかし、三日目の行程も何事もなく終わり、一行は水場の近くでキャンプを張ることになった。
湧水によってできた水場の周囲には草が生い茂り、まばらだが樹木も育っている。
オアシスは水の補給だけではなく、ラクダや馬に新鮮な青草を食べさせることができる貴重な場でもある。
隊商の面々は慣れた手つきでテントを組み立て、商人たちは夕飯の支度に入る。
護衛兵たちはラクダと馬にたっぷり水を飲ませたうえ、草場で自由に餌を摂らせた。
夕闇が迫ってきても、ラクダたちは夢中で草を
護衛兵たちは周囲への警戒を怠らない。
ユニのオオカミたちが、陽が完全に落ちたら砂漠で
周囲の動物の臭いを探っていたトキがぴくりと身体を震わせた。
『オーク臭い!』
その言葉にオオカミたちは一斉に頭を上げ、風の中から嗅ぎ慣れた敵の臭いを探そうと試みる。
風は砂漠から密林に向かって吹いていたが、泉の周囲は温度が下がるためか風が舞って方向が一定しない。
一瞬、風向きが逆になった時、オオカミたちは確信した。
『オークだ!』
すかさずハヤトが朗々とした遠吠えを発して、隊商に警報を出す。
あらかじめ、オオカミたちがオークを発見した際は、そのようにして知らせることを打ち合わせていたのである。
ユニの側にアシーズが駆け寄る。
「オークか、どっちから来る?」
「今、オオカミたちが確認しているけど、かなり接近されているみたい!」
アシーズはそのまま馬たちが放されている草場に走っていく。
護衛隊の兵士たちも次々に集まって馬に乗り、槍を手にして本隊の警護に駆け戻っていく。
ただ、兵士たちがラクダを避難させようとするのだが、頑固なラクダは餌場から離れることに抵抗してなかなか言うことを聞かない。
ユニはライガの背から兵士たちに怒鳴る。
「ラクダはうちのオオカミたちが集める!
そっちは警護に回って!」
すかさずヨミ、ミナ、ヨーコの三頭が飛び出し、ラクダたちに吠えかかった。
彼女たちはどこかで牧羊犬のバイトでもしていたのかと思うほど、見事にラクダを追い立てていく。
警護隊の半数は、馬を駆ってその背後を警戒する。
オークの目的はラクダだろうし、たとえ一頭でも倒されれば隊商にとって大きなダメージになるからだ。
ところが、オークたちは予想外の場所から現れた。
水場の周囲の灌木の茂みから突然飛び出してきたのだ。
そこは隊商のキャンプ地と、ラクダたちの放牧地のちょうど中間地点にあたる。
オークたちは呆れたことに、ボロ布に葉のついた木の枝を突き刺したマントのようなものを被って擬装していた。
しかも、全身に泥を塗りたくっている。
薄暗がりの藪の中に溶け込み、泥を塗ることで臭いも抑えていたのだろう。
確かに「馬鹿ではない」連中だった。
飛び出してきたオークは、事前に聞いていたとおりやはり五頭。
オークらしい雄叫びを上げることなく、そのうちの四頭が無言で本隊キャンプに殺到した。
彼らの身長は大きいもので百八十センチ程度、少し大柄な人間と変わらないが、肉の厚みは桁違いだ。
手にはお馴染みの棍棒を握りしめている。
ラクダを追い立てていたオオカミの女衆はとっさにラクダの前に回り込み、彼らをもと来た方に追い返した。
そのまま本隊に合流させようとすれば、オークの目の前にラクダを差し出すことになるからだ。
本隊の護衛の半数は、下馬して
その後ろでは、残りの兵が馬上からクロスボウでオークを狙っている。
オークに白兵戦を挑むのは愚の骨頂だということを、護衛の兵たちはよく理解していた。
商人たちは炊事用の焚火にありったけの薪を投げ込み、上から油の入った壺を叩きつけた。
たちまち盛大な
その光が闇の中を迫りくるオークを捉えた。
