呪われた宝珠 六 密林の追跡

 翌日の朝早く、ユニとマリウス、そしてオオカミたちは隊商と別れ、逃亡したオークの追跡に向かった。


 呪術師に操られているオークであれば元々の群れに帰るとは考えられず、密林の中に潜んでいるものと推測された。

 オオカミたちは臭いを追ってどんどん樹林の奥へと入っていく。


 辺境のタブ大森林と南部密林ではまったく林相が違っている。

 常緑広葉樹が中心となり、木の密度が濃い割に高さはあまりない。

 ユニとオオカミたちはすいすいと進んでいくが、馬に乗ったマリウスは追随するのに苦労をしていた。


 オークの臭いは隊商路からまっすぐ砂漠を突っ切り、密林に入った後は迷走していた。

 まるで追跡者の存在を意識しているかのようだ。

 しかし、オークの獣臭はそう簡単に消せるものではない。

 いくつかの擬装的な動きもオオカミたちは易々と見破って追跡を続けていた。


 追跡を始めて四時間ほどが過ぎた頃、群れの先頭に立っていたハヤトとトキがぴたりと止まった。

 目の前には珍しく平坦な獣道が延びている、比較的歩きやすそうな感じだ。

「どうしたの?」


 ライガに乗ったユニがすぐに側に寄り、訊ねる。

 少し遅れてマリウスも追いついてきた。

 ハヤトとトキの様子がおかしい。

 二頭とも毛を逆立て、低い唸り声をあげていたのだ。


「オークなの?」

 ユニが重ねて訊ねると、ライガが代わりに答える。

『いや、近くにオークはいない。

 ……だが、これは――』


 珍しくライガが言葉を濁した。

『すまん、うまく説明できん。

 〝嫌な感じがする〟としか言えない。

 この先に進んでは駄目だって、頭の中で誰かが吠えているような気がする』


 ハヤトとトキも振り返ってうなずく。

 彼らも同じ思いなのだろう。


『昨日、オークの手にあった変な印の臭いを嗅いだ時と似たような感じだぞ』

 ライガが思い出したように付け加えた。

 マリウスはこうしたやりとりが聞こえていないので、さっぱり訳がわからないでいた。


「立ち止まって何をしているんですか?」

 彼が尋ねるのも当然である。


「うーん、うまく言えないけど、オオカミたちがこの先は進むべきじゃないって言うの。

 多分呪術師の罠かなんかが仕掛けられているんじゃないかしら?」

 ユニが説明していると、横手の方から突然、ガサガサと藪を掻き分ける音がした。


 一瞬で緊張が走り、オオカミたちが一斉に戦闘態勢をとる。

 その目の前に飛び出してきたのは、一頭の若いシカだった。多分、風下にいてオオカミたちはその臭いに気づかなかったのだろう。

 驚いたのはシカの方も一緒だ。茂みから抜け出て見れば歯を剥き出しにしたオオカミの群れが待ち構えているのだ。


 若いシカは着地の一瞬で見事なターンを決めた。

 ほぼ直角に高々とジャンプして、獣道の奥へと逃走を図った。

 ユニたちの目には短い尻尾をピンと上げたシカの白い尻だけが映った。


 ところがそのシカが跳躍したまま降りてこない。

 空中でとどまったまま、ピクリとも動かないのだ。

 ――シカの身体は、周囲の樹木から伸びてきたツタによって、完全に絡み取られていた。


 四方八方から伸びるツタは、シカの脚、胴、首、頭、すべてに巻きつき声も出せないほどの強さで締めつけている。

 ギリギリと音が聞こえてきそうなほど、締めつけは強まっていく。

 そして、ついにそれは限界を超えた。


 「ブチブチッ!」という音とともに、ツタの輪が一気に狭まり、ズタズタにされた肉の塊りがぼとぼとと地面に落ちる。

 地面に転がった肉塊に、すかさずツタが襲いかかり「俺の分け前だ」と言わんばかりに巻きついて引っ込んでいった。

 ツタが隠れていった葉陰からは、ボリボリと骨を噛み砕く音、グチャグチャ肉をむ音、そしてずるずると血を啜る音が聞こえてくる。


 誰もが目前で起こった惨劇に言葉がない。

『おいおい、植物が肉を食うのかよ……!』

 ハヤトが堪らずに叫んだ。


「……これも、呪術なんでしょうか?」

 マリウスがユニに尋ねるが、ユニに答えられる訳がない。

 彼女の沈黙をまったく気にしていないように、マリウスは明るい声で提案した。


「何にせよ、仕掛けがわかったのなら問題はありません。

 さっさと進みましょう。

 ユニさん、オオカミたちに僕の周りを離れないよう伝えてくださいね」


「進むって、本気?

 あなただって、さっきの見たでしょう」

 ユニの言葉に彼は首を傾げる。

「もちろんですよ。

 僕が防御魔法を張りますから、特に問題ありませんけど……」


 ユニはともかくとして、オオカミはまったく彼の自信を信用していなかった。

 一行は渋々マリウスの周囲に固まって進む。

 一、二メートル進んだかと思うと、待ってましたとばかりに周囲からツタが襲いかかってきた。


 ユニもオオカミたちも、身体をびくっと震わせて身をすくめたが、ツタは目に見えないドーム状の壁に阻まれ、ずるずると曲面を滑り落ちていく。

 十メートルも進むと、ツタは攻撃をやめて引っ込んでいった。

 マリウスは馬上で上機嫌な顔をしている。


「いやぁ、昨日の夜といい今といい、僕も結構役に立つじゃありませんか!」

「そういうのを自分から言わないのが〝好青年〟って言うものなのよ」

 ユニは素っ気なく答える。

「それにしても、あの呪いっていつまで効力があるのかしら?

 まさか永久に作動する罠じゃないわよね」


      *       *


 ユニたちが逃亡したオークを発見したのは、その日の夕方のことだった。

 臭いを追っていたオオカミたちが、ふと顔を上げたのだ。

『異臭がする――オークの臭いには違いないが、何か変だぞ』


 ライガが警告の声をあげ、歩みが慎重となった。


 しばらく進むうちに、ユニの鼻腔もその〝異臭〟を捉えていた。

 甘い匂いに混じったかすかな糞尿の臭いだ。


 一行は藪を抜け、ごく小さな広場のような場所に出たところで立ち止まった。

『おいおい、これは一体何の冗談だ?』

 ライガが不機嫌そうな声で感想を洩らす。


 彼らの目の前には太いフサアカシアの木が立っていて、満開の黄色い花が強烈な甘い香りを放っている。

 わんわんとうるさい羽音をさせて、周囲をハチやアブが飛び回っていた。

 そして、太い幹から分かれた支幹の下には、オークがぶらさがってゆらゆらと揺れていた。


 支幹に巻きついたツタを自分の首に一回りさせ、そこから飛び降りたのだろうか。

 地面から三十センチは足が浮いて、その下には洩らした糞尿が溜まっていた。


 ユニは溜め息をついた。

「オークが首を吊って死んだなんて、誰も信じちゃくれないわよね。

 呪術師ってのは、よほど趣味が悪いらしいわ……」


      *       *


 とりあえずユニたちはツタを切ってオークを降ろし、証拠の耳を切り取った。

 胃の内容物を調べてみたが、案の定空っぽであった。

 呪術師は操り人形の食事までは気が回らないらしい。

 オークの身体には、呪印のほかに変わったところはなく、当然持ち物などはない。


 手がかりは何一つ得られなかったが、とりあえず隊商との契約は果たしたことになる。

 ユニたちはすぐにルカ大公国の北部都市、レリンに向かうことにした。

 オオカミとウマの脚なら、隊商に追いつくことが可能だろう。

 話はすべてそれからだ――。


 翌日、丸一日をかけてユニたちはレリンの街に到着した。

 予定どおりなら、隊商も同じ日に着いているはずである。


 レリンは、街の周囲を城壁で囲んだ城塞都市であるが、王国の四古都とはだいぶ趣を異にしていた。

 まず城壁が石造りではなく土塁であること、高さは門を除けは三メートル足らずであること、そして土塁の周囲に空堀を巡らせていることだった。

 街の中央の高台には塔が建っていたが、城館らしき建物はない。


 ユニは他国への正式な入国は初めてで緊張したが、予想以上にすんなりと通された。

 入国審査に当たった兵士は、ユニの召喚士としての身分証を確認すると、明らかに態度が丁重になった。

 そして、サイードの隊商に所属している旨を伝えてその身分証も提示すると、兵士が奥に引っ込みしばらく待たされた。

 戻ってきた兵士は、ユニたちをサイードの宿泊先まで案内させると言ってきた。

 王国同様幻獣であるライガの入国も許可されたので、一応ほかに七頭のオオカミがいて城壁外で待機させることを伝えたが、人や家畜を襲わないことを確認した上でそれも許可された。