身体に塗った泥が乾き、てらてらと焚火の炎を反射して輝いた。
馬上の弓兵がそのチャンスを逃すはずがない。
クロスボウの引き金が引かれ、連発式の矢が糸を引くように叩き込まれていく。
「ぶすぶすぶすっ!」
肉を貫く嫌な音が響き、先頭のオークは無数の矢を受けてどうと倒れ伏した。
その陰に隠れていたオークたちも数本の矢を受けていたが、まったく怯む様子もなく突進してくる。
鋭い穂先を並べて突き出されている槍を棍棒の一振りで薙ぎ払おうとするが、オークの攻撃に合わせて槍はさっと引かれる。
棍棒を振り切ったところで、すかさず槍が伸ばされてオークの身体に突き刺さった。
さすがにオークたちもすぐさま飛び下がったので、傷は浅いものだった。
一瞬、オークと警備兵は睨み合う形となった。
しかし、それで十分だった。
闇の中から灰色の巨大な塊りが飛び出してきて、オークの身体にぶつかった。
弾き飛ばされたオークは地面に転がったが、その身体には頭がない。
ライガが一瞬でオークの頭部を噛み千切ったのだ。
ライガは牙を剥いた凄まじい表情でオークの首を放り投げると、驚愕して固まっているオークに正面から飛びかかった。
体長三メートルを超す巨体の突進に、オークはなすすべもない。
とっさに頭部を守ろうと両腕を顔の前で交差するが、ライガの巨大な顎はその二本の腕をまとめて噛み砕いた。
バキバキという骨の折れる音とともに苦痛にゆがむオークの絶叫が響いた。
両腕の肘から先を失って倒れたオークに、ライガの巨体がのしかかって、のた打ち回ることすら許さない。
喚くオークを黙らせるように、ライガの顎がオークの口ごと首を咥え、あっさりと首の骨を折った。
残った一頭は慌てて逃げ出そうとするが、振り返ったオークの前にはオオカミたちの群れが待ち構えていた。
彼らは一斉に飛びかかってきた。
哀れなオークは悲鳴をあげる暇もなく、全身ボロ雑巾のようになって息絶えた。
* *
ライガが最初のオークに飛びかかったのと同じ頃、護衛隊後方のキャンプ地では商人たちが戦況を固唾をのんで見守っていた。
商人たちは一応、護身用の短剣を構えていたが、もちろんそれは気休めでしかない。
彼らの中心には〝お頭〟のサイードが悠然として椅子に座っている。
オークは護衛隊とユニに任せてある。
彼らが突破されれば、自分たちの命運は尽きる。ただそれだけのことだ。
「それにしても……」
サイードはつぶやかずにはいられない。
「なぜ、ラクダじゃなくてこっちを襲ってくるのだ?」
大公国から王国への道中では三度オークに襲われたが、いずれも昼間のことだった。
だから、商人たちはラクダの背に揺られていた。
オークは彼ら目がけて攻撃してきたが、それはラクダを狙ってのこと――てっきりそう思っていたのだ。
サイードが自らの疑念に意識を向けていると、突然周囲で歓声が湧いた。
オークたちにオオカミが飛びかかったのだ。
特に
商人たちが喜ぶのも無理はない。
ところがその時、戦いが起きている場所とは真逆の方向から黒い影が迫ってくるのに誰かが気づいた。
暗闇から飛び出して、焚火の光をまともに浴びたそれは、もう一頭のオークだった。
最初に現れたのは五頭、そのうち四頭が突っ込んできたが、残る一頭はいつの間にか消えていた。
それが完全に不意を衝いて、思わぬ方向から襲ってきたのだ。
商人たちは悲鳴を上げ、頭を抱えてしゃがみこむ。
助けを求めようにも、護衛隊たちとの間は結構な距離があって間に合わないのは明らかだった。
「やられる!」
誰もがそう思い、目を瞑った。
しかし、彼らには何も起こらない。
恐る恐る商人たちが薄目を開けると、夢ではない。わずか二、三メートル先、確かにオークはそこにいた。
オークは左手を突き出し、右手に握った棍棒を振り回してじたばたしている。
敵は見えない壁に阻まれているように、そこから一歩も先に進めない。
オークがそこで奇妙なダンスを踊っていたのは数秒に過ぎない。
すぐにオークは襲撃を諦め、闇の中に再び消えていった。
商人たちは呆然としている。
どうにか自分たちが助かったのだということはわかったが、今何が起こったのかはさっぱり理解できないでいた。
ただ、サイードだけが落ち着いていた。
「さすがに見事なものですな。
こんなに間近で魔法を見たのは、私も初めてです」
彼が話しかけた人物に、周囲の商人たちの視線が集まる。
まるで、今初めてその若者の存在に気がついたかのようだった。
そこには元帝国軍魔導中尉、マリウスが人懐っこい笑顔を浮かべて立っていた。
* *
「――さすがに凄まじいな……」
オークたちの死骸を埋めるため、穴を掘っている部下たちを横目で見ながらアシーズはユニに賞賛を贈る。
「オオカミたちが先に気づかなかったら、奴らの奇襲は成功していたかもしれないと思うと、ぞっとするよ」
ユニは地面に松明を突き刺し、クロスボウの矢を受けて倒れたオークの傍らに膝をついて、死骸を検分していた。
「気に入らないわ……」
彼女は不機嫌そうにつぶやく。
アシーズは不思議そうな顔をした。
「気に入らないって……何がだ?」
「――何もかもよ」
ユニは皮手袋をはめていた。
オークの左手の指を開き、手の平を上に向ける。
そこには見たことのない紋章のようなものが、松脂のような粘度のある黒い液体で描かれている。
「これ、何かわかる?」
ユニはアシーズに訊ねるが、彼は黙って首を横に振った。
「ライガ!」
ユニはその紋章から目を放さぬまま彼女の幻獣を呼んだ。
すぐにライガが巨大な鼻づらをぬっと突き出す。
「……これ、どう思う?」
ライガはユニが差し出したオークの手の臭いを嗅ぎ、明らかに嫌そうな顔をした。
『よくはわからんが、碌ななもんじゃないことは確かだ。
毒か何か……とにかくその
ユニは背嚢から厚手の羊皮紙を取り出し、オークの手の平にそっと押し当てた。
微かに「じゅっ」という音がして、白い煙が立ちのぼる。
革の焦げる嫌な臭いと刺激臭が漂い、ユニとアシーズは思わず口元を腕で覆った。
羊皮紙をゆっくり剥すと、紋章が焦げ跡となって写し取られている。
「多分、何かの酸が使われているのね。
この手を押しつけられると、焼印のように模様が刻まれるようになっているみたいだわ」
「何でオークがそんなことをするんだ?」
アシーズの疑問はもっともだ。
「それはこれから調べるしかないわね」
ユニは羊皮紙に油紙を挟んでくるくると巻いていく。
紐でしっかり結わえると、背嚢にしまい込み、今度は別の紙を取り出してオークの額の模様をスケッチする。
忙しく鉛筆を動かしながら、ユニは警備隊長に声をかけた。
「ねえ、隊長さん。
私たちは明日、隊商を離れて逃げたオークを追うことにするんだけど。
その前にサイードさんにいろいろ確かめたいことがあるの。
悪いけど、夕食が終わったら付き合ってくれない?」
* *
キャンプ地にはいくつかのテントが建てられていた。
商人や歩哨を除いた護衛兵たちは、その中で雑魚寝することになるのだが、さすがに〝お頭〟だけは個人用のテントが用意されていた。
天井から吊るされたランタンの明かりのもと、サイードとユニ、マリウス、そしてアシーズが話し込んでいた。
「いやぁ、さすがにアリストア閣下が推薦してくれただけのことはある。ユニさんといいマリウスさんといい、見事な手並みでしたな!