「ずいぶんと召喚士に対して厚遇をされるのですね?」

 不思議に思ったユニが審査の兵士に訊ねると、彼は「当たり前のことを」といった顔でにこやかに答えた。

「わが国では召喚士様はとても尊敬されていますから」

「でも、私は二級召喚士ですよ?」


 兵士は「なるほど、このお嬢さんは何も知らないらしい」と理解したようだった。

「それでもです。

 あなたはリスト王国の方ですからご存知ないのでしょうが、わが国では召喚士様の数がきわめて少ないのです。

 あなたの入国はただちに報告されますから、明日には市長の招待があると思いますよ」


「招待って……何かさせられるんですか?」

「まさか! もちろん歓迎の晩餐会を開くのですよ」

「へ? 晩餐会って……うへぇ!」

 間抜けな声を上げたユニは頭を抱えた。


 とりあえず今は考えないことにしよう。

 気持ちを切り替えたユニはライガを連れ、兵士に指示された城門内の場所へ向かう。

 そこには案内役らしい若い兵士とともにマリウスが待っていた。


「あら、あんたは早く終わったのね」

 ユニは少し嫌味を込めて訊ねるが、彼はまったく気にしない。

「あー、僕の身分証は参謀本部が用意したものですからね。すんなりですよ。

 ユニさんは何か問題があったんですか?」


「別に、デートのお誘いがあっただけよ」

「そりゃめでたい。でもドレスはどうするんですか?」

なこと思い出させないで!」


 ユニはごついブーツでマリウスの尻に蹴りを入れる。

 大げさに痛がる男に、彼女は「ごめん、やりすぎた」と言いながら、さっと身体を寄せた。

 彼の尻をポンポンとはたきながら、耳元に口を寄せて素早くささやいた。


「魔導士だってことは内密なの?」

「はい、僕は王国軍の技術研究員ですから」

 ユニは小さくうなずくと、案内の兵士に大げさに向き直った。


「お待たせしてごめんなさいね。

 それじゃお言葉に甘えて案内をお願いするわ」

 若い兵士は少し頬を赤らめ、嬉しそうに答えた。

「はい、光栄です! 召喚士様」


 マリウスはきょとんとしている。

「あれ、ユニさん、いつから偉くなったんですか?」

「ついさっきよ!」

 ユニは兵士に気づかれないように肘打ちをお見舞いしてやった。


      *       *


 サイードの宿は、街の中心部に近い目抜き通りに面した上等の建物だった。

 若い兵士が先になって宿に入り、サイードの客人をお連れしたと用件を伝えると、すぐに宿の者が飛んできた。

「お待ちしておりました。

 サイード様はお部屋でお待ちかねです。

 さ、こちらへ」


 ユニは案内の兵士に礼を言って、宿の者についていこうとしたが、兵士が帰ろうとしないことに気がついた。

 彼女は振り返って「どうかしたの?」と訊ねる。

 若い兵士はもじもじとしていたが、やがて思い切ったように大声を出した。


「あのっ、すみません! 召喚士様のサインをいただけないでしょうか!」

 彼はそう言って頭を下げたまま、両手を差し出した。

 手には開かれた野帳が握られている。


 若者の大声と態度に、宿の者や居合わせた客たちがざわつき、ユニに視線が集中した。

「わたっ、わたたた――さっ、サイン?」