アシーズもよくやった。倒したオークの一頭は護衛隊の手柄だそうじゃないか。
これまでオークは追い払えれば上出来だったからな。いや、お前たちも大したもんだぞ」
サイードは上機嫌だった。
満面の笑顔で、手ずから淹れた熱いコーヒーをユニたちに勧めてくれた。
小さいが贅沢なテントの中に、香しいコーヒーの香りが広がった。
しかし、ユニは仏頂面のままだった。
「サイードさん。そうはおっしゃいますが、一頭は逃げられています。
もちろん、契約どおり追跡して打ち倒すつもりですが……」
ユニはいったん言葉を区切り、コーヒーを口に含む。苦みの奥に甘みを感じる上物だった。
「私は辺境で何度もオークと対峙してきました。
ですが、今日遭遇したような奇妙なオークは初めてです。
それで、サイードさんとアシーズさんのご意見を伺いたいのです」
二人は黙ってうなずく。
「まず、オークが木の枝を被って擬装したり、泥を身体に塗って臭いを抑え、闇に紛れたことに驚きました。
密林オークはそこまで知恵の回る連中なのでしょうか?」
護衛隊長のアシーズが首を横に振る。
「いや、連中に多少の知恵があるのは事実だが、こんな手の込んだ真似は初めてだ」
ユニはうなずいて話を続ける。
「実は私も以前、同じような経験をしたことがあります。
異常なほど判断力がよく、突発的な事態にも的確に対処する知恵を持ったオーク。
私からしたらとんでもない悪夢でした。
でもそれは結局、人間が操っていたんです――」
「つまり、今回のオークたちも誰かに操られていると?」
サイードは鋭い目で問う。
「はい、恐らくは。
これは勘でしかありませんが、オークたちの額の印がそれを解く手掛かりではないかと思います」
マリウスが手を挙げてから口を開いた。
「僕も身近でオークを見たことがありますけど、あいつらの目は獣そのものでした。
でも、さっき見たオークの目には、明らかに知性がありました。
何て言うか……まるでオークの顔に人間の目を嵌めこんだような……そんな印象でした」
「ふむ……」
サイードは
ユニが再び続ける。
「それと、オークたちの目的が
奴らはラクダとキャンプの中間地点から飛び出してきました。
まともなオークだったら、ラクダとその荷物――商品ではなく食糧の方ですが――を狙うはずです。
それが、ラクダには見向きもせず、まっすぐにキャンプを襲った。
なぜでしょう?」
「なるほど……目的は私か」
サイードがつぶやく。
「ええ。オークが何者かに操られているのなら、その目的はサイードさん自身か、あるいはその持ち物ではないかと思います」
ユニは背嚢から巻いた羊皮紙を取り出して紐を解き、テーブルの上に広げた。
「これはオークの左手から写し取ったものです。倒したオーク全員の左手に同じものが付いていました。
松脂のようなものに強い酸をまぜているみたいです。
これを人間に押しつければ、焼印のようにこの模様を刻みこめる――そんな仕組みのようです」
サイードは溜め息をついた。
「そうか……。
この印が何を意味するかはわからんが、恐らくオークを操っているのは呪術師だろうな」
「呪術師……ですか?」
ユニとマリウスは怪訝な表情で聞き返した。
* *
呪術師は南方諸国ではありふれた存在である。
一般には、彼らは占い師であり医者でもある。
どんな村にも一人はいる〝まじない婆さん〟のようなものだ。
彼らのまじないの大半はまやかしだったが、村人の心の拠り所ではあった。
薬草や毒に関する知識は豊富なので、頼りにされる存在でもある。
だが、そうしたどこにでもいるまじない師のほかに〝力ある者〟と称される呪術師も存在していた。
彼らは王族に仕えたり、孤高の智慧者として隠遁生活を送ったりしていた。
呪術師の力は、文字どおり呪いをかける能力である。
人や物に呪いをかけて操ったり、病気にさせたり、殺したりする。
魔法が化学に近い技術だとすれば、呪術は人間の負の感情に根差す、その対極にあるものだ。
南方諸国の王族たちは、古くから戦争において敵の王や名だたる将軍を呪い殺すために彼らを重用してきた。
そういう意味では、王国の召喚士や帝国の魔導士と似たような存在だとも言える。
* *
「額に呪印を施して操るのは、呪術師がよく使う手だ。
オークの左手の印も何かの呪印だろうね。
――それにマリウスさんが言っていたオークの目だが、似たような話を親父から聞いたことがある。
人が動物の目を乗っ取る呪術があって、私の親父は実際にそれで鷹の目になって空から地上を見たことがあったと言っていた。
多分、逃げたオークは誰かの目になって、私たちの様子を窺っていたんだろうな」
サイードは「やれやれ」といった顔だった。
「私もこの商売だ。恨み妬みを買うのも珍しくはない。
――だが、ここまでやるほどの恨みとなると、見当がつかんよ。
力ある呪術師を雇うには莫大な金が要るからね」
ユニは彼の話に納得した上で話す。
「そうなると、事件の背後にいる黒幕の存在が問題ということになりますが、その捜索までは私の手に余ります。
ただ、逃げたオークを追えば、何か手がかりは掴めるかもしれません。
――それでよろしいですね?」
「ああ、十分だ――」
サイードは力なく笑って答えた。
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