 慌てふためいたユニは、耳元まで真っ赤に染め、若者の手から野帳をひったくると、ガリガリと名前を書き殴った。

 マリウスは面白そうに「ヒューっ」と口笛を鳴らしている。


 ユニは野帳を押しつけるように兵士に渡し、「さっ、もういいでしょ」と言いながら宿の外に押し出した。

 もちろん、「きっ」と魔導士を睨みつけることも忘れない。


 宿の外から「ありがとうございます! 召喚士様!」という若者の嬉しそうな声が聞こえてくる。

 まだ顔が赤いままのユニが、努めて平静を装いながら宿の者に「お待たせしました」と伝えると、兵士の言葉を聞いた男の目が輝いた。


「おお、お客様は召喚士様でございましたか!

 それでは後ほどお部屋に色紙をお持ちしますので、是非私どもにもサインをいただきとうございます。

 サインの横に『旅のラクダ亭賛江』と書いていただけるとありがたいですな!」


      *       *


 サイードの部屋に入り、扉を閉めるなりマリウスは噴き出し、ゲラゲラと遠慮なく笑い続けた。

 ユニは憮然とした顔で、げしげしと彼に蹴りを入れている。

 唖然としたのは、部屋で待っていたサイードである。


「ユニさんもマリウスさんも、一体どうしたのですか?」

 マリウスがまだくっくっと笑いながら、さっき宿で起きたことを説明する。

 サイードはやっと得心したようで、ユニに対して頭を下げた。


「これは事前に説明しておくべきでしたな……。いや、配慮が足りず申し訳ない」


 サイードの説明によれば、ルカ大公国はもともとリスト王国の王弟が建国した国であるため、その軍制や政治体制もほぼ王国を踏襲していた。

 召喚士の戦力化によって軍の規模を抑制することもそうであるし、全国民に召喚能力の検査を義務づけることも同様である(検査に使用する鈴は王国から移入していた)。


 ところが、大公国の人口は王国の四分の一に過ぎない。

 当然、召喚士の数も少なかった。


 そのため、王国でいう国家召喚士クラスの強力な幻獣は一体か二体がせいぜいで、極端に不足していた。

 そこで、大公国ではすべての召喚士(王国でいう二級召喚士)の軍への入隊を義務づけた。

 それでも、全軍で召喚士はわずか五十人に満たず非常に希少であった。


 ルカ大公国では隣国のナサル首長国連邦との間で紛争が絶えず、戦争は珍しいことではなかった。

 その中で召喚士たちが挙げた戦功は目覚ましいものがあり、国民にとって召喚士とは英雄であり、尊敬と憧れの対象だったのである。


「――ですから」

 少し気の毒そうな顔でサイードは続けた。

「大国である王国から本場の召喚士がやって来たとあれば大きな事件ですから、市長の晩餐会に呼ばれるというのも不思議ではありません。

 なに、衣装でしたら私がご用意しますよ。

 この街には懇意にしている商人が大勢いますから、喜んで協力するでしょう」


 げんなりとするユニに、サイードは付け加えることを忘れなかった。

「その代わり、協力してくれた商人には色紙の三十枚や五十枚、頼まれるのを覚悟しておいてくださいね」

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